第7話  原点回帰

 俺が受けた傷そのものは、ヒーラーが揃っている教会な事もあってすぐに治癒された。しかし、教会が誇る回復術でも挫折感までは癒せないようで、俺は相変わらず立ち直れずにいた。


「ケイン、そろそろ基礎訓練だけでも出ようぜー」


「いや、今日はやめておく。教官には伝えておいてくれ」


 このような早朝のやり取りも、半ば定型文のように繰り返している。身動きするたびに軋む二段ベッドの上から、同室の相棒に投げやりな言葉を返す。


「教官が俺にも結構うるさいんだよ。そろそろ頼むぜー」


 俺を気遣いつつも詮索はしない辺り、感覚は鋭敏なのだろう。同室の相棒にそっと感謝しつつも、俺は二度寝を決め込んだ。


 一時間くらいしただろうか。東向の窓からやっと陽光が差し込んできた。


 思い返せば騎士団に入るまではこの時間の起床が普通だったのだから、人間の慣れというのは怖いものだ。なんせ、この時間の起床に既に違和感を感じているのだから。


 寝間着から私服に着替えると、私室を後にする。それにしても静かだ。兵舎の中に人の気配は残っていない。訓練を課されていない新人騎士なんて俺くらいのものだろうから、当たり前であるのだが。


 中庭に面した、壁一面の窓から入る光が照らす長い廊下をぽてぽてと歩きながら、今日をどう過ごすか考えてみる。休めと言われたのだから、気の向くままに好きなことをしたらいいのだが、これといってやりたいことが思い浮かばない。ふらふらと歩くうち、俺の足はとある場所へ向かった。



§  §  §



 ゴーディンズ孤児院。中央教会に併設されている施設で、カルカン神聖教会が運営する王都で最も大きな孤児院だ。教会騎士団の敷地も中央協会の敷地内にあるので、広い王都の中では目と鼻の先くらいの距離感だ。俺が育った場所でもある。


 天を貫きそうなほどに高い教会の尖塔を見あげつつ、真白な壁を伝って裏手に歩いていく。教会の陰になった敷地の、少し湿った地面を踏む感触は、この数ヶ月間握り続けた騎士剣よりも、俺にとっては馴染み深いものだ。


 果たして教会の真裏には小さな尖塔が特徴の建物が現れた。


「あら、あらあらあら。ケインじゃないの久しぶりね」


 子供の声がさざなみのように響く孤児院の前には、僅かに赤みがかった黒髪を三つ編みにしたシスターがいた。家庭菜園にジョウロを傾けている彼女の佇まいは、俺の物心がついた時と同じままだ。俺の姿を見とめると、彼女はそばかす混じりの顔に柔和な笑顔を浮かべ、近づいてきた。


「お久しぶりですシスターロゼア。暇を貰ったのでふと思い立って来ました」


「ここを出て行った子は帰ってこない事も多いから、顔を見せてくれるだけでも本当に嬉しいわ」


「住処(すみか)が変わっても俺のルーツが変わることはありませんよ。教会騎士に志願したのも帰ってこれる様に考えたからです」


「まぁ、そんな事を思っていてくれたのね。ここを出て行ってから言うなんていじらしい子」


「わざわざ言っても格好悪いじゃないですか。シスターからしたら子供でも、俺にも男としてのプライドがあるんですよ」


 照れ臭さを隠すため、鼻に手を当てながら話す俺に、シスターは両手を広げて接近してきた。


「格好付けでもなんでもいいのよ。ありがとう、愛しい私の子」


 耳元で囁くように話すシスターの声と共に柔らかな感触が俺を包んだ。抱きしめられた熱と女性特有の柔らかな感触。そして幼い日には感じなかった、シスターの身体の小ささを俺は静かに噛み締めた。団長には惨敗し自分の無力を突き付けられたが、18年を重ねた俺の身体は大きく頑健に成長したのだ。


『自分を育ててくれた孤児院とこの街を守りたい』と。成人の儀式を目前に控えた日に抱いた決意が戻ってきた。冷えた心の炉心に、再び火をくべられたように感じる。単純ではあるが、1週間以上もの間、俺の中にわだかまっていた感情は、たった一度の抱擁で解けてしまった。


 団長に勝つ勝たないの話ではなかったのだ。騎士として自分が育った場所を守るという目的を――大事なことを忘れていた。


「ありがとうございます。シスターに抱きしめてもらったので少し元気が出ました。」


 もう自分を見失わないと心に決めつつシスターにまわした腕を解く。


「騎士は光栄だけれど危険なお仕事でもあるわ。正直、あなたは優しい子だから心配じゃないと言えば嘘になる。今日も疲れた顔していたし...」


 俺の胸の下から見上げるシスターのつぶらな瞳には、血が繋がっていなくても正しく母親であろうとする優しさと真摯さが宿っていた。


「そりゃ騎士ですからね。悩みの種の一つや二つはあります。はは」


 シスターにかかれば俺の事など何でもお見通しのようだが、ばれてはいるとはわかっていても白々しく話を躱す

「シスターの顔が見れたので今日はもう帰ります」と続けながらそのまま俺は後ずさった。


「もういいの?」


「ええ、いつか心が折れそうになったらまた来ます」


「その時はまた抱きしめてあげるわ」


「はい、その時はお願いします」


「折れる前に来るのよ。ここはあなたの家だからね」


「ええ、では行きます」


「私との約束よ」と言いながら、小さな身体の胸の前で手を振る彼女に、手を上げて合図を返しながら俺は背を向けて来た道を辿りはじめた。子供の声がさざめきのように遠ざかっていく。


 角を曲がった俺は、再び湧き上がってきた懐かしさを振り払うように走り出した。


 正騎士の昇格試験までは、あと3ヶ月を切っている。動き出すための熱を再び与えられたのだから、また迷いが生じる前に訓練に戻らないといけない。

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