第1章

第1話 三諸教本院

 月参りを五件終えて、宮子は袴のまま自転車に乗り、神社への帰路についた。


 三諸教本院は、御祭神である幽世かくりよ大神おおかみとともに死者をお祀りする、特殊な神社だ。通夜祭、葬祭、年忌はもちろん、月命日ごとに氏子うじこさんの家を回り、神様や祖霊に祈りを捧げるのを生業としている。神主というより、檀家さん向けに法事を行う僧侶に近いかもしれない。


 もとは、大和国一之宮である某神社の一部だったが、明治十五年の社教分離令により、神葬祭や教導職が禁止された。この際に、便宜上「三諸教本院」として独立した背景があるので、父は宮司ぐうじではなく管長かんちょうと呼ばれている。


 せまい生活道を、慣れた調子で進む。掃除をしている近所の人と笑顔であいさつを交わす。いつも通りの日常をこなしつつも、宮子の頭の中は、今朝の寛斎のことでいっぱいだった。


 あれから連絡を取ろうとしたが、携帯電話は通じないし、メールを送っても反応がない。宛先不明で返って来ないところをみると、届いてはいるのだろうが。


 鳥居前につき、宮子は自転車を降りた。神社に向かって一礼し、自転車を押しながら、木々に挟まれた参道を歩く。砂利を踏む音が、今日はやけに鳴り響いた。神社を囲う白塀の隅の勝手口を開け、自転車を中に入れる。


 狩衣かりぎぬ烏帽子えぼしを入れた紙袋を前かごから取り、宮子は神社横にある出入り口へ向かった。来客用も兼ねた大きな下駄箱のいちばん下に草履を入れると、三段ある古木の階段をのぼり、ガラス付きの障子を開ける。来客用座敷を通り抜け、衝立向こうの社務所に顔を出す。


「ただいま」

 声をかけると、事務机でノートパソコンに向かっていた妹の鈴子が振り向いた。パソコン用の黒縁眼鏡をかけていると、ひょうきんなイメージになる。ストレートのショートボブに動きやすい服装と、一見アウトドア派に見えるが、小説家志望で暇さえあれば書くか読むかしているという、根っからのインドア派だ。


「お帰り」

 鈴子の声が、薄墨の色になって天井へのぼった。


 宮子には、普通の人に見えないものが見える。それは、色や光だったり、いるはずのない人の姿だったりする。

 普段は視線を切り替えて見ないようにしているが、親しい人や強い感情には同調しやすいので、うっすらとわかってしまうのだ。

 宮子は衣裳を棚にしまいながら、訊ねた。


「どなたか、亡くなったの?」


 鈴子が眼鏡をはずし、椅子ごとくるりとこちらを向いた。大きな目が、宮子を見つめる。

「槇原さんとこの若奥さん」

「お姑さんじゃなくて、泰代さん?」

 問い返すと、鈴子がこわばった顔でうなずいた。まだ三十代半ばくらいなのに。一人娘は、小学二年生のはずだ。

「心筋梗塞だって」


 死者を弔うことに従事していると、どうしてもやり切れない気持ちになることがある。まだ死ぬはずがないと思っていた若くて健康な人が、突然、何の前触れもなく、鬼籍に入る。心の準備ができていなかった家族の嘆く様を見るたびに、胸がつぶれる思いがする。


 宮子自身も、小学一年生のときに母を亡くした。

 晩ご飯のときまでは普通にしていたのに、脳梗塞を起こして倒れ、あっけなく逝ってしまった。明け方の病院で泣く父の姿と、もう動かない母の蝋人形のような土気色の顔が、心の隅にこびりついている。鈴子はまだ生まれたばかりだったから、生身の母のことを覚えていない。


 鈴子が座っている父の事務机には、家族四人で撮った古い写真が飾ってある。白衣姿の父と、おくるみに包まれた鈴子を抱く母、その前でぎこちなく笑顔を作っている小学生の宮子。母も神主だったが、このときは白衣ではなく空色のワンピースを着ており、泰然とした笑みを浮かべている。


 何もかも見透かしているかのような母の笑顔は、宮子にとって安心の代名詞だった。

 見えざるものが見える宮子は、幼稚園児のころからすでに、周りから浮いていた。嘘つき呼ばわりされたり気味悪がられたりして泣きながら帰ると、母が抱きしめて頭をなでてくれた。

 母の死後も宮子は、自宅の御霊舎みたまや前に飾られた母の遺影に向かって、よく話しかけていた。ひとしきり泣いたあと、見上げるといつも母の笑顔があった。赦されたような、励まされたような気分になり、明日はがんばろう、という勇気をもらえた。


 このごろ、母の年齢に近づいていく自身の顔立ちや表情が、どきりとするほど似ていると感じるときがある。母のかけらが自分の中に生きているようで、くすぐったい気持ちになる。


 鈴子が、卓上カレンダーで六曜を見ながら言う。

「日程的に、今晩が通夜祭になるんだって。お父さんが枕直しの儀に行ってお話を聞いてきたから、今、祭詞を書いてる」


 祭詞とは、通夜祭のときに読み上げる、故人の経歴や人柄をたたえる文章だ。亡くなった方を追慕し、誉めることで御霊みたまを慰め、安らかに祖霊となってくださいと祈る意味が込められている。

 鈴子は小説家を目指しているだけあって、文章を考えることが得意なので、大学の勉強の合間に祝詞のりとや祭詞を書いてくれるのだ。


「有名大学を優秀な成績で卒業し、専門商社に勤務、大学時代から付き合っていた男性と結婚、かわいい娘さんに恵まれる。友人も多く、親戚や近所の人からも慕われていた。……槇原のお姑さん、いつもお嫁さんのこと誉めてたもんね。姑に好かれるって、よっぽどいい人だったんだろうな。なんか、切ないね」


 パソコンの画面を見ながら、鈴子がため息をつく。死んだ本人も心残りだろうが、残された家族もつらいだろう。なぜ他の誰かではなく、この人が死ななければならないのか、と。


 生前の槇原泰代を思い出す。

 都会で働いていただけあって、洗練された雰囲気はあるものの、それを鼻にかけることもなく、ときに鬱陶しいくらい親密な田舎特有の近所づきあいも、そつなくこなしていた。

 娘の桃果の髪をきれいに編み込んだり、スパンコールやコサージュを縫い付けた服を着させたりと、いつも工夫とおしゃれ心を忘れない人だった。


 先月の防災の日に、村で炊き出し訓練があった。若い者は力があるからと、宮子と泰代は大釜を火から下ろす役を割り当てられた。

 薪で炊く釜に、泰代は「初めて見たわ」と目を丸くし、二人でタイミングを合わせて釜を下ろすとき、キャンプみたいだと楽しそうにしていた。

 そうかと思うと、炊きあがるまでの時間をストップウォッチで測り、蒸らし時間や「圧が下がるからふたを開けない」などの注意点を資料にまとめるなど、しっかりした面も見せていた。


 泰代の悪い噂は聞いたことがないし、道で会ったときに「宮子さん」と笑顔で手を振られると、嬉しくなった。

 いい人だったのに。


「祭詞、書けたよ。プリントアウトするから、言い回しとかチェックして変えてね」

 プリンタが起動し、人ひとりの人生がA4の紙一枚にまとめられ、吐き出される。宮子はそれを取り、鈴子のとなりの事務机で、赤字修正をし始めた。泰代の笑顔を思い出すと、無機質な文字の羅列が切なくなってくる。


 鈴子が身を乗り出し、宮子の左袖をめくった。手首には、木製の数珠がおさまっている。神主が数珠をつけるのも変だが、袖に隠れて見えないだろうと、今朝のままにしている。まだ彼の手のぬくもりが残っている気がして、はずす気にならないのだ。


「寛斎兄ちゃん、何の用だったんだろうね」

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