第8話 黄金のタロットカード
「知り合い?」
一哉の問いに、ロランは頷いた。
ロランはゆっくりとした足取りでカウンターを抜け、何故か、一哉たちを庇うようにその間に立った。
「……
「またお会いしましたね――否、ご存じでしたか」
白い美貌が、してやられたか、と気さくそうな笑みに崩れた。
「流石は『時次元監理局』、既に『特異点』を確保していたのですか。『航時指導員』という人間は本当佳い仕事をされる」
「否、残念ね」
ロランは頭を横に振って否定した。
次の瞬間、ロランの右手が黄金色に閃いた。
ロランの右人差し指と中指には、いつも大切に持ち歩いている純金製のタロットカードの一枚が挟まれていた。
それは、四隅に天使・鷲・鹿・獅子を配し、その中央に踊り子の姿が刻まれた『世界』のカードであった。
「あたしは『時次元監理官』。貴方が以前戦った『航時指導員』の上司よ」
「ほう」
紫剣木は感心したふうに瞠る。
「これはこれは。まさか“こちらの貴女”は『時次元監理官』のほうとは思わなんだ。これは少し計算違いをしたか」
「後悔しても遅いわよ。二人共、その場から動かないで」
「動くな、って……おい」
困惑する一哉を無視し、ロランは再び右手を黄金色に閃かす。
「『世界』のカード……か」
ロランの指先に煌めく黄金色に、紫剣木はふっ、と笑みを零す。
穏やかそうに見えるが、それでいて、永久凍土の不毛なる極寒を思わせる冷酷さも伺える、不気味な微笑だった。
「行くわよ!」
次の刹那、紫剣木とロランの姿は、二人の『かずや』の目前で、店内から消失した。
* * *
店内から消失した紫剣木とロランは、再び店内に現れた。
しかしロランの後ろには、二人の『かずや』は居なかった。
そればかりか、紫剣木の背後にある目抜き通りには、人の気配はおろか、大河の激流が如くあれ程激しく行き交っていた車の姿が全く消え去っているではないか。
「これは……ほう、『疑似空間』に取り込まれたか」
紫剣木は周囲を見回して呟いた。
自分の置かれている状況の変化に、その言葉とは裏腹に別段驚いている様子は無い。
紫剣木を見据えるロランはエプロンを外す。
胸を斜めに横切る赤のラインが入った、軍服を思わせるデザインの白いジャケットとタイトスカート姿が露になる。
『世界』のカードを手にしたまま、『時次元管理官』の制服に身を包んだロランはゆっくりとした動きで身構えた。
「これで遠慮無く話し合えるわね」
「話し合い、ですか」
紫剣木は肩を竦め、
「初対面の相手を閉鎖した『疑似空間』に閉じ込める行為を、そう言うのは初耳だが……」
「あたしの流儀よ、失礼」
「なるほど……いや、やはり」
紫剣木はくくっ、と肩を震わせて笑う。
「彼の地の貴女も勝ち気な方だったが……あちらは日本刀がお得意でしたが」
紫剣木の視線はロランが手にするカードに注がれていた。
「貴女の持つその『世界』のカードは、『特異点』無しで『世界』を創れるのですか。
我々には、伝説の神具として伝わっていたが、いやはや、何とも凄じい力を秘めたタロットカードだ」
感嘆する紫剣木に、しかしロランは何も答えない。ただ、『世界』のカードで顔を扇ぎながら紫剣木を見据えていた。
「さて、ミスター紫剣木――否、〈探究者〉と呼ぶべきかな?」
「〈探究者〉で結構」
紫剣木は破顔して頷く。俗世の垢を知らぬどこかの御曹司と思ってしまいそうな笑顔である。
ロランは、紫剣木の持つそのひょうひょうとした雰囲気に少し毒気を抜かれたのか、何となく気まずそうな顔を作り、溜め息にも似た軽い深呼吸をした。
「……『世界』から『世界』を渡り歩く〈探究者〉。あたしも何度か仕事で噂には聞いていた程度だけど……
果てしなく広大な『時次元』に混在する、無限個の『世界』を構築するという森羅万象を極めんとする永劫の旅人。
どこより現れ、どこへ去り行くのかすら、本人にも与り知らぬという。
〈探究者〉には生まれた『世界』など無意味。
拠り所にするのは、『世界』の森羅万象を極めんとする探究欲、そして、それを実現するべく備えた、超絶した能力のみ。
――何て悲しい存在なんでしょう」
紫剣木を見るロランの瞳には哀色の光が湛えていた。偽りの無い同情が、彼女の心に広がっているのは間違いない。
だが次の瞬間、ロランはその感情を捨て、紫剣木を睨んで身構えた。
「一つの『世界』に縛られているあたしたちには、〈探究者〉のように無限に見聞を広めることは出来ないから、『世界』を渡り歩いてまで極めようとするものがどれだけ崇高なものなのか、計り知れないわ。
だけど、貴方がこの『世界』で何をしようとするのかぐらい、理解している。
だから、あたしたちの『世界』を貴方の勝手にさせる訳には行かない。〈探究者〉紫剣木、彼女のことは諦めて去りなさい」
「それは出来ぬ申し出だ」
紫剣木は困ったふうに小首を傾げる。その典雅そうな造りが、どこか惚けた雰囲気を醸し出していた。
「あれは、私が見つけた宝だ。そう簡単には諦めません」
「宝、ねぇ……」
ロランは嫌悪を露わにするのを堪えた。紫剣木という男を、生理的にも受け付けられないタイプの男だと直感していた。
「ならば問おう。君たちは判っているのか?
現状は辛うじて力場が拮抗されて無ことでいるが、『特異点』と言うものは、着火設定が効かない時限爆弾のようなもの。
些細なことがきっかけで、今直ぐにでも『世界』が滅びるやも知れぬのだぞ」
「……っ!」
『世界』が滅びる。――ロランは眉を顰め、唇を噛んだ。
「……その様子では、理解しているようだな」
紫剣木はロランの様子から察した。
この二人しか知らぬこと態は、そこまでひっ迫していたのか。
動揺を隠し切れずにいるロランに、紫剣木は、右親指で自分の胸を突き刺すように指して見せ、
「『特異点』を処分出来ない君たちと違い、この私は、『特異点』の源たる負の力を自在にコントロール出来る能力を所有している。
……そのことは貴女の部下である、彼が良く知っておろう。
今や、この『世界』を救えるのはこの私だけなのだ!」
「――」
ロランの顔が険しくなった。
それは反論出来ずに窮したとは思えない、ある感情がこもっていた。
「救う……ですって?」
ロランの脳裏に、広大に広がる荒野が過ぎった。
「自分の欲望の為に、無関係な『世界』を一つ、破滅に追い込んだ男の言う台詞か!?」
ロランは激昂した。
おののく右人差し指で紫剣木を指して睨みつけるその姿は、さながら阿修羅のような凄まじい気迫を放っていた。
「交渉決裂、ですね」
紫剣木は肩をすくめて見せた。しかし、紫剣木は物怖じしている様子も無い。
「邪魔立てするならば、排除するまで」
突如、紫剣木のインバネスが勢いよく翻る。
吹き上がるようにもたげた両腕の後を追うように、黒い残像が胸元から飛び上がった。
飛び上がったのは腕の影では無かった。
「何っ!?」
紫剣木の胸元から飛び出した奇怪な影は第三の腕となり、瞠目するロラン目掛けて襲い掛かる。
次の瞬間、肉塊が高所から叩き落とされて砕け散ったような不快な音が鳴り、紫剣木の第三の腕は、ロランの立つ床のタイルを粉砕した。
ロランの姿は、そこには無かった。
「むっ!?」
今度は紫剣木が瞠る。――次の瞬間、紫剣木の頭上にロランの飛影が突如出現していた。
「もらった!」
紫剣木に向けて翳した、ロランの右手の黄金の閃き。――ロランがいつの間にか手にしていた『塔』のカードが、まさか紫剣木目掛けて黄金の稲妻を放つとは!
一筋の、しかし凄まじく巨大な稲妻が紫剣木の身体を一瞬にして呑み込み、紫剣木の傍にあったテーブルもろとも、彼の身体は一瞬にして消し炭と化した。
噴き上がる煙を背にして着地したロランは、紫剣木の死体を確かめようと振り返る。
そこには、有るべき消し炭は無く、代わりに、漆黒の闇が佇んでいた。
全く無傷の紫剣木が、そこに居た。
「そ、そんな!? 確かに手応えはあったハズ!?」
愕然として瞠るロランを前に、紫剣木はインバネスに付いた埃を払う余裕さえ見せていた。
「空間を支配する『世界』のカードによる『瞬間移動』と、神罰を司る『塔』のカードによる『雷撃』……か。いやはや、噂に名高い伝説の神具『黄金のタロットカード』の威力、恐れ入った」
感心したふうに言う紫剣木に、ロランは我に返って頭を振り乱した。
「何て奴。あんた、今の電撃が効いていないの?」
紫剣木は頭を振った。
「貴女の持つ『黄金のタロットカード』が22枚ある大アルカナのカードの特性別に、使用者の潜在能力を増幅させる増幅器であることは承知です。
先刻用いた『世界』のカードは疑似空間を造るだけで無く、瞬間移動を可能とする。
そして、私を今“殺した”『塔』のカードは、超高電圧の電撃を放出することが出来る。
惜しむらくは、いづれも決定的な一撃にはなり得なかったことでした。
何故なら私にも、貴女のそのパワーを凌駕する程の『力』があるのですからね」
「『力』……!」
ロランは、以前読んだ報告書にあった、〈探究者〉紫剣木の『能力』についての項目を思い出した。
その『能力』は、怒りに我を忘れ掛けていたロランに冷静さを取り戻させる程、戦慄すべきものであった。
「……待ってよ。あんたの『力』の源は、あたしの創った『疑似空間』にまで干渉出来ると言うの……?」
「如何にも」
紫剣木はほくそ笑んで見せた。
「どうやら行使するご本人が気付いていなかったようだな。この『疑似空間』は、時空規模のエントロピー代謝された『世界』を用いて構築されたもの。言わば、“使用済みの世界”ですか。
つまり、ここには私の『能力』の源が豊富に存在していることになる」
「あっ、そうか、しまったぁ……!」
歯噛みするロランは、手にする黄金のタロットカードの束を力強く、わななきながら握り締めた。
「……みすみす、あんたに塩を送っていたワケ……ね!」
「その通り。――私の『能力』の源は、『特異点』と同質の物。
『特異点』に向けて『世界』がほぼ無尽蔵に放射する『負の力』を吸収することで、この私は無限のパワーを得られるのです。
貴女たちが、如何に『特異点』を擁護して足掻こうが、無限のパワーを持ったこの私を、否、『力』の源たる『世界』そのものを敵に回して、果たして勝ち目があるのですか?
『負の力』を放出し続ける『世界』がある限り、この私は『不・死』なのだっ!」
咆哮する紫剣木の身体から、突如、漆黒の光が爆発したかのように噴き上がる。
その漆黒の光は、紫剣木の身体を取り巻くように渦を巻き、天地を砕くような轟音を上げていた。
紫剣木は、体内から放出する奇怪な光をもって、自らを取り巻く空間に凄まじいプレッシャーを与えているのだ。
「な、何て凄い負のエネルギーなの!?――そうか、これが未来が言ってた『瘴気功』!?」
ロランは、即座に紫剣木の身体を取り巻く漆黒の光の正体を看破した。時次元管理官として潜り抜けてきた幾多の修羅場で培った知識と経験の仕業であった。
しかしその冷静な洞察力とは裏腹に、まさか身体の方が、意に反して竦み上がっていたとは思いもしなかっただろう。
気圧されるロランは、無意識に後退りしていた。
常人のそれより数段磨かれた彼女の防衛本能が、この奇怪なプレッシャーに生命の危機を直感したのだ。
「ちいっ!」
ロランはすかさず手持ちのタロットカードを手前に放つ。
「『
ロランがカードの力を解放する。火を司るカードの力は瞬時に巨大な爆炎の球を作りだし、紫剣木の身体を焼き尽くした。
だが次の瞬間、灰と化したはずの紫剣木の身体は即座に再生されてしまった。
「『
新たに繰り出したカードは周囲に凄まじい旋風を巻き起こした。空間を抉るような空気の対流の牙は再生したばかりの紫剣木の身体を食み、その身を引き裂くが、瞬く間に再生してしまった。
「『
次に繰り出した、戦車に乗った暴君の姿が刻まれたカードからは無数の高エネルギーが放たれた。紫剣木の身体は熱量の拳のラッシュに粉砕されるが、結果は同じであった。
「ならば、『
次にロランが繰り出した、天秤を持つ審判の絵が刻まれたカードは、今までのような物理攻撃とは異なる力を発揮していた。
「ぬ?」
紫剣木はいつの間にか巨大な黄金の天秤の片側の上皿に立っていた。
――汝の罪に問う。
どこからか神々しい声が聞こえてきた。
同時に、紫剣木を包囲するようにその周囲に八本の剣が出現した。
――七つの大罪、一つの心。
――全てを秤にかけ、罪深き者をその剣にて裁きし。
剣が一斉に震えだした。
――<guilty or not guilty>:正義の剣に問う。
――この者、有罪か無罪か?
次の瞬間、紫剣木の身体に八本全ての剣が突き刺さった。
――<guilty>:有罪。
剣が突き刺さった紫剣木の足許が突然暗黒が広がると、その無残な身体が暗黒の奥へと落ちていった。
「邪悪を裁く正義の剣の力は――」
ロランは『正義』のカードの裁きを見守っていたが、その結果を見て思わず仰いだ。
無傷の紫剣木が何ことも無かったようにその場に佇んでいた。
「これもダメとは……」
「まだ仕掛けますか?」
紫剣木が小馬鹿にしたようにニヤッとほくそ笑む。
「当たり前よ! こうなったらフルコースよ!」
ロランはカードを五枚繰り出した。
「無駄だと言ったはず」
呼応するように紫剣木は右腕を上げた。すると火の周りに黒い粒子が渦を巻いて集まり始める。それはまるで巨大な黒い銀河を思わせた。
「『瘴気功』」
それを見た途端、ロランの身体が凝固する。
恐怖。
ロランの身体を縛り付けたのは、生存本能が覚えたごく当たり前の反応であった。
「貴女、そしてあの男は、私の目的にとって目障りな障害です」
漆黒の渦の中心で、紫剣木は微笑する。
あの典雅そうな顔が嘘のような、とても禍禍しい歪み方であった。
「従って排除する。――まずは、貴女だ」
「き――」
ロランの悲鳴が掻き消された。
紫剣木を取り巻く漆黒の光が、ビックバンでも起こしたかのように一気に八方へ広がり、ロランの身体をあっという間に飲み込んだからであった。
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