24*情報屋の後押し

 触れられて思わず身体が動きそうになる。


 だが、今自分は寝ている。ここで起きるわけにはいかない。持ち前の意地っぱりなところを活かして、どうにか動かないように細心の注意を払う。するとが功を奏したのか、相手は気付かずそのまま頬に触れていた。


「すまない」


 囁くような声に、ロゼフィアは気付いた。

 今触れているのはジノルグである事を。


 謝られても、こちらはどう反応していいのか分からない。だが声の雰囲気から、ジノルグがこちらに対して申し訳なく思っているのは伝わってきた。ジノルグは何も悪くないのに。こちらが勝手にしてしまっただけで。ああ、また勝手な事をしてしまった。思えばいつも迷惑しかかけていない。


「また必ず、戻ってくる」


 そう言って手が離れた。


 ロゼフィアは思わず目を開けそうになる。

 が、それよりも先にジノルグが動いた。


 覆いかぶさるように顔が近付き、額にキスされる。ロゼフィアは驚いて目を見開く。だが顔が離れる頃には、慌てて目を閉じていた。あの後でどんな顔をすればいいのか分からない。ジノルグはゆっくりと離れ、そしてその場からいなくなる。床が軋む小さい音を聞きながら、それが消えるのを待つ。


 しばらくした後、ロゼフィアは目を大きく開けた。

 いつの間にか呼吸も荒くなっている。


「……今の、なに?」


 だが考える度に顔が赤くなり、慌てて自分の顔を両手で隠す。人との関わりだってまだ浅い方なのに、いきなりこんな事をされて平然とできるわけがない。先程までもやもやしていた気持ちは一瞬で消え、今度は鳴りやまない自分の心臓がうるさく感じた。


 だが悩んでいる間に、いつの間にか時間は過ぎていたようだ。


 朝の日差しに目を細くし、そしていつの間にか寝ていた自分に驚く。毎回思うのだが、自分はこんな時でも寝られるほど図太いらしい。だが時間にしてはまだ早いため、そっとベッドから抜け出す。


 本来なら作業をした後研究所に戻る予定だったのだが、結局サンドラに連絡もできずに一日滞在してしまった。心配していないといいが。それに、ニックやノアはどうしたのだろう。


 そっと家を出ようとすると、作業場の下で縮こまって寝ているニックとノアの姿があった。客人用の毛布を使ったのだろう。わざわざ二人で一枚使わずに、遠慮なく二枚使ってくれて良かったのに。だが仲良く寝ている姿に、少し微笑ましく思ってしまう。言い争う事が多い二人なので、少し新鮮にも感じた。


 そんな二人を起こさないよう、そっとドアを開ける。

 朝な事もあって少しひんやりしていたが、良い天気だった。


 伸びをしつつ、大きく息を吐く。

 それをするだけで、少しだけ気持ちが落ち着いた。


 辺りを見回すが、とても静かだ。それは早朝な事もあるのだろうが、それにしても音がない。そういえばジノルグの姿もない。家の中にいた様子もなかった。だが、今はちょっと複雑だ。会いたいような、会いたくないような。


「おーい」


 するとどこからか声が聞こえてきた。

 そちらに顔を向ければ、なぜかレオナルドの姿がある。


「えっ」

「おはよう、紫陽花の魔女。早いな」


 相手はこちらの様子を気にも留めず、笑顔でそう言ってくる。


「な、なんでここに」

「ジノに頼まれたんだよ。数日留守にするから代わりに護衛してくれって」

「え、ジノルグから?」


 一体いつの間に。しかも姿がないという事は、すでにここを出たという事だろうか。確かに明日には出る、と言っていたから、日にちだけ見れば今日には出発しないといけない。だがまさか、何も言わず行ってしまうなんて。あの時の言葉が別れの挨拶だったのか。


「それにしても驚いた。騎士団の方に帰ってきたと思ったら、すぐ森に行けって言うんだから。ほんとあいつ、紫陽花の魔女を一人にしないよな」


 レオナルドは若干苦笑している。


 戸惑いつつも、ジノルグなりの気遣いだろう。

 ちょっと過保護すぎるような気もするが。


「でも確か、護衛は護衛騎士じゃないといけないんじゃ……」


 クリストファーから聞いた話だと、護衛騎士がいる人には他の護衛騎士に護衛を頼むのが普通のはずだ。レオナルドは護衛騎士ではない。それなのに護衛を頼んでも大丈夫なのだろうか。


 すると相手はあっさり首を振った。


「いや、別に護衛は誰でもいい」

「え」

「責任感はいるけどね。もし護衛対象に何かあったら後が怖いし。ジノが俺に頼むって事はそれなりに信用してくれてるんだろ。確かに何かあっても責任取るくらいの覚悟はある」

「そ、そう」


 同期な事もあって、レオナルドとジノルグは一緒にいる事が多い気がする。気の知れた相手だからこそ、頼みやすかったんだろうか。いつもならクリストファーに頼んでいるはずだが、数日となると日数的にも多い。本来ならサンドラの護衛をしているし、護衛対象が二人いるのは大変だろう。それに、以前麻薬の密売人を捕まる時、レオナルドが中心に動いていた。騎士としての実力もあるのだろう。


 だがレオナルドはやれやれ、と両手を出しながら首を振る。


「でもジノも馬鹿だと思うんだよね」

「え?」

「俺に護衛を頼むとどうなるのか、分かってたのかねぇ」


 思わず目をぱちくちさせる。

 頼むとどうなるのだろう。


 全く分かってない様子に、相手はぷっ、と笑う。


「行った方が早いか。じゃあ紫陽花の魔女、早速移動しよう」

「え、どこに?」

「決まってるだろ。ジノの実家だよ」

「はっ!?」


 どうしてそうなるのか。

 だがレオナルドはさも当然、という風に指を振る。


「そこで一体何が行われているのか……情報屋としては探るべきだろ?」

「なんで私も行く事になってるの!?」

「だって護衛対象なんだから一緒に来てもらわないと護衛できないじゃん」

「そうだけど……って、勝手に行くのは駄目よ。そんなの、」


 ジノルグは言いづらそうにしていた。つまり人に話せる内容じゃない。だったら勝手に行くのも駄目だろう。ジノルグだけでなく、家族にまで迷惑もかけてしまう。


 だがレオナルドは息を吐く。


「本当にそう思ってる?」

「えっ」

「今の紫陽花の魔女、言葉と表情が一致してないよ」


 苦笑しながら言われてしまう。

 ロゼフィアはそれに言い返せなかった。


 確かに気になってないといえば嘘になる。むしろこれはいいチャンスじゃないかとさえ思った。少しでもジノルグの事を知れるし、ずっと心に残るもやもやした気持ちも消えるかもしれない。だが同時に、それをしてしまうのは良くない事じゃないかとも思った。勝手に家まで押しかけて、勝手に人の知ってほしくない事まで知ってしまうのは、ジノルグも嫌だろう。だから迷った。


「俺が思うにさ、」


 レオナルドは言葉を続ける。


「ジノは隠し事が多すぎるんだよね。人に言えない事情っていうのは皆持ってるけど、あいつはそれだけじゃないと思う。自分で抱え込み過ぎてるんだよ」

「…………」

「しかも頑なだから、人の意見より自分の考えを優先する」

「…………」

「だから、俺達がその壁をぶっ壊したらいいんじゃないかって」 


 最後は悪戯っぽく笑う。

 ロゼフィアは目を丸くした。


「ぶつかって思ってる事を言えばいい。相手が言わないならこっちが言えばいい。そうやってずっとぶつかってれば、ジノだっていやでも自分の事話してくれそうだろ?」

「……ちょっと、強引な気もするけど」


 するとはは、と笑われる。


「強引くらいが丁度いいさ、ああいうタイプは。で、どうする?」


 ロゼフィアは一度黙った。


 レオナルドのやり方はだいぶ破天荒な感じだが、彼なりに考えた結果なのだろうと思った。今まではただ調子に乗ってからかっていただけに見えていたのだが、ジノルグを思って動いていたところもあるのだろう。確かにそうかもしれない。消極的に相手に合わせるだけでは、前に進めない。それに一人じゃなくてレオナルドもいるのなら、例えくじけそうになっても助けてもらえそうだ。


「……行く」


 大きく頷いて、真っ直ぐ相手を見る。

 するとレオナルドはにやっとした。


「そうこなくっちゃな」







 空は青く、雲一つない。

 風も少しは出ており、自分の髪が揺れる。


 もう季節も変わり目だろうか。

 これからきっと、もっと暑くなる事だろう。


「どうしたの。ジノルグ」


 背の高い女性に声をかけられ、振り返る。

 自分と同じ長い黒髪に、焦げ茶の瞳。彼女は微笑んだ。


「せっかく帰ってきたというのに、元気がないわね」

「……そんな事は」

「紹介してほしいと言った人も連れて来てないみたいだし」

「…………」


 黙ったジノルグに、相手は苦笑する。


「ごめんなさい。余計な事を言ったわ」

「ジノルグ様、フヅキ様」


 使用人が声をかけてくる。

 フヅキと呼ばれた女性は、「行きましょう」と声をかける。


 ジノルグは不意にまた空を見上げる。

 そしてしばらくしてから、部屋に向かって歩き始めた。







「……ねぇ」

「ん?」

「勝手にお屋敷みたいなところ入っちゃったけど大丈夫なの?」


 ロゼフィアは周りをちらちらと見ながら進む。


 レオナルドに連れられたのはとある屋敷。とりあえず行くと決まって馬車を手配し、王都より少し先にある町まで移動した。そしてレオナルドは屋敷を見つけた途端、勝手に入ってしまった。


「ああ、大丈夫。その証拠に他の人もけっこう出入りしてるし」


 確かに自分達以外にも多くの人が屋敷に入っている。


 だがほとんど……女性だ。しかも何やら煌びやかな服を着ていたり、なんというか……綺麗な人が多い。いや、綺麗だけじゃなく可愛らしい人も多い。いかにもその女性達がメインなのか、傍にいる貴婦人や同い年くらいの女性、そして数人の男性が付き添いで傍にいる。皆どこか気合が入っているように見えた。


「……これから何かあるの?」


 明らかにこの様子はおかしい。

 これで何もない、わけはないだろう。


「あるな、多分」

「多分? 多分って何? 情報屋なんでしょう? 知ってるんじゃないの?」


 思わず連続して聞いてしまう。

 するとレオナルドが微妙に顔を歪ませる。


「地味に貶さないでくれよ」

「え、いや、そういうわけじゃ」

「まぁ知ってるっちゃ知ってるんだけどさ。今ここでそれを明かしたら、多分それどころじゃなくなるだろうから」

「?」

「とにかく、俺の言う通りに動いてくれればいいよ」


 そう言ってレオナルドは、ロゼフィアが被っている白い深めの帽子をぐっと押さえつける。力こそ弱いが、押された衝撃で深く被って一瞬目の前が見えなくなった。ロゼフィアは慌てて被り直す。なぜこのような帽子を被っているかと言えば、出発前にレオナルドに渡されたのだ。白い帽子は髪と目の色を隠すため。そして服装もいつもと違い、清楚な白いワンピースを着ている。こんな可憐な服あまり着ないのだが、これも指示されて着ている。


 とりあえず帽子があるのは助かった。ばったりジノルグに会ってしまった時に言い訳ができないし、他の人に「紫陽花の魔女」だとバレるわけにもいかない。それだけで大騒ぎになってしまうからだ。よく見ればレオナルドも着替えている。なぜか軍服ではなく、気立てのいいきっちりした服装だ。どことなく貴族風に見える。なぜ彼も着替えているのだろう。


 とりあえずどんどん進んでいくので、ロゼフィアはそれについて行く。そして入り口付近につくと、使用人らしき人が出迎えてくれる。「招待状をお持ちですか」と言われ、レオナルドは懐から取り出して渡す。どうやら持っていたらしい。


「ロゼ殿、そろそろ指示を出す」

「え?」


 いつもは魔女と呼ぶのに名前で呼ばれ、反応に遅れた。

 慌てて耳を傾ければ、レオナルドが説明してくれる。


「とりあえずこの入り口の右側にずっと移動して。端までいけば階段があるはず」

「階段?」

「そう。上ったら後は分かる」

「え、そんな簡単に……」


 単純すぎる指示に、眉を寄せる。

 後は分かるって、本当に大丈夫なのか。


 心配したがとりあえず向かおうとすると、急に彼は叫んだ。


「おい、見てくれ! こんなところに紫陽花の魔女がいるぞ!!」

「!?」


 ぎょっとして振り返るが、レオナルドは明らかにこちらを指差していた。すると歩いていた人達が一斉にこちらを見て、驚いたような声を上げる。隠すために被っていた帽子を深くしながら、レオナルドを凝視する。すると彼はただにやっとして、「早く行け」と口を動かして伝えてきた。


 とにかく行かないといけないらしい。

 だがどうしてここで自分の正体を明かさないといけない。


 そんな思いも持ちつつ、ロゼフィアは走り出した。


「どこだ、どこにいるんだ?」

「紫陽花の魔女ですって? どういう事なの?」

「珍しい容姿を持っているって噂らしいですわね」

「まさか彼女もジノルグ様の……」


 色んな声が飛び交うが、今はそれどころじゃない。

 とにかくロゼフィアは走った。案外すぐに端までたどり着く。


 が、唖然とする。


 レオナルドが言っていた階段というものはなかった。むしろあるのは壁についている緊急用のハシゴと呼ぶべきもの。まさかここから上に向かえというのか。普通の女性だったら絶対に下が恐ろしくて上ろうと思えないだろう。だがロゼフィアはそうも言ってられなかった。とにかく行かなければ追いつかれる。元々足腰は鍛えているので自信はあった。


 ロゼフィアはハシゴに手をかけた。

 そしてすいすいと上がり始める。


 思ったより距離はないらしい。上のバルコニーにつながっているようで、数分もすれば上れた。そしてバルコニーに到着する。そっと下を見れば、少し人だかりができていた。上るのが早かったからか、バレてはいないようだ。まさか上るとは思わないだろう。ほっとしつつ、ロゼフィアは前を見る。


 すると、部屋の椅子に座っている人物と目が合った。


 思わず焦ったが、女性は微笑みながら歩いてくる。

 長い髪を結っている綺麗な女性は、こちらに目線を合わせて来た。


「まぁ、急に女の子が上がってくるなんて。あなたはどなたかしら」

「あ、あの」

「奥様。いかがなされましたか」


 ドア越しに別の声が聞こえてくる。

 ロゼフィアは焦ったが、優雅な女性は返事をした。


「大丈夫よセバスチャン。こちらは気にしないで」


 そしてゆっくり近付いてくる。


「まるで紫陽花のような方ね。良ければお名前を聞かせてもらえないかしら」


 ずっと微笑みを絶やさない優しい表情に、思わず見とれてしまう。

 そしてよく見れば、その女性は目元がジノルグとよく似ていた。

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