その048「飛来」


「姉ちゃん姉ちゃ――!」

 今日も今日とて姉ちゃんのことを呼ぼうとして、僕は目を見開いた。


 ――が、居る。


「え? なに、どうしたのって……きゃあっ!?」

 姉ちゃんの悲鳴にも構わず、僕は姉ちゃんの斜め上の空間に拳を突き出す。

 手応えは、ない。その空間は既にもぬけの空だ。

 すぐにバックステップして部屋内を広く見渡して、奴を視認。

「せいっ!」

 僕は間合いを詰めて奴を挟むように柏手を打つが、奴はその攻撃をいとも容易く回避し、空間を縦横無尽に飛翔する。

「速い……!」

 集中を切らしたら、僕は奴を見失い、知らぬ間に損害を被ってしまう。

 奴は――人間の視界から外れることを、最も得意とする強敵なのだ。

「な、なによ、なんなの?」

 棒立ちになる姉ちゃんを余所に、僕は奴の姿を目で追い続ける。

 抜き手で奴をつかみ取ろうとするも、奴はするすると僕の手を掻い潜る。奴の回避力は尋常ではない。

 それどころか、

「来たかっ!」

 反撃を行ってきた。これがまた速い。

 対面衝突で目をやられた時の記憶を思い出しながら、僕は咄嗟に上体を反らして奴の攻撃を回避するが――

「み、見失った……!」

 奴特有の、人の視覚から外れる能力が発動し、それは僕の集中力を完全に上回った。

 こうなってしまっては、奴を仕留めるのは困難だ。

 ドコだ、ドコにいる……!?

「だから、さっきから何を――」

 姉ちゃんの声すら、今は煩わしい。

 その辺りの注意をするべく、視線を姉ちゃんに向けようとして――

「居たっ!」

「え?」

 奴を、再度視認した。

 しかも、姉ちゃんのすぐ近く。

 一瞬、躊躇が生まれる。姉ちゃんに当たってしまうかもしれない、と。

 でも――奴は、姉ちゃんを狙おうとしている。

 今すぐに、その耳元へと飛来しようとしている。

 それだけは、やらせない……!

「僕が、守るっ!」

 姉ちゃんの顔がある、そのすぐ横の空間に向かって、僕は抜き手をかざして、拳を握る。


 ――手応え、あった。

 僕の、勝ちだ!


 こうして、事態は僕の勝利で収束した。


「……一体何なの? その、飼い主の周りでステップ&ジャンプを繰り出すわんこアクションみたいなやつ」

「うん。蚊が居たからさ」

 そう言って、僕は握っていた手の平を開いて見せたんだけど。


「あ」

「あ」


 奴は潰されずに生きており、僕の手の平から飛び立って――そのまま僕達の視界から外れていった。

「ね、姉ちゃん、次こそは必ず!」

「……殺虫剤取ってくるからやめなさい」

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