第2章

第13話 行方不明

 私服に着替え、自宅で夕食の準備をしていると、電話が鳴った。宮子はコンロの火を止めて、受話器を取った。何か言う前に、父のあせった声が、耳に飛び込んでくる。

「宮子、桃果ちゃんがそっちに来ていないか」


 時間はもう六時で、窓の外は暗くなりかけている。

「来てないけど……帰家祭きかさいのあと、村の人たちとみんなで食事してたんじゃ」

「大人ばかりだから、桃果ちゃん、途中で自分の部屋へ行ったんだ。あんまり静かだから、お祖母さんがさっきドアを開けたら、空っぽで。しかも、書き置きがあったんだ。『お母さんのところへいきます』って」


 受話器を持つ手から力が抜け、落としそうになる。宮子は足に力を入れ、受話器を握りなおした。

「お母さんのところへ、って……」

「桃果ちゃんは小学二年生だ。馬鹿なことは考えないとは思うが。今、総代そうだいさんが、村に連絡網を回している。もしそっちへ桃果ちゃんが行ったら、保護してくれ」

 三諸教本院には祖霊を祀っているが、桃果が求めている母親は、もっと違う形のはずだ。たとえば、昨晩のような。


 電話を切った宮子は、手で口をおおったり、こめかみを押さえたりして、気持ちを落ちつけようと試みた。桃果の家出は、母親の霊と引き合わせたことで、変な期待を持たせてしまったせいとしか思えない。もし、母に会いたい一心で、危ないところへ行ってしまったら。その途中で変質者に襲われでもしたら。


 いてもたってもいられず、宮子は火の元の確認をし、エプロンを脱いでジャケットをはおった。携帯電話をポケットに入れ、玄関へ向かう。

 靴をはいていると、妹の鈴子の気配がした。ちょうどいい、とばかりに、宮子は鍵をかけずに玄関の引き戸を閉めた。塀の端にある勝手口から外へ出ようとしたとき、鈴子が自転車を押しながら参道を歩いてくるのが見えた。


「宮姉ちゃん、どうしたの」

 宮子は鈴子に走り寄り、経緯を簡単に説明した。

「桃果ちゃんが来たら、すぐお父さんに連絡して」


 わかった、と鈴子が言うのを待たずに、宮子は走り出した。ポニーテールに結わえなおしていた髪が揺れ、背中を打つ。一度は母親の霊を取り次いだのだから、桃果は宮子のところへ来る可能性が高い。手がかりだけでもつかまなくては。鳥居をくぐって道路に出たところで、宮子は立ち止まった。

 神経を集中し、視線を切り替える。現実の景色に、普段は見ないようにシャットアウトしている別の位相が重なる。


 電信柱の影や道路の側溝に、人や動物のような影が見える。もちろん実体はない。空家の庭のけやきに、すすの塊のようなものが駆け上がり、葉にびっしりと張りついてかすかな笑い声をたてる。日常生活の裏に息づくあやかしたちが、浮かび上がってくる。

 それらに気づかれないよう横目でそっと探りながら、宮子は槇原家へと向かった。


 四辻を曲がってすぐのところに、お地蔵様がいらっしゃる。村の人が共同でお世話をしており、宮子も通るたびに手を合わせている。毎日みんなから感謝の気持ちを捧げられているので、お地蔵様はきれいな虹色の光に包まれている。「儲かりますように」などの私利私欲ばかり願われていると、光がくすんできて、最後はどす黒く変質してしまうのだ。


 宮子は立ち止まり、お地蔵様の前で膝をついて手を合わせた。

 ――女の子の行方を探しています。お見かけしませんでしたでしょうか。

 宮子は頭の中に、槇原桃果の容姿を思い浮かべた。


 ――ミタ。

 脳内に直接声が響く。宮子はさらに問いかけた。

 ――いつ頃、どこへ向かったのでしょうか。

 頭の中に光が入り込み、思考が真っ白になる。そこへ、地蔵が鎮座している真向かいの景色が映し出された。


 桃果が歩いてくる。

 自宅の方角からやってきて、四辻を曲がろうとしている。三諸教本院がある方向だ。葬儀では制服姿だったが、私服に着替えている。桃色のカーディガンに膝丈のスカートという出で立ちだ。

 三諸教本院側の角から、黒いジャケットを着た大人の男性が歩いてきた。視点の位置が低いため、胸までしか見えない。

 二人がすれ違う。

 男はそのまま歩き去ろうとしたが、桃果は振り返って彼の方をしばらく見つめ、あとを追って声をかけた。


 何を話しているかは聞こえないが、視界の端の方で、二人は何ごとか会話をしていた。桃果の方が積極的にしゃべっている。

 男は再び去ろうとしたが、桃果がついていく。男は立ち止まり、少しかがみこむ。桃果と近い目線で何かを言う。後ろ姿だが、栗色の髪がはっきりと見て取れた。


 ――さっき御祈祷に来た、稲崎さん?


 体の向きを変えたことで、手に持った細長い紙袋が見える。あれは、神札の入った三諸教本院のものだ。


 稲崎の後ろに、桃果が続く。今度は彼も拒もうとせず、むしろ彼女のためにゆっくりと歩いている。二人が視界から消える。


 目を開けると、お地蔵様がゆっくりとうなずいた。

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