最終話 

 翌朝、一哉は、田舎から掛かって来た電話に起こされた。

 傍らでは一耶が全裸で微唾んでいた。一哉は昨夜、彼女が性別だけで無く、貞操感も異なっていることを知った。


(――一哉と一緒に居たい)


 自分の腕の中で、小刻みに震えながら必死にしがみ付く一耶の温もりを、一哉は当分忘れそうになかった。

 一哉は一耶を起こさぬ様、静かにベットを出て受話器を上げると、電話の主たる実家の母親が、一耶を出せ、と言い出したのである。

 まだ寝ぼけた頭の所為で、その異変に気付かぬ一哉は、一耶を起こして受話器を手渡し掛けた処でようやく気付いた。


「――な、何で母さんが一耶のこと知っているんだよ?」

「……一哉、何を寝ぼけてるのよ。一耶ちゃんはあんたの従姉妹じゃないの?」

「は?」


 呆れたように怒鳴る母親の言葉に、一哉は思わずあんぐりとしてしまう。


「全く、何好き好んで、自分と同じ顔した娘に惚れちまうんだろうね。まあ、相手が一耶ちゃんだから一緒に暮らすのは構わないけど二人ともまだ学生なんだから、もっと分を弁えなきゃ駄目でしょうが……!」


 その後数分間、一哉は母親にくどくど小言を言われ続け、ようやく受話器を降ろせるようになっても、飽気にとられたままであった。

 一哉は飽気にとられたまま、ベットに居る一耶の方を見遣り、


「……何で一耶のことを母さんが知っているんだ?」

「あ、あたしは貴方の実家に電話したことは無いわよ!」


 一耶も驚いて慌てて頭を振る。慌てているが、嘘をついている様子は無い。

 二人の『かずや』は混乱した頭で小首を傾げるが、裸のままだったので同時にくしゃみをし、慌てて服を着始めた。

 そんな時、玄関の呼び鈴が鳴った。

 慌てて一哉が扉を開けると、外にはボロボロのハーフコートを着た市澤が立っていた。


「……市澤? だ、大丈夫か?――って、あの男はやっつけたのか?」


 驚く一哉に、市澤は頷いてみせた。


「新世界の感想は如何かな?」

「は?」

「まだ実感は無いか?」


 市澤はニヤリ、と笑った。


「お前は、『世界』と一耶君を変質させたのだよ。前者はお前たち二人が一緒に生きていけるよう。――そして後者は『女』に、な?」


 珍しくいやらしそうに笑う市澤に、一哉は赤面した。


「い、市澤、お前、どうして――?!」

「『特異点』が『世界』を変質させるには、『特異点』自身にある種の強烈な精神的、肉体的負荷を与えなければならない」

「ふ、負荷っ、て……」

「お前ならやってくれそうだと思ったが、見事やってのけたか」

「お……お前なぁ……!」

「まあ、そういきり立たずに話を聞け。

 まず支部へ今回の件の報告をしに行って、変質されたこの『世界』の状況を調べた。

 二人の両親は両者とも双子でな、兄と姉、弟と妹同士で結婚しているのだ。一耶君は、弟夫妻の娘と言うことになっている。

 そして、お前たちは両親公認のカップルだってことも、な」


 ふっ、と軽く失笑する市澤は、余りのことに混乱している一哉の胸板を手甲で軽く小突き、


「『特異点』化を解く方法が、世界を変質する以外残っていなかったとは言え、監理局本部も思い切った決定をしたものだ」


 監理局本部で、常軌を逸したその計画の承認を躊躇する上層部に、真摯な思いをぶつけて可決を促したのは、それを他人ことのように言う当の本人だった。


「究極のナルシスト共め、『世界』を都合良く変えやがって」


 市澤が一哉に初めて見せた下品そうな笑みに、一哉は困ったように苦笑すると、市澤は拳を離して一哉の肩をポン、と叩き、穏やかに微笑んだ。


「……しかし、価値の無い世界だなんて、誰にも言わせはしない。――ようやく得た宝箱だ。大切にしてやれよ」

「市澤……!」


 市澤の言葉に一哉は込み上げて来るものを堪えつつ、崩れ掛けた顔で笑顔を作った。

 その後ろで心配そうに見ている一耶に市澤は手を振って見せ、


「……幸せで何より。ここいらで失礼するよ。小煩いのが家で朝飯待っているのでね」

「市澤」

「?」


 一哉は市澤を呼び止めた。


「さっき、お前らが判らなかった、入れ替わった理由、俺、判った気がする」


 一哉は、笑顔で言った。

 しかし、そのまま無言で、理由は言わなかった。


「そうか」


 市澤は無言の意味を納得したように笑顔で頷くと踵を返し、去って行った。

 一哉は玄関からその背をじっと見詰めたまま佇んでいた。

 そんな一哉の様子に、心配そうな顔をして一哉に歩み寄る一耶は、面映ゆそうにいる彼の頬に、涙が伝い落ちているのを見た。


「一哉……どうしたの?」

「何でも無いさ!」


 そう答えると、一哉は一耶に振り向き、彼女の肩を抱き締めた。


「一哉……。もう、バカ……」


 一耶は、微笑みながら抱く一哉につられて満足げに微笑んだ。


「……俺たちは……もう独りぼっちじゃないンだよな!」

「……うん!」


 心地よい朝日の中、二人の『かずや』は、互いの温もりを求めるように強く抱き合った。



 一哉のマンションを出た市澤は、遠く昇り始めた日差しに眩み掛ける。

 朝日の中で一瞬、黒い影が過ぎった。


「――?!」


 錯覚だった。次の瞬間、そこに居たのはあの男では無かった。


「おなか空いた」

「帰って来るまで我慢が出来ないのか、君は」


 市澤は苦笑して肩を竦めた。

 ボロボロに汚れた白い影は、マンションの下で自分を待って居た、春を思わせる穏やかな笑みと共に、新たに紡ぎ出した時の流れに満ちた街並みへ、足早に去って行った。



                 完

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双世記 arm1475 @arm1475

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