第48話 暗闇

「私がやってみる。寛斎さんは休んでて」


 宮子はポケットから小型ライトを出してつけ、肩で息をしている彼に近寄った。ライトを地面に置き、千引石ちびきのいわに向かって背筋を伸ばして立つ。


 まぶたを閉じ、闇の中に白い光の粒を集める。

けまくもかしこ伊耶那岐大神いざなきのおおかみ

 この千引石ちびきのいわ黄泉比良坂よもつひらさかに引きすえた神を観じる。光の粒を大岩に張りつかせ、一気に動かそうとする。

 観念の中で力を発動させているのに、体中に負荷がかかる。地面にめりこんでしまいそうなほど、ずしりとした重さがのしかかり、汗が噴き出る。


 やはり、びくともしない。


 千引石ちびきのいわでここをふさいだ神に願っても、聞き届けていただけないかもしれない、と宮子は思い直した。入るのはともかく、黄泉比良坂よもつひらさかから出ることは許されないのだろう。もともと、そのための結界なのだから。


 宮子は別の神を観じた。ここへ来たときと同じ、天照大神あまてらすおおみかみ天岩戸あまのいわとから引き出した、力自慢の男神だ。


天手力男神あめのたぢからをのかみ、助け給え」


 白い光の粒が、巨大な二本の腕を形作る。

 千引石ちびきのいわに手のひらを当て、押し始めた。盛り上がった筋肉が震えていることから、かなりの力をかけていることがわかる。宮子自身も、息を止め、頭の血管が切れそうなくらい歯を食いしばって、力を込めた。


 激しい立ちくらみがして、宮子は地面に倒れ込んだ。光の腕が四散する。


 やはり、鈴子の文字を依代よりしろにしないと、力が弱いのか。それとも、自分もまた、稲崎を連れ戻さなかったことに罪の意識を持っているため、本来の力を発揮できないのか。


「宮子、大丈夫か」

 寛斎が、肩に手を置いてのぞきこんでくる。心配させてはいけないと、宮子は上体を起こして座った。


「ごめん。ちょっと、疲れてたみたい」

「無理するな。……少し休もう」

 そう言う寛斎の声も、疲労を隠し切れていない。ひんやりとした空間に、彼の声がぽつりと響いた。


「巻き込んで、すまない」


 まるで、もう帰れなくなったような言い方だ。弱音を吐くなんて、彼らしくない。うつむいて地面をにらみつけている姿が、ライトのわずかな光で浮かび上がる。宮子は、彼が負い目を感じないよう、明るく答えた。

「勝手に来たのは、私なんだから。桃果ちゃんと鈴子は無事に帰れたんだし」


 黙っている彼に、さらに続ける。

「回復したら、二人同時に術をかけてみようよ。そしたら、動かせるかもしれない」

 大丈夫、と自分自身にも言い聞かせるよう、念を押す。ん、と短くうなずいて、寛斎が唇だけで笑顔を作った。


 二人は無言で座り続けた。体をできるだけ小さくして、体力を温存する。お互いの息づかいと、ときおり体を動かす音が、やけに大きく響いた。


 膝をかかえて丸くなっていると、何も考えないでおこうとしても、さまざまなことが頭に浮かぶ。

 たとえ休んでも、ここにいる限りは、飲食でエネルギーを補給できない。時間がたてばたつほど、力は失われていく。いくら法術が使えても、相手は千人の力でやっと動く巨岩だ。まして、寛斎は罪悪感にとらわれて、本来の力を発揮できない。

 もう、限界なのだ。


 ――じゃあ、ここでこのまま。


 生身の人間である以上、ここから出られなければ、餓死するしかない。もしくは、稲崎のように、自ら黄泉国よみのくにへ下るかだ。


 命の終わりを意識したとたん、自分の体が闇に溶けて消えてしまうような気がした。腕に力を入れ、膝を強くかかえる。まだあたたかい。まだ生きている。


 背筋に震えが走り、歯がカタカタと鳴り出す。自分がここにいることを確かめていないと、闇に呑みこまれてしまいそうだ。


 ――怖い。


 暗がりの向こう側に、得体の知れないものがうごめいている気がする。あれは、闇と同じ色をした蛆虫うじむしが、自分たちが死ぬのを待っているのではないか。体をくねらせる小さな虫が、みっしりと詰まっているのだ。蛆虫うじむしが、少しずつ、こちらへ這い寄ってくる。音まで聞こえてきそうだ。


 宮子は、地面に置いたままのライトをつかみ取った。立ち上がり、坂の下を照らす。一筋の細い光は闇に吸い込まれ、途中で霧散した。


 虫はいない。けれども、漠然とした不安が膨れ上がり、押しつぶされそうになる。

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