第7話 これからもよろしくね


鎧の男と出会ってから数時間が経過した。

アダルバードはその後明かりを点けてから杖を使って室内を歩き回り首と胴体に分かれたテディベアを回収するとそれらに「ごめんなさい」と謝ってからベッドの下奥へと杖を使って隠し、そして指からの出血は電話の置いてある棚の引き出しからハンカチを取り出してグルグルと指に巻きつけると固結びをして止血した。


流石に落ちた自分の髪の毛の回収は自分の視力では出来なかったが、アニータに怪しまれないよう出来る限りの事をした。


「僕の夢じゃなかった‥うん、僕の妄想でもなかった。」


全く見えはしないがハンカチを巻いた指を軽く押さえるだけでジンジンと痛みが手先に走る、その痛みは自分の先程体験した事は夢でも妄想でもないとアダルバードに証明してくれた


「もう眠らないと‥アニータが朝ご飯を持ってくる‥ああでもどうしよう、眠れない」


アダルバードはベッドに腰を掛けて杖を脇に置くと勢いよく枕に跳びついた。

自分の気持ちが浮ついているように興奮してちっとも眠くならなかったのだ。

だが起きていようといまいと朝は来る、アダルバードは枕を抱いたままゆっくり目を閉じた。



コンコン。


自室の扉を誰かが軽くノックする音がする。


「アダルバード様、起きて下さいな」

「おはようアニータ!」


アダルバードはアニータの声が聞こえた瞬間重ねるように自分の声を出しベッドから勢いよく起き上がった。


「あら?今日は随分とお目覚めがいいんですね?坊ちゃん」


クスクスと笑いながら朝食を運ぶアニータにアダルバードは恥ずかしそうに俯く。


(そうだった‥僕、いつもアニータに起こされるまで寝てたんだった。)


アダルバードはあれからずっと目を閉じたまま意識が鮮明にある状態で、アニータが来る起床の時間まで眠らずにいた。


「朝食はベイクドビーンズとプチトマト、ポテトに目玉焼きにトーストです。」


目の殆ど見えないアダルバードの為にアニータはいつも朝食を説明を交えて運んでくれる。


「僕の好きな物ばかりだ!」


アダルバードが嬉しそうにする姿をアニータは微笑みながらナイフとスプーン、そしてフォークを配置する。

ベイクドビーンズはトマトベースに味付けされており、ふんわり優しい匂いが立ち上がる。それらの匂いとホクホクに茹でられたポテトの香りが共に鼻を抜け、目玉焼きはアダルバードの好きな半熟に胡椒を少々、これをフォークを使って半熟卵とトーストを絡ませるのがアダルバードの好きな食べ方だった。


「あ、アニータ‥今日僕、1人で朝ご飯を食べるよ」


「あら?アダルバード様の好きな半熟卵ですよ?」


アダルバードは美味しそうな香りの朝食に唾を飲んだが自分の指にはグルグル巻きになっているハンカチと傷がある、両手を使って食べるとアニータには見つかってしまうだろうし、片手で食べると行儀が悪いと両手を使わされて結局見つかってしまう為、1人で朝食を食べたかった。


「分かりました、そうしたい気分なんですねアダルバード様。また後から食器を回収しに参ります。」


アニータがそう言って部屋から立ち去ろうとした時。

フワリと窓辺のカーテンが揺れ、風が窓からベッドまで吹き抜けた。

アダルバードが窓辺へと視線を向けると、彼の霧がかったような視覚の世界にただ1人、ハッキリ存在する姿があった。


「あっ‥あっ‥あ‥!」


アダルバードはビクリと驚くと硬直してその存在を見つめた。

窓辺には昨夜の鎧の男が立っていた、どうやら窓を開けて室内に入って来たようだ。


「あら?窓‥空いてましたっけ?」


アダルバードの視線に釣られて窓辺を見たアニータ、視線の先には鎧の男がいる。

アダルバードは固まって動けずにいたがアニータはそのまま立ち上がり、鎧の男の目の前を通って窓を閉める。アニータには鎧の男を見えてはいないようだった。


「それではアダルバード様、食器は棚の上かどこかに置いてて下さいね。」


「う、うん。」


アニータは頭を下げると扉を開けて部屋から出て行く、アダルバードは扉が閉まりきるまで見届けると安心したように息を吐いた。


「君は僕以外見えないんだね、ヒヤヒヤしちゃった。」


アダルバードは苦笑を浮かべながら鎧の男へ向き直り「おはよう」と笑いかける。

鎧の男は相変わらず黙ったまま腕を組んで立っていた。


「へへへ。アニータも分からない秘密の密会だね。」


アダルバードは嬉しそうにナイフとフォークを使って食事を取る。

ホクホクしたポテトを食べてフォークでトーストを押さえ、キコキコとナイフを前後に動かす。

だが、中々上手くトーストを切る事が出来ず苦戦しているアダルバードを見ていた鎧の男は傍まで近づくと刀を抜く。

アダルバードの目には刀が鞘から抜かれ、視界のそれが一瞬ブレたかと思うと再び刀身が鞘に納められていた。

アダルバードは何が起きたか分からず首を傾げながら食事を再開しようとトーストや目玉焼きにフォークを押し当てた時、それらが全て賽の目に斬られている事に気がついた。


「僕の‥為に斬ってくれたの?」


アダルバードは鎧の男の顔を伺うように仮面を見つめる。無機質な表情のない仮面からは何も察する事は出来ないがアダルバードは嬉しくなり、ベッドから降りると鎧の男に駆け寄ろうとする。

だが鎧の男は刀の鞘を持ち、柄を突き出すようにアダルバードの肩に押し当て近寄れないようにした。


「僕、君ともっと仲良くなりたいってすごく今思ったよ。」


アダルバードが嬉しそうにはしゃいでいると何かを思いついたようにベッドへと戻り、朝食を急いで平らげた。


「ごひほうはま!」


そして食器類を電話の置いてある棚に置くと別の引き出しから万年筆とノートを手探りで取り出してベッドへと戻ってきた。


「君の名前をここに書いて!僕、君を呼ぶ時なんて呼んでいいか分からないから‥。」


鎧の男は万年筆をアダルバードから手渡されるとそれを掲げて下から覗き込んで見たり、振ったり、触っているとフタが開いてそれに驚いて床に落としてしまった。

アダルバードは床に手をついて辺りを触って万年筆とそのフタを拾い上げ「こうすると書けるよ」とノートに線を引いて見せた。

鎧の男はその光景を見た後万年筆を持ち、ノートにグルグルと万年筆で適当に円を描くように線を無造作に引き始める。

ガリガリと万年筆がノートの真っ白な世界に黒い線を書き連ねる中、鎧の男は手をピタリと止め‥ガリガリと字を書いた。


桜燐丸


その名前をアダルバードが見た時は何て書いてあるか読めず、電話でアニータへ日本語に関連した英字辞書を部屋の前まで持って来てもらいまた自室に戻って鎧の男へと手渡した。

鎧の男はパラパラと辞書のページを捲るとそれぞれの漢字の読み方に指を指し、アダルバードは虫眼鏡で何とかその読みを見た。


「おう‥りん‥まる‥、これが君の名前なんだね。桜燐丸!名前の桜ってこれ、えっと~‥日本の花なんだね、春に咲く花‥きっと綺麗だろうなぁ‥。」


「そうだっ。あのね、君の事をさくらって呼んでいい?僕、昔からあだ名で誰かを呼んでみたかったんだ」


アダルバードは嬉しそうに桜燐丸へと近づくとまたもや肩に刀の柄を押し当てられて近寄れないようにされる。

だがアダルバードはそれをニッコリ満面の笑みを浮かべると肩に押し付けられる柄を小さな手で握りユラユラと揺らしながら頼み込む。


「お願いお願いお願ーーい!」


桜燐丸はアダルバードから刀を取り上げると仮面の額部分に手を当て溜息を吐いたように左右に顔を動かす。


「駄目‥?」


アダルバードは肩を落とすと桜燐丸は再び万年筆を使ってノートへと文字を綴る。

桜、とだけ書かれた文字を見てアダルバードはキラキラと目を輝かせた。


「さくらって呼んでいい?」


桜燐丸は暫く他所を向いていたが、ゆっくり頷いた。


「やったー!よろしくねさくら!!」


アダルバードは両手を上げて喜びながら刀を持ったまま腕を組んでいる桜燐丸に駆け寄った。


桜燐丸は刀の柄を突き当てず、今度はちゃんとアダルバードは桜燐丸の脚に抱きつく事が出来たのだった。



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