第16話 形見

「宮姉ちゃん、ご飯持ってきたよ」

 鈴子が社務所に入ってきた。事務机の書類をどけて、お盆を置く。グラタンの甘くやわらかなにおいに、宮子は空腹だったことに気づいた。あれからずっと、逃げた三人の手がかりを求めて調べ物をしていたのだ。

「腹が減っては戦はできぬ、って言うじゃん」

 鈴子がコロつきの椅子を引っ張ってきて、となりに座る。


「何かわかった?」

「わかったような、わからないような」

 宮子は、プリントアウトした資料の束や、ふせんをつけた『古事記』訳本を、妹の前に置いた。

「どれどれ。『結婚目前の女性、台風で犠牲』……稲崎って人の婚約者のことだね。確か、新聞で見たことがあるよ」

 鈴子が記事を読みあげる。


「観光協会に勤務していた安浦奈美さんは、職場でも地域の人たちからも人気者だった。古代史に造詣が深く、彼女が作成した歴史探訪ガイドマップは観光客から好評だった。同僚たちは、『新婚旅行は日本神話の舞台である出雲と高千穂へ行く、と嬉しそうに話していた。どうしてこんなことに』と、涙を浮かべて言葉を詰まらせた」


 何枚か紙をめくって目を通した鈴子が、ため息をつく。

「うわぁ、これはつらいね。当事者でなくても、『彼女じゃなくていいじゃん、かわいそうすぎる』って思うわ。しかも、この写真の奈美さん、すごく感じのいい美人だね。笑顔が素敵だけど、ちょっと華奢で寂しげで、守ってあげなきゃってタイプの。幸せになって欲しかったなぁ」


 宮子はうなずいた。確かに、記事を読んだだけで自分まで悲しくなり、なぜこんないい人がこのタイミングで死ななければならないのかと不条理を嘆き、彼女が手にするはずだった幸福を思って涙ぐんだ。稲崎の絶望は、測り知れないだろう。


「こっちは? ……黄泉比良坂よもつひらさかについての資料か。稲崎って人は、黄泉よみへの入り口を探してるんだったね」

 黄泉比良坂よもつひらさか経由で、なんとか稲崎たちの足取りをつかみたかったのだが、具体的なことはわからず、途方にくれていたのだ。警察も捜索しているだろうが、それよりも先に見つけたい。


 あのあと宮子は、桃果が稲崎といたことを、村のみんなに報告した。ただ、寛斎のことは「行者姿の男性が一緒だった」としか言わなかった。警察沙汰になった場合、彼の経歴に傷をつけたくないからだ。

 桃果の父は、警察にそのことを告げた。三諸教本院に残されていた稲崎の氏名と住所、レンタカーのナンバーも。すぐに検問がしかれたことだろう。


 時計はすでに夜十時を過ぎていた。まだ車が見つからないということは、捜索を恐れて乗り捨てたのかもしれない。

 稲崎たちのことを槇原家に伝えたあと、宮子は市内にある残りの葬祭会館を、車で回った。顔なじみのスタッフに事情を話し、もしこういう特徴の男性二人と女の子を見かけたら連絡してほしい、と頼んでおいた。個人宅で行う葬儀を狙うかもしれないと、知っている限りの檀家寺の僧侶にも同様のお願いをした。

 社務所の固定電話と携帯電話を目の前に置いて待っているが、まだどこからも連絡はない。


 槇原家の人たちや警察は、集団心中の線を疑っているようだ。やはり、いい大人が「黄泉国よみのくにへの入り口を探している」とは思えないのだろう。


 稲崎は、本気だ。宮子にも、それはわかった。


 桃果を連れていったのは、おそらく大事な人を亡くしたという共通点ゆえだろう。

 もしかしたら、槇原泰代の通夜のあと、二人に接触があったのかもしれない。窓を開けた桃果は、闇の中に稲崎の姿を見つける。

「おじさん、なにか探しているの?」

「うん。死んだ人が行く国へ通じる、トンネルを探しているんだよ――」


 宮子はスプーンを手に取ったが、食べる気になれずグラタンを見つめた。

 寛斎はどうなのだろう。どういう経緯で稲崎と知り合ったのか。納得したうえで行動をともにしているのか。なぜ、幼い桃果を連れていくことに反対しなかったのか。


「一緒にいた行者って、寛斎兄ちゃんでしょ」

 鈴子の声に、宮子はスプーンを落とした。ガチャリ、という音が響く。顔をこわばらせてとなりを見ると、妹が、わざとらしく片眉をあげた。

「宮姉ちゃん、顔に出過ぎ」


 宮子は観念したように、ため息をついた。

「お父さんや、他の人には言わないで」

「言わないよ。……お父さんは、たぶん察していると思うけど。なんだかんだで、寛斎兄ちゃんのこと、息子みたいに思ってるから、お見通しでしょ」


 父が若いころお世話になった玄斎げんさいという老行者が、寛斎の師僧なのだ。師のお供として、寛斎が三諸教本院に滞在していたこともあるし、逆に宮子が玄斎のいおりに通っていたこともある。


 見えざるものが見えるため、思春期のころ、宮子は一時的に精神を病んだ。

 父につきそわれていおりへ通い、玄斎から瞑想や護身法ごしんほうの指導を受け、ようやく普通に過ごせるようになった。視線を切り替えて、普段はあやかしを見ないようにするすべも、玄斎から教わったものだ。

 内弟子としていおりに住み込んでいた寛斎とは、宮子も父もよく顔を合わせており、親戚のように付き合ってきた。柏木家には女児しかいないので、父は寛斎と接するのが嬉しいようだった。


 鈴子が机上の書類を読みながら、話し続ける。

「昨日、寛斎兄ちゃんが来たのって、そういうことだったんだね。稲崎って男と一緒に黄泉比良坂よもつひらさかへ行くから、宮姉ちゃんに会っておこうと」


「でも、『必ず帰る』って言ったのよ」


 改めて言われると、まるで寛斎が別れのあいさつに来たように思えて、宮子はむきになった。

 左手首の念珠に、右手で触れる。木目の感触が、指の腹に当たる。帰ってくるまで預かってくれ、と彼は言ったのだ。必ず帰る、と。


 宮子の胸を、一抹の不安がよぎる。

 帰れない場合のことを考えて、寛斎は数珠をくれたのではないだろうか。もしかしたら、形見のつもりで。

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