第17話 考察

 あのとき寛斎は、修験者の装束をまとっていた。ころもには、死装束の意味がある。山という異界へ入り、苦行の中で一度死に、新たに生まれ変わるという、「擬死再生ぎしさいせい」の思想があるからだ。


 やはり彼は、なんらかの覚悟をしていたのではないだろうか。だから、セレモニーホールで遭遇したときも、宮子になにも言わず、去ってしまったのでは。


「探さなきゃ」

 宮子は思わず立ち上がった。レンタカーがまだ見つかっていないということは、車を捨てたか、検問のない山道で様子をうかがっているのだろう。それなら、まだ市内にいる可能性が高い。

 机のすみに置いたままの車のキーに手を伸ばそうとすると、鈴子がそれを奪い取った。

「こんな夜中に、どこを探すの」

「でも、じっとしてるより、ましでしょ」


 鈴子がため息をついてから、お茶の入った湯呑みを宮子の前に置いた。

「とりあえず、それ飲もっか」

 軽い口調なのに、うむを言わせない雰囲気に、宮子はおとなしく椅子に座り、ゆっくりとお茶を飲んだ。ほどよくぬるい液体がのどをうるおし、渇きをいやす。

「じゃ、次は、呼吸瞑想ね。吸います、吸います、吐きます、吐きます」

 寛斎の師、玄斎から教わった瞑想法だ。呼吸にのみ注意を向けることで、雑念を追い払い、心を落ちつける効果がある。呼気と吸気の動きを観察していると、だんだん高揚した気分がおさまり、平静になっていく。


「落ちついた?」

 鈴子の言葉に、宮子は気恥ずかしさとともにうなずいた。

「やみくもに動いても、しょうがないじゃん。市内っていっても結構広いよ? ある程度しぼりこまなきゃ。動くのは、それから」

 いつも明るくノリのいい鈴子だが、実は意外と冷静な子だ。感情や状況に流されず、情報を集めて最善の道を探そうとする。


 霊視体質もあって学生時代は周りに溶け込めなかった宮子と違い、鈴子は学校でも地域でも他人とうまく付き合うことができた。それは、パワーバランスをすばやく見抜く冷静さと、情報収集能力にたけているからだろう。


「まず、情報を整理しよっか。宮姉ちゃんが見たのは三人。槇原桃果ちゃん、稲崎聡史って三十くらいの男性、そして寛斎兄ちゃん」

 鈴子が紙に、三人の名前を書く。


「彼らの共通点は、大事な人を亡くしているってこと。桃果ちゃんは、お母さんが亡くなったばかり。稲崎は、先月婚約者の安浦奈美さんと死別。……寛斎兄ちゃんは、小学六年生のときに母親を殺されている」


 三人の名前の横に、槇原泰代(母)、安浦奈美(婚約者)と、死者の名前が書き加えられた。須藤、と書いてペンが止まる。

「佳作の佳に美しい、で佳美さん」

 宮子が言うと、名字の下に寛斎の母の名が書き足された。


 寛斎と同じ色黒の肌だが、切れ長の目をした彼と違って母親は目が大きく、南洋系の顔立ちをしていた。ニュースの映像でしか見たことはないが、写真を目にすることで、年月や他人との思い出を背負った人物が確かに存在した、ということを実感する。特に、寛斎と同じ色の肌は、そのつながりの確かさを物語っている。


「首謀者は稲崎。先月の台風で、結婚直前の婚約者を亡くして絶望している」

 鈴子が稲崎の名前の上に、二重丸をつける。


「じゃあ、稲崎の気持ちになって考えてみよっか」

 小説家志望の鈴子は、このせりふをよく口にする。道徳的な意味というより、「相手の思考パターンでものを考え、結果を推測する」の方が近い。鈴子が世渡り上手なのは、こういう考え方が自然にできるからだろう。


「来月には結婚するはずだったのに、突然、なんの前触れもなく、彼女を亡くしてしまった。天災だから、誰かを恨むこともできない。あんないい子だったのに、なぜ死ぬのが彼女じゃなきゃいけないのか、納得がいかない。神も仏もないものか」


 親しい人を亡くした人の思考の第一段階だ。死者があけた心の穴に耐えられず、軽いパニックを起こしている。

「そこから少しずつ立ち直る道を模索するわけだけど、宮姉ちゃんは稲崎と会ってるよね。どんな感じの人だった?」


 宮子は、となりの座敷に座っていた稲崎の姿を、脳裏に呼び起こした。

「おだやかな感じだった。ものごしも落ち着いていて品があったし。相手に警戒心を起こさせないタイプかな。でも、頑固で、他人の意見を聞かなさそうな感じがした。忠告しても、笑顔で受け流されそう。あと、ちょっと怖いって思った。子どもを連れ去るハーメルンの笛吹男ってこんな感じなのかなって」


 古事記の黄泉国よみのくにの段について、しきりに質問をしてきた彼を思い出す。張り付いた笑顔で、せりふでも読むかのように「ありがとうございます」と言ったときの冷たさも。


「婚約者の死に納得がいかないなら、正そうとするかもね。だから、黄泉比良坂よもつひらさかを探してるのか。……若いのに非科学的なことを信じてるな、って思ったけど、可能性が少しでもあるなら、すがりたいんだね」

 鈴子がペンを回しながら言う。


「うん。そういえば、知り合いのお坊さんから聞いたことがある。霊のたぐいは鼻で笑うような科学信奉者の人が、奥さんを亡くしたとたん、オカルトめいたものを信じるようになったって。『死んだ妻と筆談をしながら一緒に暮らしている』って内容の本を書いたフランス人の作者に手紙まで出して、方法を訊ねていたらしいよ」


 宮子の言葉に、鈴子が相づちを打つ。

「追いつめられた人って、眉唾モノの話でも信じちゃうんだろうね。人間って、自分に都合の悪い記憶や情報は、脳が改ざんしちゃうらしいし。まあ、それだけ稲崎って人の婚約者への想いが強い、ってことか」

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