09*王都に向かえば

 そーっと辺りを見渡し、知り合いがいない事を確認する。


 特にいない事が分かると、ロゼフィアはほっと胸をなで下ろし、そのままゆっくりと王都の道を歩いた。目立たないようにフードを深く被り、髪も瞳の色も見られないように気を遣う。そしてサンドラのいる研究所に向かう。今日は名目上、あくまで会いに行くという形だ。


 王都に行くのは少し躊躇したが、サンドラはいつでもおいでと言ってくれた。研究所には何度も足を運んだ事がある。仕事関係なら別に怪しまれないし、ちょっと会ってすぐ帰ればいい。


 だからここに来る事は別に恥ではない。

 ロゼフィアは勝手に自己満足し、うんうん、と頷いた。




 研究所につくと、真っ先にサンドラがいるであろう部屋まで向かう。何度も来た事があるため、どこに何の部屋があるのかは大体知っている。警備をしている騎士も顔なじみが多いし(クリストファーは知らなかったが)、ここで働く薬剤師や研究者とも会話をした事がある。そしていつもなら比較的静かなのだが、今日は珍しくバタバタしている様子だった。


「解毒剤は!?」

「もうすでに部屋に運んでます」

「別の患者が運ばれるらしいから、すぐに薬の準備を」

「今回使われた薬の種類を特定して。急いで!」


 どの人も忙しなく走り回り、ロゼフィアの事など全く気にしていなかった。いつもなら真っ先にこちらに来て挨拶してくれたり、勉強を教えてくれと言われるのだが。緊迫した雰囲気に圧倒され、思わず端っこを歩いてしまう。もしかして来るべきじゃなかったのだろうか、とさえ思ってしまった。


「あれ、ロゼさん?」


 声をかけてくれたのは、白衣を身にまとっているニック・レイナートだ。茶の短髪に黄金の瞳。眉が太く、体つきもがっちりしている。一見身体を動かす仕事をしてそうだが、これが薬剤師というのだから、人は見た目で判断してはいけない。サンドラの右腕的存在でもあるため、よく知っていた。


「あ……お疲れ様」

「お疲れ様です。今日はどうされました? 室長ですか?」


 サンドラはここでは「室長」と呼ばれている。

 あの若さでここの研究所の上にいるのだ。実力はかなり認められている。


「まぁ、そんなところ。でもどうしたの? なんだか皆、忙しそうだけど」


 すると眉を八の字にされる。


「それが、」

「今日は薬物中毒の患者が多いみたいなんだ」


 ヒールの音を鳴らしながら近付いてきたのはサンドラだ。いつもにこやかな笑みをしているが、今日はどこかくたびれたような顔をしている。対応に追われているのだろう。


 「薬物中毒」の主な原因は「麻薬」だ。ロゼフィアも知識としては知っている。所持する事も使う事も法律上禁止されているはずだが、それでも悪事に手を染めている人は多い。しかも、薬物である事を知らずに手に入れてしまう若者は増えているようだ。どうやら王都ほど栄えた場所では頻繁に取引もされているらしい。


「で、どこの闇から出て来たのか、一斉に被害に遭ってるってわけさ。大量に解毒剤の薬はいるしでてんてこまいだよ」

「そう……。私にできる事、ある?」


 解毒剤なら自分も作れる。この状況を少しでも緩和する事ができるなら、ここに来た意味はあったのかもしれない。だがサンドラは優しく微笑んで首を振る。すぐに対応はできているらしく、現状ロゼフィアの力がなくても大丈夫なようだ。


「むしろロゼの顔を見てほっとしたよ。頼りになる人が来てくれるなんて、ありがたい事だね」

「そんな事、」

「ところで今日はどうしたの? ロゼから来てくれるなんて珍しいね」


 サンドラは不思議そうにこちらを見ていた。思わずぎくっとなる。いつもはサンドラにお願いされて研究所に来る事が多い。たまーに自分から来る事もあるが、用事が終わればすぐ帰るのが常だ。


「た、たまたまよ。ちょっと顔を覗こうと思って」

「そうだったのかい。こんな忙しない時で申し訳ないね」

「ううん。タイミングが良くなかったみたいね。今日はもう帰るわ」


 話している間にも、ニックが何やら他の人と話している姿を見た。メモを取りながらサンドラを気にする素振りも見られ、きっとサンドラじゃないとできない事なのだろう。それを邪魔するわけにはいかない。サンドラもいつもなら気にしないが、今日はそうも言ってられないのか、小さく頷いてくれた。


「そういえば、今日はどうやって? 護衛は?」

「え? いないけど」


 すると目を丸くされた。


「いないのかい? ジノルグくんも?」

「な、なんでジノルグの名前が出てくるのよ」

「だって彼は君の護衛だろう?」

「それは花姫までの話よ。今は違うわ」


 護衛を外した件は、おそらくジノルグとロゼフィアの間でしか知らない。アンドレアには伝えているかもしれないが、わざわざ外れた事を周りに言う事もないだろう。それに今まで王都に来る時は、変わらず一人で来ていた。だから護衛の心配をする必要はない。


「でも花姫で名前と顔を知られたようなものじゃないか。一人は危ないよ」

「大丈夫よ。今までだって何もなかったし」

「最近は昼間でも怪しい密売人がいるって話だ。君も狙われる可能性はある」

「サンドラ、」

「そうだ。クリスに頼むよ。今この研究所にいるし」

「え、い、いいわよ。じゃあ私、行くから!」

「ちょ、ロゼ!」


 慌てて名前を呼ばれたが、すぐさま出口まで走る。


 そしてしばらく早歩きをし、後ろを振り向く。追ってくる感じはなかったので、胸をなで下ろした。護衛なんてまっぴらだ。大体クリストファーはサンドラの護衛をしている。そんな人に護衛は頼めない。話した事はないが、雰囲気的にちょっと近寄りがたいと思っていたのだ。


 歩きながらロゼフィアは、そっと首元につけている笛を取り出す。一応もしものためにと思ってつけているが、ジノルグは「必要があれば使ってくれ」と言った。別に今は必要な時じゃない。だから護衛はいらない。また笛を服の中に戻し、ロゼフィアは溜息をついた。


「……どうしようかなぁ」


 頼みの綱であるサンドラは忙しい様子だった。


 このまま森に帰るという選択肢もあるが、それでは味気ない。そしてどうせ落ち込むに決まってる。アンドレアに会おうかと思ったりもしたが、見送りの時だって怒って来てくれなかった。行ったら行ったで、門前払いされないだろうか。ちょっと不安になったが、逆にいい機会かもしれない。王都に残りたい意志はあると伝えれば、少しは許してくれるかも。我ながらいい方法だ。


 今度は王城に向かって足を進める。

 するとどこからか、声が聞こえてきた。


「……おい、……は手に入ったか?」

「ああ、ついでにあれもある」

「ふふっ、上等だな」

「早く運ぼう」


 先ほどからひそひそ話を続けている。

 いかにも怪しげな会話だ。しかも男二人組の格好がまずおかしい。どこか古ぼけた服に、髪やひげが伸びきっている。まるで漁をしに出かけるような風貌が、なぜかこの場所に似合わない。


 だがロゼフィアは、ある事に気が付いた。


(……麻薬?)


 男達が持っている木箱の中に、麻薬が入っているのが分かったのだ。薬学の知識がある事もあってか、ロゼフィアは鼻がとても利く。だがまさか、こんな場所で麻薬の売人に会うとは。


「なぁ、あとどれくらいだ?」

「もう少しじゃないか。あとなんか高価な代物を盗むとか言ってたが」


 この会話、もはや聞かなかった事にできるわけもない。どうやら盗人でもあるようだ。どれだけ彼らは罪を重ねるのだろうか。そのまま男達はどこかに移動を始める。焦る気持ちを抑えながら、ロゼフィアもゆっくりと男達の後を追おうとした。するとその拍子に、ジャリッと砂を踏む音が鳴ってしまった。


「!? 誰かそこにいるのか!」


(しまったっ!)


 ロゼフィアはその場から駆け出す。

 下手に手を出すよりは、そっちの方が安全だからだ。


「こら待ちやがれ!」


 後ろから叫ばれながら、とにかく懸命に走る。


 いつもなら自分で何とかしようと思ったりもするのだが、今回は人数的に分が悪い。だから逃げる。それくらいしか今の自分にはできない。息を吐きながらとにかく走り回り、そのうち汗もしたたり落ちた。


「あっちだ!」

「追え!」


 そう遠くない距離で声が聞こえ、唖然とする。


(まだ来る気!?)


 ここは普通諦めるものではないのか。

 だがあっと言う暇もなく、足がもつれて転びそうになる。


「いたぞ!」


 姿を見られた瞬間、誰かに急に腕を引っ張られた。

 そして手で口を塞がれる。


「!」


 ロゼフィアは絶対絶命だと思った。







「おい! どこにもいないじゃないか!」

「な、さっきここに……」


 男の一人が舌打ちする。


「もういい。次の獲物を見つけるぞ」

「あーあ、くそ。いい代物だと思ったんだがな」

「女なんていくらでもいる。早く積荷を運べ」


 そうして足音の音が徐々に遠くなる。


 だがロゼフィアは固まったまま動けなかった。

 どうにか口だけでも自由になるよう、もごもごと動かしてみる。


 すると低い声で呟かれた。


「静かに」


(!)


 よく見ればクリストファーだ。


 驚いて身体が硬直したが、彼は真剣に先程の男達の様子を探っている。そしてしばらくしてから手を離してくれ、こちらに向き直った。いつものように少しむっとしたような顔をしている。


「あの……」

「サンドラに頼まれて追ってきた」


 手短に要件を伝えてくる。

 それを聞いて若干顔が引きつった。


 クリストファーは何を思ったのか、溜息をつく。


「なぜジノルグを呼ばない」

「え」

「あんたの護衛はあいつだろ」

「それは……」


 別に必要だと思わなかったから、なんて、クリストファーにはおそらく通用しない。現に今危ない目に遭った。サンドラがクリストファーにお願いしていなかったら、今頃どうなっていたか。改めてサンドラとクリストファーには感謝しないといけない。


 だがなんとも言い難く黙ってしまう。

 するとクリストファーは何かに気付いた。


「笛、持ってるのか」

「え? あ、ああ」


 走っていていつの間にか出ていたようだ。笛を持ち、ロゼフィアは頷く。よく見れば、何か刻まれていた。じっくり見た事がなかったが、「zinorugu」と刻まれている。ジノルグの名だ。


「笛には一人一人の名前が刻まれている。俺もサンドラに渡している」

「そうなの?」


 思わず目を丸くする。

 だがクリストファーはそれ以上何も言わなかった。


 そして話題を変える。


「さっきのは密売人だ。騎士団でも問題になってる。他の騎士も追っているだろうから、気にしなくていい。あんたは早く森へ帰れ」


 その話を聞き、ロゼフィアははっとする。もしかして、さっきサンドラが言っていた話だろうか。もしそうなら、今も麻薬や強盗といった犯罪に巻き込まれている人がいるかもしれない。ここでその仲間らしき人を見つけたという事は、すぐに追った方がいい気がする。ロゼフィアはすぐに言い返した。


「私の事より、まずはさっきのを追わないといけないんじゃ」

「俺はあんたを森まで送り届けるようにサンドラに頼まれている。大事なのはまずあんただ」

「はぁ!? 私一人の命よりも、大勢の命の方が大事でしょ!?」


 思わず怒鳴った言い方になる。

 これには驚いたのか、クリストファーも身を引いた。


 ロゼフィアはそのまま言葉を続ける。


「いいからすぐに他の騎士にも報告して。その間、私が追うから」

「!? 追うったって、あんたには無理だろっ」


 すでに男達は移動している。

 だから追うのは無理な話だ。


 だが思わずにっと笑う。


「私は鼻が利くの。麻薬のにおいがまだ残ってる。それを追えばきっと見つけられるはず」

「だが、一人には」

「何かあったら笛を鳴らすわ。そしたらジノルグが来てくれる。そうでしょう?」


 森で別れた時、彼は「どこにいても駆けつける」と言ってくれた。だからきっと大丈夫だ。それに密売人を追っている他の騎士に会えるかもしれない。なぜだがロゼフィアは自信に満ち溢れていた。


 するとクリストファーは唸りながら眉を寄せる。


「……もしあんたの身に何かあっても、俺は責任取らないからな」


 そう言いながらその場を駆け出す。

 素早い動きであっという間に姿が見えなくなった。


 どうやら他の騎士を呼びに行ってくれたようだ。

 少し気難しい人かと思いきや、なんだかんだいい人なのかもしれない。


「よし」


 ロゼフィアは気を引き締め、頬を叩く。

 自分にできる事は、ただやるだけだ。







 先ほどいた男達は、探せば案外あっさり見つかった。


 ロゼフィアは陰でこっそりその様子を探る。

 何やら積荷を運んでいる様子だった。


(ここまではいいとして、ここからよね……)


 追う所まではなんとかなった。

 だがやっぱり複数だ。この後迂闊に手出しはできない。


 しばらくそのまま建物の影で様子を見ていれば、男達はひそひそと話を始める。そして何やら白い袋を取り始めた。中に何が入っているか分からないが、ひどくずっしりしているように見える。だがロゼフィアはすぐに鼻を抑え、顔をしかめた。間違いない。あれは大量の麻薬だ。


 普通の人は気にならないだろうが、敏感な鼻を持つロゼフィアにとってはかなり強烈だ。それにしても、あんなにも大量にどうするのか。そう思っていれば、別の男が何かを引きずってやってきた。


「お、連れて来たか」

「今すぐ欲しいだとよ。早くあげてやれ」


 そう言いながら放り出したのは、まだ若い女性だった。だが身なりはかなり汚れており、ぶつぶつと何かうめき声を上げている。目も虚ろで、焦点が合わない。その状態を見て、ロゼフィアはもうすでに中毒に侵されている事を悟った。このまま量を増やせば、彼女が更生するのにさらなる時間がかかる事になる。


「ほーれ、お前の好きなものだぞ」


 男達はせせら笑いながら袋を女性に向ける。

 すると女性は声を出しながらそれを欲しがった。


 ロゼフィアは見ていられなくなり、その場を飛び出す。


「やめなさい!!」


 思わず大声を上げれば、一斉に注目される。


「お前、さっきの」

「おいあいつって確か、」

「紫陽花の魔女!」


 どうやらこの人達にも自分の名は知れ渡っていたらしい。それがいいのか悪いのか、少し顔を歪ませたくなるところだが、それでもこの状況を変えるしかない。ロゼフィアはわざと啖呵を切った。


「そう、私が紫陽花の魔女。捕まえられるなら捕まえてみなさいよ!」


 言いながらその場を駆け出す。

 するとまんまと男達はこちらを追い始めた。


 捕まるのも時間の問題だと思い、ロゼフィアは笛を取り出す。そして吹いた。すぐは無理でも、きっとこの音を聞いて来てくれるはず。そう信じて――――いたのだが、音が鳴らない。


(……え?)


 ロゼフィアは何度も笛を吹く。

 だが全く音が鳴らない。


 聞こえるのは空気のような音だけだ。


(な、嘘でしょ!?)


 音が鳴らなければ相手に聞こえるわけもない。

 思ったより深刻な状況に、顔が真っ青になる。このままでは後でクリストファーにも怒られるのではないだろうか。だが男達は一向に諦めずに追ってくるので、頭を切り替えた。今はとにかく逃げるしかない。


 このままただ走り回っても埒が明かない。なのでロゼフィアはすぐ近くにあった家の屋根に上がり始める。男達も驚いたような顔をしていたが、こちらを追って屋根によじ登り始めた。ロゼフィアは足元に気を付けながら進む。なかなかバランス感覚のいる場所だ。


「紫陽花の魔女!?」


 急に驚いた声が下から聞こえる。

 見ればそこにはレオナルドがいた。


 他にも数人騎士がおり、そこにはクリストファーの姿もある。どうやらこの場所を見つけてくれたらしい。さすがサンドラの護衛をしているだけある。ほっとするが、しつこくついてくる男達はいるので、ロゼフィアは早足で進む。だいぶ慣れてきたのか、屋根の上を走れるまでになった。


 その間にもレオナルド達は、下にいた密売人達を対処する。素手で捕まえ、見事な武道の技を使っており、食らった相手の男は痛そうに顔を歪めていた。男の腕力、というのも関係していると思うが、やっぱりすごい。彼らが来てくれたからもう大丈夫だろう、と少し気が抜ける。


 その瞬間、急にぐらっと体が傾いた。


「え」


 下を見れば何もない。


 密接した建物が多い中、ロゼフィアは空中散歩のようになった。が、もちろん普通の人間なのでそのまま歩けるわけがない。ロゼフィアは一気に頭の中が空っぽになる。


 すると下にいたクリストファーが叫んだ。


「魔女!」


 ロゼフィアはすぐに急降下した。







 ドサッ、と身体全体に衝撃を感じた。

 思ったほどの身体の痛みはない。


 思わず目をぱちくりさせて見れば、傍に顔がある。

 黒曜石のように真っ黒な瞳でこちらを見る騎士の顔が。


 今は横抱きにされるような形になっている。

 どうやら落ちる直前でジノルグがキャッチしてくれたようだ。

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