第19話 食事
騎士剣が右腕に落ちる寸前、ドアノブを回すように男の手首が回転した。
——間に合わない。
体の外側に手首が向くと、俺の騎士剣は何かに引っ張られるように男の体の外側に反れた。騎士剣が右手を掠めると同時に、男は手をそのまま右なぎに振った。
寸前にまで迫った男と
「くそ」
途端に、身体の右側に発生した圧力で視界が右側に流れる。先ほどの黒光の壁に潰された家を飛び越し、その先のよくわからない建物に叩きつけられた。
そのまま壁を突き破って瓦礫の上に転がる。左半身の骨がすべて砕けたのではないかと思うほどの衝撃だったがまだ動ける。
「……いったい、けど、死んで無いからまだセーフ」
地面に投げ出されたまま呟いた。
初陣で明らかにやばい悪魔に立ち向かったのだ。剣こそ届かなかったが、俺はよくやったほうだろう。
それによくよく考えれば、オリヴィエたちは撤退しているだろうし、アフドはまだしもコートはまだ無傷なのだ。
集中も戦意も手札も切れた。立ち向かう理由も勝てる道理もない。逃げよう。
俺は数秒の硬直の後、ゆっくりと起き上がり男の方を伺った。
「おーい、大丈夫かーい?」
ゆっくりと瓦礫から顔を上げると、なぜか男のいた場所にはコートが立っていた。20m以上真横に飛ばされた俺に向かって、戦闘が始まる前と変わらぬ調子で手を振っている。
「たぶん折れてますけど大丈夫です」
「ナイスファイトだよ!君はよく頑張った!」
つい数十秒前まで殺し合いをしていたというのに、コートからはその緊張が全くと言っていいほどに消えていた。
「じゃあ寝てます」
いうが早いか、俺はそのまま瓦礫の上に寝転がった。あの様子だと悪魔の脅威は去ったのだろう。
必死に食らいついた敵の最後を見届けられなかったのは心残りだが、それどころではない。明らかに何本かの骨は折れているし、緊張が解けたからか疲労が津波のように押し寄せてくる。
周囲には木くずや石の欠片や、家具だったものの残骸が散らばっているが、そんな退廃的な空間ですら俺の眠りの妨げにはならなかった。
§ § §
「............ちには......たよ」
「…...いえ......なこ......」
遠くから潮騒のように聞こえる誰かの声と、揺り椅子の様な穏やかな振動が俺をやさしい眠りから引き戻した。
瞼をそっと持ち上げる。
「んん......」
「ん? 起きたか?」
真下から、少年らしさを残す声がした。どうやらクラッドが背負ってくれていたらしい。体の傷はオリヴィエがヒールしてくれたのか、痛みは無い。
「すまないクラッド。起きたから降ろしてくれ」
「......あんたは無茶しすぎだ」
俺からすれば、やらなければいけないことをしたまでなので、無茶と言われてもどうしようもないのが、クラッドの言葉には俺を咎める鋭さと、拗ねるような
基本的に実利主義な俺は、分の悪い戦いには積極的に参加しないが、クラッドの前では団長相手に共闘した時も大きな傷を負っている。彼には、俺が無謀な戦に身を投じるタイプに見えているのかもしれない。
「でも、惜しかっただろ」
俺の身を案じているのはわかるが、口をついて出た言葉は子供じみた言い訳だけだった。
「あれは逃げてもよかったかもなー」
「そうだな。撤退も作戦の内だ」
前を歩いていたカーチスとアフドも即座に同意した。
「お前が矢面に立つ局面を招いたのは私に責があるが、不利と見れば即座に引く判断もしなければならない」
「リーダーなら尚更だ」とアフドは強めに付け加える。
先の戦闘で家屋に突っ込んだからか、鎧は
「まぁ状況判断はさておいて、ケイン君の戦闘力は戦術の組み立て方も含めて称賛ものだと僕は思うよ」
「だが自分の命を危険に晒したことに変わりはない。お前は事実、奴にとどめを刺せなかった。一つの選択で味方の命も左右することになるのは肝に銘じておけ」
「まあまあ、こういうのは経験だって」
コートは先の戦闘を随分と高く買ってくれたようで、機嫌を損ねたアフドをなだめにかかる。さながら飴と鞭だ。
「以後気を付けます。確かに
アフドは俺の選択の是非ではなく、リーダーとしての話をしているのだろう。
可能性の話なら、あの時に俺が撤退を選ぶことで全滅を招いたかもしれないが、逃げ切れる可能性より悪魔の首を取る可能性に賭けたのは事実だ。
これからもこういった考えで行動すれば、俺は自分だけでなくパーティーを全滅に追いやるかもしれない。アフドの指摘はもっともだ。
「勝手に突っ込んで死にかけたのは事実だ。すまない」
背負われたままの情けない姿勢で謝る。
クラッドは不機嫌そうに鼻を鳴らし、カーチスはニヤニヤ笑いながら口笛を吹き、オリヴィエは俺の背に手を当てて静かに微笑んだ。
初めて意識したが、どうやら俺は慕われているらしい。
§ § §
コートがアフドを
「さっきは言いすぎた。どうだ、初陣の記念だ。飯でも食わしてやるぞ?」
新人の教育方針について議論を戦わせた結果、コートに丸め込まれたアフドは気を取り直すためか、食事の提案をしてきた。
戦闘の姿勢について散々に言われはしたが、それが彼の生真面目な性格故なのは分かっているので悪感情はない。
悪魔との思わぬ遭遇で昼食の時間を大きく過ぎていることもあるし、他のメンツも空腹だろう。俺はその提案を受ける事にした。決して、人の金で飯が食いたいわけではない。
「じゃあ、お言葉に甘えて。先輩たちのお話いろいろ聞かせてください」
「そうかそうか。神罰部隊の先輩はな、初陣の後輩に一番美味い店に連れていくという慣習があってな。それに倣って私の行きつけの場所に連れて行ってやろう」
ほっとした様子のアフドと、ちゃちゃをいれるコートがじゃれつきながら先導していく。
「今日はアフドのおごりで決定だね!」
「なに? お前はおごらんぞ」
先ほどまで悪魔と殺し合っていたとは思えないほどに牧歌的な雰囲気だった。
「平和だな」
「平和だなー」
「平和ですね」
「平和すぎるだろ。俺の知ってる神罰部隊じゃない......」
なごむ俺とカーチスとオリヴィエ。首を傾げるクラッド。俺たちも緊張感の全くない足取りで追従した。
「じゃあクラッドの知ってる神罰部隊ってどんなのだったんだー?」
カーチスがクラッドの言葉を拾う。食事から神罰部隊の話に切り替わった。
経験則から言えば、この二人が話すとロクなことにならないので落ち着かないがカーチスに他意はないようだ。
「俺にとっての神罰部隊ってのは、悪魔より悪魔みたいな連中が喧嘩できる場所を探してる部隊だ」
「うわぁ」
全方面に対して喧嘩腰のクラッドが渋い顔で言うのだからこれは本物だろう。
そこんとこどうなんですか? という視線を向けると、コートとアフドは顔を見合わせた。
「えーと、それはだな、キーン達か......」
「ああ、彼らね......」
先ほどまでいちゃいちゃしていた二人(やましい意味ではない)はなんとも歯切れが悪い表情をしている。不治の病を宣告するべきか悩む医者のようだ。
「どんな方達なんですか?」
胸の前で手を組み合わせながら、オリヴィエも悲壮を湛えた病人の様な顔で尋ねる。
「一言で言うならそれこそ悪魔、が妥当かな。クラッド君にでも後で聞いてくれ」
「あら、そんなに酷い方たちなのですね」
「そりゃあもうね。僕らも何度煮え湯を飲まされたか……」
神妙にうなずくオリヴィエと、いやいやと首を振るコートをみて、カーチスが呟く。
「へぇ」
涼しげな瞳の奥に怪しい光が宿る。
悪魔との戦闘で神罰騎士のポテンシャルを十分に見せたアフドとコートが、顔を見合わせて渋面を作ったのだから『キーン』が接触禁止案件なのは間違いない。
騎士の職務には今日の様な命のやり取りが何度となく行われる。正騎士にもなったのだから、それ以外のトラブルは願い下げだ。
「カーチス。変な事考えるなよ」
「リーダー命令だ」と釘を刺しておくことも忘れない。
「んー? 変な事って?」
「とぼけるなよ。よからぬことを考えてるのは分かる」
直情径行的で喧嘩っ早いクラッドは性根が素直な分、扱いやすいが、カーチスは行動原理が「面白ければいい」という享楽的な動機に対して、是非の判断をほとんどしない。その上、頭が切れるのが厄介で、放っておくと何をしでかすか本当に読めない。
今回も『キーン』といったワードに強く反応しているのは、態度には出さなくても目を見ればわかる。訓練騎士だった半年間振り回されただけあって、危険信号が脳内で鳴り響いている。
「いくらあんたでもあの連中に絡むのはやめとけよ」
「そうですね、本当に危なそうな人たちみたいですし……」
カーチスに続くトラブルメーカーのクラッドが、めずらしくたしなめるような言葉を使い、いかにも平和主義らしいオリヴィエも止めに入る。これは分が悪いだろう。
「えー、まぁそこまで言うなら今回はやめとくけどー」
全方位から反対されたカーチスはしずしずと引き下がった。数の力は大きいようだ。
「それならいい。じゃ、美味い飯だ飯!!」
トラブルの芽を摘んだことで、俺は陽気な気分になった。
「おう、本当に美味いからな。期待してもかまわんぞ」
アフドも上機嫌で応えた。
§ § §
「ええっ!?」
「ふぉあ!?」
店に入る前から感慨深げな吐息を漏らすアフドに連れられて入った店内で、カーチスと店員の少女は、顔を見合わせて絶叫した。『ビシュの気まぐれ亭』の入り口で俺たちは注目されていた。食事処で騒ぐ俺たちに、周りから冷たい視線が刺さる。
「なんだ、知り合いか?」
誰よりも食事の期待に胸躍らせていたアフドが、気勢を削がれた様子で聞いた。
「え、あ、あの、え……」
職場で知り合いとその取り巻きに突然の邂逅とくれば、少女が混乱するのも問題ないだろう。あわあわと、言葉にならない音が少女の口から洩れた。
身長は140cm前半だろうか。くりりとしたブラウンの瞳がせわしなく瞬きを繰り返し、カーチスと俺たちの顔を交互に見比べている。
「カーチス、この子混乱してるぞ。お前が説明してやれ」
「え、あ、いや、意外というかなんというかだな……」
「お前アドリブ吹っ掛けられるのには弱いのかよ……」
カーチスのリアクションも大して少女と変わらなかった。
クラッドや俺を冷やかすことを趣味にしているような男が、一人の少女で平静を失っているのは正直面白い。自分の中で嗜虐心がむくむくと大きくなるのを感じる。
「お嬢さん。話は後で聞くから、取り敢えず僕たちを席に案内してもらえるかな?」
カーチスに癒えぬ傷を残すため回転し出した思考が、春の陽を思わせる爽やかな声で停止した。
「あ、はい、え、ええ、ごめんなさい!! お客様こちらです!!」
そこでやっと自分が従業員であることに思い至ったのか、少女は接客モードに戻って俺たちを奥へ案内した。
カーチスの顔をちらちらと気にし、コートに深々と頭を下げながら少女は厨房の奥へ姿を消した。
「さて、では飯といこうか。店のマスターには話しといてやるから、あの少女とは後で話せ」
少女が去った後のテーブルでアフドは口を開いた。口数が多いわけでなく重々しく話すが、意外にも気が効くようだ。紳士的なだけに、コートのような爽やかさがないことが悔やまれる。
「あー。そうですね、ありがとうございます」
水を向けられたカーチスはさも神妙そうな顔で頷く。カーチスが調子を狂わせているのはなんだか面白い光景だった。
「飯だな、飯。アフドさんのオススメはありますか?」
「この店にメニューなどはない。マスターの気分で仕入れる素材が変わり、料理が決定する」
「そんな雑でいいんですか」
「いつ来ても、なにを食べても確実に美味しいから誰も文句を言わないんだよ。気まぐれ亭を名乗るだけあって本当に気まぐれなんだ。面白いでしょ」
「なんだそれって感じですね」
アフドとコートと談笑しているいるうちに料理が到着しだした。
「よう、アフドのおっさんか! 今日は弟子連れときたもんでな、いつもよりサービスするから、たらふく食ってくれ!」
アフドをおっさん呼ばわりするおっさんが、にかっとした笑顔を浮かべて現れたのを皮切りに食事がスタートした。
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