第45話 洞窟

「よかった。もう会えないかと」

 声が震えて先が続けられない。言葉のかわりに、彼にしがみつく。


「必ず帰ると言っただろう」

 寛斎が、子どもをあやすように、宮子の肩を抱きながら背中をなでる


「二人とも、術にかかっていたんだ。完全には張られていなかったから、解くことができた。……よく見破ったな」

「この数珠があったから、気づけたの」

 宮子は少し体を離し、左手首の数珠をライトで照らした。


「寛斎さんも、幻覚を見ていたの?」

 彼は、少し目をそらして答えた。

「俺の方は、調伏法ちょうぶくほうを止めるために、お前が燃えさかる炉の中に飛び込んだ」

 そのあとどうなったのかを想像すると、体が震えてくる。


「すぐに見抜けたが、気分のいいものじゃない。……無事でよかった」

 再び、寛斎に抱きしめられる。その力の強さに、息が詰まる。


 平静に見せかけているが、心の中では動揺しているのだと思うと、いとおしい気持ちが込みあげてくる。しばらく無言のまま、二人はお互いの存在を確かめるように抱き合った。

「巻き込んですまなかった。必ず元の世界へ連れて帰る」

 耳元で寛斎がささやく。宮子は大きくうなずいた。


 体を離し、ライトをかざしてあたりを見回す。

 やはり、暗闇が続いている。うっすらと岩肌の地面は見えるものの、光の当たる範囲が小さすぎて、壁面は見えてこない。


「たぶん、洞窟状になっているはずだ。古事記の記述でも、黄泉比良坂よもつひらさかの描写はそうなっている」


 寛斎が真言を唱え、印を結ぶ。

 ロウソクの火のようなものが、暗闇の中にともった。よく見るとそれは、離れたところについた灯明だった。


 揺らめく炎が、岩壁を照らし、影を作る。側面にそって、さらに先と手前に一つずつ、灯明が追加された。一直線に壁面が続いている。やはり、トンネル状なのだろう。二人は灯へと近づいた。


 次は、どちらへ向かえばいいかだ。寛斎が指に唾をつけ、風向きを確認している。

「だめだ。空気がよどんでいて、流れがない」

 宮子は、ライトを地面に置いた。円筒形のそれは、わずかな傾斜に反応して、右手へ向かって転がった。


「あっちよ」

 ライトを拾い、宮子は左側を指さした。黄泉比良坂よもつひらさかは、坂の上が顕世あらわよ、下が幽世かくりよだから、のぼっていけばいいはずだ。


「行こう」

 薄明かりに、寛斎の顔が見て取れる。

 彼が死んだと思ったときは、世界が終わったように感じた。あのままでは耐えられなかっただろう。寛斎がとなりにいる幸せを噛みしめながら、宮子はうなずいた。

 帰ろう。生きて、現世へ帰るのだ。


 ――稲崎さんは?


 ふと、頭をよぎった。彼はあれから、奈美との結婚式を挙げたのだろうか。白い衣装を着て、腕を組んで寄り添い、黄泉よみへのバージンロードを歩く二人の姿が目に浮かぶ。

 今ごろは、あの結婚指輪を彼女の左薬指にはめているのだろう。これからはずっとそばにいる、という誓いの証として。


 本当にそれでよかったのだろうか。

 寛斎とともに歩きながら、宮子は自問した。稲崎は、まだ生きているというのに。


「どうして放っておいてくれないんだ!」


 突然、稲崎の声がした。

 奥の灯明の向こう側から足音が近づいてきて、白いタキシード姿の男が現れる。


「ここにこんなものをともして! 奈美が恥ずかしがって、隠れてしまったじゃないか」

 地面を踏みにじるようにして、稲崎が駆け寄ってきた。


「なぜ僕のことなんか考えた。君たちのように、特殊な力を持った奴に観想されると、引っ張られてしまうんだ」


 宮子たちに詰め寄ってくる。表情は見えにくいが、ひどく怒っていることが肌で感じられる。

「式の真っ最中だったのに、いきなりこの有様だ」

 暗い洞窟を見回して、稲崎が怒鳴る。


「帰れ! 早く現世へ帰れ! 僕たちを放っておいてくれ」


 岩陰で、物音がした。白っぽい影が、くぼみからうかがっている。それを見て、稲崎が打って変わってやさしい声で言う。


「ごめんよ、怒鳴ったりして。奈美に言ったんじゃないんだ。ほら、こっちにおいで」

 白い影は動かない。


「恥ずかしいなら、ベールで顔を隠せばいいよ。僕は気にしないけど」

 振り返って、稲崎が白い影へと向かう。


「さあ、続きをしよう。きれいな式場じゃなくなっちゃったけど、奈美さえいてくれれば、どこだって構わない」

 靴音が響き渡る。


「記念すべきウェディングケーキだ。奈美、僕に食べさせてくれよ」


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