第2話 言霊

 妹の鈴子は、小説やマンガが好きな寛斎かんさいと話が合うので、小さいころから彼になついている。宮子が寛斎と付き合っていることを知られているから、それが照れくさくもある。寛斎のことをごまかすように、宮子は「お父さん、何時ごろ帰るのかな」と訊ねた。

「通夜祭に必要なものを買ってから、総代さんたちと打ち合わせだって言ってたから、五時半くらいじゃないかな」


 総代とは、神社の氏子うじこ、お寺で言うところの檀家の、代表者のことだ。村内で亡くなった人が出ると、家族に代わって総代が葬祭を仕切る慣わしになっている。地縁でなりたつ田舎だからできることだ。

 最近は、大手企業が格安葬式をうたっているが、マンパワーを無料で共有できる田舎では、見栄さえ張らなければ、葬式は都会ほど値の張るものではない。しかも、神葬祭は仏式と違って戒名かいみょう代がいらないので、神社へ納めるお金は経費込み十五万円からですむ。

 それはそれで、柏木家に金銭的余裕がない理由でもあるのだが。


「じゃあ、私も準備をするね。鈴ちゃん、これ、お願い」

 宮子は、赤字を入れた祭詞を妹に渡した。

 まかせて、と言って鈴子は硯を取り出し、墨をすり始めた。祭詞用の和紙に清書するのだ。

 席を立った宮子は、箪笥から葬祭用の鈍色にびいろの袴や狩衣かりぎぬを取り出し、衣桁いこうにかけた。祭祀用具がしまってある棚から、新しい霊璽れいじを一つ出す。仏式でいう位牌にあたり、蓋はあるものの似たような形をしている。ここに亡くなった方の魂をお遷しし、神棚に祀るのだ。

 白木の霊璽れいじは小さく、表札程度の大きさしかない。人ひとりが、こんなちっぽけな木の依代よりしろに顕される。改めて考えると、それはとても、あっけなくて、哀しい。


 窓の外で、「七つの子」の曲がかすかに聞こえる。五時を告げる公園のオルゴールだ。これを合図に、三諸教本院は表の門を閉める。

「閉門してくるね」

 鈴子に声をかけて外へ出ようとすると、呼び止められた。墨をすり終わって半紙に練習書きをしている妹のとなりに立つ。鈴子は新しい半紙を文鎮でとめ、墨をたっぷり含ませた筆で、はみ出しそうなほど大きくて勢いのある字を書いた。


 元気


 墨書が揺らいだかと思うと、文字が紙から浮き上がり、トビウオのように勢いよく宮子へ向かってきた。白衣を通って、体の中に文字が入る。もちろんそれは宮子に見えるイメージであって、実際の文字は半紙の上にあるのだが。

 不思議と体があたたかくなり、指先にまで力が行き渡った。

「お姉ちゃん、神主まで落ち込んじゃ、だめでしょ」


 鈴子には、言霊ことだまを具現化する力がある。

 本人は目視できないようだが、鈴子が心を込めて書いた文字には、言葉の意味と同じ力が宿る。それもあって、祭詞を考えたり清書したりするのは鈴子にお願いしているのだ。

「うん。落ち込んでいる御遺族を支えるのも、神主の役目だもんね。……元気出た。ありがと」

 宮子は鈴子の肩をたたいて微笑み、社務所を出た。


 出入り口で草履をはき、神社の正面へ向かう。神殿に向かって、ていねいに一礼をする。門の両側にあるレンガ色の鉄格子の門を、ゆっくりと閉めた。キイキイと、鉄のきしむ音がする。念のため、鍵はまだかけず、少し隙間を開けておく。小さなやしろではあるが、有名な神社の近くなので、ついでに参拝する人が結構いるのだ。


 誰も残っていないか確かめるため、宮子は塀沿いに歩き始めた。左の角を曲がり、社殿との隙間を、蜘蛛の巣などがないか確認しながら進む。神様がいらっしゃるところは、常に美しく保つのが基本なのだ。

 後ろに回り込まれないよう作ってある衝立のところまで来ると、引き返して反対側へと向かう。神殿と社務所の前を通り過ぎ、右の角を曲がる。こちらには、自宅との渡り廊下がある。参拝者はいないようだ。


 引き返そうとしたとき、庭のさかきの木が、風に揺れて葉擦れの音をたてた。

 その音に振り向くと、木の下に、男の子の残像が見える。


 ――寛太君。

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