第12話 市澤未来は怒っている
自室のベットで寝ていたロランは、直ぐ傍にある気配を感じ取って目を覚ました。
ベットの傍らに、黒のタールネックの上に白のロングコートを羽織り、洗いざらしのスリムジーンズを着いた人影が佇んでいた。
市澤未来であった。
「……お帰りなさい。出張、御苦労様……」
ロランは、微唾みを残した眠たげな顔で微笑みながら起き上がろうとする。
しかし、まだ全身を支配する気怠さに思うように身体を動かすことが出来ず、掛けていた掛け布団が剥れてしまった。
「……無理して起きなくても良い。奴の『瘴気功』を食らった様だな」
未来はロランを気遣うように優しく微笑んで布団を掛け直し、ロランの乱れた前髪を撫でるように梳いてやった。
いつも冷淡な態度の市澤の思わぬ優しさにロランは思わず瞠るも、素直に喜んで笑みを零し、頷いた。
「脈拍、血圧、体温のいずれも死人同然にまで下げられちゃったけど、何とか瞬間治療薬が間に合ってね、これだけで済んだわ。本当アレ凄いよね」
苦笑するロランの顔が急に真顔になる。
「……あいつ、貴方の報告を受けたデータより遥かに強かったわよ。
〈探究者〉・紫剣木。
この『世界』が、『特異点』を排除する為に発動させた『負のエネルギー』を吸収することで不死身と化した『瘴気功』使いの魔人を相手に、市澤未来、貴方に勝算はあるの?」
「さあ?」
市澤は肩を竦める。自信があるのか無いのか、はっきりしない返答である。
ロランにはそれで十分だった。彼女は市澤にニコリと微笑んでみせるが、しかしそれは直ぐに苦渋な色に変わった。
「……“あちらのあたし”でも勝てなかった相手だってもっと考えるべきだったわ。……分かっていながら……事態を最初に分かっていながら……」
「そう悔やむな。あちらがああなってしまったのはロランの責任では無い」
きっかけは、ロランのいつもの占いであった。
毎朝、タロットカードの力の練習で占いを行っていたロランは、自身の死を予知した。
「どうしよう。あたし死んじゃった」
「何、寝言言ってるか。ほら、目覚ましの緑茶だ」
市澤は魚の漢字がびっしり書かれた湯飲みを、店のカウンターで占いながら朝食を摂っていたロランの前に置いた。
「ていうか、何故過去形なんだ? 占いだろ、予知するなら先の話だから“死ぬかもしれない”じゃないのか?」
「いやー」
困惑するロランは頬を掻きながら言う。
「そもそも占いって自分自身には出来ないハズなんだけど、何か変な予感というか、何かに促されたみたいな気がして……」
「それで自分の死の予知?」
「というかー」
腕をもてあましながらロランは天井を仰ぐ。
「多分、あたしじゃなくて、あたしだと思う」
「わけがわからん。もう一回寝てきたらどうか」
「じゃあ一緒に寝て」
「断る」
相変わらず連れない男だ、とロランは腐るが、今の関心はそこには無かった。
「察するに――別の世界のあたしが死んじゃうんじゃないかと」
「ふうん」
開店の準備を進めていた市澤は、一瞥もくれずに言う。まるで既に理解していたかのようであった。
「気になるなら本部に問い合わせてみたらどうだ?」
「でも……別のあたしの運命に干渉する必要なんて無いし」
「予知したんだろ?」
「うん」
「だったらそれに何か意味はあるはずだろ。“占い必要があった”」
「うーん。わかった」
ロランも何かを察したらしく、何か特筆すべき異常が観測されなかったか、端末を取り出して本部に問い合わせた。
数秒後、ロランは端末を睨んで険しい顔をした。
「どうした?」
「……たった今空間歪曲が観測されたわ。ウチで」
それを聞いた市澤は、あーあ、と漏らした。
「間違いなく誰か放り出されたわね」
「それが別のロランの死と関係があるのか」
「占いがそう示している。――呼ばれたかもしれない」
ロランはこの時から波乱の未来を予感していたのであった。
「結果、今日子君だけでも救えた。ロランは自分のやるべき事だけはやった」
「分かってる……分かってるけど」
ロランは瞑って口惜しそうに歯噛みする。たらればは所詮後悔しか生まないのだ。
「はぁ。……それはそうと」
「『特異点』解除方法の代案の審査結果、だろう?――決裁された。OKだ」
市澤にすかさず言われ、ロランは面食らう。
「貴方って人は読心能力も備わっているの? ……その割に、あたしの気持ちは察してくれないのね」
ロランは、頬の中に不満の念を一杯詰まらせて丸々膨れ、
「ところで一体、どんな代案を提出したの? 上司のあたしを飛ばして支部長に直接申請して、わざわざ本部の決裁を要した代案だから、余程の大仕事だと思うんだけれど」
「実に簡単な方法さ。――それでいて、実にやっかいな方法だ」
市澤は髪を掻きながら淡々と答えた。
はぐらかすような口ぶりは今に始まったわけではないが、今の市澤の様子はどこかいつもと違うのはロランにも判った。
その変に淡々とした態度に戸惑っているのか、ロランは困惑とした表情を浮かべた。
「……また、ロクでも無い方法じゃないでしょうね?」
「本当、ロクじゃ無い。何せ、あの二人でなければ出来ないからな」
「え」
ロランは困惑した。
「ど、どういう」
「あちらで今日子君の探索を行っていた時に“僕”を見つけた」
「え? あっちの未来も負けていたの……」
ロランは思わず仰いだ。その貌は絶望の色を漂わせていた。
「負けてくれたお陰で、僕は紫剣木の手の内が全て分かった。彼の死は決して敗北というわけじゃない」
「そう……よ、ね」
ロランは小さく頷いた。
市澤は襟足を掻き毟り、
「まぁ勝負はこれからだ。何より、あの二人には頑張って貰わないと」
「頑張る?」
ロランはブルーの瞳を丸めてきょとんとする。髪を掻き毟る市澤の顔が、変にくすぐったそうに見える理由を、ロランには判らなかった。
「……何、ニヤニヤ笑っているのよ?」
「否、何、ちょっと、な」
市澤は髪を掻くのを止め、コートのポケットに両手を入れて肩を竦めた。
ロランは市澤に呆れて頬を膨らませたが、直ぐに膨れっ面を崩し、心配そうな顔をして市澤を見詰めた。
「……だけど……だからといって……無茶だけはしないでね」
「上司としての命令か?」
「……当たり前よ」
ロランは意地悪そうに笑ってみせた。
精一杯の元気を搾って造ったものだろう、しかしそれでも弱々しく見えたのは、決して怪我の所為だけではなかった。
市澤は、その笑顔に気遣うように、ようやく微笑を浮かべて頷いてみせた。
「後のことは全て僕に任せて、ゆっくりお休み」
そう言うと市澤は屈み、膨れ気味のロランの柔らかい頬にキスをした。
思わぬ不意打ちを食らい、しばし飽気に取られたロランの顔がようやく紅く染まった時には、市澤はコートの裾を翻して踵を返し、丁度部屋を出た所であった。
「……バーカ」
去り行く市澤の背をはにかみながら見送るしかないロランの心の中に、一抹の不安が過ぎる。
市澤が今みたいに、人と話している最中に癖の強い髪を掻き毟る時は、苛立ちを押さえている時の癖であった。
そして、不断のひねくれ者の彼からは想像もつかないくらいに、他人に対して優しく接する姿が、間違いなくある感情を押えていることを、ロランはようやく思い出した。
市澤未来は、本気で怒っているのだ。
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