23*苦しくなる感情
「ジノルグさん、お疲れ様です」
騎士団に向かったジノルグを迎えたのは、ぱっちり二重のカミーユだ。彼女は文官として本部で働いている。花姫の時も裏方でサポートしてくれた。騎士として働く皆の仕事状況などを把握しているだけでなく、個人的に届いた荷物や文書などもここで受け取る事ができる。今日は用事があって寄った。
「お疲れ。例の物は」
「はい。出来ています」
カミーユは手際よく書類を渡してくれる。
内容を確認し、頷いた。
「ありがとう。受け取っておく」
「どういたしまして。それにしても珍しいですね、仕事好きのジノルグさんが休暇だなんて」
「…………」
そう。今彼女にもらったのは休暇届の許可証だ。働いている日数にもよるが、騎士にも休暇はある。忙しいため休暇を取る者は滅多におらず、よほどの事がある場合に休暇届を出す人が多い。
ちなみにジノルグは、騎士として働いてから初めての休暇になる。休暇の管理も行っている文官からすれば、珍しいと思うだろう。これが普通の騎士ならただの休暇で済むのだが、休む事をしないジノルグが取るのだから、より不思議な目で見られる事は容易に理解できる。
いつまでも黙ったままだからか、カミーユは笑った。
「安心して下さい。どこかの誰かさんのように詮索する気はありませんから」
どこかの誰か、というのが誰を指しているのかはすぐ分かった。だがここで敢えて名前を出さないのは、わざわざ名前を出さなくてもこちらが気付くと分かっての事だろう。頭が切れる文官は敵に回さない方がいい。だが余計な事を言わない辺りは助かる。口に出した一言がどこまでも広がるのは好きじゃない。
ジノルグは軽く会釈をしてその場を歩き出した。
「…………」
「…………」
森に向かう道中、二人は何も会話をしなかった。
いつもなら何か話をするのだが、なぜか無言のままだ。しかも無言である事を気にする様子もない。ロゼフィアからすればすごく気になるのだが、逆にこんな時に何て言えばいいのか検討もつかなかった。いつもならジノルグの方が声をかけてくれる。だが今日は何も話してくれない。こういう時になって、いつも相手から話しかけてもらっていたのだと痛感する。
だがジノルグは普段通りなのだろうなという事は分かった。馬に乗って森に向かっているが、馬の扱いはいつも通り安定していて上手い。どこか動じている様子もないし、落ち着いている。だが逆に落ち着きすぎている。元々あまり感情を露わにするタイプではないが、それでも静か過ぎる。ロゼフィアは相手に分からないように息を吐く。しゃべらないのがこんなにしんどいとは。一人で森に住んでいた頃が嘘のようだと思った。
無事に森につき、ロゼフィアはそそくさと馬から降りる。そして薬草園を覗いた。相変わらず元気に上に向かって育つ薬草を見てほっとした。サンドラからもらった薬草も見事に青々しく育っている。天候関係なく育つと言っていたが、その通り生命力が高いようだ。しばらく世話をしつつ手足を動かす。本当はすぐでもジノルグと話した方がいいと思ったが、実行にはなかなか移せなかった。だから顔も見ずに薬草の世話に没頭する。するとジノルグが近寄ってきた。
「俺も手伝う。何をしたらいい」
「えっ……別に、大丈夫よ」
「二人でやった方が早いだろう」
最もな事を言われ、しばらくしてから頷いた。
「そうね。じゃあ、必要な肥料を持ってきてもらっていい? 家の中にあるから」
「分かった」
そう言って行ってしまう。
姿が見えなくなると、ロゼフィアは大きく項垂れる。
しゃべるとなるとそれはそれでしんどいと感じてしまう。
(今までどうやって会話してたかしら……)
当たり前の事が当たり前のようにできなくて、自分でも困惑してしまう。話さないといけないのに、このままではきっと良くないのに。どうしてこう、動きたい時に動けないのだろう。矛盾する自分の行動に思わず顔を歪めてしまう。だがすぐに頭を振った。
(考えるから駄目なんだわ。こうなったら帰って来てからすぐにでも聞こう)
余計な事を考えるせいで行動ができなくなっている。だから勢いに任せた方がいい。サンドラとクリストファーにも言われた。自分だってこのままは嫌だと大きく決心した。今その決心を揺らしてどうする。
「ロゼフィア殿」
「わぁっ!」
全く気付かず、思わず声を出してしまう。
するとジノルグもびくっとなった。
「なんだ」
「あ、ごめん……」
早速失敗し、身体が縮こまってしまう。
だが相手は鼻で笑った。
「いや、いい」
その笑みを見て、少しだけ緊張が解けた。
いつものジノルグだ。
そうだ、彼はいつもと変わらないのに。それなのにこちらが気を遣い過ぎてもいけない。何を考え、どんな感情でいるのかは、本人にしか分からないのだから。ロゼフィアは一人納得し、口を開けた。
「ジノルグ、あの」
「ロゼフィアさーん!」
こちらの声を遮る大きな声に、思わずがくっとなる。
声の主に顔を向ければ、ノアが手を大きく振っている。ノアを支えつつ馬の手綱を持っていたニックも苦笑していた。どうやら彼はこちらの様子を察してくれていたらしい。だがノアは全く気にせず、馬から降りると小走りでやってきた。
「お疲れ様です」
「お疲れ……どうしてここに?」
「室長から今日は森に行かれると知って……。私も採取のお手伝いをしたいと思いまして」
「俺はいきなり行くのは良くないじゃないかと言ったんですけどね……」
後からやってきたニックがこっそりと付け足す。
だがノアにはしっかり聞こえていたらしく、むっとした顔を先輩に向けた。
「こういう作業は一緒にやった方が早いと思いますが」
「でも一応室長とロゼフィアさんからの許可をもらってからの方が」
「室長にはだいぶ前から許可はいただいてました。それに室長が、『ロゼだったら言わなくても全然許してくれると思うよ』って言ってましたし」
おそらくその時のサンドラも、こうなる事を予想していなかった事だろう。ロゼフィアとしても、別に手伝ってくれるのはいい。むしろ嬉しい。だがタイミングはずらしてほしかった。今まさにジノルグに聞こうとしていたところなのに。だがそう言えるわけもなく、ロゼフィアは顔を引きつらせながらも笑う。
「い、いいわよ。助かるわ、ありがとう」
そう言うのは精一杯だった。
結局それからは四人で作業を行う事になった。
丁度土の入れ替えもしたいと思っていたので、該当する薬草の土を変える。さすが二人共薬草の扱いには手慣れており、こちらの指示を聞いたらすぐに行ってくれた。やはりサンドラの助手だけあってとても優秀だ。そしてロゼフィアは、しばらくしてから薬草園を二人に任せ、家の中にある薬の瓶の整理を行った。余分にあるものは研究所の方に持っていく。あと必要な薬学書も持って帰ろうかと思っていた。
壁一面にある書物の中から、必要な書物を吟味する。
そうしていると、ドアの上側についた鈴が鳴った。
「魔女さん!」
「魔女さんだ!」
声を大きくして走ってやってきたのはいつもの兄妹だ。
そういえば、いつもこの時間に薬の受け取りに来ていただろうか。
ロゼフィアが何か言う前に、二人は飛びついてきた。
「魔女さんいつ帰ってきたの?」
「なんでずっと家にいなかったの?」
「お、落ち着いて……ちゃんと薬は届けていたでしょう?」
毎日のように薬を取りに来るので、王都に行くと決まった時も、二人の事は気にしていた。だから王都で薬の調合を行い、騎士に森まで届けてもらっていたのだ。いきなりそんなやり方になってしまったが、薬と一緒に手紙も送付している。子供の二人がすぐ理解できなくとも、両親はきっと分かってくれているはずだ。すると二人はむー、と頬を膨らませた。
「薬は届いてたよ。騎士さんが運んでくれた」
「でもそれより、魔女さんに急に会えなくなった事が寂しかった」
確かに急にいなくなるような形になってしまった。
二人なりに心配してくれたのかもしれない。思わず顔を歪ませてしまう。
「ごめんね」
謝ると二人はすぐににっこり笑う。
「いいよ」
「うん。また会えたもん」
「よかった。ありがとう」
すぐに許してもらえ、こちらも笑みがこぼれる。
子供のこのような純粋で無邪気な姿は見ていて眩しい。
するとまたドアのベルが鳴る。
誰かが入ってきた。
「あ、騎士さんだ」
「ほんとだ」
見ればジノルグだ。
どたばたした音に気付いて来てくれたのかもしれない。
二人を見て、ジノルグはふっと笑った。
「なんだ。来てたのか」
「うん。騎士さんも久しぶりだね」
「元気?」
「……え、ちょっと待って。知ってるの?」
ジノルグがこの森に初めて来たのは二人が帰った後だ。
その後も顔を合わせた事はないはず。それなのにどうしてそんなに親しげなのか。
「だって騎士さん、」
兄の方が答えてくれようとしたが、慌てて妹の方が「あっ!」と言って口を塞ごうとする。ジノルグも焦ってはいないが、口元に人差し指を持ってきて合図をした。どうやらこの三人、こちらが知らぬ間に会った事があるようだ。しかもその経緯を話してくれないらしい。思わずむっとしたが、さすがに二人の前では怒れない。今日は久しぶりに様子を見に来たらしく、兄妹は仲良く帰って行った。
それを見送った後、ちらっと横を睨む。
「どういう事?」
「また時が来たら話す」
ジノルグは涼しい顔だ。
こういう時、彼は何があっても口を割らない。
それは分かっていたものの、少し悔しい。
自分だけのけ者扱いではないか。
少し暗い顔になったからだろう。
ジノルグは真面目な顔に戻る。
「心配するな。そういう意味じゃない」
「どういう意味よ」
「話したくても話せない内容だってあるだろう」
思わず息が詰まる。
それは、今聞こうとしている事もそうだったりするのか。
ロゼフィアは勢いのまま口を開いた。
「私に話せない事があるの?」
「? 急に何の」
「ずっと何か考えているでしょう。いつもより口数も少ないし」
ジノルグは少しだけ目を見開く。
「無理に話してとは言わない。でも、気になるの。いつもと違うから」
「……俺は、普段通りのつもりだが」
「それは分かるけど、でも少し違う。それとも、私の思い込み? それならそれで、笑ってくれたらいい」
いっそ笑ってほしい。勘違いだから気にしなくていいと。そう言ってくれたら、こちらも笑う事ができる。気にしていたのが馬鹿馬鹿しくなって、笑い飛ばす事ができるだろう。……だが、ジノルグは何も反応してくれなかった。むしろ余計口をつぐみ、静かになった。
「ジノルグ、」
「急な話だが、実家に帰る事になった」
「…………え?」
「休暇を取ったんだ。数日はここを留守にする」
「え……それって、いつ」
「明日」
「明日!?」
あまりに急な話だ。
休暇とはいえ、そんなぎりぎりに決められるものなのだろうか。すると申請は少し前からしていたらしい。今日ちゃんと休暇が取れるのか、騎士団の方が再確認してきたようだ。ロゼフィアは混乱しながらも聞く。
「ご家族の方に、何かあったの?」
それならばすぐにでも帰らないといけないだろう。
だがジノルグは首を振る。
「いや、そういうわけじゃない」
「じゃあ」
「悪いが言えない」
「っ」
ジノルグは目を伏せた。
「すまない。これは俺の問題だから」
「…………分かった」
声を絞り出すようにして言った。
「そうなら、早く言ってくれたらよかったのに。私は何も、言う資格だってないし」
「ロゼフィア殿」
そのままその場を去ろうとすると、腕を掴まれる。
だがロゼフィアは顔までは見れなかった。
自分でも驚いている。
思いのほかショックを受けている事を。
「ごめんなさい」
そう言って腕を振り払う。
そのままその場を駆けて行った。
「…………」
残されたジノルグはその場に立ち尽くす。
そして両拳を強く握った。
どうしてこちらが聞くまで何も言わなかったのだろう。むしろ言わずにそのまま行くつもりだったんじゃないか。言わなかったのか、言えなかったのか。言えないにしてもどうしてあんな顔をしていた。そうじゃなかったら何も聞かなかったのに。いや、自分が気付かなかったらよかった。気付かなかったなら、ジノルグの事など気にしていなかったなら、こんな気持ちにならなかっただろうに。
随分遠くまで走ってしまい、森の奥深くにまで入っていた。ロゼフィアは足の速度を緩めつつ、その場にへたり込む。前の自分だったらどうだったのだろう。何も気にせず目の前の仕事だけをしていた。そしてこんな気持ちになる事もなかった。ジノルグに出会ってから、多くの人との関わりが増えた。出会いは戸惑い、でも同時に楽しさも感じる事ができた。一人でいるよりずっと良いものなのだと知った。それなのに、人と関わる事で今まで感じてなかった事まで感じるようになった。
息苦しくなる。
呼吸が浅くなる。
どうしてジノルグと一緒だと色んな感情が出てくるのだろう。いつの間にか嗚咽が出てくる。止めようと思っても、出てきてしまう。涙も一緒に流れてくる。人が亡くなった時に涙を何度も流した事がある。でもその涙とは違うものだった。
必死に手のひらで拭う。
だがどんなに拭ったって、涙は溢れるばかりだ。
そして疑問がたくさん出てくる。今だってなんでこんなに泣いているのだろう。
(信じてもらえてないから?)
一瞬止まる。
人が相談する時、話をする時、それを分かってくれる人でないと話す事はできない。この仕事をしていて、患者との信頼関係がどれだけ大事か知っているつもりだ。だから最低限でも、誰に対しても敬意を示し、自分のできる事を行ってきた。だから患者は信頼してくれ、色んな話をしてくれる。
今いる研究所だって、今だからこそ色んな話をしてもらえたりする。「紫陽花の魔女」として名が知られている事もあり、皆が近寄って話をしてくれる。それはこちらを信用してくれているからだろう。だからこそ感謝して、自分も恩義を返そうと努力をする。
でもジノルグはどうだろう。護衛として一緒にいる事が増えて、互いの事も分かるようになってきた。でも、相変わらず彼が何を考えているか分からないし、重要な事は話してくれない。それはなぜだろうと思っていたが、分かってしまったかもしれない。おそらく信用が足りないのだ。今の自分には。
思えば出会ってからもひどい態度しか取っていない。彼のために何かしたかと思い返せば、何も出来ていない気がする。ただ自分の思い通りにしようと必死だった。相手の気持ちも考えていなかった。これでは信用してもらえないのも当たり前だ。信用が足りない事も自覚して、それは当然の事なのに、それがなぜこんなにも悲しいのだろうと、自分の事なのに自分が分からない。嗚咽までは出なくても、また涙が出始めて、ロゼフィアは考える事を止めた。
そしてふとまず立ち上がろうと両手をつくと、急に身体に痺れのような感覚があった。思わず足を見れば、へたり込んだ時に植物の棘が刺さっていた。見覚えのあるその小さい棘がついている黄色の植物は、デンゲキソウだ。棘に毒があり、人の手に触れると痺れるような感覚に陥る。いつもなら気を付けているのに、薬草にも目が行っていなかったなんて。
呆れるというより笑いたくなる。
こんなにも周りの事が見えなくなるとは。
すると遠くで自分の名を呼ぶ声がする。
複数の声からすると、おそらくニックとノアだろう。
どうやらあれから随分時間が経ったらしい。自分でも気づないうちに空の色が少し変わっていた。心配して探しに来てくれたのだろう。だがこの泣き顔を晒す事もできない。迷ったが、ロゼフィアはその場に倒れる選択肢を取った。泣き顔からどうしたのかと聞かれるより、デンゲキソウの棘で気を失った方がましだ。
「ロゼフィアさんっ!」
ノアの声が聞こえ、複数の足音が近付く。
ロゼフィアは目を閉じてそのままの状態でいた。
「脈は?」
「あります。大丈夫です」
「よし。とにかくここから運ばないと……」
ニックが肩を貸してくれようとする。
すると急に身体が浮いた。そして背に負ぶわれる形になる。
急ぎ足で向かった先は家だろうか。ドアのベルが鳴るのを聞きながら、ベッドに寝かされる。そしてすぐにノアとニックは指示を出し合っていた。薬の調合の事だろう。棘の処理くらい自分でできるのだが、寝たふりをしている今はできない。今更ながら、嘘をついている事に罪悪感が出てくる。だがすぐに足に刺さっている棘が抜かれ、そして解毒剤の液体が塗られた。丁寧に包帯も巻いてくれる。とても丁寧な手付きだ。
いつもは人にしてあげる側だが、たまにはしてもらうのもありがたいと思った。と同時に、二人がいてくれてよかった。もしジノルグと二人きりだったら、こうはいかなかっただろう。しばらくしてから人の気配が消え、部屋も暗くなる。配慮してくれたのだろう。
しばらくしてからロゼフィアはそっと目を開ける。
その場には誰もいない。ようやく一息つけるかと思った。
が、急にギイッと音が聞こえる。
慌てて目を閉じると、その人物は近寄ってくる。
そして不意に頬に触れてきた。
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