高校一年 -夏-

第2話the beginning -syougeki_teki_na_deai-

その出会いは衝撃だったと、私は思う。彼にとっては、私じゃなくても、変わらなかったかもしれないけれど、私にとってのその出会いは、かけがえのないもので。






浮かれ気分で自宅へ辿る最後の坂道を上る。毎週月曜、通いの剣道道場での厳しい練習のあと。疲れ果てた体は普段ならこの坂を一歩進むたびに悲鳴を上げているのだが、今日は違う。後ろに一まとめにした髪は上下に元気に揺れている。ぱさっぱさっと背にぶつかるたびに音を鳴らして、それが今の私の気分に対して、そうね、そうね、と相槌を打ってくれているみたいだ。


ほとんどスキップまがいの足取りで坂を軽く上りきった。道場の師範は精神状態が強く肉体の動きに左右すると常々おっしゃられているが、今の私はそれにもろ手を挙げて。そのとーりでございます、と大げさに賛同できる。


「ただいまー。」


玄関を開けて、帰宅を告げるお決まりの一言を屋内に向けて告げる。


「おかえり、鏡ちゃん。ごはんの前にシャワー浴びてきなさいな。」

「はーい。お母さん、5分で出てくるから!ごはんも即効用意して!」

「んー?今日は何かあったかしら?ああ、月曜だし、あのアニメかしら?」

「もうっ、あれは中3で卒業したよ!もう私高1だからね。いつまでも子供向けアニメにかまけてなんていないんだから。」

「そうよねー。そうだと思ったんだけど、だったら何なのかしら?いつも月曜はゾンビみたいなフラフラ足で帰ってくるのに。今日の元気さはよっぽどのことじゃないの。」

「まーね。」


靴を脱ぎ、荷物はとりあえず玄関先に置いておいて、さっさとシャワーへと向かう。現在夕方の6時35分。よし、十分間に合う。本日日本時間19時に、今最高にはまっているゲームのアップデートを兼ねたメンテナンスが明けるのだ。一分一秒でも遅れてはならん。それくらい私にとっては大事だ。


宣言通り5分で体を隅々まで洗い、頭もわしゃわしゃと速攻で洗って、シャワーをすませる。母さんは私がお願いした通り、普段よりすこし早めの夕飯を用意してくれていた。


「いただきます。」


うーん、この対応力。出された品をかっ込むごとにおかずが次々出される。いまならわんこそばの早食いでも勝てるね。いや、あれはスピードじゃなくて量を競うんだっけか?


ズズッ、みそ汁の最後を飲み干して、ごちそうさまをする。おいしかった、おやすみっと一息で伝えて、洗面台に直行。コップを取り、歯ブラシを咥えながら階段を駆け上がる。


「鏡ちゃーん、かばんー。」


おっと凡ミス。


「ごめんごめん忘れてた。」


階段を駆け下り、玄関に置き去りにしていたカバンを担ぐ。ちらっと時計を見る。まだ全然余裕はあった。楽しみすぎて心はすでに2階にいるようだ。いったん落ち着いて心と体を同期させる。階段で転んでけがをしては元も子もない。


無事何事もなく自室のドアを開け、荷物を置く。宿題は、、、どうしようか。わしゃわしゃと歯ブラシを動かしながら、すべきか否か、考える。


明日は特別授業の課題だけだ。提出するタイプではなく、一度自分で考えてみないと、授業の解説を聞く意味が薄れる、という形式で出されたものだ。まあ一回ぐらい手を抜いても大丈夫だろう。


どたどたと二階の洗面台へ向かい、ガラガラ、ペッして、歯ブラシとコップを置く。すぐさま切り返して、部屋へ飛び込む。


ベッドわきの背の低い衣装棚の上に今朝置いておいたヘッドギアを装着。スイッチを押す。タラララーン、と、スリープ状態から回復するときの立ち上げ音が流れる。画面内の時刻表示は18:56。アップデート予約は、、、大丈夫なようだ。余裕で間に合った。トップからゲームを選択。見慣れたタイトルデモが流れる。ピーン、と知り合いからのコールを告げる音。承認を押す。龍だ。


「よう。宿題もせずにゲームか?」

「なっ、なんでわかるのよ。」

「いや、さっきな、本を一冊読み終えたところで伸びをしてたらな、窓の先に何やらスキップしながら汗だくでにやにやしながら坂を登ってる気持ち悪い女が見えてな。」


うげ、見られておったか。


「あー、はいはい。そりゃ私に間違いないわ。で、時間的に宿題する暇なんてないって推理したわけね。お見事。まさにそのとおりよ、名探偵さん。国民的アニメキャラに勝るとも劣らない推理力ね。」


それ以上嫌味を言われたくはなかったので、無理やりに話の矛先を変えていった。


「あんなのと一緒にすんな。」

「あら、お気に召さなかったかしら?彼、相当優秀な人物だと思うんだけど。」


そうしてそのまま流れを維持していく。


「そうだな、優秀だろうな。けどあいつは、本来警察ができる仕事の一部で、迅速な解決でコストカットしてるだけ。優秀な頭脳と柔軟な思考力があって、若さも手に入れたなら人類の発展に貢献するような研究に専念すべきだ。」

「一理あるわね。」

「だろ?少なくとも将来そうできるように、得た若さを生かして以前に手の届かなかった知識を蓄えるべきだ。そうだろ?」

「かもね。」


計画通り私の作った流れに乗ってくれている。良かった。


「そういう意味ならヒロインの一人の子は尊敬に値するな。生涯寿命がどうなるかは知らんが、少なくとも人類の長年の夢をかなえたんだから。」


ピコーンと反撃の機会がひらめいた私は、すぐさま思いついた言葉を龍へと畳みかける。


「あー、はいはい、成程ね。あんたがロリコンだってことはわかったわ。」

「いや、そうじゃねーだろ、、、」

「隠しなさんなって。私は心の広い女よ。あんたの特殊な性癖にも、菩薩のような心で理解を示してあげるわ。でもちゃんと法律の年齢には従いなさいね。可愛らしい子を見つけても、一線は越えちゃだめよ。さすがにあんたのことで父さんの力を借りたくはないからね。」

「だから、そうじゃねーだろ、、、」


これで引き分けね。満足した私はこの不毛な会話の幕を引くことにした。


「でもね、私思うのよ。あの世界じゃ時間の進行は1年ごとにループしてるんだから、人類の発展とか、考えたって仕方ないのよ。周り含めて年を取ってない以上、彼ぐらい優秀で柔軟ならその事実に気づくわ。」

「おい、それは反則だろ、、、」

「おまけに死んじゃったらもう戻らない上でループするんだから。彼の行動は人類保全の最適手段と思うわけよ。」

「あのなぁ、、、」


そうしてくだらない会話を繰り広げていると、画面の時刻表示が19:00に切り替わる。


「アップデート始まった。」

「こっちもだ。」


お、言い返してこなかった。龍相手の議論で珍しく勝利した回かもしれない。


「ふむ、この容量なら2分ぐらいか。」


え?2分?


「うそ、明らかに尋常じゃない容量だと思うんだけど。予想4時間とか表示されてるし。」

「んん?そりゃおかしいな。今回は以前配布された対人モードの解除キーと細かい調整データだけだって話だから、よっぽど混んでてもそんなかかるわけないと思うんだが。」

「えー、なんでよー。昨日ちゃんと以前のアップデートチェック済ませたのにー。龍はクローズドベータでもうやってるから早いだけなんじゃないの?」

「関係ないだろ。ま、宿題やれ、っていうゲームからのお達しだな。今回の宿題は結構凝っててよかったぞ。そんじゃ、こっちは終わったから。4時間待つのもなんだし、先に行ってくるわ。じゃな。」


プ、とコール切断音が鳴った。


「もー」


(言うとおりにするのも癪だけど)


スリープ状態でDLを維持して、デバイスを外す。


「終わるまではどうしようもないんだし、龍が気に入るような宿題、ってのも気になる。上ちゃん、頑張って作ったのかなぁ。」


ガサゴソとカバンからノートと筆記用具を出す。携帯端末で学校専用サイトにアクセスし、特別講習欄から上岡先生のタブを選択。


(一年生の欄はっと、、、)

(何々、オイラー関数の考察、、、うわ、なんか名前いかつい。えーと、nを自然数とする。n以下の自然数で、nと互いに素なものの個数をφ(n)で表す、ね。一応今普通の授業でやってる内容に沿ってるんだ。これなら大丈夫そう。えーと(1)は、、、)






(うがー、どうやったらこの関数と剰余が1になることが絡むんだ。さっぱりわからん。こんなもん高1のレベルじゃないね。龍を基準にして問題作られると困るよー、上ちゃん。名前付きの問題だし、ちょっとネットで調べてみるか。)


そうして端末とノートとの睨めっこを続けて、ふと時刻を確認すると、23:14になっていた。この時間ならDL終わったかもしれない、宿題はここであきらめよう。


(地味に集中して勉強できてたな。)


充実した時間を過ごせたという実感に満足感を覚えながらも、本日のもともと予定していた楽しみに取り掛かる。少し眠いが、この数週間、ずっと楽しみにしていた期待感の方がが、はるかに眠気に勝っていた。


予想時間通りに無事DLが終わっているようだ。立ち上げ、早速龍にコールをかける。ツーツー、ピン。


「悪い、今ちょうど対戦開始したとこでな。最低でも15分はかかるぞ。」

「そっかー。わかった。そしたら終わったらそっちからコールして。」

「OK」


コールを切る。時間つぶしがてら、ソロプレイモードを起動する。自分が拠点にしている街並みを無性に眺めたくなった。


そういえばまだ相当やり残してることあるなぁ。世界を巡る、行ってないところへ行く、用意されたイベントを消化する、育ててないスキルを上げてみる。挙げればきりがなさそうだ。まだまだ様々な要素を遊び尽くせていない。このまま対戦に注力するってのも、もったいないかもなぁ。



数秒のロード時間の暗転の間、今後このゲームでどう遊んでいこうかと考えていると、暗転が終わり、私は風と風車の街、ククロスベントに降り立った。


前方、街の中心部には、この街の風物詩でもある巨大風車がそびえ立っており、年中吹きやむことのない穏やかな風にその巨体を撫でられて、静かに緩やかに回っている。


公式設定によると、この巨大風車は古代文明の名残で、その機能は不明となっている。ゲーム内設定の今における技術水準では再現不可能な巨大建造物を一目見ようと訪れる観光客に、それを目当てに商売に励む商人。過ごしやすく、比較的農作に適した気候と地理的環境のため、農業従事者も多い。


またこの都市の地下空間にはこの風車の動力で今も生き続ける古代の研究設備があるに違いない、とか、風車そのものが何らかの儀式装置である、などと言った独自の仮説を立ててその痕跡や証拠を見つけようとする研究者たちなども各地から集まっている。


そういった者たちが多く住まい、地理的には田舎にもかかわらずそれなりの規模の発展を遂げているここククルスベントは、その比較的牧歌な風景と相まってプレイヤーの好きな街ランキングの上位に常に位置するものの一つとなっている。私もこの街の騒がしくもどこかのどかな空気に心惹かれた数多くのプレイヤーの中の一人だ。




石畳で丁寧に舗装された大通りを、大風車に向かって歩く。次のアップデートで、サプライズの風車イベント追加があるかもしれない。そんな根も葉もない、ユーザーたちのうわさ。


過去数多くのアップデートの度に、期待されていたものも予想外のものも含めて多くのイベントが追加されてきた。風車の謎に関するイベントはゲーム発売以降から常にユーザーたちの期待の的となっていた。


(もしかしたら、、、あの膨大なデータはこれだったのかも。)


公式の発表では対戦のオンライン対応化のみだったけれど、それだけではあのデータ量には説明がつかない気がした。


(きっとそうだ。)


淡い期待が、歩むリズムを早める。腰にはいている刀がその歩みで大きく揺れる。腰ひもがこすれて痛かったので、動かないように鞘を手で抑える。何かが前とは違う。そんな予感があった。






風車前広場。色とりどり、鮮やかな花が咲き誇る、街の名所。花の咲いているラインが境界となって、それより先にはノンプレイヤーキャラクター-NPC-が決して立ち入ることはない。


そのエリア内。本来立ち入ることのできないはずのその場所に、真っ白な髪をさらさらと風で揺らされながら風車を見上げる、人がいた。


「チューリップ。」


幻想的な光景に見とれて、無意識に口からそんな一言がこぼれた。その純白の頭髪は、穏やかな風にさらさらと揺られながら、色とりどりの花々の中、強い存在感を放っていた。



鼓動が高まる。噂は本当だったんだ。


花を踏みしめるのは気が引けたけれど、調べに行かないといけない。どんなイベントが待っているのか。期待で沸騰しそうな全身の血液。優しい風が、興奮で上気した肌を冷ますみたいに触れてくれて、心地よい。


(アクションを起こさないと。あれが今回追加されたイベントに絡むキャラで間違いないはず。)


一歩、踏み入る。間を置かず、3メートル先の白いチューリップが、ゆっくりこちらへ振り返った。


「あれ、ここは誰も入れないはずなんだけど、、、そういう設定だって、、、どうして、、、えっと、君は、、、」


白い髪、青空色の澄んだ目。綺麗な顔立ち。


(何で服はみどり色?)


形だけを見れば、一般的な研究者や魔術師が着ているローブだ。相当体が細いのだろう、本来ゆったりとしたつくりのはずのローブでも、花の茎と思えてしまうほど。いや、改めて観察してみると、そこまでではない。やや細身なのは確かだけれど。


ファンタジーゲームの中でも度を越したファンタジックな情景に、認識も引っ張られただけのようだ。


「そうだ、さっき。チューリップって。それは、なーに?」


む、さすが。このゲームが今まで長く根強い人気を博したのも、このようなNPCのAI設定の緻密さが要因の一つ。


プレイヤーの一言一言に適切に反応し、細かな判断をしてくる。周囲の状況、タイミングなどのパラメータに応じて細かく異なる意思決定が行われるため、最初からやり直して同じようなプレイをしたとしても、かなりの違いが生じるのだという。


「花の名前よ。細い茎に、卵型に折り重なった花弁がその頂上についてるの。後ろからあなたを見たら、そんな風に見えちゃったのよ。」

「そんな花もあるんだね。見てみたいかも。」

「そういえば、ここでは見かけないな。風車の街なのに。」

「君の世界の風車の街には、その、チューリップって花が、咲いてるの?」

「そう、だと思う、、、?」


君の世界?


「君は、外の人なんでしょ?この世界のみんなは、この花畑には踏み入れない。そうなってるって、さっき調べたんだ。」


怪訝な表情になった私の顔に、聞き慣れない単語がぶつかった。


(“外の人”って、メタな発言ね。ゲームの住人がそれを認識するのはまずいんじゃ、、、)


「君に、お願いしないといけないことがあるんだ。僕を、守ってほしい。そして、僕の父と母のもとへと、連れて行ってほしいんだ。」

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