第5話 「人は死んだらどこへ行くの?」

 宮子は立ち上がり、桃果の肩に手を置いた。ようやくうなずいてくれる。

「少し、席をはずします」

 宮子は父に告げて、廊下に出た。桃果が宮子の袖をつかみ、二階の自分の部屋へと引っ張っていく。桃果がドアを開け、電気のスイッチを入れる。壁紙やベッドカバーが薄ピンクで統一され、きれいに整頓された子ども部屋だ。ただ、ベッドの上に、ぬいぐるみが何体も散乱していた。力任せに投げ飛ばしたのだろう。

 宮子が中に入ると、桃果はドアを閉め、声を震わせて言った。


「神主のお姉ちゃん。お母さんは、どうなったの? 人は、死んだら、どこへ行くの?」


 子どもゆえの単刀直入な質問に、宮子は少したじろいだ。が、動揺を見せないよう、落ち着いて答える。

「いろんな説があるけど、うちの神社では、幽世かくりよの大神様の元へ行って、みんなを守る祖霊になる、って伝えられているの。だから、お母さんも……」

「お姉ちゃんは、本当にそれを信じてるの? 自分の目で見たの?」


 わからないことに理由をつけてわかった気になる、という大人のずるさが、子どもにはないのだ。宮子は深呼吸をし、息を長く吐き出した。

「ううん、はっきり見たことはないの。お姉ちゃんも死んだことがないから、本当のことはわからない」

 桃果が、上目づかいに宮子をにらむ。

「でもね、少しだけ感じることはできる。亡くなった人が、上……空へ昇っていって、家族のことを見守っているのを」


 これは嘘ではない。

 人の霊魂は体から離れると、だんだんその個性が抜けて、エネルギーの塊のようになっていく。よい状態のものは、別の位相へ行く。少なくとも、宮子にはそう見える。その状態を、「天に昇る」「祖霊になる」「あがる」などと言うのだろう。

 まだ生前の記憶を残す霊魂は、親しかった人のそばに出やすい。自分の姿を記憶の中で投影してくれるからだ。


「じゃあ、まだお母さんはいる? どこ、教えて」

 桃果が右手で宮子の袖をつかみ、お母さんに会いたい、と顔をくしゃくしゃにして泣きだす。


 宮子自身も、母が亡くなったとき、どこまでも続くと信じていた世界が足元から崩れ去ったように感じた。

 桃果にとっても、母親は自分が生きている世界の土台で、それを失ったことはとてつもない恐怖なのだ。宮子はかがみこんで、桃果の背中をゆっくりとさすった。


 ふ、と部屋の中の気配が濃くなった。母親を想う桃果の気持ちに引かれて、やってきたのだろう。


 白い光の塊が、桃果の声に呼応して、女の人の形を作りだす。死者の霊魂は弱いので、自分だけの力で姿を形作るのが難しい。だから、娘の強い想いを元にするのだ。


 現れた槇原泰代の霊は、悲しそうな顔で娘を見ていた。ゆっくりと近づいてきて、無造作に結わえた髪をなでようとする。しかし、触れることができず、泰代は顔をゆがませた。

 気だてがよくて明るかった彼女の生前を思い出し、宮子も胃をきゅっとつかまれたような気分になった。突然の別れは、彼女にとっても身を切られるほどつらかっただろう。


「お母さん、いるよ。桃果ちゃんのとなりに。今、髪をなでようとしてる」

 つい口にしてから、自分の軽率さを悔やんだ。

 桃果が泣きやんで表情を明るくすると同時に、泰代の霊がこちらを凝視した。

「見えているのね」

 彼女の目がそう言っている。


 見えざるものが見えてしまう、というのは、秘さなければならない。特に、人外のものには。


 自らの怨念や他人の呪縛のために「あがる」ことのできない霊から、助けを求めて付きまとわれたり、あやかしの類にからかわれたりと、昔からろくなことがなかった。

 寛斎から「もっと要領よく対処しろよ」と、あきれられたものだ。彼も見える人間だから、何度も助けてもらった。


 泰代が、桃果ではなく宮子のそばに来る。懇願するような表情で、何ごとか言っている。


 ――少しだけ、代わって。


 頭の中に直接、声が響いた。体を貸せ、というのだ。


 泰代が感じのいい人だということは知っている。しかし、それとこれとは別だ。一瞬でも他人に体を奪われるのは、自身の尊厳に関わる。

 ――だめです。お気の毒ですが、泰代さんはもう亡くなったのです。

 泰代が顔を曇らせる。なんとかしてあげたくても、死は人の身ではどうにもできないことわりだ。下手な同情は、かえって相手のためにならない。


 桃果が絞り出すような声で言った。

「お母さん、出てきて。私を置いていかないで」

 一瞬、母を亡くしたときの自分と桃果がシンクロする。

 一人ぼっちで暗闇に置き去りにされたような、出口の見えない不安。どこまでも続くと思っていた世界が終わってしまった絶望。


 とたんに、宮子の体に違和感が走った。


 首筋から入り込んだそれが、体の支配権を奪う。意識はあるのに、まるでどこか別のところから自分を見ているような気分になる。

 ──乗っ取られた。

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