第5話

部屋には、もう両校の選手がいた。

教卓を挟んで、左側に肯定側、右側に否定側、の席がこちらを向いて4つずつ並んでいる。それぞれのチームが試合の最後の相談をしているみたいだ。

私達は各々見学が座って良さそうな机に座った。

「環ちゃん…お兄さんって、どなた…?」

小声で聞く。

「えーっと、兄は肯定側第二反駁だって。」

小声で返ってくる。

まもなく、10:00だ。

「試合開始まで、残りわずかとなりました。選手の皆さんは着席してください。ここで、登録メンバーの確認をします。」

タイマーを持った人がそう言った。

「あの人、何している人…?」

依莉に聞くと、

「タイムキーパーっていうの。通称TKね。試合の時間を測って、ああやって進行するの。」

依莉は今日のために色々予習してきている。

「……肯定側第二反駁。水戸 宏樹さん。」

「はい。よろしくお願いします。」

「否定側、芦北高校、立論……」

ついに、始まる。ディベートが、どんなものかわかる。私はとても興奮していた。

このシン……とした教室の空気の中で、タイマーの時間をセットする、ピッピッという音と、確認のためか、紙をめくる音だけが響く。


「論題は、日本は道州制を導入すべきである。是か非か。です。それでは、肯定側立論の方、準備はよろしいですか?」

「はい。」

「では、肯定側立論、時間は6分間です。始めてください。」

ピッ

「始めます。プランは4点。1、……」

肯定側立論のスピーチが始まる。パートの役目については、もう既に勉強していた。自分達の意見を、最初にいうのが立論だ。

でも、立論を聞いていると、聞き慣れない言葉がたくさん出てきた。現状…なんとか?発生過程…?どういう意味か、詳しくはわからない。でも、なんとなく、今こんな問題があるから解決しよう!こんないいことがあるよ!みたいな流れなのはわかった。時間が決まっているからだろうか、思っていたよりかなり速く話されるので、詳しい中身は把握できなかった。論題の道州制について、ちゃんと調べてくればよかったなぁ…と後悔する。

「……することができるこのメリットは非常に重要です。以上で肯定側立論を終わります。」

ピピピッピピピッ

「準備時間は1分です。」

ピッ


どうやら肯定側立論が終わったらしい。1分間、選手が次のスピーチの準備をする時間がある。私は小声で依莉に話しかける。

「依莉ー今の、どんな話だったの…?」

「うーん、私もあんまり聞き取れなかったし、詳しくはわかってないんだけど…。なんか、今地方は大変だけど、行政が効率化して赤字がなくなるっていうのと、経済が発展するよ、みたいなこと言ってた気がするなぁ…。」

「ふーんそっか。難しいなぁ。そういえば、あのさ、現状なんとか、とかってどういう意味なの…?」

「それはね…あ、えっと待って…」

ピピピッ

準備時間が終わってしまった。


次は、否定側質疑。否定側の質疑の人がが、さっき肯定側立論を読んだ人に質問する時間だ。

「否定側質疑、時間は3分間です。始めてください。」

ピッ

「よろしくお願いします。えーまず、プランから聞いていきたいんですけれども…」

質疑が始まる。順番に、立論の流れを確認しているだけのように見えるけれど…。なんだか、応答している人が堂々としすぎていてこんなこと出来るのかなぁ、と不安になる。

話を聞いていると、どうやら、現状分析、というものが今起こってる問題を説明していて、発生過程、がそれがどうやってなくなるかっていうのを言っていて、最後に重要性でこのメリット大事だよ、って言っているみたいだった。それぞれの中で何点も分かれていて、仕組みが複雑だ。

「……で、えーっとじゃあ、戻って、あ、やっぱりいいです。これで否定側質疑終わります。」

ピピピッピピピッ

「準備時間は1分です。」

ピッ


3分間って早いな…。立論と比べての短さに少し驚いていると、依莉がこっちを向いた。

「で、なんだっけ、現状分析のこと?なんとなくわかった?」

「うん、なんとなくわかった。ありがと、依莉。」

そう答えて、ふと、環ちゃんを見ると、なにかメモみたいなのをとっている。

「環ちゃん…。それ、何しているの?」

「あ、これ…?これはフローシートっていうんだけど、順番に議論の話を書いていくんだって。兄にちょっと教えてもらったの。」

ふーん、そんなものがあるのか。私が覗こうとすると、

「ほら、もう時間だよ。ほらほら!」

と言って、隠されてしまった。

ピピピッ

本当に、もう時間だ。


「否定側立論、時間は6分間です。始めてください。」

ピッ

「デメリット、『格差の広がり』。現状分析は4点……」

否定側立論が始まった。さっきの肯定側立論に比べて話し方が若干違う。肯定側の人はかなり自信満々だったけど、こちらの人は確実に伝えようとしてるっていう感じがする。

さっきより、立論の内容を聞き取ることができた。耳が慣れたのだろうか。

「…ということであり、つまりそれは…」

ピピピッピピピッ

「…だと言うことができる』終わり。」

「時間です。準備時間は1分です。」

ピッ


初めて、時間内にスピーチが終わらなかった。そんなこともあるんだなぁ…と、少し驚いた。

タイマーの音とともに、淡々と試合が進んでいく。

肯定側質疑が終わって、次は反駁のパートだ。反駁は相手の立論に反論するのがメインだが、第二反駁では、両方のメリットデメリットを比較しなければならないらしい。どんな感じなのかな…?

「否定側第一反駁。時間は4分間です。始めてください。」

「始めます。デメリット。まず現状分析1点目……」

うわっ速い。今までも速い、と思っていたけれど、それよりも速い。すごい速さで反論していくのだ。聞き取れないわけじゃないけど…。あんな速さでアドリブで話しているのかと思って見てみると、何か原稿みたいなものを読んでいる。相手が何話すかって、事前に分かっていないよね…?何で原稿があるんだろう…。

「……ってことでこれっていうのは重要じゃないって言えます。」

ピピピッピピピッ

「時間です。準備時間は2分です。」

ピッ


あ、準備時間が2分に延びた。

それにしても、第一反駁、短いはずなのにすごい情報量だった。あんなのは私には出来ないなぁ…。

そっと環ちゃんの方を見て、書いている紙を覗き込む。すごく文字がたくさん書いてあって、それぞれが矢印で繋がれている。すごい!

「あっ三笠ちゃん…。見ないでよっ全然聞き取れてないし字が汚いしで恥ずかしいから…。」

「そんな…すごいよ…。これを私たちはやっていくんだね…」

「もしかして、三笠ちゃん、すごい興奮してる?」

「どうだろう…」

ピピピッ

2分のはずなのに、早く感じた。この会場の、試合の、ディベートの、空気感に、呑まれていた。

「肯定側第一反駁、時間は4分間です。始めてください。」

ピッ

「始めていきましょう。まず、アタックからいきます。否定側フローご覧ください。……」

紙をめくる音がする。どうやら、肯定と否定、それぞれ別にフローシートをとっているみたいだ。

否定に反論して、さらに肯定にきた反論に再反論する。字で読んで、頭では分かっていても、目の前のスピーチでなされている処理量に、ただただ驚くばかりだ。

アタック、というのが反論、ブロックというのが再反論のことのようだ。アタックします、ブロックします、とそれぞれ分けて言っている。

これは大変そうなパートだなぁ…そう思った。

「……であり、我々のここの主張は」

ピピピッピピピッ

「取れると思います。」

「時間です。準備時間は2分です。」

ピッ


肯定側第一反駁も、否定側に負けず劣らず速かった。でも、それもだんだんと慣れてきた。

次からは、第二反駁。両方の主張をまとめて、比較し、自分たちが上だ、って言うんだそうだ。どんな感じなんだろう?

ピピピッ


ぼーっと考えていたら、準備時間が終わってしまった。

「否定側第二反駁、準備はよろしいですか?」

スピーチする人が、まだ壇上に立っていない。何を話すか考えているのかな。第二反駁の人は、紙を持って少し急ぎ目に壇上に上った。

「…はい。」

「それでは、否定側第二反駁、時間は4分間です。始めてください。」

ピッ

「っ始めていきましょう。えーっと、まず否定側フローから。……」

心なしか声が震えている。その人はすごく大人に見えて、一見何にも動じなさそうだったけれど、緊張しているのが伝わってきて、こちらもドキドキしてしまう。

否定側は、これが最後のスピーチなんだ。今までの話を朧げにしか分かっていなかったけれど、その人が言うことに耳を傾ける。

「……まとめていきましょう。まず、肯定側。これって結局、何を言っていたかって言うと……」

まとめに入る頃には、その人の声は安定していて、今まで練習してきたのか、とても説得力のあるように聞こえた。

「…以上の理由から否定側に投票して下さい。」

ピピピッピピピッ

「時間です。準備時間は2分です。」

ピッ


これが第二反駁かー。否定側は第一反駁で言われたことにも返さなくちゃいけなくて大変そうだな…。

次は、肯定側第二反駁か。あれ?そういえば…。

環ちゃんの方を振り返ってみると、もう既に依莉と話していた。

「次……。」

「そう、今水戸ちゃんと話してたのー」

「私も、兄がディベートしてるところ見るの、初めてなんですっ楽しみですー」

次にスピーチするのは、…あ、あの人か。そうか。ふーん…。

環ちゃんのお兄さんは、環ちゃんに似ていて、整った顔をしていた。次のスピーチのために、他のメンバーの方とお話ししている。真剣な表情だなぁ…。あ、もう時間なのか。

お兄さんはゆっくりと歩いて壇上に上った。まだ何か紙に書き込んでいる。

ピピピッ


「肯定側第二反駁、準備はよろしいですか?」

「はい。」

「それでは、肯定側第二反駁、時間は4分間です。始めて下さい。」

ピッ

「始めます。まずメリットサイドから見ていきましょう。我々のストーリーっていうのは……」

落ち着いた声。順番に立論の流れを追ってまとめているようだ。

「……メリット、大きく残っていると思います。で、否定側。相手側さんって……」

淡々と進んでいく。ふと、さっきの否定側第二反駁をやった人の方を見る。時折メモを取りながら、渋い表情をしている。環ちゃんのお兄さん、強いのかな。

「……こうやってみていくと、デメリットはほとんど発生しないって言えると思います。仮に、発生したとしましょう。だとしても我々の立論、重要性で述べていたエビデンスを伸ばして欲しくて……」

すごい。計画性を感じる。立論作る時から、第二反駁のことも考えているんだな…。

「……っていうところから我々に投票できると思います。」

ピピピッピピピッ

「これで、全てのスピーチが終了しました。これから審判の判定にうつりますので、選手の方々はしばらくお待ちください。」


審判の方々が外へ出ていくと、教室に張り詰めていた緊張感がわっと緩む。私は、まだ興奮から覚めきれないでいた。

環ちゃんのお兄さんはとても力強い口調でスピーチをしていた。内容がよくわかっていない私でさえ、いや、だからこそなのか、肯定側が言っていることが正しい、そう思わされる。これが、肯定側第二反駁。試合の中で、一番最後のスピーチ。

いつか…。脳裏に浮かぶイメージ。私が最後にみんなの心を掴む。沸く会場。華麗に、勝つ。いつか、そんな試合を…。

「三笠!」

「三笠ちゃーんっおーいっ」

「あ、ごめん、ぼーっとしてたかな」

「もう、大丈夫?スピーチ早すぎてクラクラしちゃった?」

「いや…そういうわけじゃないんだけどー」

「それでね、今石川さんとも話してたんだけど、どっちが勝ったと思う…?」

「うん…内容はあんまり取れなかったからな…なんとも言えないかも。」

「だよね!早すぎちゃって…。あんなの、出来るのかなぁ?」

「兄も始めてからまだ1年たってませんし、私たちにも出来るはずですっ」

「え、お兄さん学年は…?」

「あ、1個上です!高2!」

「そうなんだ!てっきり高3かと思ってた、ね?三笠。」

「うん…。それで、お兄さんあんなにお上手なのか…すごいなぁ…」

そんな話をしていると、審判の方々が戻ってきた。


「それでは、審判の方に試合の講評をしていただきます。この試合の終了時間は11:10です。」

時計を見ると、今は10:50だった。

「えー両選手のみなさん、お疲れ様でした。冬大会、最初の試合ということでね、こんな年明けてすぐの朝早くから……」

雑談風に始まった、審判の講評。それを両校の選手は真剣な面持ちで聞いている。時折、フローシートに何かを書き込みながら。審判の人も、それぞれの立論に沿って、順番に何が足りなかったか、どちらに有利にとったのか、などを説明していく。

最後まで、どちらが勝つかわからない。

「……えー、ここまで聞いていて分かったと思いますが、判定は、割れています。3人ジャッジなので2-1ですね。

では、その前に、コミュニケーション点から発表しましょう。」

…コミュニケーション点。なんの点数だろう?

「肯定側。立論4点、質疑4点、応答3点、第一反駁3点、第二反駁4点。続いて否定側……」

環ちゃんのお兄さんは、4点か。5点満点なのかな?

「……では、判定を発表します。判定は、2-1で、

肯定側、慧進高等学校の勝利です。おめでとうございます。」

「っしゃぁ!」

声が聞こえた方を見ると、肯定側第一反駁の人が軽くガッツポーズしている。

先輩なのに、思わずクスッと笑ってしまった。そうだよね、勝てたらそうなるんだろうな。

「……選手のみなさんは握手をして下さい。……」

両校の選手が握手を交わしている。会場はいつの間にか熱気に包まれていて、私もそれにすっかり飲み込まれていた。他の人と同じように、私も拍手をする。



これが、ディベートなのか。

初めてディベートを見て、私は興奮で頬が紅潮していた。

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