第8話 鈍色
孤児院のシスターに会いに行ってから更に2週間が過ぎた。モチベーションを回復させた俺は、休んでいた時間を取り戻すために必死に訓練に励んでいる。
「いーち」
『はっ』
「にーい」
『はっ』
「さーん」
『はっ』
午前の基礎訓練は曜日によって内容が決められているが、中でも俺はこの素振りが一番苦痛に感じていた。教官の号令に合わせて、他の訓練騎士と一緒に剣を振る。架空の敵に向かって型通りの技を繰り返すのは、やる気十分の俺でも少々飽きてきてはいる。
上段切り上げ、中段突き、下段切り払い、中段受け構え、軸足を組み替えつつ回転切り。騎士剣を握ってたかが4カ月程度の身体にもこの動きは染みついている。教官曰く、騎士にとっての剣とは武器である前に体の一部らしい。
違う訓練科目に変えてもらうように直談判した時に言われたことだ。どれだけ馬鹿らしく感じても、剣が体と1つになるまでは剣を振っていろとの事だった。
だがこの型を極めたところで団長に勝てるとは到底思えない。見習いと言っても、剣の腕なら俺は同輩の騎士たちより数段上のはずなのだ。それでも届かない。団長と俺を隔てるのは単純な技術や経験だけではないのだ。しかし、それがなんなのか俺にはまだ分からなかった。
§ § §
結局、剣を振るだけで終了した午前の訓練の後、俺は夜明けから剣を振り続けた腕を冷やすために水浴びをした。その後昼食を摂り、鎧姿に戻ってから演習場に向かった。先に来ていた騎士達は教官と団長の前で整列していた。
俺もその列に加わったのだが今日は何かおかしい。団長が俺たち新入りの訓練に参加するのはいつもの事として、教官と団長の横に見知らぬ騎士たちが並びだしたのだ。皆、正騎士鎧で全身を固めてはいるのだが、それらは傷を付けては磨き直したのが一目でわかる輝きを放っている。鈍色を纏う騎士達が無言で並ぶ光景は異様であった。
鐘楼から時報の鐘が響き、訓練騎士の点呼を確認してから教官は口を開いた。
「では今から午後の訓練を始めるが今日は趣向が違う。いつもと同じ形式で模擬戦を実施するのは同じだが、今回は私の横に並ぶ正騎士たちとしてもらう。」
教官の指示に従い、訓練騎士は点呼の番号を元に並び替えた。それぞれの列の前には鈍色の騎士が1人ずつ立っている。
「お前たちが今から戦う騎士たちは、私が直々に声をかけた強者揃いだ。模擬戦とはいっても寸止めなどはしなくていい。目の前の敵を殺す気で、全力でかかれ」
教官の言葉に応える様に鈍色の騎士達は一斉に得物を抜き放った。それにつられるように、列の最前に並んでいた訓練騎士達も鞘から抜剣した。
「それでは始め」
号令と共に動き出した訓練騎士たちは歴戦の雰囲気を纏う鈍色に向かって、それぞれ叫びを上げながら突っ込んでいった。
「せい」
「やあぁ」
「はっ」
「とおおぉ」
「喝っ」
掛け声と同時に、金属がぶつかり擦れ合う甲高い音がいくつも響く。演習場はたちまち剣撃と怒号で満たされた。
しかし訓練騎士と鈍色の騎士との差は明確すぎるほどで、3度4度も打ち合った時には第一陣の訓練騎士たちは皆、剣を手放すか地面に転がされていた。
一方、鈍色の騎士達の損害は清々しいほどに皆無。中には一歩も動いていなかったり、打ち合わせた剣を叩き折ってしまった者もいる。向かって来た騎士を素手で倒した騎士に関しては、もう同じ人族とは思えない。
俺は列の後方に並んでいるのであの怪物的な騎士と戦うまでにはまだ時間があるが、否が応でも気持ちは引き締められた。団長の本気の一撃で吹き飛ばされた先日の出来事を思い出したのだ。
鈍色の騎士たちは尋常じゃない程に強い。筋力増強の魔法などはあるが、彼らは誰1人として魔法特有の燐光を纏ってはいない。鎧を着込んだ成人男子を、魔法の補助なしで吹き飛ばすなど普通に考えてあり得ない。
鈍色の騎士たちは団長と同様の何かを持っているようだ。俺たち訓練騎士が多少の策を講じたところで勝てるわけがないのは分かりきっているのだから、この模擬戦を計画した教官の意図が見えない。実際に強者と手合わせする事で、彼らが持つ力を、技術や経験以外のその何かを掴めというのだろうか。
そうこう考えるうちに俺の番が回って来た。前の列に並んでいた同輩の騎士達は、全員例外なく剣を手放していた。俺の列に対応する騎士は、他の列の騎士と比べて別段特別なところはないように見えるが恐ろしく小手打ちが上手い。
彼の剣は中段か下段に構えられ、蛇が這うように揺れる。その不定形な動きのまま、揺れる剣先が相手の攻撃を捉えて逸らす。そこから返す一太刀はしなるような動きで訓練騎士の手首を打つ。まるで磁石で引き合っているようだ。
やっている事は分かるが攻め方が見えない。無策に剣を振れば他の騎士達と同じように打ち倒されるだけだが、逃げるというわけにはいかない。俺はゆっくりと深呼吸してから踏み出した。
「お前がグルバックか」
「...そうですが、何でしょうか」
「団長から見込みのある戦士だと聞いている。俺が実力を試してやるよ」
今まで終始無言だった鈍色の騎士が突然俺に向かって話しかけて来るのは意外だったが、驚いたのはそれが少年の声だった事だ。それも俺に対する敵意全開といった様子。
その瞬間に、俺は自分の事を誠実だと言い切れるほどに潔白だったはずの心の奥底で嗜虐心が煽られるのを感じた。
「......それは買い被りです。俺の自慢は団長に使って頂いた時間の長さ位ですよ」
「くっそ、馬鹿にしやがって!」
一瞬で組み上げた言葉が、彼の平静を乱した事に口角が上がるのを感じる。
たちまちに狂犬の様相を見せた彼は、叫びながら突っ込んで来た。
背丈は大の大人と変わらず、修めた技は訓練騎士を遥かに凌駕しているが、少年そのものの彼の短期は、強さの種を晒すには十分だった。
先程までの、剣先だけを使った最低限の動きでは分からなかったが、大上段から振り下ろされた剣線は大きくしなっている。
彼が使う得物は、刃が中ほどから先端にかけて緩く反った片刃の剣で「カタナ」と呼ばれる東方に伝わる武器に酷似している。薄刃であることと、刃の部分に比べて峰の部分が柔いのが特徴の武器だ。
教会から支給される鋼鉄の剣は、訓練騎士のものでもしなったりはしないが、彼は剣技だけでなく、武器そのものを工夫することで独特の剣撃を生み出したのだろう。
しなる剣は、そうでない剣と比べて接触が遅れる。接触が遅れれば剣に掛かる力が変わり、手に伝わる力も変わる。彼の剣術はそれを利用して、相手の剣に隙を生んでいたのだ。
しかし、しなることでアドバンテージを産む剣も怒りに任せて振るわれては本領は発揮できない。振り下ろされた剣に対し、俺も力任せに横薙ぎに剣を振るう。金属がぶつかる耳障りな音と共に激しく火花が散り、2人の立ち位置は反転する。
俺が振るった騎士剣に対して、薄刃で軽いカタナは力まかせに打ち合う事をあまり想定していない。初撃が通らなかった彼は俺の剣の勢いに押されて姿勢を崩した。しかし、仮にも正騎士というべきか倒れるようなことはなく、強引に引き戻したカタナを腰で捻りながら俺の顔めがけて切り上げて来た。
左下から跳ね上がってきたそれを背中を反らす事で躱しながら、攻撃をしてきた腕に向かってそのまま切り上げた。
狙ったわけでは無いが、振り上げた剣は彼の手首に命中した。衝撃で手首から離れたカタナは、砂を抉る鈍い音を立てて俺の後方の地面に突き刺さった。
人を1人2人殺してもお釣りが出る程の殺気を放つ彼だったが、こうも容易く武装解除されたのは想定外だったのだろう。彼は弾かれた腕を押さえながら静止していた。
尋常ではない強さを見せつけていた鈍色の騎士との模擬戦は、奇しくも彼が得意とする小手を返した形で俺の勝利となった。
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