第9話 始めての街
人気のない路地へ桜燐丸は降り立つとアダルバードを地面に降ろし、杖を手に持たせる。
「まるで鳥になった気分だったよ、ありがとうさくら。」
「さて‥‥‥‥。」
アダルバードは杖を地面につき動かし、障害物がないか確認しながらゆっくりと路地から出ようと歩みを始めた。
だが数歩で立ち止まり、視線を地に落とした。
「‥‥‥‥‥。」
遠くから人の声‥それも沢山の行き交う人の声がアダルバードの耳に入り、そして匂いも自室とは違う沢山の人間の匂いや塗装の臭いが入り混じったような香りもする。街に来たのだ、人が沢山いて当然だ。しかしアダルバードは自分の中で不安が大きくなるのを感じた。
沢山の人間が、自分からそう遠くない距離に息づいている。
ここにある物全てが初めてで自分は全く知らない世界に踏み出している。何が待っているんだろう、どんな所だろう、自分が歩いて平気だろうか‥そんな事ばかり考えてしまう。
そんなアダルバードを置いて桜燐丸は先に歩き出し、路地から街道へと出て行く。
取り残された事に寂しさも感じるが外に出たいと言ったのはアダルバード自身、意を決して少しずつ後を追うように街道へと向かう。
アダルバードは煉瓦を積み立てた家々が肩を並べて道路に沿うように建っている通りに出た、道路を挟んで向かい側にはお店も同じように沿って建てられており若者や婦女子が並木のように建つ家々の道側から道路を跨ぐようにお店の並ぶ通りへと移動し、こっくりとした色合いの角が丸くなっている車に乗った運転手が少し迷惑気味に速度を落として交差するように行き交う人を避けている。
(さっ、さくらっ‥!待ってっ)
左右を見渡して桜燐丸の姿を確認すると、追いつけるよう杖をついて早足で歩いた。
こんこんこんと地面を軽快に跳ねる杖ばかりに気を取られていると前方からくる人の邪魔になってしまい、丁寧に謝ってモタモタしていると今度は背後から歩み行く人の邪魔になってしまう。アダルバードは困惑しながらも桜燐丸を見失わないように歩いた。
(不思議。街の人って、すごく早く歩きたいんだ)
アダルバードはなるべく邪魔にならないように端の家々に身体を近づけて歩くようにした。
だが先を歩く桜燐丸は道路を突っ切り店が立ち並ぶ通りへと渡る。
(そっ、そんなっ。待ってよさくらっ)
アダルバードも道路を渡りたいが車が道路を通って行くのを肌で感じ、立ち往生してしまう。
アダルバードの目には車も人も店も形すら朧げで今の彼にとって桜燐丸は海上で見る灯台の光だ。
(車の音が聞こえなくなった時に手を挙げて渡れば大丈夫かな‥?)
「もしもし、良ければ一緒に渡りましょうか?」
アダルバードが耳を澄ませて渡るタイミングを伺っていると声色の優しい女性の声が聞こえた。
声の主は鮮やかなラズベリー色のワンピースを着た妙齢の女性で左腕で底の深い紙袋を抱え、そこから果物のような酸味も混じった甘い匂いが漂う。
アダルバードの目には赤い朧げな存在だけ確認出来た。
「あなた、少し見てたんだけど目が不自由なのよね?気に障ったらごめんなさいね、もしそうなら道路を渡る時手を引くわ。」
「あ、ありがとうございます。」
アダルバードの左手に杖が握られてるのを見て女性が左腕に抱えた荷物を右腕に持ち替えるとアダルバードと手を繋いで2人並ぶように道路を渡る。
「あっ‥‥(荷物持ってたんだ‥、僕が杖を右手に持ち替えたら良かった‥)」
女性はアダルバードを気にしながらも歩調を合わせて道路を横切ってくれる。アダルバードはふと考えた、端から見たら自分達はどう映るんだろうと。姉と弟、それとも親子だろうかと考え妙にドキドキと緊張して自分の手を引く柔らかな女性の手を握る。
(母様ともし、街に行けたらこう歩くのかな)
「さ、渡ったわ。後は大丈夫そう?」
「ありがとうございます、とても助かりました。」
暖かな手がするりとアダルバードの手から抜け、小さな手には温もりだけが残った。丁寧に礼を伝えると女性は優しくアダルバードの頭を撫でると去って行く。
桜燐丸は女性が去った反対方向の先で立ち止まっていた。
「さくら、置いて行かれると思ったよ‥」
アダルバードはようやく桜燐丸へ追いつくと悪態の1つでも言いたくなったがフワリと鼻を掠める芳ばしい匂いに気を取られた。
アダルバードはクンクンと鼻をひくつかせると匂いの元が自分達の隣にある事に気付く。
「パン屋さんだぁ‥、い~匂い‥。お金があったらパンを買って2人で食べたいね、歩き食いをしてみたい。ちょっと悪い子になってみたいな」
ニコニコと嬉しそうにアダルバードは桜燐丸を見上げると桜燐丸は視線を逸らすように顔を背け、しばらくしてアダルバードへと手を差し伸べた。
アダルバードは驚きながらも桜燐丸の手をそっと握る。
「へへへ。」
先程親切にしてくれた女性と違い冷たい装飾がアダルバードの手に伝わる、桜燐丸は握り返しはしないがアダルバードはそれでも嬉しかった。
「さっきね。親切にしてくれた女の人と歩いた時‥皆は僕とその人を親子に見るかな、とか考えたんだ。」
2人で手を繋いで桜燐丸にゆっくり引かれるように道を歩き出す。桜燐丸は歩道に乗り上げた自転車や忙しない通行人が来るとアダルバードの手を引いて避けるように誘導をしてくれている。
「僕達はどう見られてるかな?」
周りの人間には桜燐丸が見えていないようで誰も彼に対して反応はない。寧ろ杖をつきながら歩くアダルバードの方を道を急ぐ己の邪魔として煩わしく見るか、哀れに思うかで良くも悪くも注目していた。
桜燐丸は相変わらずアダルバードに答えず、そして反応すら見せないまま道を進む足を止めない。
きっとアダルバードは可笑しな少年と見られている事だろう。何もない場所に一人で話しかけ、空中に手を出し指を曲げて何かを掴んでいるような光景、そう周囲は見る。
何人かはアダルバードの頭が可笑しいと思うかもしれない。
「うわっ‥‥」
すれ違う時、あからさまにアダルバードを避けた若者がいた。相手を中傷するような声を漏らす男にきっとアダルバードは気づいている。
そして反応を見せずともアダルバードを汚物のように避けて足早に去る女の事も。見えなくても分かってしまうものなのだ、悪い事程。
「僕、可笑しな子に見えるかな?」
アダルバードはキョトンと桜燐丸に尋ねる。
桜燐丸がアダルバードの手を引きながら雑貨店のガラス戸の前を通り過ぎ、その時に桜燐丸が戸に目をやるとアダルバードの姿はガラスに反射されうっすら映るが手を繋ぐ自分はどこにもいなかった。
桜燐丸がゆっくりとアダルバードの手を離そうとするとアダルバードからギュッと力を込めて握り返される、まるでその存在を噛みしめる様に。
「僕は全くもって構わない!」
桜燐丸の手の鱗のような装飾が肌に食い込み少し痛みを感じるがアダルバードは桜燐丸の先を歩き彼の手を引き始めた。
アダルバードが振り返っても桜燐丸の表情なんて仮面で分からない、だがこの時ばかりはどうしていいか分からないと言った様子が読み取れて一層繋ぐ手に力を込めて胸を張って歩いた。
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