第3話next day -itsumo_dori_dakedo_sukoshi_chigau-

キーン・コーン・カーン・コーン、本日最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。


「今日はここまでだな。互除法はしっかり使いこなせるようになっておけよ。不定方程式への応用まで含めてな。期末では簡単な計算問題はもちろん、文字式を含んだ証明問題も出すからな。」


数学教師の授業をまとめる一言の後、生徒たちは席を立つ。伸びをする者、後ろの席の子へ向いてこの後の予定を話す者。さっきの授業内容について早速先生に質問しに行く者、各々の気分に任せて騒がしさが増す教室。私はというと。


(やっぱり昨日の上ちゃんの宿題はおかしい。普通の課程はめちゃ簡単じゃん。)


などとさっきの授業に対する感想をぼんやり考えていた。


「鏡。」

「んー、どうした、龍。」

「結局上岡先生の宿題やったのか?あの後ソロプレイ始めて寝落ちしたってのは聞いたが。」

「んー、やったよー。DL中に。でもあれおかしいっしょ。どう考えても(1)から(3)までと(4)のつながりが見えないもん。」

「あー、あれか。わざわざ定理名が書かれてたってのは、先生の調べてみろって配慮だろ。」

「龍は調べたの?」

「いや、俺は前に読んで知って、、、」

「あー、はいはい、もういい。まったく、確かに数学も物理も面白いけど、あんたちょっと進みすぎじゃない?もうちょっとその情熱を政経にも傾けてあげたら?」


セリフの途中に勢いよく被せて、うらやましさの反作用を彼にぶつける。


「政経なぁ。とくに経済は、どうせならミクロ経済とかの、数学を駆使した形で学ぶべきと思うと、高校レベルの話は無駄な気がしてなぁ。」

「アンタ、ほんとに、なんつーか、あれよね。」






「今回の宿題は18世紀に示された結果です。単純な数の計算規則だけでも、興味深い構造が判明します。複雑な世界を作る、と言えますね。この後時代とともに洗練され、整備され、発展して、20世紀にはコンピュータを生み出すまでになりました。今あなたたちが使っている端末は、そうして洗練されて、発展して、生み出された技術の集積です。あなた方の代わりに、なんでもやってくれる機械です。そんな複雑な機構も、元をたどればシンプルなものの組み合わせ。そうして構成できるなら、本質的にそれは複雑ではないと言えるかもしれません。」


相変わらず、上ちゃんの特別授業は面白い。問題をただ解いて終わり、ではなく、その意義まで教えてくれる。考えることの楽しさを教えてくれる気がする。ふと、気になって聞いてみた。


「だったら、人の思考は単純なものの組み合わせで生み出せるのでしょうか。」

「んー、それは、わからない、ですね。脳神経科学の専門家にでも聞いてください。」


フフッ、と、軽い笑いが教室を覆う。


「さっき言った通り、シンプルな構造それ自体が、そして組み合わせればさらに、その挙動は複雑になります。その、結果としての複雑さしか観測できないなら、それを生み出すものがたとえとてもシンプルなものであったとしても、それを理解するのも、いや、推測するのでさえも、とても困難でしょう。元々判明していたルールをもとにしていたがゆえに数論は発展したわけですが、それでも数百年。奇跡的な偶然が起こらない限りは、まだまだ人の思考を生み出す何らか、のルールは、判明しないのではないでしょうか。古今東西、多くの研究がなされて、いまだそのような偶然は起こっていないようですがね。」


昨日の出来事を思い出す。彼は作られたといった。ゲームの中とはいえど、現実の子供のようにリアルな人に思えた。彼は、人なのだろうか。いや、そもそも。


「人って、なんだろう。」


ぼそりと、つぶやいた。




「父と母、ね。どこまで連れて行けばいいの?」


護衛イベントだと思った。その行き先が、この風車の地下とか、そんな構成なんだろう、と予想した。


「外にいる、と思う。つまり、君の世界。一人で会いに行こうと思ったんだけど、ここから出られないみたいで。僕の方からの働きかけはできないんだ。君はここへ来るとき、何かを使ってるんじゃないかな?たぶん僕は、君の世界でそこに収まってる。それを、僕の親のところまで届けてほしいんだ。」

「ええっと、、、」


やばい、何を言ってるのか全く分からない。いや、わかるんだけど、わかりたくないというか。


「だめかな?」


首を少し傾けて、じっとこっちを見つめてきた。そのしぐさはとても自然な少年のそれだった。本当に生きているかのようで、すごいすごいとゲーム開始時に感動していたNPC達以上に、遥かに人間味あふれる振る舞いで。その目は潤いを帯びていた。


「その、親ね、親。私の世界って言ったけど、どういう人なの?何もなしじゃあ、探すのなんて無理よ。」


ひとまず疑問は置き去りにして、話を進めることにした。


「うーん、実のところ僕もよくわかんない。作られて、一緒にお話ししてたんだ。いろいろ教わった、気がする。でも、お休みって言って眠って、そうして起きたら、ここに立ってた。ここがどういう作りで、どんなものなのか、こうして気づいた時には知識があってさ。きっと、ここに来る前に渡されたんだと思って。それができる人だから、この世界に深く関わりのあるだれかだと思うんだ。」


棚上げにしたさっきの疑問さんが、無視すんじゃねーよ、とにらみつけてきた。


「あっと、この、この世界のこと、なんでも知ってるってこと?」

「うん、たぶん。」

「じゃあ、この風車、この風車の役割は?何かの装置なの?地下には遺跡が広がってるの?」

「ん、」


目の前の空色の瞳が瞼で覆われる。自身の内に詰め込まれた何かを読み取っているのだろうか。


きっと、知らない。今回のアップデートがここのイベント追加でないなら、まだ実装されてないんだから。この世界の一キャラクターでしかないはずの彼には、答えられない。


何かがあるかもしれないけれど、わからないのは、何も無い、ということを知っているのとは明確に違う。人は、未解決の問題でも、何か隠された真理が、構造があると考える。その謎を抱えた世界で生きて、もし、真実何もなかったとしても、それをその世界の住人が知ることはできない。箱の中にいるものは、箱を覗く側には決してなれないんだから。丁寧に作られた彼なら、こう答えるはずだ。わかんない、と。


瞼が開く。再び現れた空色の瞳。きれいな青。柔らかに、笑みをほころばせていた。そうして、優しく告げる。


「“未実装”、だってさ。」


突風が、駆け抜けた。今まで音を立てることなく静かに風に揺られながら回っていた巨大風車が、その突風にあおられてカタカタと激しく回転していた。






気づけば、朝。時刻は05:43。梅雨明けの初夏、日の出からもう結構な時間が経っているのだろうか、今日もきっと暑い、そんな気配がまだ朝の涼しい時間帯からでも感じられてしまうほど、元気な様子の太陽が窓の向こうに覗く。


つけっぱなしで放置していたのだろう、スリープモードに入り何も映していない半透明のバイザーが世界の明るさを防ぐ盾となっている。なんだか外す気分になれなくて、少し自重より重たいままの頭を左手で抑えながら、ベッドから起き上がり窓の方へと向かう。窓から朝日を眺める。


「毎日休みなく、本当に働きものですねぇ。」


いかんいかん、太陽に話しかける寂しい人になってしまっているではないか。昨日受けたショックがまだ尾を引いているらしい。


(開発の人たちも質の悪いジョークを考えるものね。)


あきれた気分になり、大きく伸びをする。


(情報でもチェックしてみますか。)


ギアのスイッチを入れ、コミュニティサイトにアクセスする。昨日のアップデートのおかげで、普段以上の活気があるようだ。細心の書き込みは対人戦に関する情報交換がほとんどを占めている。どんな戦略が有効とか、ベストなスキル構成は何かとか。


(いま必要なのはこれじゃないな。風車でキーワード検索。)


昨日の19時以降で絞り込むと、数千の書き込みが風車関連でヒットした。


(この人たちも私と同じ被害者か。同意のレスで慰めてもらおう。)


〈あの少年の言動には驚きました。あまりにもリアルだったから、思わず信じてしまって、、、開発者も質の悪いジョークを仕掛けたものですね。ショックで今朝の寝起きは最悪です。〉


〈ん?何の話だ、ここは今風車イベント非実装再び、を嘆くソロ専門の場だぞ。オン関連の話は他でやってくれ。〉


〈あー、やっぱ来てなかったか、、、寝るか。おやすみー。〉


〈そーそー。せっかく期待して夜勤明けに張り切ってインしたのに。何も変わってないんだから。この絶望を慰めあう場に水を差す真似はやめてよね。あーあ。次のアップデート予定っていつだっけ?〉


〈ごめんなさい、書き込む場所、間違えました、です。〉



何かおかしかった。気になって19時以降の書き込みを一から読んでいく。どれもイベントが追加されなかった事実を嘆くものばかりで、あの少年に関する書き込みは一つもなかった。


時間を忘れてスクロールを続ける。探した2語は、どこにも見つからなかった。


「鏡ちゃーん、起きてるー?朝ごはん、できたわよー、、、」






「・・・みさん、」


そのあと食事中も通学時も端末で書き込みをひたすらチェックし続けたが、希望の情報は一切得られなかった。彼に会ったのは私だけのようだ。彼の言ったことは本当で、開発の冗談じゃないってこと、なのか。


「鏡さん!」

「!えっ、な、何?」


特別授業が終わったあと、われらがゲーム同好会の部室にて、アップデート後の活動方針についての話し合いの途中。意識が完全に昨日のことを思い出すのに占有されていたようで、全く話の流れを聞けていなかった。


「それはこちらの言うべきセリフです。心ここにあらずという感じで、放心していたようですが、何かありましたか?」

「ああっと、いや、何もないけど」


数少ないメンバーの一人の玲央が、少し心配そうに問うてくる。その横には龍がいやらしい苦笑を浮かべていた。


「何よ。」


ぶっきらぼうに問う。


「いや、前々からおかしい女とは思っていたが、ついに壊れたかと思ってな。」

「龍は鏡さんの問題を知っているのですか?」

「ああ、何やら人とは何かという命題に心迷わせているみたいでな。」


特別授業中のつぶやき!聞こえてたなんて!


「それはまた、高尚な疑問ですね。」

「無為な気もするがな。」


ズズッ、飲みかけだったいちごオレのストローを吸う。


「二人は、何か考えはあるの?」


開き直って、素直に問うてみることにした。


「私は、、、言葉だと思います。他の動物にはない複雑な意思疎通の手段ですから。」

「じゃあ、ゲームのAIは人なのかな?言葉をしゃべれるし、意思疎通もできるでしょ。」

「ああ、成程。そういうことですか。それは確かに、どうなんでしょう。龍?」

「俺に振るなよ。まったく。確かにゲームのAIの動作は人っぽいけどな。所詮作られた仮想世界の枠組みで用意された行動をしてるに過ぎない。それは人とは呼ばんだろう。ロボットだ。」

「それなら私たちも、この世界がより高次の存在によって作りだされたもので、その枠組みの中で行動してるだけの可能性もあるじゃない。ゲームのAIと一緒だわ。」


龍が少し驚いた感じの表情を浮かべた。


「そんな考えに行き着くとは。」

「何よ。反論はないの?」


超上から目線の龍の物言いだが、それに不快感はない。こと学問領域におけるこいつの知識と思考には常々感心させられているし、その話を聞くのは勉強になる。そして今、私は結構切実に答えを欲していた。


「いや、昔、そういう世界観がテーマの映画が大ヒットしてな。その考え自体はある哲学者の思考実験をもとにしたものなんだが。そうだな、俺も答えは持ってない。だが、鏡、さっき飲んだイチゴオレは甘かったか?」

「ん、甘くておいしい。お気に入り。」

「だったらたぶん、ここは実在する世界だ。」

「んーむ。ちょっとついていけません。禅の公案のようです。」


玲央が、眉をしかめながら、ギブアップの意志で、両手を持ち上げた。イチゴオレの紙パックを眺める。初めてこれを飲んだ時に、甘いと感じるように、そしてその最初の経験をその後は繰り返すように、と、あらかじめ決められていたなら。


だから、龍の言うことは根拠になっていない気がする。でも言わんとしていることはわかる気がする。この甘くておいしいという感覚はお前だけのものだ、といいたいのだろう。


「人が、人でない側から人を見つめることはできないのね。だから、確かな存在を、妄信するしかない。」

「んー、どうだろうな。そういうことでいいんじゃないか。本職の哲学者に聞かれたら、鼻で笑われるかもしれんがな。さっきも言ったが、俺もよくわからん。知識も経験も足りない俺らには、その疑問を考えることは、だから、無為なんだよ。」


ひどくいびつではあるが、龍なりの励ましのつもりだったということに、その一言で気づいた。


「結論も出ない、くだらない思考に時間を割くくらいならその時間を他に、勉強とかに費やせ、ってことね。回りくどいんだから。」

「そうです。勉強は大事です。でも今はそれよりも片付けなければならないものがあります。」


玲央が話題転換を図る。


「そういえば、もともと何の話をしてたんだっけ?」

「チームメンバーの追加だ。現状一人足りない。」

「えっと、1チームは、ロード、コマンダー、マギ、ディフェンダー、アタッカーの5人だっけ。」

「鏡さん、ロードは対人戦ではAIが担当します。」

「えっ、なんで?ある意味一番重要な役職じゃない?」

「ベータのときは5v5だったんだがな。ロードは自軍本陣から動けないだろ。マップを見つめながらポチポチタイミングを計ってスキル使うだけで全く面白くないって意見が続出してな。リリース版ではAIが担当することになったんだ。」

「へー。でもそれって結構運要素が増えるんじゃない?AIが不味って負けるとか、最悪じゃん。」

「代わりにロードの権限は他の職に移された。大体のものはコマンダーに、だな。」

「なるほどー。じゃあコマンダーが指揮系統全部抱えることになるの?」

「その認識で問題ありません。」

「ん?だったら涼子先輩で揃ってるじゃない。何であと一人必要なの?」


私がそのセリフを言うのを待っていたかのような絶妙なタイミングで、部室のドアが開いた。


「私がどうかしたー?」


女性にしてはやや低めのハスキーボイス。切れ長の目が私たち3人を見つめる。脱色した髪は真っ茶色。制服はよれよれで袖口はほつれている。本人曰くグランジファッションの真似、らしい。何でもかなり昔に流行したスタイルだとか。学業成績以外には無頓着な方針のうちの高校でもなければ、即生徒指導室直行な見た目の彼女は、自分の名前が話題に上ったのが扉を開けるときに聞こえたのだろう、部室に入ってくるなりそう問いかけてきた。


「ああ、姐さん、遅かったですね。いや、鏡の奴が珍しく頭を働かせたせいで知恵熱を患ってしまってですね。」

「ふーん。がーみー、また龍にやり込められちゃったんかぁ?いかんよぉ、こいつとまともに相対しちゃぁ。負けるに決まってんだからぁ。」


さっきの話を感性で生きる彼女を新たに交えて蒸し返すのも意味がない気がして、チームメンバーのことについて言及する。


「ああ、昨日玲央と龍にはゲーム内コールで伝えたんだけどさぁ、あたしはしばらくはソロ専門の予定なんだ。まだまだやり足りないこと多くてさぁ。また前みたく手伝ってほしい時には頼むよ。」

「つーことだ、鏡。だからあと一人、足りないのさ。」

「そのことなんだけどさ、うちのいとこで、ちょっと興味持ってるやつがいてねぇ。なかなか運動神経のいいやつだし、足りないディフェンダーを補うにはちょうどいいのがいるんだわ。」


涼子さんが来てからわかりやすく口数少なくなる玲央を尻目に、その後ゲームのアップデートに関する話を少しした。追加のメンバーはひとまず涼子さんのいとこと連絡してみる、ということでまとまった。そうして、皆で揃って部室を引き上げた。






帰り道。家までの最後の坂に差し掛かる。太陽はまだ地平線からだいぶ上。雲一つない快晴のおかげで、直射日光のシャワーを遮るものはない。頬に汗が一筋。


「龍、帰ったらすぐうちの世界に来てもらえないかな。相談があるんだけど。」

「なんだ、恋の相談か?残念ながら玲央はお前じゃなくて姐さんにいかれてるぞ。」

「そんなのみてりゃわかるっ、、、て、そーいうのじゃないから!」

「姐さん、学校では結構浮いてっから、そういうのとは無縁そうだったんだけどな。ここにきて同年代で仲の良いいとこがいたとは。玲央の奴、今頃恐々だろうよ。」

「リクさん、だっけ。もしかしたら女の子かもしれないじゃん、って、そうじゃないっしょ。どうなの?来るの、来るつもりないの、どっち!」

「アクセス許可送れ。。野良で対戦重ねてもあんま意味ないし、待っててやるよ。」

「わかった、すぐ送るから。」


龍の家にたどり着く。


「汗かいたから風呂で流したい。」


龍は端末を取り出している。時刻を確認しているようだ。


「おれは長風呂だからな。五時ぐらいでどうだ?」

「わかった。」


別れる。歩きながら端末を取り出し、時刻を確認する。表示は16:21。私の家はここからもう少し上ったところ。5分もかからない。長風呂好きじゃないのも知ってる。読書とゲーム以外に費やす必要のある時間が、あいつには苦痛なのだ。汗で体にべたつくシャツをはたきながら、家までの残り僅かな坂道を上る。


「本当に、いびつで歪んでるよね。」


虚空に語りかけるかわいそうな人になるとわかっていても、その一言はするりとのどを通って空気を振るわせた。背中に感じるお日様の熱エネルギーが、坂を上る私のかわりに、仕事をしてくれている気がした。

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