第23話 祖霊

 白衣の袖をひっぱり、宮子はおそるおそる訊ねた。母はそれには答えず、うなずくように笑みを作る。


「ちょっと、お父さんのお仕事、見に行こうか」

 立ち上がった母の後ろについて、座敷を出る。浅葱あさぎ色のはかまが、シュッシュッと衣擦きぬずれの音を立てる。

 渡り廊下から社務所に入ると、祝詞のりとを唱える父の声が、重々しく響いてきた。

 ついてきて、と母が身振りで示す。待合室がわりの座敷から、そっと神殿へ入る。板の間に正座して祭詞を読み上げる、父のまっすぐな背中が見える。


「今日は、氏子うじこさんの五十日祭なの」

 五十日祭とは、仏式でいう四十九日にあたり、故人が現世を離れて幽世かくりよへ赴く節目だとされている。

「宮ちゃんは、お母さんに似てしまったから、見えちゃうのよね」


 母の声は、父には聞こえていないようだ。宮子たちの気配にすら、気づいていない。まるで誰もいないかのように、黙々と祭祀を執り行っている。


「不思議に思ったことはない? 四十九日や五十日で、死んだ人は幽世かくりよへ行くとか、成仏するとか、あがる、って言われているのに、どうして幽霊がいるのかって」

 宮子は、母を見上げてうなずいた。


「これはあくまで、お母さんや宮ちゃんが認識している世界の話ね。別の世界には、別のことわりがあるから。……魂魄こんぱくって言葉があるけど、コンハクは微妙に違うものなの」

 母の声に、父の祝詞のりとが重なる。


コンは、エネルギーの塊みたいなもの。この電池が入っているから、体を動かすことができるのね。コンと体がうまくつながらなくなると、生き物は死ぬ」

 しぬ、と言ったときの声色が冷たくて、宮子は身震いした。


コンは、体が死んでもまだ活動できる。ハクと分離して純粋なエネルギー体になると、コンは次の体に入るため、行くべきところへ行くの」

 ときどき前世の記憶を持つ人がいるのは、コンに体の記憶が残っているから、ということだろうか。


「じゃあ、ハクは?」

 訊ねると、母はとなりにかがみこんで、宮子の頭をなでた。

ハクは……思念というのが近いかな。死んだ後も残っている、この世への思い出とか未練、あるいは恨みね。いわゆる幽霊は、このハクなの。……ほら、見て」


 視線で指し示された方を見る。祝詞のりとをあげる父のそばに、うっすらと人影が見える。ベージュのシャツにゴムのウエストのズボンをはいた、白髪の男性だ。老人は、供物の熨斗のしに書かれた名前を見たり、父の顔をのぞきこんだりしている。


弥遠長いやとほながの家の守り神としまして、子孫の八十続やそつづきに至るまで行末ゆくすえ長く守り導き給へと、つつしうやまいもまをす」

 老人が、少し寂しそうに微笑み、うなずく。


 そのとたん、神殿の扉が開いた。目を開けていられないほどの、強烈な白い光が満ちる。


 思わずまぶたを閉じたのに、目の前の光景が頭に直接入ってくる。父は光が見えないのか、まったく動じずに祝詞のりとを唱え続けている。

 老人の姿が、光に呑まれ、かすんでいく。


 ぽん。


 老人の姿が消え、黄味がかった白い光の玉になった。

 それは、しばらく父の周りを回ったあと、神殿の扉の奥へ飛んでいった。光の玉が、白い光に溶け、一体となる。


 ばたん。


 扉が急激に閉まり、光が消え去った。

 おそるおそる目を開けると、ちょうど祝詞のりとを唱え終わった父が、神殿の朱色の扉に向かって拝礼するところだった。

 あの老人は、もういない。


祖霊それいになられたのよ」


 老人は光の玉となり、巨大な光に同化した。


「怖い……」

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