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今日、上京してくる友人、
恭子の実家は、小田原城近辺の市街地からやや離れた箱根方面にあるが、先祖は北条氏の家臣とも囁かれ、現在も広大な土地や旅館を所有する名家だという。
「恭子ちゃんは、おっとりしてて、優しくて、女の子らしくて、すごく可愛くて。女学校時代も近くの中学の男の子の間で評判になって、通学途中に恋文を貰うくらいだったのです。本人は、男の子に興味がないって断ってましたけど、こんな小説みたいなことってあるのですね」
待ち合わせ場所の東京駅に向かう市電の車内で、旭はため息を吐いた。
先ほど、不用意にこぼした本音は、予想外に彼女を傷つけ、号泣させてしまった。
めそめそと自虐的な発言を繰り返す旭を前に、どうすれば良いのか分からなくなった明智は、結局、広瀬の代打として、恋人役を引き受ける流れになってしまった。
そして、現在、二人並んで市電のつり革に掴まり、移動中だった。
「通学途中に知らない女から恋文を貰うのは、俺もあったが……」
最も、それが実を結んだことは一度としてないが、明智は見栄でつい主張してしまう。
身なりに気を使わない割に、見栄っ張りなところがあることが発覚した女上司は目を丸くしたが、落胆した様子で呟いた。
「……明智さん、黙っていれば、素敵に見えますものね。あれ? でも上京直後の明智さんって、物凄く田舎臭かったって佐々木さんが……」
「帝都だから目立っただけです。田舎にいれば、全員が田舎者だから、目立たないのです」
その辺りの過去には触れられたくないので、さりげなく話題を変える。
「そんなことより、何故、恋人がいるなんて嘘をついてしまったのですか? しかも、撤回できない程に、過剰に盛って。正直、いつでも公明正大で、見栄や体裁に拘らないあなたらしくないと感じているのですが」
少し口ごもってから、旭は拗ねた子供のような表情で答えた。
「恭子ちゃんは、昔から私のことを買い被っているのです。確かにいつも女学校の成績は一番だったし、東京の男の人ばかりの大学に入学したことは事実だけど、何ていうか、実際以上に凄い女の子だって思っているみたいで」
全く答えになっていないと思ったが、明智は、とりあえずそこには突っ込まずに、至極当然な意見を告げた。
「それならそうと本人に言えば良いだけでは?」
「言ってますよ。女学校の頃から。でも、あまり伝わらないのです。あの子の方が、私なんかよりずっと優秀な女の人なのに」
『優秀な女の人』という単語は、どこか卑屈な響きがした。
けれどもその理由を察せられる程、明智は女心に精通していない。
ここで一度保留にしておいた疑問を、もう一度投げかけた。
「ご友人に買い被られていて、その誤解を解くのは難しい、というのは、まあ分かりましたが、それがどうして架空の、しかも矢鱈完璧な恋人がいると嘘をつく理由になるのですか? 俺には全然理解できない心理なのですが」
すると、旭は薄くそばかすの散っている頬を膨らませて俯き、「言っても、明智さんには分かりませんよ」とこぼしたきり、口を閉ざしてしまった。
どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。面倒臭い。
最初から理解されることを諦めた口ぶりにも、若干腹が立ったが、気をとりなおし、別の質問をすることにした。
「そう言えば、何故、佐々木に頼まなかったのですか? 食堂にいましたよね。あいつなら、あなたの妄想恋人さながらの完璧な男なのに」
瞬間、旭の下がり眉が険しく顰められた。
何をバカなことを聞くのだ、と言いたげな表情で、女上司は言い放った。
「佐々木さんと私では、釣り合いません。並んで歩いていても、まず恋人同士なんて思われないです。嘘がバレてしまいます。私はこの通り、十人並みです。これで佐々木さんと並んだら、上原謙の隣に女芸人が立つようなものです。やはり、上原謙の隣は小桜葉子ですし、女芸人の隣は夫婦漫才ができるくらい程度に、釣り合いの取れる方でないと」
この女、さりげなく俺まで自分と同じレヴェルに勝手に認定してやがる。
失礼な、芸人は貴様だけだ。佐々木は2枚目俳優、俺は漫才師とでも言うのか?
旭の発言にイラついた明智は無表情を保ちつつ、精一杯の嫌味を告げた。
「お言葉ですが、俺も黙っていれば、俳優並みと言われることもあるのですけれども。それに、釣り合いを気にするなら、何故架空の恋人の設定を矢鱈めったら盛ったのです」
しかし奇しくも、その時、次の停車場を告げる車内放送がなされ、せっかくの抗弁は、あえなくかき消された。
成瀬恭子とやらと顔を合わせたら、すぐに帰ってやる、と明智は固く決意した。
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