第18話 羨道

「稲崎は、死んだ婚約者に会いたいから、黄泉比良坂よもつひらさかへ至る道を探している」

 鈴子が新しい紙に「黄泉比良坂よもつひらさか」と書く。


「あのとき稲崎さんは、トンネル状のものじゃないか、って言ってた」

 黄泉比良坂よもつひらさかの横に「トンネル?」という文字が加えられる。


「宮姉ちゃん、黄泉比良坂よもつひらさかに比定されているのって?」

「比定地としては、伊賦夜坂いふやさか、今の東出雲町揖屋いやね。『出雲国風土記』によると、猪目いのめ洞窟も死者の国への入り口だって」

 鈴子がカタカナ混じりで地名を書き入れる。


「どっちも島根県か。じゃあ、稲崎がどうして奈良県桜井市に現れたのか、わかんないよね。まあ、桜井にも出雲って地名はあるけど」

「島根出雲と同じで、『出雲』は死に近い場所を意味しているって説があるの。桜井名産の出雲人形は、お墓に埋める埴輪が元だし。その埴輪も、元は殉死させられた人間の身代わりに作られたものだから、死の色は濃いよね」

 紙に「出雲=死の象徴?」という文字が加わる。


「ほかに黄泉比良坂よもつひらさかと言われているのは?」

「これは稲崎さんにも言ったんだけど、『日本書紀』の一説には、『もがりのところへおいでになった』って書かれているの。古代では、死者が出ると殯屋もがりやって別棟が建てられて、死体はそこへ安置された。その中で、時間とともに腐っていく。だから、真っ暗な殯屋もがりやそのものが、黄泉比良坂よもつひらさか、生と死の境界じゃないかって」


「生と死の境界、か。そういや、古代では、お産のときは産屋うぶやを建てて、生の瞬間をまわりから見えないようにしていたっけ。殯屋もがりやと似てるね。一種のタブーだったのかな、生と死の境界って」


 鈴子の言うとおり、産屋うぶやもまた生と死の境界、異界との通路だ。赤子がこの世に生を受ける際に通過する産道もまた、トンネル状である。


 伊邪那岐命いざなきのみこと伊邪那美命いざなみのみことと別れの言葉を交わす場面では、「一日に千五百の産屋うぶやを建てよう」とおっしゃったことになっている。

「生まれさせる」ではなく「産屋うぶやを建てる」という表現を使っているのは、意味があるのだろう。


「タブーというより、生死は神様が支配なさることだから、人間はつつしみなさいって意味だったのかもね」

 喪と産は、対になっている。

 古代、太陽は西に沈んだあと、「あかつきの通り道」と呼ばれるトンネル状の場所を通り、翌朝、東の空へ再生する、と考えられていた。この暁の通り道は、海にあるとされた。海は常世とこよ、異界の象徴だから、黄泉国よみのくにとも考えられる。


 なんにせよ、異界への出入り口、生と死の境界は、稲崎の予想通り、「トンネル状」なのだ。


 置いてあった『古事記』訳本をぱらぱらとめくっていた鈴子が、紙に「千引石ちびきのいわ」と書き足す。

「お姉ちゃん、千引石ちびきのいわ黄泉比良坂よもつひらさかをふさいだ、って書いてあるよ。石でふさがる形状ってことは、やっぱり、黄泉比良坂よもつひらさかはトンネルなんだ。ちょっと、ダンジョンみたいだね」

「ダンジョンって言っちゃうと、とたんに拍子抜けするじゃない」


 小さく笑いながらも、宮子は思い出した。寛斎が会いに来た朝、カラスたちが「千引石ちびきのいわを動かそうとする者がいる」と言っていたことを。


「トンネル状の暗い穴を、石でふさぐ、かあ。何かに似てるんだけどな」

 ペンを回しながら鈴子がつぶやく。死者たちのいる、暗い穴。トンネル。横方向にのびる、せまい通路。


「あ、そうだ」

 宮子は小さく机をたたいた。

黄泉比良坂よもつひらさかの描写は、古墳の横穴式石室に通じる羨道せんどうのことじゃないか、って説がある。玄室げんしつまでが、せまいトンネル状になっていて、入り口は石でふさいであるでしょ。追葬する場合に、その石をどけて中に入る。前の死者が腐っている様子を目にしただろうし、最後は石で通路をふさいで、死との境界を断絶した。それが、神話に反映されたんじゃないかって」

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