第6話ketsui
ブティーナの街に降り立った私たち五人の前に飛び込んできた光景。剛健な城塞都市。蹂躙された様子はない。リュウの表情も、心なし和らいだように見える。
「ふむ、どうやらここまでは敵も来ていないようですな。」
スケさんが、やや残念そうにつぶやく。
「南は、あちらですな。相も変わらず、陰気臭い樹の群れが所狭しと。敵影は、モンスターの軍勢など、、、」
スケさんのセリフに合わせて、その促された方向を中心に、きょろきょろと様子をうかがう。地平線へと、沈もうとしている太陽が目に入った。
「ねぇ、リュウ、レオ、このゲームって太陽の黒点を、、、」
スケさんのまだ続きそうなセリフにお構いなしにかぶせる。
「ない。」
「ありません。」
即刻返ってくる応答に、そうよね、と再確認する。
「太陽までの遠さで点なら衝突されりゃしまいだが、ありゃ点じゃあねえな。でけぇし、形がある。近いぞ。」
じっとその黒に焦点を合わせようとする。夕日間近の光量とはいえ、まぶしくて目をうまく開けていられない。
光量が、まぶしくて。違和感がないのが、逆に違和感だ。そうリュウは言っていた。
手をかざす。日影が必要だった。
そうして何とか視界を確保した矢先、その異質な黒いものが全様を露わにする。龍種だ。とてつもなく、でかい。修学旅行でみた、巨大仏像よりでかい。彼我の距離、100mぐらいだろうか。それの頭の影がちょうど私の日陰を作ってくれる。尻尾の先が私と同じくらいの高さ。だったら、太陽の角度が仰角15度くらいなら、あいつのサイズは25mくらいかしら、なんて余計な思考に捕らわれつつも、こちらを睥睨するそれが放つ生物としての威圧感に目はくぎ付けだった。
混じりけの無い存在感。ゆったりとそれは周りの空気を吸い上げる。ストップウォッチのデジタル表示が右端の表示をスローモーションで増やすように、翼と首を、呼吸に合わせてゆっくりと持ち上げながら。
私はその威容にただ、非現実な感慨を覚えてしまった。優雅な所作だった。黄色い太陽と赤みかけた空を背に黒が映えるなぁ、なんて考えながら。映画館のスクリーンに映った光景のように感じた。私は、立ち尽くしていた。ただ、そうしてしまった。
「鏡!まずい!レオ!障壁-シールド-!」
「!シ、シールド!」
それをきっかけに、紅蓮がほとばしった。都市の街並みをなでるように。首を元の場所から右へ90度。レオのシールドで防がれたため、私たちの周囲に被害はほとんどなかったが、黒龍はそれに気づくことなくそのままその巨体の方も首に向きをそろえて、再びあの美しい所作をなぞった。
このストップウォッチは逆向き進行だった。通常より遅い1秒間、ただ細切れに数字を減らしていく。1.00、0.90、0.80・・・0.00。紅蓮が舞う。
そうして繰り返すこと三度、最初と合わせて360度。その紅蓮の洗礼を浴びた街の各所は、もうすでに原型をとどめていない。石造りの建物は高温で赤熱し、溶け出している。ぽーっと突っ立つ私たちに怪訝な思いでも抱いたのだろうか。黒龍の目がこちらを不思議そうに見つめた。
〈さっき燃やしたと思ったが〉
といったことでも考えているみたいだ。ストップウォッチはまだ次の一秒を始めていない。
「あれに当たったら、たぶん不味い。」
「クイックン」
リュウの一言に当たらなきゃ問題ないでしょ、という答えに置き換えて、クイックンを放つ。周囲の味方キャラクター全員に速度上昇をかけるスキルだ。
そう、ここは、スクリーンの中。わたしもその、登場人物だ。つまり、あいつを、ぶった切れる。そう切り替えてからは早かった。
「スケさん、左から!私は右から攻める!」
「熱抵抗-レジストヒート-」
リュウが私たちに追加の補助をかける。向上した速さを上手く利用して、私とスケさんは屋根伝いに飛び跳ねながら移動する。レジストのおかげで足場からのダメージはない。
近づいてみると、改めて巨大だ。計算通り、全長25mぐらいはありそう。龍の里にいた龍たちのうちの誰か、ではない。こんなサイズのものはいなかった。
イクスが来た何らかの影響なのかもしれない。そんな、確証の無い確信的な予感があった。
でも今はそんな細かいことは関係ない。心が沸き上がる。突っ込むまでの手順を模索する。相手は空だ、届かない。飛び込んだら丸焼き。ならばまずはレオの魔法、地面に落としてくれればやりやすくなる。なら雷撃-ライトニング-を彼は選ぶだろう。隣にはリュウもいる。だから間違いない。このまま敵直下直行だ。タイミングは合わせてくれるはず。それがいい、そう思ったほうがいい。わかりやすいもの。
そこで様子を見ていた黒龍と目が合った。ターゲットは私か。目の付け所がいいじゃない。ふふん、リュウとレオの二人より、私の方が脅威と見たか。
こいつ、見る目があるじゃない。はやく、はやく。首と翼が優雅に上がる。でもまだとびとびのストップウォッチは0に達していない。そうだというのに、私の鼓動は我慢しきれず暴れまわる。首が頂点に達した。こいや、躱してやるわ。
(うーーーー、0.01!GO!)
右へ駆け出す。ギリギリを狙いすぎて、左半身に紅蓮がかする。
熱くはない。痛い。
いや、痛いっ、何だこれ。でも大丈夫。アドレナリンが脳を刺激してる。この痛みが現実だとしても、アンリアルなリアルだ。いや、リアルなアンリアルだ。いや、どっちだよ。脳の誤認識だ。それなら両方だ。
「エンハンス・ストレンクス、エンハンス・ストレンクス、エンハンス・ストレンクス、、、」
心臓の鼓動一回ごとに、そのリズムに合わせるように補助の魔法を自身に重ね掛けする。効果がないのもお構いなし。こういうのは気分。そうして進む。進む。
回転半径をどんどん短く。半周きりの螺旋を描く要領で、駆ける。目標の中心へ。ブレスの熱波が私を追いかける。でも追いつくことはない。どんどん熱が遠ざかる。頭は良くはないようだ。
半径が半分ぐらいになったところで、予想通り、全力全開本気100パーセントの最強水準ライトニングが上空に炸裂する。バリバリとした余韻が周囲に巡る。それが体をすり抜けて、ぴりっとする。これなら翼にでも当たればそれを穿っているはずだ。体に直撃ならそれで終わっているかもしれない。
上空を見上げる。ブレスの維持もできなくなったようだ。しびれて体の自由が利かないのだろう。背を向けて、地面へと無慈悲な自由落下。位置エネルギーが、運動エネルギーへと変換していく。いける。このまま直進すればベストポジション。龍種特有の長い首が、私の直上。いっくぞぉぉぉ。
「*インパクトはぁぁぁぁ、力かけるじっかぁぁぁぁぁあーん!」
(*注:鏡のあほの必殺技発動時の掛け声パターンの一つ。正しくはインパルスだが、インパクトの方が語感良いじゃん、とのこと。龍談)
腰を落とし、右手で構えた太刀に痛々しく焼けただれた左手をなけなしに添えて、限界まで下段で後ろに構えた刀を、可能な限り全力を込めて振りぬく。真円を描くように。
秘儀・大根切り。効果はもちろん、相手が真っ二つ。本来は叩きつけるわけだが、今回は上に振りあげる際に切るわけだから、大根切り・インバースとでも名付けようか。当然だが、そんなスキルはない。
ズズンッ、とその巨体を地面に落とした黒龍は、不時着とほぼ同時にその首を体と分かたれ、命を失った。
「見事な太刀筋、というべきであろうか。拙者には初動と終わり際しか見えなかった。すさまじいな、ミラージュ殿。」
すぐにスケさんが駆け寄ってきて言葉をかけてくる。全力全開の大根切りだから、止まってる敵以外には簡単に見切られる実用性のないものなんだけど。ちょっと恥ずかしい。
「いや、落下地点がドンピシャだったからね。」
「鏡!」
数秒遅れてリュウとレオが駆け寄ってくる。
「すぐ治癒かけてやる!じっとしてろ!」
そういえば、と思い出し、左手を見る。黒ずんだそれ。キャンプで使う燃料の黒炭みたいだ。思い出したように痛みが走る。
ああ、駄目だ。アドレナリンの皆さんが、今日はこの辺で、と解散なさっておられる。
そして激痛さんたちが、おらさっさとどけや、本来ここは俺らの場所じゃ、と言わんばかりに空いた隙間を埋めていく。存在を主張し始める。
こらこら、喧嘩しちゃいかんよ君たち。
もうちょっといてあげてもいいよ、という優しいアドレナリンさん達が次々激痛さんに尻をけられて追い出される。
ああ、そんな無体な、なんて壊れて取り留めないぐるぐる思考。そこにリュウの治癒魔法がかかる。しっちゃかめっちゃかの喧騒が統制される。温かみがもたらされる。安心する。落ち着いた。
それがきっかけとなって、私の意識は漏れて、抜けて、無くなった。
「鏡!鏡!」
目を開ける。毎日見慣れた自分の部屋。眩しい。夕日は沈みかけていて、カーテンを閉めていない窓は部屋の様子を写す鏡になりかけている。天井に備え付けられた人工の明かりがビシバシと目を突く。眩しい。やっぱ非天然物は優しさに欠けるわ、なんて取り留めなく思いながら、右手で目をかざす。
「あれ、黒龍倒して、その後どうなったっけ。」
目前には必死の形相の龍と不安げな母さん。
「鏡ちゃん、ゲームが面白いのはわかるけど、友達に心配かけるぐらいやりすぎるのは母さんどうかと思うのよ。」
「すいません、おばさん。ちょっと僕らがヘマしまして。気になったんで様子を見に来ただけなんです。心配なさるようなことは、何も。」
気が付いて、私は素直に疑問を口にした。そうして二人を見つめると、龍は目に見えて安堵した様子で、母さんの問いに対して、嘘の事情を説明し始めた。
「そうお?まあ私も鏡ちゃんのことは信頼してるけど。鏡ちゃん、龍君も心配して来てくれたみたいだから、あんまりのめり込みすぎちゃ、駄目よ。じゃあ母さん、夕飯の準備の続き、してくるから。」
そう言ってドアの方へと向かう。去り際、今日は唐揚げよ、とメニューを告げて出ていった。
「で、どうなった?」
「今は6時30、、、3分だな。お前がゲーム内で意識を失ってから10分ちょっとか。」
見れば龍は結構汗だくだ。あの後さほど間を置かずにログアウト、ここまで全力疾走した、って感じだな。
「異常はなさそうよ。」
おそらく、彼が一番確かめたいであろうことを確認する。体の感覚は変わらない。左腕も、何もない。健常なままだ。それを彼に伝えるように、グッパー2回からの、ぶんぶん。
「涼子先輩、ほんとにお酒に酔ってたのね。」
「ああ。一口飲んで確信した。あそこは感覚もここのままだ。味と臭いで、飲まれたんだろう。」
「何、あんた、ビールの味知ってるってことは、飲んだことあるの?」
「正月の宴会とかで一口もらった程度だ。よくある話だろ。」
まあそうね。わたしは、どうかな。父さんも母さんもお酒をそれほど常飲してないし。記憶にない、な。
「でも影響はこっちまで波及しない、ってことがわかったわね。」
「少なくとも肉体的にはな。」
「精神は分けられないわよ。一つしかなくて、それだけよ。」
「・・・」
沈黙が落ちた。それを無理やり取っ払うようにして、私は言った。
「私、イクスを助けようと思う。今日の黒龍、たぶんイクスの影響だわ。」
「ああ、ここに来る間に姐さんに聞いてみた。あんなものが街中まで、ってことは現状確認されていないそうだ。ブティーナは相当な被害。そんな状況になることすら、まずありえない事らしい。」
「たぶん、昨日のDLで、私の所にイクスが来て、それと一緒に、途中まで作って廃案になったデータとか、まだ作りかけのデータとかも入っちゃったんだと思うの。いろいろ一緒に送り込まれたって、イクス、言ってた。」
「可能性は高いな。」
「だから、イクスの親に関するデータも、その中に紛れてると思う。」
「なんでそう思う?」
「もし本当に、子供なのなら。そう思って、作ったなら。たとえ本来の手順とは違っても、苦労して産み出した子なら、大切なはずよ。何もなしで放り捨てたりしない。」
整理しながら、可能な限り冷静に、言葉を紡ぐ。
「そう、何もなしでなんて、無いわ。手がかりもなしに放り出したりするはずないわ。ちがう、逆よ、何か切迫した事情があって、手放すしかなかったのかも。それで、でも、、、」
自分で紡いだ言葉が、より自身の考えを発展させていく。
「あれだけの学習力、未知の概念を理解できる知性、本当に偶然の産物だったとしても、デジタルデータだからいくらでも量産、、、できる、、、はず。それが、役に、立つ、、、ような、企業、とか、いっぱいある、んじゃ、ない?」
段々怖くなってきた。軽い思いつきから始まった思考展開が、だんだんと恐ろしい結末に近づいて行っているような気がした。
「もし“外ガワ”が用意できたら、アンドロイドだな。」
「実用化、したら、どれぐらい、すごいの?」
「産業革命を余裕で超える、かもしれないな。量産できるならな。」
「・・・」
それって、どれぐらいよ。よく、、、わからん。
「軍も黙ってないだろうな。斥候はもちろん、危険地帯へ問題なく送れる兵士にもなる。どれだけ進んでも、やっぱり最後は人の手、だ。それを代理できるわけだ。」
それは、強烈に、私を揺さぶった。
あれが、あの、純粋そうな、少年が、ここで、人を殺す、そんな、ことに、なる、の?
「・・・隠蔽、されて、暗殺、、、されそうに、なって、その間際に、、、とか・・・。」
予想してしまった結末を、恐る恐る、問うてしまった。
「いや、開発はアメリカだろう。あそこならむしろ嬉々として世界に発表すると思う。ヒーロー扱いだろう。実用段階には現状おそらく超高額なガワが必要だ。量産なんて国家レベルで協力しなきゃ無理だ。だから利点しかない。自分たちの分だけつくれりゃいいんだからな。憶測だけの陰謀論は非現実的だぞ。」
安心、少し、できた、かもしれない。
「そう。それでも、量産、された、としたら、どうなる?」
「格差がさらに広がるんじゃないか?今強い国がより強く、弱い国がより弱く。今までにないレベルで。」
「・・・世界の、在り方、として、それは、健全、なの、かな?」
「健全だろう。弱肉強食、正義は勝者にあり。いつの時代でも、まごうことなき真実だ。この世は、、、きれいじゃない。」
苦しそうに、龍が最後まで言い切った。日本はたぶん、勝者の側だ。それを享受できる側からの発言は、とても無責任に聞こえた。
最後の一言が、特に強烈に、私のすべてを逆なでした。続けざま二度の連続攻撃を受ける忍耐が、私にはなかった。
あの、風車を見上げるチューリップはきれいだった。こちらに向ける、潤いを帯びた空色の瞳も。そう、幻想的で、とてもきれいだった。楽しそうに私の語る数学を理解してゆく彼が。ただただ純粋に世界の不思議を知ろうとする、彼が。
それが、それが、この世に汚いものをもたらしたりなんて、嫌だ。
嫌だ、嫌だ。ただ、そんな感情に、支配された。
「それは、ただの、まやかしだ。正しいけど、事実だけど、真理じゃない。感情が、拒否するもの。だって、だって、そうじゃない。せめて、人の業は、人が、背負うべきで、違う、そうじゃない、そういうことじゃなくて、だって、そんなの、ないよ。生まれて、教えられて、それで、ころす、、、違う、何よ、わかんないよ。だから、そうよ、知らない、わからないところに、どことも知らない、ここに、来たのよ。送ったのよ。でも、子供なのよ。自分が生んだ、生み出した、子供。大事よ。それは、大事なの。だから、だから、また会いたい。そうよ。それが、それが、、、」
もう自分で何を言っているのかわからなかった。
「風車、見上げて、たの。白い、チューリップ。汚く、ないの、それは、それは、美しくて、きれいで、こっちを、向いて、目は、空で、青で、輝いてて、きれい、だった。きれい、だったの、、、」
大粒の涙さんたちが止まってくれない。目いっぱいに普段の10倍以上の水分をためてしまっている。だから、目いっぱいに、普段の50倍の深呼吸を一つした。どうしてこいつの前で泣いちゃってるんだろう。
「人って、自分のことすらちゃんと制御できないのね。」
そうして目を上げて、ぼやけた視界の中、うろたえる龍の姿が見えて。そんなの見たことなくて。だからそれがおかしくて。笑い涙が出て。悲し涙さんたちは負けじと競って。止まらなくて。止まらなくて。だから私は、階下に降りて、唐揚げを食べることにした。おいしいって感じるから。それはきっと真理だ。私がここにいる、その証明だ。
結論、唐揚げさんは、神だ。ニワトリさん、ありがとう。いただきます。あなたのおかげで、私は今日も、生きています。放課後の龍の答えに、今なら100点満点をつけるよ。だから私はこう言うんだ。
「おかーさん、ごはん、お代わり!」
明日は今日のお代わり。明後日は明日の。そうやってお代わりし続けながら。食べながら。私は今日も、何も気にせず、生きていく。
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