第33話 合流

 大きくうなずいて、宮子も立ち上がった。

「私も協力する。それと、鈴子もこっちへ来てるの。一緒に探して」

「鈴子ちゃんも?」


 しばらく考え込んでから、寛斎が言う。

「じゃあ、鈴子ちゃんと桃果ちゃんを保護したら、三人で先に戻ってくれ」

「先に? 寛斎さんは」

「桃果ちゃんたちの安全を確保してから、稲崎さんに会いに行こうと思う」


 稲崎は望んでここへ来たのだし、寛斎を脅し、桃果を危険なことに巻き込んだのだ。なぜ、そんな人に再び会おうとするのか。

 宮子の思考を読んだかのように、寛斎が小さく首を振る。

「ここは、まだ黄泉国よみのくにじゃない。黄泉比良坂よもつひらさか、この世とあの世の境目だ。俺たちも、稲崎さんも、生身の人間なんだ。ここに長くいると死んでしまう。……仮にも、俺は修験者だ。まだ生きている人間を置いていくことはできない」


 宗教者としての矜持きょうじが、彼の目に宿っていた。止められない。

 宮子は、大きくうなずいた。

「わかった。じゃあ、一緒に行く。私だって、仮にも神主なんだから、放ってはおけない。……邪魔にはならないから、連れて行って」

 返す言葉に迷うように、寛斎が小さく唇を動かす。が、諦めたように空をあおいで息を吐いた。

「お前は昔から、おとなしそうに見えて無茶ばかりするし、言っても聞かない奴だったよ」


 寛斎が、こちらを向き、左手を差し出す。

「まずは、二人を探そう。鈴子ちゃんに、桃果ちゃんを元の世界へ連れ帰ってもらう。そのあと、稲崎さんのところへ行く。……はぐれるなよ」

「もちろん」

 宮子は寛斎の手に右手を重ね、ぎゅっと握り合った。


 目を閉じて、鈴子のことを詳細に思い浮かべる。時間も場所も流動的な黄泉比良坂よもつひらさかで、妹のところへたどり着けるように。

 十九歳、大学生。ストレートのショートボブで、二重瞼の目、よく笑う大きな口。いつも明るくて活発で、人づきあいがうまくて、ちゃっかりしていて――。




「鈴子ちゃん、もうすぐ子ども神輿みこしが来るよ」


 年配の女性の声に、宮子は目を開けた。手は、寛斎とつないだままだ。


 二人で顔を見合わせたあと、あたりを見回した。

 そこは吉野川の川原ではなく、三諸教本院の近くにある、有名な神社の参拝者用大型駐車場だった。人目につかないよう、ひとまず公衆トイレの影に隠れる。


 遠くから、太鼓と笛、ワーッショレというかけ声が聞こえてくる。十月に行われる、秋祭だ。

 青い法被はっぴを着た女性たちが五人、ジュースとお菓子をビニール袋へ入れ、段ボール箱につめている。町を練り歩いている子ども神輿みこしが、ここで休憩する段取りらしい。


「はーい、ジュースとお菓子二十個、準備オーケーです」

 背中を向けてかがみこんでいた女性が、立ち上がる。

 鈴子だ。

 柏木姉妹は独身だが、神事しんじということで毎年、子ども神輿みこしの手伝いをしているのだ。


 宮子は建物の影から鈴子を呼び、手招きした。

「お姉ちゃん! もう、どこ行ってたの」

 鈴子が駆け寄ってくる。法被はっぴの下にバッグを斜めがけにしているのが、変な具合だ。

 となりにいる寛斎を見て、大きな口を左右に引いて笑う。

「あ、寛斎兄ちゃん。よかった、会えたんだね」


 妹を見てほっとしたと同時に、宮子は不安になって訊ねた。

「鈴ちゃん、こっちにきて食べたり飲んだりしてないでしょうね」


 『古事記』に、伊邪那美命いざなみのみことが「悔しきかも、黄泉戸喫よもつへぐいしつ」、つまり「黄泉国よみのくにの食物を口にしたから、もう遅い」とおっしゃったとある。ギリシャ神話でも、ペルセフォネは冥府の国のザクロを四つ食べたため、一年の内四カ月は冥府で過ごさなければならなくなった、という。

 異界の食物を口にするのは、境界を越えるという意味なのだ。


 鈴子が腕を組んで胸をそらし、自慢げに答える。

「小説家の卵をなめてもらっちゃ困るなぁ。こう見えても、古今東西の神話や民話は目を通してるんだよ。あっちの世界のものを飲み食いしちゃいけないってのは、常識よ、常識」


 安心したせいか、大きなため息が出る。

「ため息ついたら幸せが逃げちゃうって。……桃果ちゃん、今、秋祭の神輿みこしを引いてる。泰代さんも、保護者としてとなりで歩いてる。もうすぐ、ここへ来るよ」


 ワーッショレという子どもたちの声が近づいてくる。建物から首を出すと、道路の向こうの方に、紅白の布で飾られた神輿みこしが見えた。かつぐのではなく、車輪をつけた神輿みこしを、押したり綱で引っ張ったりするものだ。


 桃果の姿を探す。目を凝らしてもまだ判別できないでいると、寛斎が小声で「綱を持っている。前から三番目」と言った。


「で、どうやって連れて帰るの?」

 桃果の姿を目で追いながら、鈴子が訊ねる。

「俺が術をかけて、意識を失わせる。その間に、元の世界へ道を通して、連れ戻す」

 鈴子がうなずく。

「そうだね、意識はない方がいいね。……帰ったら、ここでのことは夢だったって思うよ、きっと」


 もし意識があれば、母親との別れを再び経験しなければならない。元の世界へ戻る決断を、桃果自身にさせるのは残酷だ。彼女はまだ幼すぎる。


「ああ。何かあれば、恨みつらみは全部俺が引き受ける」

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