第7話no mercy -kouhei_ni_byoudou_ni-

黒龍を倒して、泣きはらんでからの夕食を済ませて、そして再びログインした。


恐怖はなかった。ブティーナの街へ降り立つ。左腕は、リュウがあの後もしっかり治癒してくれたのだろう、すでに通常の色味を取り戻していた。


街に設置された転移ポイントから街を眺めるのは、今日二度目だったけど、それは勘違いで今が一度目なんじゃ、と思ってしまうくらい、視界に入る街の様相は変質していた。


ブレスの直撃を受けた家屋や建物は、氷が解けて周囲に流れて縮んでいくようにして、その高さを元の十分の一以下にしてしまっていた。その中にいた“人”たちの生存は、ないだろう。100円ライターのガスが大気中で揮発するより早く、蒸発してしまったに違いない。






少し先に首を断たれた黒龍の死骸。そのまだ生々しい切り口のそばに、イクスがたたずんでいる。運よくブレスの余波から生き残った住民や兵士たちが、遠巻きに恐る恐る様子をうかがっているのが目に映る。スケさんは死骸の検分をしているようだ。


なんて声をかけてあげようかしら、と年上のお姉さん気分で、歩みを進める。ショックを受けているかもしれない。目覚めて一日で、いきなりこれだもの。そう思って、私は慰めるべく最初の言葉を彼へ投げかけた。


「怖い?」

「ん、ミラージュ。戻ったんだね。それは、この子のこと?街の様子?それとも、君が?」


最後の一つは、想定してなかった。巨大なドラゴンの首を切り落とす。そんな女が隣にいたら、確かに怖い。ぎょっとして彼を見ると、にっこりとした笑顔のイクスが、こちらにその愛らしい顔を向けた。お日様みたいに眩しかったけれど、手は、かざさなくても大丈夫だった。


「ミラっちでよかった。そう、思ったよ。ほら、あれ、ミカヅキ、っていうんだ。知ってる、よね。ああいう風にきらりと光ったんだ。きれいだった。」


イクスの指した方は私の背中の先。ゆっくりと体をまわすと、細い三日月が見えた。その黄色い弧が、鋭利な輝きを放っていた。


「ミラージュ、よ。年上のお姉さんには敬意を持ちなさい。」

「はーい。」


よし、素直でいい子だ。


「そういえばさっきこの子に触れたら、新しいデータを受け取ったよ。」


イクスが伝えた。私の考えはどうやら外れてはいないようだ。他にはない、“違い”を見つけて、イクスに接触させれば、手がかりとなるデータが得られる可能性が高い。これを当面の目標にしよう。どうせ対戦はメンバーが足りていないし。






翌日部室でみんなと昨日のことをいろいろ話合った。涼子さんが結構乗り気だ。


「今後導入予定のものが先に見れるかもしれないって!これは勝ったね。」


何にだろう。コンテストか。






そうしてイクスのため、を口実に、いつも以上にゲーム三昧の一週間を送った。成果は残念ながら、よろしくない。勉強の方も、よろしくない。まあ授業自体はまじめに聞いて理解できてるし、数学は余裕だし、大丈夫なんだから。罪悪感をだましだましで過ごしつつも、試験は個人的な都合には関係なく、全校生徒の下へ公平に訪れる。






じりじりとアスファルトを焦がす7月初旬の太陽。入射角約65度で大地へと突き刺さる日光の矢は、それに刺さるものたちへ平等に、ある者には元気を与え、そして別のある者からは気力を奪っている。


「ミンミンうるせーんだよ、このセミどもー!」


エアコンの良く効いた部室内。つまらない勉強からくるイライラが締め切った窓もお構いなしに届く騒音にあおられて限界に達し、バンと机を一叩きしつつ、私は叫んだ。


人の欲は果てしなく、一つが満たされれば、もっと、もっとと、止むことはない。セミの合奏も、止んではくれない。


「全くもう。太陽はわがまま放題の私たち人類に、せめてもの嫌がらせでセミの合奏を指揮してるのね。」

「曇っててもセミは鳴くだろ。」


面倒くさいのが始まった、と、いや、セリフは違うが、明確にそう同時通訳された龍の間を置かない返しが来た。なんだ?テレパシーか?


「そうね。」

「指揮者不在でも合奏を続けられるのでしたら、かなりの腕前ですね。」

「違うだろ。ハーモニーとか考えてないだけだ。」

「いいえ、いいえ、違いますー。ハーモニー考えてますー。ほら、何かよくわかんないけど、急に一斉に鳴きやんだり、一匹が鳴き始めたらそこから一斉にまた鳴き始めたりするじゃん。あれよ。」

「あー、あるねぇ。」

「私は知ってるのよ。江戸時代、芭蕉がセミをテーマに一句詠んでるんだから。柿食えば、セミが鳴くなり、法隆寺、ってね。つまり奴らは少なくとも400年、くらい?は世代を超えて合奏を練習してきたのよ。遺伝子を通してその技術を次代へとつなげてきた、合奏のプロフェッショナル一族なのよ。」


ふふん、どうよ、私の古典知識を交えた力説に納得したかね、龍君よ。


「あー、鏡。あんましそのボケ、おもしろくないぞ。」

「ん?ボケてないけど。」


絶句、口をポカーンと開けて、まじかこいつ、と口に出されてもいないのに伝わってきた。やっぱテレパシーか。我、ついに異能に目覚めてしまったか。


「あん?何よ。セミの脅威の実力、わかった?」

「あのですね、、、鏡さん。確かに芭蕉はセミをテーマに詠んでいますが、その句自体はセミが鳴くなり、ではなく、鐘が鳴るなり、です。あと、それは芭蕉ではなくて、、、その、子規の詠んだものです。」

「はああぁぁーーーーーー、、、あえ!?」

「ああ、がーみー、真っ青からの真っ赤だよ。リンゴとかが熟すまでの早回し映像みたいだねぇ。」


ブフッ、こらえきれなかったのか、みんな噴き出した。


「で、なんだ、お前はセミの敵なのか味方なのか、どっちだよ。」

「ちゅ、中立よ。でも向こうから仕掛けてくるんだもの。そしたら自衛しなきゃだめでしょ。だから敵性勢力よ。そうして相手のこと、よく考えるのよ。まず敵のことを知らないと、己を知る段階まで行けないでしょ。」


何とか持ち直して、防衛ラインを維持する。


「いや、それは別にどっちが先ってこともないと思うんだが。」

「いいえ、先に言ったほうが先に決まってるわ。順接の接続詞を間に挟んだって、違和感ないでしょ。だからこのクソつまんない古典の文章を読んで広がるかもわかんない自分の世界を広げようとする前に、まずはセミの生態を調べ尽くすべきなのよ。」

「おーう、鏡さん、古典、面白いですよ。先人の考え、知るのは参考になります。私たちすべての、偉大な大先輩たちなのですから。」


むう、古典大好きの玲央には私の思いは伝わらない。負け確定の勝負は逃げの一手だ。三十六計、逃げるに如かずだ。数字を覚えるのは得意なのだ。


「うん、うん、玲央の言うとおりね。大事よね。でもね、ここに、この私の目の前に、明日になぜか固められた文型科目の、古文、漢文、政経の凶悪コンボを前に、勉強しないで読書に勤しんでらっしゃる呑気なドラゴンさんがいるのですよ。そんなに余裕なら、私のために今日の夜にでもブレスで校舎を全溶かしでもしてくれないかしら。」


人差し指を読みかけのページに差し込みつつ右手で抱えた本でパタパタと余裕そうに顔を扇いでいるにっくき天才児に向けて、びしっと人差し指を向ける。


「別に俺、推薦とか狙ってないしなぁ。答えられる問だけ答えときゃ問題ないし。それに俺は歴史とか古典とか、結構好きだぞ。ほれ。」


そいつはぶっきらぼうに抱えた本の表紙をテーブルの上にみんなに見えるように示した。


(晏子-アンコ-、、、?)


「おー、龍が読んでいたのはこれだったのですか。読み終わったら貸してほしいですね。」

「晏子-アンシ-って、誰?」


あ、やっぱ人の名前だよね。よかったー、私が聞いたらまた龍にいいようにされるとこだった。涼子先輩、グッジョブ。女性じゃないこともわかった。中国かどっかの人なのね。


「中国春秋時代の政治家です。」


見れば文庫の帯には“春秋時代の名宰相の一生を描いた傑作、リニューアル文庫化。”との謳い文句が書かれている。


「春と秋なんて、どっちの時代も団子がおいしそうよね。」


読み間違えのせいで脳裏に浮かんだあんこ、という三語に触発されて、ふと、そう言い放った。


ピーン、玲央も龍も涼子さんも、一瞬でこっちを向く。カクっと、統制されたロボットのようだ。あーなんかこれ、言っちゃダメなやつだったっぽい。


「ま、まあ中学ではあんまし触れなかったろうしね、がーみー、、、あ、いや、ちがうわ。春と秋って、そこ時代切れないから。このぉ。」


涼子先輩が軽いツッコミネコパンチをしてくる。


「うん、これで良し。でもそういや私も春秋って呼称の由来知らんわ。実はがーみーの言うとおり季節なん?」


強引に矛先を自身へ向けてくれる涼子さん。優しす。


「えっと、その時代の出来事を記した歴史書のタイトルからですが、それ自体は季節が由来との説があって、なので鏡さんは図らずも核心をついたのではないかと、ええ、、、」


玲央のフォロー交じりの解説をBGMに、私は遠い目をして窓の外の太陽を見上げる。無限の本数の矢が私に今突き刺さっている。その本数を数え上げることに比べたら、人類の歴史なんて些末事だと思った。


無限の中にも個数の違いってあるのよね、なんて、以前上ちゃんの集合論についての特別授業で触れられたことを必死に思い出していた。


アルキメデスの人柄なら知ってるのに。ユークリッドの偉業だったら1時間は語れるのに。どうして。彼らのことは授業で出てこない。歴史の問題で出てこない。


政治も文化も、時代時代、場所場所で変わるのに。2000年間変わらないこの世界の真理を打ち立てた彼らのことこそ、もっとしっかりと学ぶべき対象なんじゃないだろうか。


「不公平だわ。」

「公平なことなんてないのさ。」


返事を求めていたわけではなかったけど、その返しはスッと腑に落ちるものだった。


「試験の憂鬱は、あんたにはないものね。」


おおー、と涼子先輩と玲央がその返しに賞賛を送ってくれた。






「わー、あの木でっかいねぇ。」


この一週間、試験で一時中断したものの、私はブティーナ南の未開領域を先輩の情報協力をもとに差異を求め探し回っていた。例の黒龍がやってきた方向に何かあるんではないかと、特に根拠はないものの、他に情報があるわけでもないので、しらみつぶしに樹林をかき分けかき分け、イクスとスケさんをお供に連れて進み続けた。


イクスは見るもの触れるものにやたらときゃぴきゃぴと反応していて、楽しそうで何より。今もひときわ大きく目立つ大木を目にしてそれに触れてみようと、ぱたぱたと駆けだしている。大木の周囲の地面にはその太い根がかなりの量、地面から露出している。


ああ、こりゃ、あれだな。


「あー、これこれ、イクス君や。そんなに近づいてはいかん。それ、トレントよ。」


気の抜ける注意喚起を彼にかけてあげる。なぜわかったし、と文句を垂れるように、不愛想な木が枝をガサガサと揺らしながら不機嫌そうにこちらに振り向いた。


大木が、ではなく、その隣の若木が。あるぇー?


「うわわ」


それでもびっくりしたのか、イクスは急いで私の元まで駆け戻ってくる。


「はいはーい、危ないから、離れてなさいね。スケさん、お願い。」


スケさんにイクスの護衛をお願いして、私はトレントの下へと向かう。途中、確認のためゲシゲシと大木の根っこをつま先で突っついてみるも、反応はない。


「んー、んー?」


なんだか承服しかねるのだが、ひとまず現れた若いトレントの始末が先かとそちらの方に顔を向けると、さっきと変わらない仏頂面で、襲ってくるわけでも逃げるわけでもなく、何じゃ、われ?といった風にガンを飛ばしてきている。


若木のくせに随分と偉そうな態度やのう、どう料理してやるのが適切かしら、なんて思っていると、システムのゲームコール音がなった。ナイスタイミング。


「おーミラっち、調子はどうよ。」

「リョウコさん、ちょうどよかった。今樹林をかなり南進したところで若木のトレントに会ったんです。攻撃してくる様子がないんだけど、これってもしかして。」

「あー、、、いや、それは違う。でもそっかー。そりゃタイミング悪かったねぇ。んーと、そういう状況ならブティーナがいいな。うん、そこまで戻ったら呼んで頂戴。」

「?なんかよくわからないけど、わかりました。」


コールを終えると、若木がガサガサと枝を揺らした。何だ、いまさら恐怖でビビってんのか?今後の態度次第では見逃してやらんでもないぞ。無害そうだし。


「お、お主、もしやあの伝え聞く人というものか!遥か北方に暮らすというあの、伝説の!」


しわがれてかすれた声が響く。おおう、こいつしゃべりおったわ。流ちょうに。おまけに人を伝説の存在とか宣っとるし。テンションもたけぇ。ちょっと引いたわ。


「2本の根に2本の枝、てっぺんから信じられんほどに細い葉を生やしておる、、、よー見てみれば、聞いていた通りじゃ。まさか、ほんとにおったとは。」


嘆息したように一人、いや、一本は語る。植物視点で見ると足が根で、腕が枝に見えるんか。細い葉は髪の毛のことか。なるほどなるほど。ここにはNPCがそうそうやって来たりはしないから、今日がこいつの人類とのファーストコンタクトだったのね。


「そうよ。伝説ってほどレアでもないけど。北の方に行けばいっぱいいるわ。」


それよりも。


「でもなんでその私たちと今日今この瞬間にファーストコンタクトのアンタが、私らの言葉をしゃべれんのよ。変じゃない?」


ゲームだから、まあさほど不自然でもないんだが。


「懇意にしておる旅好きの木精がおってな、そ奴に教えてもらったのじゃ。いたく気に入ったらしく、楽しそうに人について話すものでの、わしも一度会ってみたいと思っておってのう。」


おおう、ちゃんと設定あったわ。それにしては流ちょうすぎやしませんか。


「それで、おじいちゃん?は会いに行かなかったの?」


危険がないとわかり私の方へとやってきたイクスが興味深げに尋ねた。


「おお、よくぞ聞いてくれた、白いの。」


やっぱ頭が樹の個体識別表式なんだろうか。幹よりは個人差でかいだろうし。


「ほれ、この神々しくも立派な大樹、これがわしじゃったんじゃが、移動するには逆に不便でな。そこでほれ、このように、根から小さい体を生やしたんじゃ。ないす・あいでぃーあ、じゃろう?」


枝で件の大木を指した後、自信満々にその若木の体を主張する。


「おおー。」


純真なイクス君は素直に称賛の驚きを上げている。スケさんは、あんま興味なさそうだ。強そうに見えねーしな。私は、正直オチがもうわかったので、目はすでに残念な何かを見つめるものだ。


「じゃあ僕らと一緒に行く?ミラージュと一緒なら安全だよ。」

「う、うむ。その、じゃな、それで意識をこっちへ移しきった所までは良かったのじゃが、元の根からどう切り離すかを考えておらんでのう、、、ほとんど動けんのじゃ。」


推理小説とかで予想通りに展開が進んだときに心踊ったり残念に感じたりといろいろあるものだが、断言しよう、この展開は残念な方だ。


「おじいちゃん、、、」


あー、イクス君、そこ言いよどんじゃうかぁ。間を逸したらツッコミも効果半減なのよ。仕方ない、ここはお姉さんが、この何とも知れないしゃべる樹と一緒に、見本みせちゃる。


「ウドの大木ね。」

「わしゃウドじゃないわい!」


見事な切り返しが期待通りのタイミングできたことに満足した私は、仕方なく、このトレントを根から切り離す手伝いをすることにした。

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