第11話atoaji_no_warui_ketsumatsu

「鏡ちゃん、大丈夫?体調が悪いなら、休んでもいいのよ。」


昨日すっ飛ばした夕飯を無理やり詰め込む。


無駄にしちゃいけない。私は生きる。命を、いただく。身勝手な人に生まれた私に、慈悲はない。殺して、生きる。そう、殺して、生きるのだ。


「大丈夫。」


今にもこぼれだしてしまいそうな感情を精一杯押さえて、無感情に一言だけ、伝えた。ただ無心に。命令されたロボットのように、温めなおされた肉料理を口へと押し込み続けた。


感情のほとんど感じられない私の一言に、余計に心配が募ったのか、母さんが言った。


「ほんとに、大丈夫?何かあったら、言ってくれないとわからないわよ。」


言って何が伝わるというのだろう。ゲームにのめり込みすぎちゃダメよ。なんて、またいつもの一言が返ってくるだけだろう。


作り物の彼らが作り物のだれかに殺されただけだ。それはわかる。何度も言い聞かせてる。


でも、遠い向こうで餓死する子供がいるらしいね、と考えるのと同じように無関心、ではいられなかった。作り物のまがい物でも、言葉を交わして、彼らの生きざまを聞いた。それは確かに、私の中で世界の一つになった。


淡々と美しく語る彼女と、その横で棺に背を預けて座りながら、静かにその語りを聞く彼の光景が脳裏によぎった。そしてそのふとした一瞬の意識の隙をついて、今まで必死に扉を押さえ蓋をしていた最悪の光景が、フラッシュバックした。


壁から、大きな剣が一本、生えている。その周囲に、それに比べれば小ぶりなロングソードが、大剣の周りを飾るように生えている。温かみの感じられない、冷たいFeのみで構成された、花畑。その根元に、赤さび色に汚れたそれがある。Feで構成され尽くした、花壇。その色彩を飾るようにうなだれた不健康な白。不健康な青白。それも、それすらも、濁った赤で汚されている。すぐ傍の床には黒焦げになった物体が転がっている。黒。炭。どちらも、かつてその写真に写っていたはずの美しいルビーの輝きはくすんでしまっていた。


血、血、血。焦げ、焦げ、焦げ。ルビーじゃない。くすんだ色彩。かけらも美しくない、濁った赤と黒。


その一枚の写真が脳裏のフォルダから勝手に開かれてしまったのと同時に、不快な血の匂いが鼻孔に充満した。目の前にあるのは、朝のために新しく用意された、香味漂うみそ汁。


唐突に、私は吐いた。テーブルの上へ、ぶちまけた。さっき口に入れたもの、全部。


「うぇ、ええええぇぇぇぇ、、、」


あう、違うの。駄目なの。食べなきゃいけないの。殺したの、食べるために、殺したの。


その吐き出されたものを狂ったように口へ戻そうとする私を母さんは全力で羽交い絞めにしようとして、私はそれに全力で抗って、素手でそのテーブルにぶちまけられた汚物を、すくって、すくって、自身の内へと運び続けようとした。






ソファーに割れ物のように供えられていた。ただ脱力して、そのソファーに対して全力の垂直抗力の働きをするよう、命令していた。


そのソファーの献身的な働きに比べて、私の五感の働きは芳しくなかった。うるさくなっているはずのセミの鳴き声も、今は聞こえなかった。


セミの声、聞こえないなぁ。と、向かいのソファー越しに窓の向こうを見つめようと首を動かしたら、そこに、誰かが座っていることにようやく気付いた。私が気づくのをずっと待っていたかのように、すぐさま声が飛んできた。


「鏡、何があった。」


父さんの声だった。いつも私とは時間が合わないのに。どうしてソファーに座っているんだろう。


「父さん、ごめん。私、学校の準備、しなきゃ。」


思い出したかのように、今本来すべきことをしようと、ソファーから身を乗り出そうとした。


「いや、今日は休め。母さんがもう連絡してくれてる。それより、何があった。話せる範囲でいい。教えてくれ。母さんも。俺も。すごく心配してる。」


そう言われて、私は少し考えて、話すことにした。


「父さん。死体、見たことある?血の匂いのする、生々しいの。」

「職業柄、普通の人よりは多いな。」

「昨日ね、その、猫の、死体、見たの。事故とかじゃなくて。ナイフで切り刻まれてて。その猫、その、私の知り合いで。ちょっと前に知り合った、気高い野良だったの。」

「そうか。」


ふーっ、と、安堵とも、心配とも取れるため息を吐きつつ、父さんは短く相槌を返してきた。


「ショックで昨日帰ってすぐ布団かぶって。そんで起きて、さっき、昨日残した夕飯食べたの。私たち、自分勝手に生きてるなって、そう思いながら。お肉だって、そうして何かを殺して食べるじゃない。そんなこと考えてたら、思い出して、吐いちゃった。」

「そうか。でもなんで吐いたものをまた食べようとしたんだ。」

「だって、そのまま捨てたら、同じじゃない。その、猫を殺した奴と。無駄に、何もわかろうとせず、自分勝手に命を摘むなんて。」

「そう、かもしれないな。だが、考えすぎだ。もっとこう、なんだ、そんな難しいこと考えなくていい。猫のことはかわいそうだが、そう思うしかない。終わったことは、戻らない。終わらせた犯人は、そのうち捕まる。いや、捕まえる。だからお前は安心して、平和に生きていてくれれば、それでいい。」

「うん。わかった。お願い。」


嘘をついた罰の悪さを隠してそう返した。


大丈夫。犯人は、もう私が殺したから。切り捨てたから。切るたびに伝わってきた感触が、手に広がる。


でも、私も、この冤罪まがいの余罪を与えた殺ネコ犯と、あの二人を殺した兵士達とおんなじだ。自分の感情にこれ以上の被害が無いように。自分のために。感情に任せて、斬りつけた。


そして、望まれたとはいえ、手にかけちゃいけないものにも、その刃を振るってしまった。






そのまま部屋に押し込められて、私は何もする気が起きなくて、ただ椅子に腰かけた。


どうして、だろう。所詮ゲームの世界の出来事なのに。そう割り切ることは全然全くこれっぽっちもできなくて、ひどく私の心はささくれていた。


これはもう、病気かもしれないな。精神科医のご厄介になるのかしら。ま、お似合いね。


そんな意図的な自虐は何の慰めにもならなくて、無理やりに押し込んでいた感情が、あふれだした。声を出しはしない。ただ、流れる涙を垂れ流しにして、私は無気力にチェアにその全体重を持たれかけていた。キシリとも、音が鳴ることはなかった。


私って、軽いんだな。女の子としては喜ぶべき事柄なんだろうけど、今の私には、ただ中身が詰まっていない空洞になってしまっただけのような気がして、気持ち悪かった。






「よう、どうした。」


龍が、部屋に現れた。学校が終わって、心配して様子を見に来てくれたようだ。


「後味の悪い、結末だったのよ。」


無機質に、淡々と。昨日のあらましを告げる。私の語りは、レイリアのそれとは違って、美しさも綺麗さも、何も、なかった。


「そうか。」


何も言ってこない。ただそう短く、私の淡々とした報告を受け取った。


「やめないわよ。」

「そうか。」


また。短い、最低限の返答。


「あんたの意見が聞きたいわ。イクスのために、特別に用意されたイベントだと思う?客観的に、躊躇なく。あんたの考えを教えて。」


こいつの意見を聞けば、整理がつく気がする。今のぐっちゃぐちゃな心では、いけないと思った。


少し考える素振りをしてから、要求通りにつらつらと龍が話し始める。


「まずは、リリース待機中だった可能性。後味が悪いものになったとはいえ、しっかりと完成まで作り上げたイベントだ。とりあえず出すってのはありだろ。」

「まあ、そうね。」

「二つ目に、没案になったケース。おそらくお前の辿ったルートは、最適だったんじゃないだろうか。友好的に交渉を済ませた後、再びあの樹林に近づいたことがスイッチになって、爆発音が聞こえる手はずになっていたんだろう。その場合、」


そこでいったん途切れた。


「その場合、お前と同じ状況を目撃することになる。プレイヤーには多少の不快感をもたらしてしまう可能性が高い。それを嫌がった誰かの意見が通って、保留か、あるいは廃案にしたってところだ。」


意図的に言葉を選んだ気がした。さっきできる限り克明に伝えてあげたのに。


「そうね。多少どころか、最悪だったわ。レナルスは、たぶん黒焦げのやつだった。レイリアにはたくさん切り傷があった。血でぐちゃぐちゃで。壁に、串刺しだった。そこに、たくさん剣が突き刺さってた。ハリネズミみた、、、」

「最後に!イクスのためって考えだな。人の在り方を、その性質を、学習させるためだ。」


私の今一度の情景描写に無理やりガンかぶせして、言葉を続けてくる。


「学習?」


つっかかる。あれが、学習?絵本の物語みたいに、夢いっぱいの話を私なら選ぶ。もし自分の子供ができたら、人の汚さなんて、進んで教えたいとは、思わない。


「ああ。人の命令通りに動くロボットにしたくない。命令をちゃんと自分で思考して、その判断を自身で行わせる能力を養うために。倫理観を、与えたい。そんなところか。」

「それで、その倫理感にあふれた私たちは、異質なものをただ異質というだけで排除するのね。倫理的に話し合うという手段をほっぽって。」

「ああ、、、かがみ、、、」


龍が嘆息した。かける言葉を失って、それでもなんとか、励まそうと、その優秀な頭脳を全力で回転させているようだ。


「悲観、するな。きっと素敵なハッピーエンドの物語だって、用意されてるはずさ。」


精一杯に絞り出された龍のその一言は、月並みだったけれど。


「そうね。そうじゃなきゃ、いけないわよね。」


今できる限りの感情を目いっぱいにつめこんで、そう答えた。ま、あんたの精一杯の努力、渋々だけど認めてあげるわ。



彼には、綺麗なものを見続けてほしい。だから、この顛末は、伝えない。次は、とびっきりのハッピーエンドだ。それを、見せてあげよう。


人は素晴らしいって、素敵なんだって。そう信じ続けられるように。彼が彼の親に、“生んでくれて”ありがとーって、元気に駆けてその胸に強烈なダイビングヘッドをかませるように。それが、私に託された、仕事だ。






「そーいえば、あのなぞなぞ、どーしてあの数字だったの?」


うんうん、可愛いのう。そう、純真な好奇心を満たしてあげるには、数学や物理が最適なのよ。カラカラと車輪を回して進む馬車に揺られながら、改めてルイナへの道を進む中、イクスがあふれんばかりの好奇心を全身に振りまいて、そう問いかけてきた。


「あれはね。2つってのが文字通り数字の2を表してて、古と今、は私たちの世界の数字表記のことなの。大昔、2はこういう風に表したのよ。」


両手の人差し指を立てて、ローマ数字の2を表す。興味深げにそれを眺めるイクス。続きがめちゃ気になっているようで、その瞳は輝きを放っている。


「それで、これを今の表し方で読むと、数字の11になるのよ。だから人で歩む、ってのは、11の倍数。11ずつ進むってことね。で、あの表示されてたもののうち唯一、人の身ではたどり着けない、11の倍数じゃないものが、正解なわけね。」

「おー、なるほどー。」


感心したようにイクスが言葉を発した。


「あれ、でもクーラさんはわかっててもわかんない?って言ってたよ。わかれば簡単じゃない?」

「イクス、5511×1155は?」

「6365205」


一瞬で答えが返ってくる。


「はー、イクス。人はね、そう簡単に数の計算なんてできないのよ。」

「んー、よくわかんないけど、だったらどうしてリュウとミラージュはわかったの?」

「一番右の数字を起点に、その左隣の数字を順に、引いて、足して、引いて、足してってやっていって、その結果が11の倍数なら、元の数字も11の倍数になるの。これなら結構簡単に計算できるでしょ。いわゆる人類の知恵ってやつね。そういう知恵を積み重ねて、私たちは発展していったのよ。」


ほへー、と感心と驚愕の中間くらいの表情で、こちらを見つめ、そして目を閉じた。


「ほんとだー。ふしぎだね。」


再び空色を露わにして、そう言った。


そう、これよ、これなのよ。これこそ学習なのよ。あの悪趣味な経験をこの子にさせなくて本当によかった、そう改めて思った。






進んだ先、大河までたどり着く。やや大きめの、川を渡るための橋が架かっていた。その橋の入り口中央に、看板がかかっている。


「スケさん、なんて書いてある?」


御者台に腰かけているスケさんに問いかけた。


「このはし、わたるべからず、ですな。」


おおっと、こんなところで名作古典リドルとは。開発も芸がない。


馬車から降りて自分の目で眺めてみると、確かに、全文わざわざひらがなで、このはしわたるべからず、と書かれていた。


「漢字使っちゃったら、橋と端を差別化できないものね。さ、いくわよ、みんな。橋の真ん中なら、大丈夫よ。」

「んー、いいの?渡っちゃダメってことでしょ?」

「いいのよ。そういうものなの。向こう岸についたら、あの人たちに事情を説明しがてら、教えてあげるわ。」


橋の対岸には、何人かの人の集団が見えた。看板を見て、どうしたものかと困っている行商の商人の一団のリーダーと思しきものが、橋の進行を遮るようにして警備している男たちに詰め寄っている様子が見られた。


あの中の誰かが、今回の差異の中心なのだろう。


(橋通れないとか、不便な以外何の面白みもないし。ぱっと思いついて、すぐに廃案になったやつでしょうね。)


そう考えをめぐらしながら橋を通行していると、その商人の集団を押さえていた者たちのうちの何人かが、こちらに気づいて、慌ててバックのジェスチャーを繰り返した。


「ふん、“はし”はとおってないわよ、って、ぶちかましてあげるんだから。」


上機嫌に独り言ちて、気にせずスケさんにそのままの進行を促す。


バキっと音が鳴った。橋が、割れた。その割れ目のちょうど真上に位置した私たちは、馬車とともに、支えてくれる抗力を失ってしまったがため、川への自由落下を開始し始めた。


「な、なんでよぉぉぉぉぉぉーーーー」


鏡は失念していた。このゲームが、アメリカ製なことを。日本人にとっては古典的で有名なリドルでも、製作者のほとんど全員、それを知る機会などないということを。


「な、なんて後味の悪い結末か。わし、ここでおぼれ死ぬんじゃな。全く、ついてくるんじゃなかったわい。」

「植物のくせに、おぼれ死ぬとか、むしろ得難い、経験だろうがぁぁぁぁ、、、、、、」



丁寧に設定された物理演算によって重力と空気抵抗がつり合おうとせめぎあっている間にウドーがこぼした一言に、自身の愚かさを強引にオーバーヘッドキックで蹴り飛ばして、冴えないツッコミを入れた。

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