幕間

 そこは、静かな闇だった。

 闇の深みに何が息づいているのか、知る由も無い。或いは何も存在していないのかも知れない。

 まるで、この宇宙が誕生する以前に存在していたと言われる『虚無』の様なであった。

 伝承では、かつて創造神は、このような闇に一言語り掛けて、宇宙を創造したと言われる。

『光、あれ』、と。

 果たして、再び再現された『無』の闇に、創造神はどう語り掛けるのか。


『――第七方面監査より報告!』


 突如その闇に、甲高い女性の声のアナウンスが響いた。

 同時に、闇の中に数多の星々が煌めく。

 その星々の煌めきは、今まで何も存在しないと思われていたその闇の深みを音も無く進む人影を一つ、浮かび上がらせた。

 その人影の頭上に広がる暗天に、何の前触れも無く、映画館のスクリーンを思わせる白色の四角形の光が開く。

 その光のスクリーンの中には、無数の数値と夜景に煌めく摩天楼の映像が映し出された。

 無論、天井にスクリーンを張るような奇抜なことをしている映画館など無い。むしろ、プラネタリウムと言った方が近い感がある。

 やがて、摩天楼を映し出すスクリーンの光と、暗天に煌めいていた星々の光量が次第に増大すると、その下界の闇を音も無く進んでいた人影が実体の色を取り戻した。

 それは、胸に赤色の斜めラインが入った、軍服を思わせる白いジャケット姿の青年だった。

 しかし、その面は、闇の中から浮き出たのにも拘らず、その像を結ぼうとはしなかった。

 梳くと光を散らしそうな、芸術品と言っても差し支えの無いくらい美しい彼の銀色の髪が、スクリーンの光を受けてハレーションを起こし、その面を光の帳に隠してしまっているからである。まるで、彼の顔を見ることが罪な如く。

 青年がやがてその歩みを止めると、彼を取り巻いていた闇が一斉に昼に変わった。

 今まで沈黙を保っていた、青年の回りにあった様々な機械が、ホログラム化された無数の数値を浮かび上げた。

 それとほぼ同時に、その機械を操作している、青年と同じデザインのジャケットを着込んだ大勢の人間たちの姿も、闇の中から浮かび上がった。

 今、青年の居る場所は、映画館の中ではない。

 無論、プラネタリウムでも無いのだが、形状はそれに似た、半径四百メートルもある球を半分に割った、巨大なドームの中であった。

 その巨大なドームは、様々な機械と、それを操作する、青年と似たデザインの服を着た大勢のオペレーターたちが詰まった浅い擂り鉢上のフロアの上に覆い被されていた。

 このドームはどうやら、統制された組織の司令部の様である。その円の中央に開けたフロアに、青年はやって来たのだ。


「よう来たな」


 青年に声をかけたのは、その開けたフロアに設置されているコンソール・パネルに立ったまま向かっていた、青年と似たデザインの詰め襟のスーツを着た、一人の壮年の男だった。

 若い頃から鍛えているのであろう、がっちりとした体格で、威風堂々とするこの詰め襟を着込んだ壮年の男は、このドーム内の位置関係からしても、この司令部の最高責任者に相違あるまい。

 壮年の男は歩み寄る青年を見て、もの珍しそうに瞠り、


「……ほう。お前さん、珍しく〈銀色〉の方か」

「人間、時にはイライラを押さえられない時もありますから」

「そっか。まあ、うちの連中も大体慣れたから騒がなくなったが、それでもまだドキッ、とするのぉ。

 ――おっと、出張前の急がしい時だというのに呼び出して済まんな」

「否、特に急いではおりませんよ、支部長。我々に、『急用』という言葉は無縁のハズですが」

「それもそうやな」


 支部長は、銀髪の青年に、にっ、と破顔してみせ、


「ほな、本題に入ろか。これ見ぃ」


 支部長の右人差し指が、手元のコンソールパネルにある緑色のボタンに触れた。

 すると、支部長の背後にあった巨大なスクリーンに、永間一耶の顔の静止画像が映し出された。


「例の『特異点』ですね」


 青年はさらっと言う。


「おう。如何にも、これが噂のアイドル、我らの『特異点』ちゃんだ」


 頷くと、次に支部長は今の緑のボタンの直ぐ右にある黄色のボタンに触れた。

 すると、一耶の顔が表示されているスクリーンの左半分に縮小され、右半分の方には、一哉の顔の静止画像が映し出された。顔のアップ画像だと、この二人を見分けるのには至難の技である。


「さて、問題です。この二つの顔には七つ間違いがあります。さて、どこでしょう?」


 銀髪の青年は二人の顔を指して、支部長に質問した。


「え~と、右側がふたえじゃ……否、両方ともそうか――阿呆、ちゃうわい!」


 支部長は、銀髪の青年の然り気無い口調に思わずつられて応えそうになってしまう。しかし、直ぐに、はっ、と我に返って赤面した。


「儂は、おんどれに下らん問題出させる為に呼んだんじゃ無いわい!」

「支部長、得体の知れない方言で怒らないで下さい」

「喧しい、叱られとるクセに、涼しい顔してンじゃない! こいつを見ろ!」


 怒鳴りながら、支部長は黄色のボタンの直ぐ右にある赤いボタンを拳で叩いた。

 すると、二人の『かずや』の静止画像が画面左上に圧縮され、その下からは、無数の数値がスクロールアップされた後、一つの散布グラフが表示された。

 その散布グラフが、スクリーンからゆっくり浮かび上がる。

 3Dホログラムで描かれた散布グラフは、空中で光線で組まれた立方体の箱を作り、グラフの中に散っていた黒点は黒い星となって、立方体の内部を左下隅から対極する右上隅に走る中心線に群がっていた。


「見ろ。これが、ここ二ケ月間に発生した『時次元』の歪みと、それに伴って生じた空間崩壊の件数を整理したグラフだ。

 黒点は、空間崩壊の発生時刻と発生場所を元に、異常な歪みと思われるものだけを抽出したものだ。

 通常なら、縦・横・高さを意味するX・Y・Z軸で組まれた空間モデルの中を斜めに走るCR軸、即ち『時次元軸』に集中することが無いのに、

 この半年間、あの『特異点』がこの世界に出現してからは、空間異常崩壊の件数が数千倍以上に膨れ上がってCR軸に集中しておるのだ。

 それも、『特異点』の近辺に、だ」

「そのことは僕も知っています。

 しかし、人が消失したり、物体が消滅するに至る程の大きな空間崩壊は、まだ発生しておりません」

「まだ、な。確かにあの『特異点』は、稀に見る安定した“ゆがみ”だ」


 そう言って、支部長はスクリーンに残された二人の『かずや』を睨んだ。

 しばし無言でスクリーンを見ていた支部長は、やがて重々しく口を開いた。


「儂は今でもこの爆弾を放置してることには反対や。もし爆発でもしたら……」

「しかし安定しています」


 銀髪の青年は、確信したような自信に満ちあふれた声で言う。

 不安げであった支部長も、その説得力に圧倒されて、はぁ、と溜息を吐いた。


「……『特異点』を安定させている要因は、間違いなく“アレ”なのか?」

「ええ」


 銀髪の青年は頷くと、スクリーンの二人の顔を見遣った。

 支部長は、少し白髪の混じった黒髪を掻いて溜め息を洩らし、


「……うーん。そんな奇跡みたいな話、信じられんなぁ。本当にそんなことがあり得るのか?」

「それが現実です」


 青年はにべもなく言う。


「そしてこのことは、今に始まったものではありません」

「はん?」

「あらゆる伝承に於て、世界の創始はそこから始まっているのです」

「……ふむ。そういや、そうだったな」


 傾げていた支部長がそのままの姿勢で頷いた。


「我々には、『蛭子』の誕生以外に道は無い、と言う訳か」

「そう言うことです」


 支部長の比喩が少し気に入らなかったのか、青年は肩を竦めてみせる。


「本部のお偉いさん方たちは、恐らく良い顔をしないでしょうが」

「当然だ。儂だって、お前さんが本部の監査評議会に提出する作戦計画書を最初に見た時は呆れたわい。どこのバカが書いたのかと目を疑ったわ」

「でも、この二ケ月間、調査した結果では、97パーセント可能と出ています」

「成功するかどうかの問題じゃ無ぇ。まともな計画とは思えないからなんだよ。

 第一、当人たちはそのことを自覚しているのか?」

「否」

「おいおい、それじゃ、お前の立てた計画はまるっきり無駄に――」

「確かに、あの二人は自覚していません。

 ですが報告書にも書いた通り、内心、気付いている節も見られます」

「本当かねぇ」


 支部長は傾げた。


「まともな人間なら、そんなゲスな感情は抱かんよ。

 まあ、お前さんの言う通り、彼らがナルシストなら少しは望みはあるが――正気の沙汰じゃ無ぇ」

「確かに、イカレた計画です。

 しかし今や、我々に残された選択は二つしか無いのです。一方を選ぶことが出来ない以上、彼らに最後の望みを託すしかありません」


 やれやれ、と洩らした支部長は、コンソール・パネルの下から一通の書類封筒を取り出し、それを青年に放り投げた。宙で弧を描く封筒は、指し出された青年の右手に吸い込まれるように収まった。


「封筒の中には、今回の計画を承認して貰うように、儂の方でまとめた報告書を書き込んだディスクが入っておる。お前の報告書と一緒に出すが良い。

 ……今朝、観測部から報告があってな、お前さんの世界を構成する量子波に集束化現象が観測されたそうだ」

「!?」


 青年は、支部長が深刻そうに洩らした後半の言葉に、はっ、と反応した。


「奴がとうとう、この世界にいる『特異点』を見つけ出したらしい。堅物共の説得、余り時間を掛けるなよ」

「了解しました」


 封筒を手にした青年は、支部長に恭しく敬礼すると、空を切るように素早く踵を返し、もと来た道を戻って行った。

 青年が見えなくなると、支部長はコンソール・パネルの上に両手を置いて凭れ掛け、困憊し切った溜め息を洩らした。

 そしておもむろに顔を上げ、再び二人の『かずや』が投影されているスクリーンを見遣った。


「この世界が消滅するかも知れないというのに、今の我々に出来ることが、この二人の間に見え隠れしている絆だけとは……とんだ伊邪那岐と伊邪那美だな」


 そう洩らすと、支部長はコンソール・パネルのスイッチを切り、スクリーンから二人の『かずや』を消した。


「……儂らのやろうとすることは、果たして『蛭子』を生むか――はたまた『国土創成くにつくり』なのか」


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