第5話 実は双子だったんです。

 市澤と二人の『かずや』は、ロランが運転するパジェロに乗り、一路渋谷へ向かった。一耶がこの『世界』で生活するに当たっての必要な日用品の買い物に出掛けたのである。

 平日の昼過ぎである為か、渋谷の街は、人や車の通りも思っていたより少なかった。渋谷駅近くにある宮下公園下の駐車場にパジェロを停めてから、四人は買い物に繰り出した。

 流行の最先端が闊歩するこの渋谷と言う街は、『活気』と言うより『元気』と言う言葉の方が似合う、若者の街である。

 四人が買い物の地に選んだ理由は、実は単に地理的に近いだけで、特に深い意味は無い。もっとも、この街は行き馴れている所為もあるが、大型の専門店・百貨店や、小規模ながら大型店舗にひけを取らぬ質の高い小売店が多く軒を連ねている事もあった。

 太陽が赤く染まり西の彼方に沈み掛けた頃、買い物を済ませた一行は、野暮用を済ませて直ぐ戻る、と言って別れたロランの帰りを待って、待ち合わせの時刻まで渋谷のセンター街をぶらついていた。


「喉が渇いたな」


 ドリンクの自動販売機の傍を通った市澤の足が停った。


「何か、飲むかい?」

「俺、コーヒーな」

「お前は自腹切れ」

「うわっ、このどケチめ。――さて、我が『妹君』は何にするかい?」


 一哉は背を向けたまま、背後の一耶に尋く。 一耶は何も応えなかった。

 一哉はもう一度尋き返す。しかし、またも返事をしないので、三度目の問いを口にしながら振り向いた。

 一耶は確かに一哉の背後に佇んで居たが、その視線は全く別の、センター街を通る人混みの方に向いて、今の話を聞いていなかった。

 何故か、一耶の顔は青ざめていた。きらびやかに煌めく荒波がうねりを見せるかの様な人混みの熱気にでも当てられたのであろうか。


「……どうしたんだい?」

「え?」


 不機嫌になり掛けた一哉の呼び声に、一耶はびくついて漸く応えた。


「……何、おどおどしているんだよ?」

「べ、別に……」


 妙に歯切れの悪い答え方をして、一耶は俯いてしまった。

 ややあって、彼女はゆっくり顔を上げ、


「……あたし……この街の光景をよく知っているわ。目を閉じたって、此処の喧騒は忘れそうに無いのに……」


 一耶は胸の前に手を合わせ、祈る様なポーズをとって虚ろげな眼差しを喧騒の中にくれた。


「……誰も……あたしを知らないのね」


 物寂しげな一耶の呟きであった。

 その呟きに、一哉は何も応えられなかった。

 何故なら彼も、かつて同じ言葉を洩らした事があったのである。

 もう、二年以上も前か。――しかし、既に忘れ掛けていた侘しさであった。


「……昔、東京に来たばかりに、俺も似た様な気持ちになった事があったよ。――おっと、君も知っている事だっけ」


 一哉は気を紛らわせようと苦笑いし、雑踏を見る一耶の横顔を見遣った。

 一耶は、一哉に一瞥もくれようとはしなかった。その瞳に映っている全てが、まるで何も見えていない様な虚ろげな眼差しに、掛けてやれる言葉を一哉は知らなかった。


(何て切ない横顔だろう。――なのに、俺は何もしてやれない)


 一哉は、知らぬ間に俯き加減に唇を噛み締めていた。


(何とかしてやりたいなあ……)


 何かを決意した一哉は面を上げて、一耶の方に向いた。


「一耶君、UFOキャッチャーやるかい?」

「――あ! やるやる!」


 市澤の誘いに、憂いる一耶の顔が嬉々となる。一耶のあまりの豹変ぶりに、彼女を気遣って声を掛けてやろうとした一哉は、思わずくじけてしまった。


「……あのなぁ」


 一哉は口惜しそうにぼやく。そして、市澤から缶ジュースを貰い、彼と一緒に直ぐ近くのゲームセンターに行く一耶の後を追おうとした時、


「一哉じゃないの!」


 不意に、一哉は背後から聞き覚えのある声に呼び止められ、慌てて振り返った。

 背後には、コバルトブルーのミドリフ・トップに、白のミニスカート姿のワンレン美女がぽかんとした顔で立っていた。

 一哉の彼女である、河上今日子であった。


「今日子じゃないか!何で此処に?」

「それはこっちの台詞よ」


 これ以上無いくらい瞠る一哉を、今日子は忌々しげに睨んだ。


「……あんた、昨日の今日で、良くこんな処に居られるわねぇ……?」

「昨日の今日? 何だ、そりゃ、どういう意味だ?」


 きょとんとする一哉に、今日子は怒りと驚きの色を交互に顔に出した。


「忘れたの?あんた昨夜、センター街の居酒屋で酔っ払って、近くで飲んでいたサラリーマンに喧嘩売っちゃってさ。――お陰で、あたしも相手に絡まれて酷い目にあったのよ!」


 怒り顔の今日子は一哉に詰め寄り、彼の鼻先を指して叱咤した。そのあまりの勢いに、一哉は思わず身じろいだ。


「全く、口先ばかりで……あんたがそんな人とは思っていなかったのに……!」


 ほとほと呆れ返ったのか、今日子は腕を組んで溜め息をつく。困惑する一哉の様子を気にも留めずに一方的にとがめる姿からして、感情が先走り易い性格なのだろう。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ! いったい、何の話をしているンだ?」


 一哉は困惑する頭の中を整理する為、大きく深呼吸した。


「……確かに俺達は昨夜、渋谷で飲んだが、あれはセンター街じゃなくって、道玄坂の方だったろ?」

「何、言っているのよ? 未だ、昨日の酒が残っているの?――あの時、市澤君が居合わせていなかったら本当、どうなっていた事か判ってんの!?」

「い、市澤!?」


 予想もしなかった人物の名が挙がった事に、一哉は悲鳴の様な声を上げた。


「あんた、本当に憶えていないの?」


 一哉を訝しげに見る今日子は、先の方にあるゲームセンター前から二人を伺っている市澤の方を見た。


「買い物の途中であんた達を見掛けたから、市澤君に昨夜の礼を言おうかと思って来たんだけど……もういいわ、一哉なんか相手にしたく無いわ!」


 不機嫌を露にして、今日子は一哉を押し退け、市澤の方へ歩み寄った。


「市澤君! 昨日はどうもあ――」


 市澤の傍に近付く今日子の歩みが突然停った。

 市澤の後ろでクレーンゲームに興じる一耶が振り返ったからである。


「カズヤ!?」


 今日子の悲鳴。目の前で振り返った女の顔が、後ろにいるハズの男と同じ顔をしていた事にショックを受けたのである。

 今日子は堪らず後退りしながら後ろの一哉の方を顧みる。


「――う、後ろにも居る!?」

「……俺は化け物か」


 今日子のうろたえる声にぼやく一哉。


「言っとくが、市澤の隣に居るのは幻じゃ無い。もう一人の――じゃなくって、俺の……双子の妹だ」

「……い、妹?」


 今日子は恐る恐る一耶の方を見遣り、再び一哉の方に目を向けた。


「な、何、言ってんの! た、確か一哉、前に一人っ子って言ってたじゃないの!?」

「最近、生まれて間もなく里子に出された妹が居た事が判明したのだ」


 市澤は涼しげな口調で説明する。


「名は奇しくも同じ『かずや』。漢数字の一に耶馬台国の耶、と書く。お爺さんという字の冠の『父』を外した方だ。今日は、彼女が上京して来たので、買い物に付き合って来たのだ」


 暫し呆気にとられていた今日子だが、市澤の冷静な口調で語られた説明に漸く納得し、ほっと胸を撫で下ろした。


「……何だ、そうだったの。びっくりしたわ。――そうそう、市澤君、昨日は助けてくれてどうも有り難うね」

「良いって。友人の危機を放っておけなかったのでね」


 今日子の謝辞に、市澤は肩を竦めてみせた。素っ気ない口調だが、口元に薄らと浮かぶ微笑らしきものは、彼なりの照れを感じさせる。


「な…………!」


 一哉は、二人のやり取りに唖然とした。


「ほら見なさいよ!」


 今日子はワンレングスの黒髪を翻して一哉に振り向き、鬼の首を取ったかのように得意げに言ってみせる。


「全く、サイテーな男ね! もう、あんたみたいなサイテー野郎なんかと関わりたくないわ、バイバイ!」


 とどめは『あかんべー』だった。今日子は感情に任せて言うだけ言うと、踵を返してさっさとその場を去って行った。

 一哉は終始、飽気にとられたままその後ろ姿が雑踏に紛れていくのを見ているしかなかった。


「何とも痛快な振られ方だな。見ていて実に清々しい」


 市澤は冷笑を浮かべ、満足そうに言う。所詮、他人事である。


「ははは……」


 その隣で、一耶は引きつった笑みを浮かべていた。


「あの娘、この世界でも全く変わりないのね」

「全く変わりがない、か」


 市澤はそう言って溜め息をついた。


「……案外、時の流れと言うものは、本来は不変だったのかも知れない。だから、この混沌とする時の流れを修復するが為に、あの様な男の暴挙を許してしまうのかも知れない。しかし……」

「?」


 憂鬱そうに洩らす市澤の呟きに、一耶はきょとんとする。

 市澤は頭を振り、


「……他愛のない愚痴、さ。聞き流してくれ。――もう直、ロランが戻って来る頃だ。待ち合わせ場所へ行こうか」

「待て、市澤!」


 一耶を促す市澤に、漸く我に返った一哉が食って掛かった。


「いったい、お前、今日子に何を吹き込んだんだ!?」

「何を、って?」


 市澤はきょとんとする。


「催眠術か何かで、今日子の昨晩の記憶を作り替えたろう! お前なら、そんな得体の知れない芸当、出来るハズだ!」

「ああ、したよ」


 あっけらかんとした市澤の返事であった。あまりにもあっさり過ぎる返事に、少しは抵抗があると思っていた一哉は、思わず前方へズッコケてしまった。


「お前なぁ……」

「昨日のお前の醜態、周りの者に知られても良かったのか?」

「な!?」


 目一杯瞠って驚く一哉。


「お前ときたら、酒に飲まれ切って、いきなりテーブルに上がって○X△するわ、その上、傍の女性客に向かって♂☆♀するわ、更に――」

「わぁ――――――――――――っ!」


 口を尖らせ、愚痴を零すようにぼやく市澤の余りにも凄まじい説明に、一哉は溜り兼ねて悲鳴を上げてしまった。


「一哉、こんな往来で大声を上げるなよ。みっともない」

「――バカモノ! 市澤こそ、こんな往来で『○X△』だの、『♂☆♀』だの、平気で口にしやがって!?」

「何、赤面しているのよ。『まる・ばつ・さんかく』と『おとこ・ほし・おんな』の何処が恥ずかしいの?」

「……そう言う古典的なボケは禁止な」


 一哉は冷めた顔をしてぼやく。


「――それより、どうしてそんな得体の知れないものを今日子に施した事を、俺に話さなかったのだ!?」

「教えてくれとは言わなかっただろ?」

「何じゃ、そりゃあ――!?」


 市澤の目茶苦茶な返答に、一哉は息巻いて文句を言うが、馬耳東風に徹する市澤は笑いを堪えている一耶を促し、さっさとセンター街の渋谷駅口の方へ歩いて行った。


「おい、この人でなし野郎! 待ちやがれ!」


 完全に無視された一哉は地団駄を踏み、ぶつぶつと文句を言いながら二人の後を追った。

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