第20話 艸墓

 宮子が手を出すと、鈴子が車のキーを渡した。

「でもその前に、宮姉ちゃん、着替えてきたら? スカートじゃ、この羨道せんどうは通りにくそうだよ。私も懐中電灯とか取ってくるから、ちょっと待ってて。……一人で行くとは言わせないよ」

 やはり、夜中に墓の中へ一人で入るのは、怖い。正直、鈴子が一緒に行ってくれるのは嬉しかった。

「ありがと。じゃ、着替えてくる」


 急いで自分の部屋へ行き、ズボンにはきかえて防寒対策をした。上着のポケットに、財布と携帯、ハンカチ、小型LEDライトを入れる。左手首には、腕時計と一緒に、寛斎の数珠がおさまっている。

 鏡の中の自分に向かって、気合いを入れる。


 部屋を出ると、ちょうどとなりから鈴子が出てきた。ジーンズの上着にカーゴパンツという出で立ちで、ショルダーバッグを斜めがけにしている。

 二人は顔を見合わせてうなずくと、階段を下りた。


「お父さんに、なんて言おう」

 宮子が立ち止まると、鈴子が「まかせて」と言って、居間へと向かった。

「お父さん! 私たち、スーパー銭湯に行くけど、一緒に来る?」

 いや、私はいいよ、という父の声が聞こえる。

 大きいお風呂が好きだから、月に一度は姉妹でスーパー銭湯に行くが、父が一緒に来たことはない。断るとわかった上での誘いなのだ。


「じゃ、お姉ちゃんと行ってくるね。今ならマッサージ半額なんだって」

 遅くなることまで、ほのめかしている。よどみなく嘘をつく鈴子を、宮子は少しうらやましく思った。自分ならきっと、声色や態度ですぐにばれてしまうだろう。

「あんまり遅くならないようにな。気をつけて」

 父の声がした。宮子は鈴子と一緒に「はーい」と返事をして、玄関へ向かった。ガラガラと音をたてて、引き戸を開閉する。


「なんか、心苦しいな」

 砂利道を急ぎながら、宮子はつぶやいた。背後の神殿から、重圧がのしかかる。父は騙せても、神様は騙せない。

「世の中、本当のことが正しいとは限らないってやつよ。嘘も方便。いたずらにお父さんを心配させても仕方ないっしょ。もし、まずいことになりそうだったら、携帯ですぐ連絡するし」

 鳥居をくぐると、宮子は鈴子とともに、後ろを振り向いて一礼した。嘘をついて申し訳ありません、と神様に詫びながら。


 月極駐車場まで小走りし、車に乗り込む。国道に出たところで、制限速度ぎりぎりまで加速する。到着予想時刻は十分後だ。

安倍文殊院あべのもんじゅいんの近くだね。そばに学校のグラウンドがあるから、そこの路肩に停めようか」

 助手席の鈴子が、プリントアウトした地図を小型ライトで照らしながら言う。

 妹のナビゲーションに従いながら、宮子は広めの路肩に停車した。


 車を降りる。ドアを閉める音が、だだっ広いグラウンドに響き渡り、消えた。道路沿いにぽつりぽつりと民家があるだけで、あたりはひっそりとしている。街灯があるので、ライトをつけなくても周りが見えた。


「あっち」

 鈴子が山側へ続く道路を指さす。二人でグラウンド沿いを歩いていると、路肩に停めてある白っぽい車が見えた。もしかして、と宮子は駆け寄り、ナンバープレートを照らした。


 稲崎たちが乗っていた、レンタカーだ。


 全身が、ぞわり、とした。

 車を目にするまでは、正直なところ、稲崎たちがここへ来たかは半信半疑だった。じっとしていられないから、一%でも可能性のありそうなところを探して、あせりや不安から目をそむけようとしていたのだ。

 しかし、目の前に車がある。シルバーの冷たい車体を青白く染め、実体として、事実として。


 宮子はライトを消し、目を閉じた。深呼吸をして、ゆっくりと目を開ける。焦点を切り替える。

 薄闇の中のアスファルトに、わずかに光の粒が見えた。人が持つオーラの残留物だ。見慣れた緑色の光、これは寛斎のだ。あと、やわらかな薄桃色の光と、青い光。

 間違いなく、三人はここへ来たのだ。


「行こう」

 宮子は明かりもつけずに、光の痕跡を追って走った。後ろから、鈴子が足元を照らしながらついてくる。

 間に合って欲しい。彼らが境界を越えてしまう前に、追いつかないと。


 光の粒は、坂道にさしかかると、公道ではなく横に並走するせまい私道へそれた。これで合っているのか自信がなくてスピードを落とすと、鈴子がとなりに並び、息を切らせながら言った。

「合ってるよ。民家の隙間を通っていくって書いてあったじゃん。ほら」

 鈴子が、民家横にある立て札をライトで照らす。はげかけているが、緑色に白い文字で「艸墓くさはか古墳」とある。


 矢印の指し示す方向は、民家の真横で、人ひとりがやっと通れる程度だ。反対側は斜面なので、宮子も右手にストラップを通していた小型ライトをつけた。足元を照らしながら、慎重に進む。

 民家の庭とつながる、小さな丘の上に出た。奥の方に、こんもりとした小山が見える。あれが艸墓くさはか古墳だ。窓から漏れる光や人の気配に引け目を感じながら、宮子と鈴子は急いで庭を通り過ぎた。

 目指す古墳は、実際は方墳のはずなのに、円墳に見える。月明かりでほんのり青味がかかった夜空に、黒く浮かび上がっている。


 湿った土を踏み、少し傾斜をあがって、古墳の入り口に近づく。

 二人同時に、大石で組まれた羨道せんどうの入り口を照らす。高さは腰までしかないが、横幅は二人が並んで入れるほどだ。奥までは思ったより距離があるらしく、夜の闇よりももっと濃い、暗い色が広がっている。


 宮子は上半身をかがめ、ライトで中を照らした。

 光が届く距離に、石棺が見える。屋根の形をした大石で上部をふさぐ、家形石棺いえがたせきかんだ。


 しかし、三人の姿はどこにもなかった。

 気配すら、古墳に来たあたりで、急激に薄れている。


 ライトを持つ手が冷たくなり、力が抜けていく。

 手からこぼれおちたライトが、右手首に通しておいたストラップで宙づりになって、揺れながら足元を照らした。


 遅かった。

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