第16話 真相 (中編)
一哉は呆気にとられたままだったが、市澤は話を続けた。
「僕が言う話は、お前の友人・市澤未来の言葉ではなく、我々が存在する『世界』――『時次元』の調和を守る『時次元監理局』の『航時指導員』市澤未来の言葉として聞いてくれ」
「こ、『航時指導員』?……なんだ、そりゃあ?」
一哉は目を白黒させた。
「前に、我々のいる世界は一つだけではなく無限個の『平行世界』が存在していると説明したろう。
その『世界』の一つ、我々の想像も及ばぬ遠い未来世界で、人類は『平行世界』を行き来する技術を得るに至った。
それが時空をも越えることだと知った時、人類は重大な二つの選択を迫られた。
一つは、時空そのものを歪め兼ねないその超技術を永遠に封印すること。
だが、人類はもう一つの道を選んだ。
即ち、『時空』を越える超技術を使い、『平行世界』の調和を守る道を、だ。
たとえ、超技術を封印したとしても、秘かにそれを悪用しようとする者が出て来ないとも限らないからな。
しかし、それ以外にももう一つ理由がある。
それは、『平行世界』が存在するこの『時次元』が、余りにも不安定なものだと判ったからだ。
時々、原因不明の歪みが『時次元』に生じ、一耶君のように、人間や物体が異なる『平行世界』に放り出されるようなことが発生しているのが確認された」
市澤の説明を聞いている一哉は唖然としたままだった。
「とはいえ、『時次元』の歪みに呑み込まれて放り出される先は、必ずしも時間が同一軸上の『平行世界』とは限らないがな。
1901年8月、フランスのベルサイユ宮殿で、二人の女性が、百年以上も昔の、フランス革命前のベルサイユ宮殿に紛れ込んでしまった『ベルサイユ事件』。
1932年、ドイツの新聞記者が、ハンブルグの造船所で、十一年後に起こる第二次世界大戦の戦火で破壊された造船所を目撃した『十一年後の白昼夢事件』。
近年では、1960年に、アメリカのオハイオ州上空で、セスナ機が二十八年前にその空に飛んでいた複葉機と空中接触した『時間を超越した空中接触事件』。
いずれも、『時次元』の歪みに入ってしまった為に、『時次元』上で時空列が同一軸で連動している、過去や未来に位置する『世界』を覗いてしまったのだ。
だが、それらは無こと戻って来れたケースで二度と元の『世界』に戻って来なかった酷い事件もある。
1872年12月、ポルトガル沖で起きた『マリーセレスト号乗組員消失事件』。
1930年12月、カナダ奥地のエスキモー集落に生じた、『エスキモー消滅事件』。この二件とも、瞬時に起きた次元断層に人間だけが呑み込まれ、二度と戻っては来なかった。
いわゆる『神隠し』と言う奴だ。
この『世界』でもつい最近、『神隠し』が生じている。
一耶君が現れた前日、河上今日子君が一耶君と同じように別の世界に放り出されたことがあった」
「えっ……まさか?!」
一哉は、一耶が現れたあの日の夕方、渋谷で会った今日子の奇妙な言動を思い出していた。
「まさか、あの時、俺と今日子の食い違いが会ったのは……?」
「ああ。あの日の前夜、お前たちがデートしていた時、実は『時次元』に歪みが生じて、今日子君だけが別の『世界』に放り出されてしまったのだ。
一哉がそのことを憶えていないのは、僕が二人の記憶を操作して別の記憶を植え付けていたからなのだ」
「何だと……!?」
思わず瞠る一哉。
「超技術を得た人類は、『時次元』の調和を守るべく、『時次元監理局』を結成した。
各時代から選りすぐった『時次元監理員』を中心に、彼らの下に、彼らのサポートをする『航時指導員』がいる。
僕のような『航時指導員』は、主に『平行世界』を調査研究の為に超越する人々の案内役を仕事にしているのだが、時として、不慮の災難で別の『世界』に放り出された人々を救出する仕事も行っている。
あの夜、二十世紀支部で、目前で今日子君の消滅を見た為に恐慌状態だったお前の記憶を変えて部屋に帰した後、僕は今日子君が放り出された別の『世界』へ救出に行った。
ところが、今日子君を奪取しようとする男が、僕の前に立ちはだかったのだ。
その男の名は紫剣木。
無限ある『世界』を渡り歩いて見聞を広め、己の理想を果たす術を追求する超人――〈探究者〉と呼ばれている者たちの一人だ。
僕が、今日子君が紛れ込んでしまった『世界』に到着した時、紫剣木もその『世界』に現れていた。
紫剣木は、ある目的を成就する為に必要な『力』を求めて、様々な『世界』を渡り歩いており、その『力』が今日子に備わっていることを知って、その『世界』にやって来たのだ」
「……『力』?」
市澤の途方もない説明に、一哉は息を呑んで訊く。ゴキュッ、と息を呑む音が一瞬生じた静寂な間に轟いた。
「一つの『世界』を消滅させる『力』だ」
「?!――ゲホッ、ゲホッ!」
市澤が余りにもさらっと言うので、緊張していた一哉は息を呑み損ねて思わず咳き込んでしまった。
「――おいおい! どこの世界に行けば、人間一人の力で、そんな大それたことが出来るんだよ?
市澤、お前本当は酔っ払っているだろ?
「酔っ払いに言われる筋合いは無い」
「う、うるせぇ。俺はもうなんか、酔いなんか覚めちまったよ。ワケがわかんなさすぎだっつーの」
「無理に理解してくれとは思わん。とにかく、『世界』を構成する素粒子に秘密があるのだ。
通常は、超越先の『世界』の素粒子を転移する物体の分だけ減少させることで、『平行世界』を行き来することが可能になるのだが、
『時次元』の歪みの所為で、別の『世界』に飛ばされた異界の物質は、その『世界』では過剰な素粒子として存立してしまうのだ。
そこで『世界』は、不要な素粒子である異界の物質を排除すべく力を集中させる。
その物質がまだ元の『世界』と接合された重合空間に引っかかっていれば、過剰物質が居る『世界』は、過剰物質を排除しようとする力を発揮する。
そして過剰物質が存在していた元の『世界』も、過剰物質の抜けた素粒子の無い虚空を復元しようとする。
その両者の力が一致することで、過剰物質は元の『世界』に戻ることが出来る。大抵は、そのお陰でこと無きに済んでいるのだ。
だが、その過剰物質を排除する力と復元しようとする力が一致しない場合もある。
はっきりした原因はまだ解明されていないのだが、天文学的な桁の確率で、過剰物質の排除が出来ないケースがあるのだ。
それは、『入れ替わり』と言われる現象だ」
「『入れ替わり』?」
「異界へ飛ばされた物質が抜けた虚空へ、入れ違いにその異界から代わりの物が取り込まれて、虚空分の素粒子を補ってしまう現象だ。
その為に、互いの『世界』とも復元しようとする力が働かず、過剰物質を排除しようとする負の力だけが働くものだから、行き場を無くして残留してしまった負の力が、過剰物質の周りに負の力場を生じさせてしまう。
そして負の力場は、過剰物質を構成する素粒子に負の力を帯びさせる変質をもたらし、――その結果、過剰物質は、その『世界』の『特異点』となってしまうのだ」
「と、とくいてん?」
「『特異点』とは、あるエネルギーの集合体のことを指す。
この宇宙は、時間・空間・物質・エネルギーが全くの『無』の状態から、突然『有』の状態に相転移して膨張が始まった時、同時に発生した粒子と反粒子の対消滅が生じ、僅かな差で残った粒子によって造り出された物質世界だ。
だが、実の処、物質を構成する粒子を消滅させる反粒子は完全消滅した訳ではない。
先刻言った、過剰物質を排除する為に『世界』が発動させた負の力とは、過剰物質が入り込んだ虚空、即ち『無』の状態を『有』の状態に相転移させることで生じた反粒子なのだ」
宇宙の誕生にまで発展した市澤の説明を前に、一哉は「はあ」と御座なりに頷くばかりだった。
理系が苦手で文系を専攻し、更に、一耶に逃げられて惑乱したままの一哉の頭では、市澤の説明はチンプンカンプンなものばかりであった。
「つまり、だ。『特異点』とは、この宇宙イコール『世界』を構成する素粒子を対消滅させる反粒子の塊であり、不断は凝縮される一方で外には解放されない反粒子が、『特異点』の意志によって外へ解放されると、この『世界』は最悪――消滅する」
「消滅……!」
市澤が再び『世界が消滅する』という言葉を口にすると、一哉は絶句した。
理屈はまだ理解し切れていないのだが、一哉が知る市澤の為人と余りにも掛け離れた、その真面目な態度に、どこか脅迫めいたものを感じていた。
「ただし、それは最悪のケースだ。大抵は、解放される反粒子の量は少ない為、一部の素粒子を対消滅させるだけに留まる。
それでも、『世界』を構成する素粒子の配列が変化する為に、『世界』は反粒子の解放前と違った『世界』に変質されるのだ。
即ち。『特異点』が解放する反粒子の量によって、『世界』を思うがままの『世界』に変えることが可能になるのだよ」
「『世界』を変える、だって?――おいおい、そんな突拍子も無い話、本気で信じろと?」
結局、市澤の説明を理解出来なかった一哉は、市澤を訝しげに見て言う。
市澤は少し困ったふうに俯き加減で頭髪を掻き毟り、溜め息をついた。
「確かに、僕の話は、お前には余りにも現実離れしたものだから、頭から信じて貰えないのかもしれない」
「当然だろ、まったく」
一哉は不機嫌そうに言うが、しばらくしてあることを思い出し、うん、と頷いた。
「……だが、その紫剣木という奴は俺も会っているし、現にロランは一耶を守る為に怪我している。
何より、一耶の存在が一番、現実離れしている。
信じなきゃならないんだろうが、しかし……まだ、俺には判らないんだ。
世界だの、宇宙だの、余りにもスケールがでか過ぎてさ、何かこう……お前の言う現実離れたものの中で、今直ぐ見れる物なんかは無いのか?」
「今直ぐ見れる物?」
「ああ。例えば、確かお前、『航時指導員』とか言う、何かの秘密組織のメンバーだって言っていたが、SF何かで出て来る光線銃やロボットみたいのは無いのか?」
「そんな都合のいい品など無い」
市澤はきっぱりと言う。
「おいおい……、それでどうやって信じろと?」
「一耶くんの存在だけでは不満か?」
「いや、それは……」
「全く、わがままなヤツだなお前は――」
市澤がそう言った次の瞬間、一哉は目を見張った。
「え……消え……た……?」
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