嗚呼この素晴らしい世界に祝福を。

甲乙丁

このすば?

 突然だが、俺には隠れた趣味がある。

 隠れた、と言っているからには当然、人には言えない、言うに憚る、一般世間からすれば日陰者の趣味ということだ。

 そんな前置きをすると、アッチの趣味やコッチの趣味だろうと妙に納得されることがあるが、たいていの予想は間違っている。

 大方の予想といえばいわゆるオトナのオトナによるオトナのための趣味、といったところであろうが、俺の趣味は幼稚で、稚拙で、実に子どもじみている。


 それは太陽がすっかり顔を出してしまう前の、朝靄かかる早朝の公園。

 人里離れたこの大きな自然公園は、人の気配よりも動物の気配が濃く、実際に野生のシカを時折目にすることがある。

 そんな動物の森で、俺は朝のジョギングでもするかのような姿恰好で、ジョギングしに来た人は決して持たないであろうものを手に持ちながら歩く。

 それは長い棒状のもので手によくなじみ、まるで周囲のオドからマナを生成しそうな形状をしている。

 そう、魔術師の杖(自作)である。

 歩く先に蔦が絡み苔の生す東屋が見えた。周囲は少し開けた場所になっているが、人目につきにくく、自然の匂いが濃い。

 俺は歩みを止め、大きく深呼吸をする。清涼な空気をいっぱいに取り込んだ体は良く血が巡り、毒の抜けるような気持ち良さを感じる。

 そっと目を閉じ、集中力を高める。

 自然と胸が高鳴る。今日はとっておきなのだ。

 俺は目を閉じたまま無心で、手にしている杖で陣を描く。

 もう何百回と描いてきた魔術陣。頭ではなく体が陣を描き上げる。

 いつも通りだ。そしてここからがとっておき。俺が今もっとも心を寄せる最新の魔術詠唱。


 --黒より黒く闇より暗き漆黒に我が深紅の混淆を望みたもう。


 湧き上がるような力の奔流を感じる。これはもう魔力的な何かが満ちているに違いない。


 --覚醒のとき来たれり。無謬の境界に落ちし理。無行の歪みとなりて現出せよ!


 妙な息苦しさを感じる。これ以上はイケナイという本能が俺の理性を抑え込む。だが、


 --踊れ踊れ踊れ、我が力の奔流に望むは崩壊なり。並ぶ者なき崩壊なり。


 まだだ。こんなところで止めるわけにはいかない、俺を止める者など俺以外にいないのだ!


 --万象等しく灰塵に帰し、深淵より来たれ!これが人類最大の威力の攻撃手段!これこそが究極の攻撃魔法!


 いくぜ!


 --エクス…


 「こらっ!」


 突然の声にはっと目を開く。

 目の前には、いつの間にか作業着のおじさんが立っていた。

 見られた……!

 なぜ怒られたのか、何に対して怒っているのか、そんなことには頭が回らず、ただ見られたショックで茫然としながらも、


「す、すみません!」


 それだけ言い残して俺はその場を走り去った。


 これは後で分かったことだが、早朝の公園に鈍器を持った不審者がいると、近隣の自治団体に通報があったらしい。

 当然だ。まるっきり不審者だと自分でも思う。


 これが、俺の趣味。


 子どもの頃、あこがれのヒーローの出来もしない必殺技なんかを、もしかしたら出来るかもしれないなんて可笑しな期待をもって試しに恰好だけでもやってみたことがある。

 それの延長、行きつくところ、そう、行き止まりだ。

 現実と空想の区別がつかない俺は、本気であこがれのヒーローの必殺技を使いたいのだ。


 子どもの頃、可能性は無限にあると信じていた

 努力は報われると信じていた。

 大人になれば何でも出来ると信じていた。

 でももう知っている。それらはすべて真実ではない。


 公園の駐車場に止めたセダンに飛び乗るように乗り込み、公園を後にする。

 後部座席にはスーツの着替え一式。

 あと小一時間もすれば俺の日常が始まる。


 嗚呼この素晴らしい世界に祝福を。

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嗚呼この素晴らしい世界に祝福を。 甲乙丁 @kouotu_tei

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