第27話 犯人

 四月のある日、小西は友人の家へ金の無心に行った。が、何度もやってくる彼に愛想を尽かしたのか、友人は居留守を使って出てこなかった。当てが外れて電車賃も足りない状態で、落ち込んだり腹を立てたりと定まらない心で歩いていると、新しい一戸建てが並ぶ住宅街が目にとまった。アイボリーの二階建ての家には出窓もあり、まっさらな生成りのカーテンがかかっている。小西は、急に悔しくなったという。


 住宅街に入ると、小西は手前の家から順に様子をうかがった。テレビや人の声が近くからする家はやり過ごし、物音がしない家には来客を装って門の中に入り、ドアノブが開くか確かめた。


 四軒目の家のドアが開いた。そっと玄関に入る。中に人の気配はない。念のため、彼は後ろ手にドアを閉め、「ごめんください」と大声をあげた。反応がないので、靴を脱いで靴箱の隅に隠し、家に上がった。

 足音を忍ばせて廊下を進むと、右手にあるドアが開け放たれていた。中はリビングダイニングだ。台所側のカウンターに、買ってきたばかりとみられる、スーパーの袋に入った食材が置かれている。その隣に、女性もののショルダーバッグがあった。


 家を買うほど裕福なのだから、ちょっとくらいくすねても構わないだろう。金は循環させるべきだ。そんな言い訳をしながら、小西は台所に入り、バッグを開けて財布を取り出そうとした。


 その時、玄関の扉が開閉する音がした。しばらくして、スリッパを履いた足音が、近づいてくる。彼は、財布から札を抜き取ってポケットに突っ込み、キッチンカウンターの下にかがんだ。


「寛太、帰ったの?」

 女性の声が近くから聞こえて動揺した、と小西は後に供述している。

 とにかく逃げなければ、自分はおしまいだ。息を潜めて機会を伺っていると、急に女性がカウンターから顔を覗かせた。浅黒い肌に、ウェーブのかかった黒髪の女性だ。


「もう、そんなとこに隠れ……」

 いたずらっぽく微笑んでいた女性の大きな瞳が、みるみる収縮して顔が引きつる。

 寛斎の母は、叫び声をあげた。


「静かにしろ!」

 小西が立ち上がって凄んでも、寛斎の母は短い悲鳴を何度も立てたという。

 ふと、水切りの中の包丁が、小西の視界に入った。彼はそれを両手で握り、彼女に向かって構えた。


「動くな」

 寛斎の母は、叫ぶのをやめて立ちすくんだ。その隙に逃げるつもりだった、と小西は主張している。殺すつもりはなかった、と。


 被害者が叫びながら体当たりしてきたので、揉み合いになり、誤って刃が首の頸動脈を切った、というのが犯人側の主張だ。先に向かってきたのは被害者側だ。これは傷害致死であり、強盗殺人ではない、と。


 寛斎の母を切りつけた小西は、そのまま逃走した。包丁の指紋は拭き取られていたが、財布や部屋の中に多数の指紋が残されており、それが証拠となって翌日には逮捕された。


 寛斎と宮子が中学生のとき、裁判が開始された。一審は、強盗殺人罪で無期懲役刑が下った。「若さゆえの身勝手さはあるが、謝罪の手紙を書くなど反省の気持ちを持っており、生涯をかけて償わせるのが相当」とされた。


 無期懲役は、終身刑ではない。十年が経過すると仮釈放の可能性が出てくる。人ひとり殺して未来を奪い、寛斎やその父、周りの人間の人生を壊しておきながら、たった十年強で社会復帰の望みがでてくるのだ。

 原告側は死刑を求刑していた。寛斎の父が求めていたのは死刑というより、「最も重い刑」であり、望みうる限りの謝罪と償いなのだろう、と当時の宮子は思った。


 一審判決時のメディアや人々は、あろうことか犯人に同情的だった。

 小西が端正な顔立ちの若い男性だったことが、大いに影響した。見た目も頭もよく、順調に人生を送るはずだった若者が、社会情勢のために父親が経済力を失くし転落せざるを得なくなった、と小西のことをいかにも「時代の犠牲者」のように、もてはやした。

 犯人に対する世間の同情が、寛斎親子の無念を置き去りにする形となってしまった。


 数年後に行われた控訴審も、一審の量刑を支持し控訴を棄却、つまり無期懲役だった。双方上告しなかったため刑が確定し、死刑を求めていた原告側、寛斎の父の願いは、永遠についえた。


 テレビのニュースで、当時の宮子は寛斎の姿を見た。

 彼は、山伏装束で裁判を傍聴し、その姿のまま父親と共にマスコミの前に現れた。鈴掛衣すずかけごろも梵天ぼんてんの付いた結袈裟ゆいげさをかけた高校生の少年は、群衆の中で異様に目立っていた。法廷内は無帽のため、頭巾ときんはしていなかったが、逆に剃りあげた頭が強調されることになった。


 寛斎の父が、差し出されたマイクに向かって、声を荒らげた。

「たった一通の『謝罪の手紙』や、裁判前に髪を刈りあげたくらいで『反省の気持ちが見られる』と言われるのが悔しい。犯人は、先に佳美……妻が体当たりしたから揉み合いになったと言っているが、それなら何故、妻は台所でなくリビング側で殺されているのか。犯人は嘘をついている」


 シャッターを切る音が響く。父親は震える声で続けた。

「妻が味わった恐怖や痛み、送るはずだった人生、私たち家族の苦しみ。そういったものの重さが認められず、とても残念です」

 そう言って、寛太の父は手で瞼を覆った。頬を涙が伝う。カメラのフラッシュが、その姿を青白く照らす。


 今度は寛斎にマイクが向けられた。

 が、彼は険しい表情を崩さず、ただ合掌し一礼した。


 人々は、そこに様々な想いを想像し、投影した。

「母の菩提を弔うために出家した悲劇の少年」の姿は同情を集め、マスコミの論調は被害者側に傾いた。一審のときは、「時代の犠牲者」と犯人をかばう発言をしていたコメンテーターが、「母親を殺され、父親と離れて厳しい修行の道に入った少年の苦悩は、察するに余りあります。未来ある少年の人生を狂わせるような事件は、二度とあってはならないですよ」と熱弁していた。ワイドショー番組も、おおむね寛斎に同情的だった。


「本当は、犯人のことを殺したいほど憎いでしょうね。でも、仏門に入ったから、ゆるさなきゃいけない。その間で、とても苦しんでるんでしょうね」

 涙ぐみながら女性タレントが言う姿に、高校生の宮子は目をそむけたくなった。


 本当は何もわかってないくせに、と思った。自分だってそうだけれども、少なくとも、ころころ意見を変えたり、一時的に熱狂して勝手に同情したりはしない。


 上から目線で「かわいそう」と言い、自分は不幸ではないことを再確認し安心する。同情の裏に含まれているそんな感情に、宮子は苛立ちを覚えた。そして、母親を殺された悲しみのみならず、世間から翻弄される寛斎の心情をおもんぱかって泣いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る