第4章

第37話 新郎

 大勢の人の気配がする。

 宮子が目を開けると、華やかなドレスやスーツを着た人たちが、目の前を横切って行った。床は赤い絨毯敷きで、足音が吸い込まれていく。


 彼らの行く先には、ヨーロッパ風の大きな両開き扉と、白い布をかけた机がある。そこが受付らしく、ドレスを着た女性二人が、やってくる人たちにあいさつをし、記帳してもらっていた。

 受付机のとなりには、熊のぬいぐるみがペアで飾ってあった。白いタキシードとウェディングドレスを着て、「ハッピー・ウェディング!」というプレートを持っている。


 机の前にいた人がどいて、貼ってある案内が見えた。「稲崎家」「安浦家」と書いてある。


「俺たちも行こう」

 となりにいた寛斎が言う。黒のスーツに白いネクタイをしている。洋式の正装なんて、初めて見た。服の上からでもわかる鍛えられた体だが、窮屈そうには見えず、すっきりと着こなしている。

 思わず見惚れていると、寛斎が受付に向かって歩きだした。あわててあとを追う。


 心配になって確認すると、自身はエメラルドグリーンのノースリーブドレスに、シースルー素材のボレロをはおっている。裾が膝上で、体のラインがわかるカッティングなのが、気恥ずかしい。髪はアップで、胸元には真珠のネックレスをしている。母の形見で、成人式のときにつけたものだ。


「このたびは、おめでとうございます」


 寛斎が、気後れすることなく、あいさつをする。受付の女性たちが、礼を返す。どこから出したのか、寛斎はふくさに包んだ祝儀袋を、新郎側の受付に渡した。


「ご芳名をお願いします」

 そう言われて、寛斎がちらりと宮子の方を見る。

 少しためらってから彼は筆を取り、力強い筆運びで、「須藤寛斉 宮子」と連名で書いた。


 深い意味はない、と思っても、やはり意識してしまう。耳が熱くなるのを感じながら、宮子は自分の顔が赤らんでいないか、心配になった。


「新郎にあいさつをしたいのですが、控室はどちらですか」

 笑顔で、しかし有無を言わせない雰囲気で、寛斎が訊ねる。「あちらの奥になります」と、女性が手で指し示す。

 彼は礼を述べて、歩き始めた。宮子も会釈をしてあとに続く。履きなれないヒールのかかとが、絨毯にうずもれる。


 廊下の角を曲がると、突き当たりに両家、そして新郎新婦それぞれの控室があった。

「宮子、大丈夫か。向こうで待っていてもいいぞ」

 立ち止まって、寛斎が確認する。宮子も足を止め、彼を見つめた。

「大丈夫。足手まといにはならないから、一緒に行かせて」

 しばらく視線を合わせたあと、彼はぽつりと言った。


「足手まといと思ったことはない」

 行こう、と寛斎が歩き出す。追いかけようとすると、聞こえるか聞こえないかの声で言われた。

「それと、……その服、よく似合っている」


 意外な言葉に、心臓が跳ね上がり、頭の中がふわふわする。彼は、顔を見られたくないのか、早足で行ってしまった。にやけた顔で、あとに続く。


 親族控室の前を通ると、明るいざわめきが漏れてきた。楽しそうな笑い声が廊下に響く。本来ならこうなるはずだった未来だと思うと、切なくなる。

 新郎控室の前に来て、二人は立ち止まった。顔を見合わせて深呼吸をし、タイミングを確認する。


 扉をノックする。

「どうぞ」という稲崎の声がした。歌うように、楽しげな調子で。

 目で合図してから、寛斎が扉を押し開ける。


「やっぱり来ちゃったか。さあ、どうぞ」

 稲崎が苦笑いをしている。寛斎に続いて宮子も部屋に入り、扉を閉めた。

 鏡台の前に座っていた稲崎が立ち上がる。衣裳負けしやすい純白のタキシードを、そつなく着こなしている。栗色の巻き毛や整った顔と相まって、童話に出てくる王子様のようだ。


「まあ、かけて。飲み物もあるよ」

 稲崎が、ソファを指し示す。テーブルには、ティーポットと、カップがいくつかトレイに伏せて置いてある。

 まさか、彼はもう、こちらの世界のものを口にしてしまったのだろうか。


「いえ、結構です」

 寛斎が答えると、稲崎はソファに腰をかけて笑った。


「さすがに、黄泉戸喫よもつへぐいは知っているか」

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