第14話 魔人の帰還
ロランが、自ら造り出しだ『疑似空間』から紫剣木の奇怪な攻撃を受けて、そこから脱出したのと同時に、紫剣木もその空間から放り出されていた。
紫剣木が元の世界に戻った地点は広尾を遠く離れ、渋谷の北に位置する代々木公園の丁度真ん中であった。
夕暮れ時もあり、周囲の人気も少なかったので、突然の出現は見られていなかったが、元の世界に戻ると、しばらくそこで紫剣木は呆然としていた。
ぼんやりと立ち尽くす紫剣木だったが、すぐあることに気付いて夜空を仰いだ。
「……どうやらあの娘の疑似空間から放り出された時に時間にラグが生じたようだな」
既に日は落ち、満月が夜空を穿っていた。
「この様子だとあの店に戻っても『特異点』は居るまい。さて……」
ふと、紫剣木の美貌が閃く。
「……ふむ。あちらに『特異点』反応有り」
紫剣木は、ぼそり、と呟く。そして、何かを思い出したかのように、渋谷のある方角へ足を向けたのだった。
渋谷に着いた紫剣木は、時折何かを捜しいるかのように立ち止まっては、辺りを見回していた。
紫剣木が立ち止まって辺りを見回す度、見慣れぬ美貌に気付いた通りすがりの少女たちがきゃあきゃあ騒ぐが、紫剣木は気にも留めずにいる。
仮に、紫剣木が捜している者が一人の女性であったならば、彼に向けられているその淫靡な眼差しはその途端、彼女に対する嫉妬と激しい憎悪に塗れた不快なものと変わること、必至である。
ほどなく紫剣木は、センター街の一番奥にある駐車場前のT路地を右に曲がる。
その道を先に進むと、突き当たりにあるマクドナルドの裏に東急ハンズを見つけることが出来る。
角を曲がった紫剣木は道路の突き当たりをじっと見詰めた。
紫剣木の目は、道路の中央を先の東急ハンズまで連なっている光の帯が映っていた。
更にそれは、今まで彼が歩いてきたセンター街にまでたちしており、まるで何かが通った軌跡の様であった。
だが、その奇怪な光の帯は紫剣木にしか見えていなかった。
センター街を行き交う人々は、通りの中央を貫く光の帯なぞ全く気にもせずにいるのだ。
「うむ。妙にムラのある移動をしている。――まるで、途方に暮れているかのような」
紫剣木は視線を光の帯の先、東急ハンズ方面を見遣った。
光の帯は道路の突き当たりで左に曲がっていた。だが、その光の帯と同じ色をした光が後光の如く、東急ハンズの裏側から光っていた。
「……近いな」
そう呟く紫剣木の口元は、妖しく歪んでいた。
だが、紫剣木はその光の帯を追って進まず、おもむろに左後ろ斜めにある小道の方へ向いた。
日付けも変わろうとしている夜更けであるが、まだこの辺りは人通りは絶えていない。
センター街の外れにあるその小道にも、まだ人通りは絶えていなかったが、小道の入口に立っている人影は、今の時刻にしては少し多過ぎる様で騒がしかった。
紫剣木は踵を返し、その小道の方へ歩き始めた。
その小道の角に隠れるようにして、十名程の若者がたむろっていた。
色違いのスタジアムジャンパーを着る彼らは、そこへ不意に目も眩むような美貌が闇から浮かび上がったので、皆同時に呆然としてしまった。
「……ひえぇ、こいつは驚いた」
しかし紫剣木は何も応えず、辺りを悠然と見回すだけであった。
美しさというものは、度を越し過ぎるとあらゆる罪が免除されるのか。若者たちは紫剣木の態度に憤慨せず、そのうちのリーゼント頭の若者がようやく、浮かされたような口調で声をかけた。
「……あんた、悪ぃが、ここは通行止めだ」
紫剣木はきょとんとするが、やがて若者たちが小道の奥で何かを囲っていることに気付いた。
若者たちが囲っていたのは、中学生くらいの二人組の少年だった。
二人とも、顔を痣だらけにし、口元や鼻から黒ずんで凝固し掛けたかさぶたから時折ちらつく朱の色が実に痛々しかった。恐らく、この若者たちと喧嘩してボロボロにされたのであろう。
「……喧嘩か。どの『世界』でも、若さの捌け口は暴力に落ち着くのだな」
「……何だぁ、手前ぇ?」
微笑ましい光景を見たかのような、この場に不似合いな笑みを零す紫剣木に、リーゼント頭は困惑しつつ凄味を利かせた声で睨んだ。
紫剣木は臆することなく肩を竦める。
次の瞬間、紫剣木の着る漆黒のインバネスのケープが、突然リーゼント頭の顔目掛けて噴き上がる。
その先から現れた、光のように浮かび上がった白い右手が、リーゼント頭の顎をがっちりと掴んだ。
「○×!?」
突然のことにリーゼント頭は目を白黒し、声にならない罵倒を顎の動きに変えながら、紫剣木の右手首を両手で掴んで引き離そうと必死になる。
他の若者たちも、突然の紫剣木の行動に気付いて驚き、ようやく紫剣木を睨んだ。
「手前ぇ!? 何しやがる!」
色めく若者たちを前にしても、紫剣木は超然とした顔で、彼らの殺気だった顔を見回した。
「君たちに暴力以上の快楽を与えよう」
紫剣木がそう言った瞬間、鷲掴みになっていたリーゼント頭の顔が漆黒の光に包まれ、頭から後方に吹き飛んだ。
漆黒の光に包まれたリーゼント頭は、仲間たちの頭上を悠々と飛び越え、小道の奥にあるビルの壁に激突する。
だがまさか、そのリーゼント頭の身体が壁の中に吸い込まれて行くとは、誰も予想だにしなかった。
否。昏い帳の中で、只一人、微笑を浮かべている闇よりも濃い漆黒の男を除いては。
身体が壁に吸い込まれて行くように見えたのは、暗さ故の錯覚だった。
正確には、リーゼント頭の全身から鮮血混じりの体液を吹き上げて、皮一枚のぺしゃんこになっていたのである。
「ひ、ひぃ!」
「な、何だ!?」
「ぺ、ぺしゃんこになってる!?」
突然の惨劇に、若者たちは騒然となった。
「何を驚いているのかね?」
惨たらしい壁の死体に一瞥をくれる紫剣木の口元が妖しく歪む。
そして、その美貌も。
禍禍しい魔人が『街』に降臨した。
「……私は君たちのように、他人を憎しみ、侮蔑する荒んだ心を持った者たちが非常にいとおしい。
何故なら、その荒んだ心が、私の『力』の源であり、礎でもあるのだ。
さあ、我を恐れよ。――そして崇めよ!
その見返りとして、私は君たちに快楽を与えよう。
怒りや憎しみの源たるあらゆる苦しみから解放される――『死』の快楽を、な」
数分後、紫剣木が入って行った小道で、東急ハンズの方向からセンター街の巡回で通り掛かった二人の警官が、小道の入口で傷だらけの二人の少年が狂ったように喚いているのを発見した。
少年たちは、先刻この場で袋叩きに遭っていた二人だった。
「どうした?――――うっ!?」
慌てて少年たちに駆け寄った警官は、辺りの異ような匂いに気付き、手に持っていたライトで周囲を照らして見回した。
白い光の円に次々と浮かぶ、小道の両脇に沿ったビルの壁一杯に広がる紅い染み。
警官はそれが、血塗れでぺしゃんこになって、壁に張り付いている若者たちの無残な姿であることを認識するのに、しばらく時間がかかった。
警官が無残な死体を発見した頃、既に紫剣木は現場を遠く離れ、東急ハンズを右に嘗めてオルガン坂を上っていた。
その紫剣木の歩みが、不意に止まる。
紫剣木は、坂の先を横切る公園通りを一人歩く、ある人影に見入っていた。
哀しげな面差しの一耶が、当て所も無く歩いていたのである。
一耶を見付けた紫剣木の顔に、再び魔が降臨する。
「……見付けたぞ、『特異点』!」
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