第8話 祈祷依頼の男

「こんにちは」

 宮子が探るように声をかけると、男性も会釈をした。背は高めで、栗色の巻き毛が色白の肌とよく合っている。白いシャツに黒のジャケットという、シンプルで清潔感のある格好だ。

「入ってお参りしてもよろしいですか。さっき来たときは、門が閉まっていたんですけど」

 聞き心地の良いテノールの声で、口調もおだやかだ。宮子もつい笑顔になって答える。

「ええ、どうぞ。お参りください」


 男性が一礼し、宮子の前を通って門をくぐる。年齢は、三十歳くらいだろうか。微笑んでいるのに、どこか寂しそうに見える。

 彼は、門の左横にある手水舎てみずやに進み、手と口をすすいだ。左手・右手・口をすすいで左手と、正しく手水を使っている。寺社仏閣巡りが趣味なのかもしれない。

 会社員に見えるが、平日が休みの職種なのだろうか。左薬指に指輪をしているから、既婚者か彼女持ちであるようだ。宮子がほうきを塀に立てかけ、後ろから観察していると、男が振り向いた。


「こちらは、亡くなった人たちをお祀りする神社だと聞きましたが」


 表情だけの笑顔で訊ねてくる。

「正確には、幽世かくりよの大神様を御祭神としてお祀りする神社です。大神様――大国主命おおくにぬしのみこと様は、亡くなられた人が赴く幽世かくりよを統べられる神様ですので、亡くなられた方の御霊みたまを、こちらに併設されております祖霊舎それいしゃにお祀りし、大神様のおそば近くで後の世を幸せに過ごせるよう、お祈りしているのです」

 男は、まばたきもせず話に聞き入ったあと、さらに訊ねてきた。


「神社ではよく、死は穢れ、としていますが、こちらは違うのですか」


 どうもこの男性は、死者を祀ることにこだわりがありそうだ。宮子は、ほんの少しだけ目の焦点をずらして、別の位相をのぞき見た。


 男の左肩に、うっすらと女性の影が見える。肩にかかる長さのやわらかな黒髪で、清楚な雰囲気の若い女性だ。親しげに寄り添っていることから、妻か恋人と思われる。伴侶のことを「穢れ」と言われたくないのだな、と宮子は納得した。


「死自体はともかく、死者を忌み嫌うことはございません。その証拠に」

 宮子は、社殿の上にかかる「三諸教」と白字で書かれた大きな木の額を、手で指し示した。

「あの額の板は、古代の棺桶だったのです」

 男は、社殿に近寄り、目を見開いて額を凝視した。

「明治時代に、天理市で発掘されたものだそうです。詳しい経緯は伝えられていませんが、おそらく供養の意味もあって、こちらの神社に納められたようです」

 男は端の方が朽ちた額を見上げたまま、うなずいた。


「棺桶を看板に使っているのですか。神社であっても、死穢に寛容なのですね」

 視線を戻した男は、賽銭箱へと近寄ると、動きを止めた。「昇殿参拝は右隣の受付まで」と書かれた札を見ている。

「よろしければ、中に入ってお参りされますか」

 宮子が声をかけると、男は振り返って視線を合わせ、「ぜひ」と微笑んだ。整った顔立ちの男性によくいる、自分の魅力を把握し、その自信ゆえに物おじせずふるまうタイプに思えた。それでいて、不思議と警戒心をとく雰囲気がある。


 入り口に案内し、下駄箱を手のひらで指し示す。

「お履物はそちらに入れて、おあがりください」

 自らも草履を脱ぎ、入り口のガラス付き障子を開ける。先導して中に入ると、男もあとに続き、受付兼待合室の座敷を見回した。壁の上の方に貼ってある、亡くなった方に対する年祭への寄付の札を、興味深そうに読んでいる。三方にびっしり貼られたたくさんの札は、それだけ多くの方が亡くなり、祀られていることを示している。


「こちらの信者でなくても、御祈祷をお願いできますか」

 男が訊ねてくる。宮子はゆっくりとうなずいた。

「もちろんです。幽世かくりよの大神様は、亡くなったすべての方をお守りくださいます」

 宮子は、受付用の座敷机の奥側に座った。男も、その向かいの座布団に座る。白布をかけた机の上の、厄除けや諸願成就、年祭祈祷の案内と目安金額を書いた紙を見ている。

「いろいろな御祈祷があるんですね」

「ええ。……どういった御祈祷をなさいますか」

 男性は、何かに想いを馳せるような遠い目をした後、口元だけで笑顔を作った。


「亡くなった人の供養――この言い方でいいのかな? をお願いします」

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