第12話 愛しい痛み


「わぁ‥‥!これが‥君‥」


アダルバードの視線の先には展示用の特別大きなガラスケースに飾られた桜燐丸の刀があり、その全貌は鞘を抜き取り刃の峰の部分に台を固定して取り付け一望できるよう配慮されていた。

いつもアダルバードと共にいる人型の桜燐丸と違い、本物の彼は刀にしてはやや寸が長く刃先は全て職人の指で研がれた為に鉄とは思えない程に艶を出していて刃紋はユラユラと揺れる波間のように優美だった。


「君を作った人は君の事を自分の子供のように思ってたのかな?」


アダルバードはうっとり刀の本体に見惚れながら呟くと人の姿をした桜燐丸はしゃがみ込んでアダルバードを見つめた、まるで続きを聞きたそうに首を傾げながら。


「ずっと昔に君は作られて僕と会うまで美しくあり続け、そして目の不自由な僕でも刀が見えるなんて、これは人の世の物なのかそうでないのか分からないね。」


桜燐丸はアダルバードの手を掴み、指を取ると自身の腰にある刀の鍔を触らせる。

すると鍔には満開の花のようなデザインが施されていて触れれば触れる程‥滑らかに曲線を描くよう削られて研磨されている箇所や花弁の模様を細やかな部品を重ねて再現していたりと装飾の細やかさが指から伝わってくる。


「これは‥桜‥?君の名前に入ってる」


桜燐丸はコクリと頷くとアダルバードの手を離して視線を逸らす。


「ふふふ。とても綺麗だよ、さくら。いつか日本の本物のソレを見て見たい。」


「お目当を堪能したか?」


優一が歩み寄ってくるとアダルバードは桜燐丸を一瞥してから深く頷きニコニコと口角を上げ、それを見た優一は満足気に「おし。」と親指を立て八重歯を見せて笑った。


「なあ、この博物館の隣に大きな木があるんだ、登ろうぜ。」


アダルバードと優一が外に出て建物の隣に行くとすぐ隣に幹がとても太く、背の高い木が生えていた。その枝葉はまるで傘のように広げられ下で見上げる2人を太陽から隠すように生い茂っている。


「ここに登ったら気持ちいいんだ、登ろうぜ!」


「僕木登りした事ないよ」


優一は屈伸をすると木に駆け寄り腕を伸ばしてスイスイと木の凹凸に足をかけて登り、枝を掴むと上からアダルバードを見下ろした。

木の凹凸に掛けている靴に力が入り、パキパキと大木の表皮が捲れてアダルバードの身体に落ちてくる。

アダルバードは驚き、手で払いながら不安そうに優一を見上げる。


「無理だよっ!僕は殆ど目が見えないし登れない‥恐いよ!」


「アダルバード、大丈夫。知らないから恐いんだ。」


「知らない‥から?」


優一は枝を掴む片手に力を入れるとアダルバードへもう片手を差し出す、掴まれた枝はミシミシと音を立てながらヒラヒラと葉を落とした。


「教えてやる、さあ‥その凹んでいる所‥分かるか?そこに足をかけて身体を持ち上げて出っ張った所にもう片足を乗せて‥あとは引っ張り上げてやる。」


優一は自分の登って来たルートをなぞるようにアダルバードに教える、アダルバードは木の表面を手で探るように触れると意を決したように杖を持ちながら足を掛ける。


「んっ‥!」


自身の全体重が片足に集まり軋むような感覚と共にゆっくり身体を持ち上げると落ちそうになり、木にもたれて息をつく。


「アダルバード、いいぞ。次はそこの‥手を伸ばして‥手入れで切られた太枝の幹に触れるだろ?そこに足を掛けるんだ」


「あっ!杖が!」


「杖なんて上では使わない!」


優一の言う太枝の幹に足を掛けて片足から片足へと体重を移動させていると思わず持っていた杖を落としてまい下を向いてしまう。

自分の今いる位置も分からなければ頼りになるのは優一の声のみ。落ちたら怪我をするのではないか、きっと痛いという気持ちなどが頭の中をグルグルと回り自身の目に映る虚空の世界を見下ろしていると桜燐丸が杖のそばに近寄り二人の様子を見ている。


(ああ、さくらは思っているのかも。自分なら一っ跳びで一番上まで行けるって)


「アダルバード、一気に行って背伸びしろ!」


アダルバードは手探りで次に足を掛ける場所を探したが彼の手足では触れる事が出来ても乗り上げて安定させるのは難しい距離に足場となる出っ張りがあった。

足を伸ばすとつま先だけが出っ張りに触れる事が出来、体力のないアダルバードにはそれを利用して木登りを成功させる自分の姿など全く想像出来ない。足を滑らせ地面まで真っ逆さまな自分が脳裏に浮かぶ。


「知らないから恐くて、だから僕は知ろうとしてるんだよね。さくら」


アダルバードが桜燐丸へ目をやると額にじんわりと汗を浮かべながら苦笑し、そして勢いをつけて跳び移るように出っ張りへ足を掛けた。


「!?」


だが足を掛けた所で靴を滑らせ体重を支えきれずに体が重力に従い地に引き寄せられる。

その一瞬がゆっくりと感じ思わず上へ、優一へと手を伸ばす。


(落ちる)


その時、重力に引き寄せられた体がガクリと途中で止まり上を見上げると優一がアダルバードの手をしっかりと握りしめて止めていた。


「お前、やっぱ軽いな。」


そして優一は勢いをつけてアダルバードの身体

を持ち上げ太枝まで引っ張りあげ、息をつくと疲れた様子でパーカーの襟元を掴んでパタパタと布を動かし自身を扇いだ。


「僕‥今、高い所にいる?」


「落ちたら結構痛い位高い所にいるぜ。でも風も当たるし涼しいだろ?」


「うん‥。」


アダルバードが手探りで太枝に座る下半身を浮かせて優一の隣まで座りながら移動して近づく。


「アダルバード、夕日が綺麗だぞ。」


「うん。」


「今日の夕日はいつもより真っ赤で、空が所々オレンジ色だ。毎日、晴れてたらだけどこの光景が見れるなんてラッキーだと俺は思って過ごしてるよ。大好きだけど、なんだか切なくなる」


「君がそう言うなんて、きっと‥きっととっても素敵な物なんだね。太陽が沈むその間の景色‥‥‥僕も‥」


僕も見る事が出来たら‥そう言おうとした言葉を飲み込み、アダルバードの唇だけが小さく動いた。

すると桜燐丸が跳んでアダルバードの座っている太枝に着地する。


(さくら‥?)


桜燐丸は腰から刀を鞘に収まったまま抜くとアダルバードの前に差し出し、ゆっくりと刀身を抜いていく。


「っ‥‥‥!!」


刀身には太陽が沈むその間、昼間に見える青々とした空を東から真っ赤に染める光が確かに映っていた。

雲は白く、だがその先はうっすら燃えてるように色づき。茜色の空はきっとその遥か向こう側まで続いている。


「うん‥‥確かに、胸に溢れて来るね‥」


アダルバードの瞳にうっすらと膜が出来、それが溢れて刀身にポタリと落ちる。


「切なくて‥‥惜しくて、‥今だけ神様が時間を止めてくれればいいのに。」


「アダルバード‥。」


優一はアダルバードの様子を伺うと、桜燐丸へと目をやりアダルバードの背中を撫でた。


「今日は特に綺麗だ。なんだか太陽から赤い光の矢が空一面に広がってるみたいだな‥、止まってくれたらいいのに‥世界が。‥でも神様、流石にこの景色をくれても永遠はくれないみたいだぜ」


大変な木登りをしたせいで身体が熱くて額が湿っていて‥そして胸が痛い。今一瞬のこの時が余りにも美しく、それでも終わりの見える太陽が切ない。


「僕は今日の事を絶対忘れない‥、優一君との時間も‥みんな‥胸が痛くなるこの気持ちも」


「アダルバードは泣き虫さんだな。痛くて辛いか?」


「うん‥切ない‥‥でも、愛おしい痛みだよ‥」


アダルバードは涙を拭う事もなく刀身に映る一時の宝物を見つめ、刀身を支える桜燐丸の顔を両手で仮面ごと包むと熱い滴を頬に伝えさせながら眉を下げ、唇を震えさせながらぎこちなく微笑む。


「ありがとう‥僕の大切な君‥」


か細い声で、涙を流しながら愛しい痛みを宝とするアダルバードを桜燐丸は見つめ。そして夕日を見る。


ーー時を刻むこの時が遅くなるよう‥せめて‥少しでも



「何か‥喋った‥?さくら‥」


アダルバードは小声で桜燐丸に聞き返すと桜燐丸は応答せずに指先で刀身を示し、アダルバードをまた美しい物ばかりの世界へ引き戻した。







そうして桜燐丸も含めた三人は夕日が沈みきるまで時間を共にすると帰りのバスに揺られ、小さな冒険を終わらせる為に二人が出会ったバス停まで戻る。


「今日はありがとう優一君。気をつけて帰ってね。」


「俺よりアダルバードの方がよっぽど心配だぜ。‥へへ。」


二人は小さく笑い合うとお互い握手を固く交わす。


「君と出会えて良かった、今日君が僕に声をかけてくれて良かった。また絶対に会おうね」


「‥‥アダルバード‥」


優一はアダルバードの言葉に目を伏せ悲しそうな表情を浮かべる。


「俺が‥お前に、隠し事とかしてても‥そう思ってくれるか‥?」


「僕も君に言えていない事とかあるよ、君が言いたくないなら無理しなくていい。どちらでも君は大切な人だから」


優一は苦笑を浮かべながらアダルバードの頭を撫で、そして肩をだく。


「お前は全く‥恥ずかしい奴‥」


その時の優一の声は震えており、目にはうっすら膜が出来ていたがアダルバードはそれに気付かずに優一の背中を撫で、肩をだく優一の手に力が入る。


「お休みアダルバード、お前が良い夢を見れますように。」


「ふふふ、嬉しい。じゃあ僕もアニータ‥お姉さんみたいな人からしてもらってる事をするね」


アダルバードが優一とハグをしながら彼の頭を髪に指を通すように優しく撫でる。


「優一君に沢山の幸せが集まりますように。」


「‥ハハッ、アニータさん‥絶対美人な姉さんだろ。‥それじゃ‥またな。」


「うん、またね。優一君。」


優一はまた八重歯をみせて笑うと名残惜しそうに身体を離し、アダルバードの姿が見えなくなるまで帰路に着く彼を見つめていた。


「優ちゃ~ん」


優一の所へ長い黒髪を結い、ややふっくらとした体型の女性が心配そうに近寄って来る。


「もう、なんでもっと早く帰って来なかったの。」


「別に、‥それより優ちゃんって呼ぶなよ母さん。俺は優一だ!」


「何言ってんのよ、昔は腰位あった髪も自分がハサミ使ってめちゃめちゃに切っちゃって‥スカートも履かない可愛い色の服も着ない、優って名前を勝手に優一って自分で名付けて男の子の真似事ばかりして。あんたはれっきとした女の子でしょ!」


優の母親はそうボヤきながら彼女と手を繋ぎ、重い足取りの娘を引っ張るように連れて帰路を歩く。


(違う‥真似事なんかじゃない‥。俺は‥男になりたいんだ‥)


優は夢から現実に引き戻されたように感じ、アダルバードが撫でた頭を自分でもう一度撫でて「幸せが集まりますように。」と呟くと母親と家族の待つ家へ街灯照らす夜道を歩いて消えて行った。

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