壊れたママの足りない部品(2/2)
それから目覚めるまでの間、私は恐ろしい夢を見た。
私の手足は冷たい鎖でがんじがらめにされ、まるで食肉のように天井から吊されていた。助けを呼ぼうにも声は出ず、もがいていると奇妙なことに気がついた。
息子を亡くしてからずっと平たいままだった下腹が、まるで亡くす前のように膨らんでいた。私は彼が子宮の中で寝返りを打つのを感じた。息子が生きている、境遇も忘れて私は喜んだ。すると、悲しそうな声が聞こえた。
『その子の心臓は止まっちゃうんだ』
首をひねってそちらを見ると、そこにはあの男の子がいた。手にはギザギザに尖るノコギリと、光を反射するナイフ、それに黒い箱を抱えていた。
『何をする気?』
息を呑み、訊くと、
『でも大丈夫、僕が新しい心臓と取り替えてあげる』
彼はそう言うと、黒い箱を開いた。その中身を見て、私は思わず悲鳴を上げるところだった。
なぜなら、そこにあったのはぬらぬらと血に濡れ、小動物のように震える誰かの心臓だったからだ――。
どうやらその夢の半分は、現実の出来事だったらしい。吐きそうな気分で目を開けると、私はベッドの上で鎖に縛られていた。まだあの地下室の中らしい。
あの男の子ひとりで、どうやってベッドの上へ私を持ち上げたのだろうと思うと、天井にモーター付きの滑車が見えた。思い出して首をひねり、下腹を見やったが、そこは平らなままだった。
「お姉さん、起きた?」
男の子の声が聞こえた。目の前にベッドに縛り付けられた私がいるというのに、会ったときから少しも声音が変わらないのが不気味に思えた。
「私をどうするの?」
吐き気を堪えながら訊くと、
「お姉さんからは顔をもらうんだ。お姉さん、とってもママに似てるから」
「顔をもらうって、どうやって……」
「ここを切るんだよ」
金属の感触が首を横切った。私はひっと声を上げた。けれど、すぐに余裕を見せるように、
「く、首を切ってどうするの? そんなことしても、ママは生き返らないわよ。き、切った首は腐っちゃうんだから。それに私も死んじゃうし。そうなったら、幽霊になって化けて出るわよ」
これは現実の出来事だと知りながら、私はそれを冗談にしてしまいたくて、わざと明るくそう言った。
そうでなくても、これは悪い冗談だった。あんな小さく可愛らしい男の子が、私の首を切ろうとしているだなんて! きっと彼は自分の言っていることの意味がわかっていないに違いない。そうでなければ、誰がこんなことをしようと思うだろう。
「幽霊なんていないよ」
しかし、彼は素っ気なくそう言った。さっきまでは幽霊に怯えているように見えたのに、これはどうしたことだろう。私が続けるべき言葉を探していると、
「だって、いままで誰も化けてなんか出てないもの」
疑いを知らない、無邪気な声がそう言った。
「誰も?」
「うん、誰も」
何を準備しているのだろうか、ずるずると何かを引きずる音がした。
「それって、前にもこんなことを……」
「そうだよ」
何かを引きずる音が止み、代わりにカチャカチャという金属音がした。
「サラからは足の指を、アデラには耳を、ビヴァリーからは腕をもらったよ。ボニーからはきれいな足をもらったし、ジェンは腕をくれた。胴体は難しかったけど、胸はキャロルからもらったんだ。……だから、今度はきっと成功する」
「成功って……まさか」
さらなる吐き気がこみ上げ、私が呻くように言った。すると、
「まさかじゃないよ」
怒ったような声が答えた。
「知らないの? 人間が死んでも、魂はこの世に残る。でも、死んだ肉は腐っちゃうから戻れない。だから、新しい体が必要なんだ。新しくて、ママが気に入るような、すてきな体が」
だから、彼は彼女たちを殺したというのか――私は慄然とした。彼は、彼女たちを殺し、そのパーツを奪い取った。まるでパズルのピースのようにそれらを組み立て、母親の魂を宿すために。
「でも、そんなことが……」
混乱してつぶやく。
サラにアデラ、ビヴァリー、その名前を私は新聞で見たことがある。それは、マッド・ジョンの被害者の名前。体の一部を切り取られ、遺棄された、可哀想な女性たちの名だ。
ということは、そのマッド・ジョンの正体は彼だったということか。この幼く可愛らしい男の子が、ロンドンを騒がせる殺人鬼だったというのだろうか。
「信じてくれなくたっていいよ。でも、ママには新しい体が必要なんだ」
彼は最初から理解されることなど期待していなかったとでもいうように、ため息をついた。それから踏み台のようなものに上り、上から私を覗き込んだ。その大きな青い目は、波一つない大海のようだった。私を見つめたまま、彼は言った。
「お姉さんで最後なんだ。お姉さんが完璧な
「私の……子供?」
「うん。そして、お姉さんは僕のママだ」
彼の目が嬉しそうに細められた。その手に握られたナイフが喉元に当てられる。抵抗しようにも手足の鎖は少しの緩みもなく、体は動かない。これで終わりだ――そう思った時、ふと、ナイフに込められた力が緩んだ。
「そういえば、お姉さんの名前を聞いてなかったね。何ていうの?」
「私……? 私の名前は……」
伝えれば殺される。私はためらった。死ねば先に逝ってしまった息子が待っている、だから殺人鬼の牙にかかろうとも抵抗はしないはずではなかったのか、自分にそう問いかける。それなのに、なぜ私は抵抗しようとしているのか。
そう考えて、ふと気がついた。私を見下ろすこの男の子。この子は、決して世間が言うような気狂い男ではない。母親を失い、その悲しみのあまり、人殺しをしてその体をつなぎ合わせれば彼女が生き返る、そんな妄想に取り憑かれた可哀想な子供なのだ。そして、そんな子供を私は見捨てるわけにはいかない。
「――こんなことしちゃいけないわ」
名前を告げる代わりに私は必死になって言った。
「こんなことをしても、あなたのママは喜ばない。あなたのママはね、あなたの幸せだけを願って亡くなったのよ。ママは生き返る事なんて望んでない。あなたが、あなたのことだけを思って――」
懸命に説得するうちに、私の目からは涙が溢れていた。
私は息子をこの腕に抱くことは出来なかった。けれど母親として、世界一、彼を愛する人間として、私は息子のために何でもする覚悟があった。もし、あのとき私が死ぬことで息子が助かるのなら、私は迷わず自分の命を捧げただろう。それくらい愛していたのだ。お腹で育つ彼を、子供を、私はとても愛していたのだ。
「だからお願い、こんなことはやめて。あなたは心の病気なの。だから、ちゃんと病院に行って健康になって、そしてママのことを乗り越えて、幸せな人生を歩んで。私にはわかるの。あなたのママもきっとそう願っているはずよ」
どうにかして、この男の子にこれ以上の罪を重ねてほしくない。その一心で私は説得し続けた。彼は私の言う意味がわかるのか、わからないのか、困ったような顔をして聞いていた。
「でも、お姉さん……」
「でも、じゃないの。ママだけじゃないわ、あなたのパパだって――」
そのときだった。ザリ、砂を踏むような音がした。
誰かが地下室に降りてきたのだ! 私の胸は高鳴った。
ここへ連れ込まれてから一体どれくらい経っただろう。もしかしたら、足音の主は彼の父親かもしれない。と、男の子の顔色が変わった。
「パパ……」
息を呑むように言う。
助かった、私はそう思った。助かったんだ、私も、この子も。しかし、それは早計だった。
「何だ、まだやってないのか」
パパと呼ばれた男が、私の顔を覗き込んだ。
「おお、こいつはママに似ている。よく見つけたじゃないか」
「そうでしょう」
ほっとしたように男の子が言う。どうやら、私を仕留めていないことで怒られると思ったらしい。
この父子は狂ってる――私の胸に絶望が広がった。男の子だけではない、その父親までもが、人間のパーツを組み合わせれば、母親の魂がその肉体に宿ると考えている。何と恐ろしいことだろう。
「あ、あなたたちは本当に……」
そう言いかけると、
「信じてくれないんだ」
男の子が言った。
「いつものことだけど」
「ああ、いつものことだ」
父親は答えた。
「しかし、すぐにわかるさ。いや、わからないかもしれないが、そんなのはどうでもいいことだ。大切なのはママが生き返ることだからな。そうだろう?」
「うん、そうだね」
私には見せない笑顔で、男の子が頷く。二人がうなずき合うのを、私はぞっとしながら見守った。
と、私に目を戻した男の子が再びナイフを私の首筋に当てる。そして、静かに引いた。鋭い痛みと共に、血が流れているのだろうか、その部分が熱くなる。
「大丈夫、苦しくはないよ。このまま眠るように気を失うだけだから」
男の子が言う。マッド・ジョン――私はつぶやいた。この父子は本当に狂っているのだ。
「まだ私たちの頭がおかしいと思ってるのかね」
すると、かすみゆく視界の中、父親が言った。
「彼女は君の頭を得て、本当に生き返るんだよ」
「そんな……馬鹿な……こと……」
体から力が抜けていく。寒さが体を震わせる。私はこのまま死んでしまうんだ、そう思った時、私の耳は誰かの足音を捉えた。
ザリ、ザリ、砂を踏みながら階段を降りてくる足音。私の視界には相変わらず父子がいる。それなら、一体この足音は――。
次の瞬間、私は驚いて目を見開いた。
強い腐臭が漂い、青黒い顔をした三人目が私の顔を覗き込む。
長い髪――女性だ。しかし、これは何だ? ゆらゆら揺れる頭部、それを支える首の付け根、そこには縫い合わせたような痕がある。まるで手芸を習いたての少女が、もげたぬいぐるみの頭をつけ直したような、そんな醜い痕が顔に、肩に、腕に、そして伸ばされた指の付け根にミミズのようにのたくっている。
「ほら、ママが次の体を楽しみにしてる」
父親が朗らかな声で笑った。
「お姉さん、どうしたのそんなに驚いて」
男の子が首をかしげた。
「今度はきっと成功する、僕、そう言ったでしょう。けど、これは失敗しちゃったんだ。だから、ママがちゃんとしたのがほしいって」
ゆらゆらと私を見下ろす女性は何も言わない。私は二階で見た、あの足跡を思い出した。
やはりあそこには誰かがいたのだ。つぎはぎの腐った体に宿った、男の子の母親が――。
どうしてそんなことが起こりうるのか、魂を呼び戻すことなど可能なのだろうか。もし、可能ならば、私の息子の魂も新しい肉体を探してどこかをさまよっているのだろうか。
「私の……命の代わりに……息子を……ダミアンを……」
それは誰へ向けた言葉だったのか、私にもよくわからなかった。けれど、結果的にはそれが最期の言葉となり、私は男の子が言ったようにあまり苦しむこともなく、意識を失った。
私の魂はどこへいくのか、息子の魂と出会えるのか、それは誰にもわからない。
けれど、ただ一つ確かなことは、この次――誰かの胴体と縫い合わされた私の頭部が目を開けるとき、私は私ではなく、彼女として、彼の母親として目覚めるのだろうということだけだった。
【壊れたママの足りない部品――完】
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