第18話 初陣
団長からオリヴィエを獲得した日から1週間が経った。4月の初週から訓練騎士になって半年と少しだ。天候は快晴だが10月の風は少し冷たい。
今日は先輩の任務の見学をすることになっている。
「なぁ、ケインは今までどんな悪魔を見た事がある?」
「俺は孤児院から出たことがないから見たことはないな。カーチスはどうなんだ?」
「俺は田舎出身だから森で出会ったことは何回かあるなー」
「まじか」
集合場所に指定された中央教会の広場に一番早く到着した俺とカーチスは、石畳をかつかつと鳴らしながら話していた。
「待たせた」
「おはようございまーす」
続いて、クラッドとオリヴィエもやってきた。約束の11時の鐘が鳴るまでまだ時間はある。先輩を待つ後輩の態度としては上出来だろう。
「よう」
「おーっす」
クラッドとオリヴィエとあいさつを交わすと、間もなく先輩の騎士もやってきた。
『おはようございます』
立ち話を止めて全員で、左拳の親指側で左胸を軽く叩く敬礼をする。こう言う時に限ってカーチスもクラッドもかっちりとしている。
「おはよう諸君。右からオリヴィエ、クラッド、ケイン、カーチスだな。私の名はアフドと言う。覚えておきたまえ。今日の任務は巡回だ。他の騎士隊もこなす騎士の基本的な仕事だが、気は抜くなよ」
「僕たちの隊は風当たりが強いからね。指定されてる場所は治安が悪い場所が多いんだ。ちなみに今日はスラムになる」
待ち合わせ場所に現れた二人の騎士は、挨拶もそこそこに歩き出した。
アフドと名乗った騎士は170cm後半で、十字の紋が入ったカイトシールドと、翼の意匠が施された騎士剣を背中に背負っている。カイトシールドは騎士剣の鞘にもなっているようだ。関節部が丸みを帯びて盛り上がった鎧は、防御重視といったところか。兜には面に十字のスリットが入っているのみで視界は狭そうだ。教会騎士は、特別奇抜なものでない限りオリジナルの武具を装備できるが、この鎧はその中でも厳めしいほうだろう。
もう1人は身長170cm前半、装備は、胸やガントレットに百合の意匠が施されていて、優美な印象を受ける。継ぎ目の少ない鎧のデザインや、腰に下げた鍔が百合の花弁のようになっている白銀のレイピアがそれをいっそう強調していた。
背格好だけなら二人の騎士は俺とカーチスとよく似ているが、俺たちとは明らかに違う存在だと予感させるだけの風格がある。
自分たちも技と精神を磨けば、そこにいるだけで強さを感じさせる立ち居振る舞いができるようになるのだろうか。先導して歩く背中を追いながら、彼らが今まで辿ってきた道のりの長さを想像した。
§ § §
今日の巡回に充てられたスラムは王都の南端——王城から馬車で40分、徒歩で2時間ほどの場所にある。市場街と平民街と隣接したこの場所は、怪しげな物品の取引などにも使われるらしく、奥に行けば闇市などもあるらしい。クラッドに連れられて来られたこともあるので訪れるのは2度目だが、孤児とはいえ王城の膝元で育てられた俺には魔物の巣窟に入った気分だ。
黒ずんで元の色を失った煉瓦。
不衛生と貧困で固められたこの空間では、秩序の象徴とされる騎士鎧を着た俺たちは完全に異物だった。
スラムを歩くのは本当に居心地が悪いので、俺は気を紛らわせるために白銀の騎士に話しかけてみた。
「そういえば、アフドさんは名前を聞きましたけど、あなたの名前は聞いていません。教えてもらってもいいですか?」
「僕の名前かい? 確かにアフドが先に要件を話しちゃったから名乗り損ねていたね。僕の名はコート・ホストレイ。では、改めてよろしく」
兜のせいで顔は分からないが、爽やかそのものと言った様子でコートは右手を差し出した。俺も右手を差し出して握手を交わす。
「神罰部隊は悪魔と戦う部隊ですよね。巡回するだけで見つかるのでしょうか?」
「悪魔憑きはものにもよるけど、ぱっと見た程度では分からないね。でもこの部隊員なら、僕も含めて殆どみんな感知できるからその心配はないよ」
「思念体である悪魔が憑依と言う形で我々の世界に干渉しているのは知っていると思うが、憑依というのは我々の世界の物質を乗っ取るという事だ。見た目では分からない事が多い」
コートの言葉を引き継いでアフドが口を開いた。兜の十字のスリットからくぐもった声が聞こえる。
「でも見分ける方法があるんですよね?」
「悪魔と同じ思念体である精霊の力を借りる。」
「精霊ですか?」
「ああ、神罰部隊の騎士は小さな精霊と契約して悪魔を感知する」
「え、じゃあ俺たちも契約しないといけないんですか?」
「まぁそうなるが、小さな精霊との契約はお前たちが習得したゴッズに比べれば簡単なことだ。焦ることはない。」
「なるほど」
精霊との契約で悪魔を見つけるなど初耳だったが、あまり大きな問題ではないらしい。あまり口が多い方ではないのか、アフドはそれ以上の説明をしようとはしなかった。
そこからしばらくは、スラムの
「近くだ、でかいのがいる」
唐突にアフドが言った。
辺りは特に変わった様子はない。魔法使いなら微弱な魔力の流れを感知することで隠れた敵を見つけることができるそうだが、俺にはそういった才能もない。
「俺には全くです」
「え、あんた分からないのか?」
クラッドが、意外だといった風に反応した。お前だけだ。エルフの血が入ってるだろ。
「私もわからないですね」
「俺もだなー」
オリヴィエとカーチスも俺と同様わからないようだ。だが、カーチスはまだしもオリヴィエさん。あなたは魔法使えるのに分からないんですか?
「まぁ普通の人間には魔力がほとんどないからね。ゴッズを持っててもそれは同じだから仕方ないよ」
魔法が使えるのに魔力感知が出来ないオリヴィエをちゃっかりスルーして、コートはフォローした。
「ちゃかちゃか話してる余裕はないぞ」
アフドのくぐもった声が緊張を帯びた響きに変わったので、俺たちも身構えた。いつのまにか周囲から人の気配が消えている。
「これは大当たりかな。あちらさんはかなりやる気だね」
しゃらんと軽やかな音を立ててレイピアを引き抜くと、コートは胸の前にそれをかざし、呪文を唱えた。
『
途端に百合の意匠が凝った白銀のレイピアは発光し、周囲に白い靄が発生した。コートは特に気構えた様子を見せずに、レイピアを左右に切り払ってから正面を見据えた。
「戦闘ですか?」
慌てて、騎士剣を引き抜こうとする俺をアフドが制した。
「お前たちは見学だ。自衛ぐらいはしてもらうが、まぁ見ているといい」
アフドはカイトシールドを背中から降ろすと、左腕に装着した。
『来たれ、鉄翼よ』
今度はアフドの鎧の背中から銀色の翼が生えた。アフドが纏う鎧と同じ金属質な光沢を帯びたそれは、猛禽類のような雄々しさを放つ。翼が伸びきったのを確認すると、アフドはカイトシールドから剣を引き抜いて宣戦布告をした。
「来い、悪魔よ。地獄に送り返してやろう」
アフドの威嚇に応える様に通りの陰から出てきたのは、黒ずくめでひょろっとした男だった。
アフドから20mほど離れたところで立ち止まると、男はさっとフードを取り払った。頬は削げ、
「......我らは自由な身体が欲しいだけだ」
男は口を開いた。その声は誰とも交わらぬ響きを持っている。確かに同じ人間とは思えない。
「お前たちは人類に仇を為す。斬るにはそれで十分だ」
初めから話し合いなどはする気もないのか、アフドは背中に生え揃った翼と同じ意匠の剣で男を指した。
「じゃあ僕から行くよ」
今のやり取りをじっと聞いていたコートは、レイピアを胸の前に構えて進み出た。白い霧と光を纏ったままのレイピアは、引き絞った弓を連想させる。血を吸ったことなど一度もなさそうな白銀のレイピアは、詠唱に従って様々な効果を現すようだ。
コートは男を見据えたまま、滑らかに詠唱を紡いだ。
『散らし花弁を
レイピアの周囲に漂っていた霧から真白な百合の花弁が無数に湧き出ると、たちまち元のレイピアの形状を模した剣となった。
『涼風よ、運べ』
レイピアの切っ先を男に向け、身体を前に倒すようにしてコートは走り出した。コートの周囲に現れた剣も彼に追従するように、男に殺到する。
流麗な白百合の鎧を纏った騎士が、無数の白銀の剣と共に敵に向かっていく光景は、場所がスラムであることや対峙する男に迫力がない点を除けば、神話の挿絵のように現実感に乏しく絵画的な美しさを持っていた。
男は迫りくる無数の剣に対し、ゆっくりと左腕を胸の前に突き出した。
「無理だな」
それを見たアフドが呟いた。
男が掲げた左手は
「こいつはかなり重いね」
最初に抜刀した時と同じようにレイピアを左右に切り払いながら、コートは苦笑したように言って退いた。黒光は絡めとった剣全てを地面に墜落させていた。
「では、次は私だ」
後退したコートと入れ替わるように進み出たアフドは、背中の翼で飛び上がった。ごみが散乱する地面から一息で10m以上も上昇すると、滑空しながら突っ込んでいく。
対して男はコートにしたものと同じ技を繰り出した。再び掲げた左手が陽炎のように揺らめき、黒光が溢れだす。光の射程はせいぜい3、4mといったところだが、発動した左手を中心として扇状に広がるそれを躱すのは至難の業だろう。
現にコートが放った剣は一本残らず絡めとられたのだ。翼があるといっても正面から無策に突っ込んんで行くアフドに、コートが放った剣と同じく墜落する姿を幻視した。
「ぬんっ」
しかし、黒光に接触する寸前にアフドは右翼を折りたたんで、きりもみ回転に移行した。上方から飛行してきたアフドに向かって伸びた黒光を、右下に潜る様に急降下して回避。地面に鋭角に突っ込んで着地すると、土煙を巻き上げながら男の左半身側に走り寄った。
男にたどり着くと同時、アフドは騎士剣を突き出し、黒光を放出する男の左腕を半ばから断ち切る。体を捻る様にして突進の勢いを乗せたままシールドバッシュを叩きこんだ。
片腕を斬り飛ばされた男は最初に姿を見せた曲がり角の近くまで飛ばされたが、ぬるりとした動きですぐに起き上がった。
俯いてぼそぼそと話すだけだった男は今度こそ顔を上げて俺たちをしっかりと見据えた。光を宿さない男の瞳には黒い筋が何本も走り、黒茶の瞳孔には赤色が混じっている。
「許さぬ」
口調だけは変わらない様子でぼそぼそと呟くと、男は残った右腕を胸の前に突き出した。再び陽炎の様な揺らめきが発生したが、今度は掌の中心に黒光が収束し始めた。
「先も言ったが自衛はしてもらう。備えろ」
アフドは落ち着いた様子でカイトシールドをぴったりと身体に寄せると、軽く振り返りながら言った。
「みんな、僕の後ろに固まって」
コートはそう言うと、再び詠唱を開始した。
『涼風よ、花弁を散らせ。散らし花弁を鉄壁と成せ』
再びレイピアは白い霧と光を纏い、霧の中から湧き出た花弁は縦2m、横4mの方形に敷き詰められるように整列した。
俺たちの視界の正面を花弁の壁が覆うと、男の掌の前で収束した光が解放される気配がした。
本来、この世の物質全ては魔力によって生まれたとされる。魔力で出来た物質が重なり繋がり合うことで構成された俺たちは、いくら魔力に鈍感であっても巨大な魔法の気配には気付くことができる。
来る、と。確信に似た感覚を裏切ることなく地面が大きく揺れ、空中高く飛び上がったアフドと、それを追尾する黒い光線が花弁の壁から飛び出した。狭いスラムの路地を飛び回るアフドを、光線はまるで生き物のように追いまわす。時々思い出したように俺たちの方にも襲い掛かってくる。
光線は、最初にアフドが男の左腕を切り落とした時の黒光より射程も操作性も威力も高いようだ。紙一重で躱し続けるアフドには攻め込むための決定打が欠けているが、コートは俺たちを守る壁を維持しているため加勢できない。
しばらく俺たちは光線から逃げ回るアフドを見上げ続けた。
「まずくないか」
「俺なら一発で撃ち落とせるんだけどなー」
耐えかねたように口を開いたクラッドに、全く空気を読む気がないカーチスが返した。
「それはいいんだがカーチス。確か、お前鉄球曲げられるよな?」
「ん?」
カーチスは首を傾げて俺を見た。
「できるけどどうしたー?」
いつのまにか兜を脱いでいたのか、鎧と釣り合わないとぼけた表情で緊張感が削がれる。
「アフドさんじゃなくてあの悪魔をぶち抜いてくれ。コートさん、あいつやばそうですし、俺たちも参加していいですよね」
「先輩らしいところを見せたかったんだけどね。確かに不利な状況だから手伝ってもらえると助かるよ。どうしたらいい?」
レイピアに手をかざし、花弁の壁をじっと見つめていたコートはまた苦笑した声で言った。
「視界が通らないとカーチスが狙えないので、俺の合図でこの壁を解いてください。俺の加護であの光線の一撃は止められるので、その間にカーチスの攻撃であいつに隙を作ります」
「分かった。一応言っておくと、あの光線はさっき僕の剣を叩き落としたものと同じ重力魔法だと思う。普通なら殺傷力の低い魔法だけど、あの威力に掴まえられたら間違いなく圧縮されて死ぬと思う。絶対に喰らわないでね」
相変わらずの爽やかな声でコートは警告するが、声色からは生命の危機など全く感じさせない。この騎士も頭の
「あれはやばそうですけど、団長に左肩を斬り飛ばされかけたこともあったので、それに比べれば多分マシです」
「修羅場に耐性があるなら頼もしい。任せたよ」
「任されました。相手が悪いからクラッドとオリヴィエさんは安全圏に撤退だ。カーチス、準備はいいか?」
「おーけー」
「じゃあ3カウントでいきます」
——3。空中を相変わらず飛び回り続けていたアフドが、男から距離をとった。
——2。光線が思い出したように花弁の壁に突き刺さる。ぎゅるという不快な音で花弁が何枚か剥がれる。
——1。俺たちの作戦を知ってか知らずか、アフドが男に向かって急降下した。再び光線がアフドをターゲットする。
——0。
『涼風よ、花弁を散らせ』
『止まれ』
『曲がれ』
カウントが0に達すると同時、コートの詠唱で花弁の壁が左右に割れて視界が通る。そこに俺の見えない壁が広がり、アフドから再びターゲットを俺たちに変えた光線が俺の障壁に衝突し、その上をカーチスの鉄球が通り過ぎた。
カーチスが放った鉄球は男の右腕を弾き飛ばし、光線の照準を大きく狂わせた。
「クラッド!!」
俺の障壁を打ち破る寸前に反れた光線を確認して、撤退を促す。
「分かった」
『散らし花弁を剣に変えよ、運べ』
クラッドの潔い返事とコートの詠唱を背中で聞いた。
カーチスが隙を作り、コートが攻撃に移った。後は任せてもいい。
そう思ったが、翼が空を切る音が絶えたことに気付く。
ふと見上げると、アフドはまともに光線を喰らっていた。カーチスに腕を撃たれ、跳ね上がった光線に運悪く当たったのだろう。次の瞬間にはその姿も建物の壁に消える。
「っおいおい」
これでは撤退できない。対悪魔専門部隊に所属している一人前の騎士なのだから、コート1人に任せてもいいのだが、後ろの路地まではオリヴィエもクラッドもまだ退避できていないし、カーチスと俺だけでもあの光線から逃れるのは厳しい。
ならどうする。男までの距離は30m。俺の剣が届くとは思えないが攻めるしかない。転移のゴッズはまだあるから、首尾よく運べば奴の首を刈れる。
一瞬の迷いを捨てて俺は走り出した。
光線を男が溜め直す間に10m。コートの詠唱によって生まれた剣が俺の左右を抜き去って行く。残り20m。
光線のチャージが終わる間に5m。視界の左端が真っ黒に染まる。左を抜けていった剣が全て飲み込まれ、重力で家屋が潰れた音が連鎖する。残り15m。
視界の左端から、黒い壁と化した光が迫る。壁が俺に接触する直前に強く祈る。
『移れ』
黒光の壁が通り過ぎた左前方に転移。俺に躱されたからか、視界の右端に映った黒光の壁が消滅する。残り5m。
男が目前に迫る。団長に折られたため、すでに2代目となった正騎士剣を左腰の鞘から抜き放つ。残り3m。
男の右手が再び陽炎のように揺らめく。その手首を狙って、抜き放った騎士剣を上段から振り下ろす。
——間に合え。
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