Real Sexless 2

 私は二子玉川駅を出て、少しばかり多摩川方向に進み、そこに並んだタワーマンションの一つに足を踏み入れた。

 建築当時は目も眩むばかりの贅沢さで人々を驚かせたはずのエントランスは、現在の凋落振りを示すかのように微妙に埃っぽい匂いがしている。

 奥にいくつか並んだエレベータのうち、一台の入口に「整備中」の札がかけられている。しかし、それがいつから下がっているのか定かではなかった。

 少なくとも入口付近をトラロープで養生していないところを見ると、定期メンテナンスではないと推測できる。電位代節約のための間引き運転だろう。

 稼働中のエレベータで四十二階まで昇る。

 超高層マンションの高層階は風で常時揺れていると聞いていたのだが、体感できるほどのものではなかった。それでも敏感な人は船酔いに似た症状に悩まされることがあるという。

 技術の凄さに驚くべきなのか、それとも人間の感覚の危うさを嘆くべきなのか、私にはよく分からなかった。

 指定された「四二一五号室」の玄関を探す。

 昼だからかもしれないが、廊下に人の気配はなかった。超高層建築の中にいると、どうしてもバベルの塔を思い出さずにはいられないものだが、これでは言葉の通じる相手どころか、通じない相手すらいるのかどうか判然としない。

 玄関が見つかったので、私は呼び鈴を押した。

「はい」

 という硬い声がインターフォンから流れ出し、私は少々狼狽する。

「あの、お約束しました平沢ですが――」

 と言うと、

「あ、ごめんなさい。今すぐ開けますので」

 と、今度は慌てた声がした。

 そういえば、インターフォンのような有線にしても、スマートフォンのような無線にしても、機械の間を行き交っているのは周波数に関する情報だけであって、本人の声そのものではないと聞いたことがある。

 出力側でそれに近い音を作り上げているという話だから、生の声とは微妙に違うのが当たり前らしい。それでも感情は伝わってくる。

 一度目の声は、人を拒むような猜疑心に満ちたものだった。

 二度目の声は、人を信じたいと願う若くて健康的な女性のものだった。

 そして、実際に玄関の扉を開けてくれたのは後者の声のイメージ通りの女性で、彼女は笹島ささじま八重子やえこと名乗った。


 リビングに通された私は、思わず自分の目を疑った。

「これは――実に見事な眺めですね。多摩川と、その向こう側に広がる景色が一望できる」

「有り難うございます。遠くのほうに微かにですが、富士山も見えますよ」

 八重子は小さく微笑みながら、お茶の準備を始める。

 私はソファに腰を下ろして、室内を無作法にならない程度の興味を持って眺めた。

 間取りは恐らく二LDKというところだろう。廊下部分が最小限になるように部屋を配置した合理的なものである。多少、部屋の広さに余裕があったが、よく見る分譲型マンションと大差ない。

 リビングは広々としているというよりは、なんだかがらんとしていた。一暮らしにしては物が多め、二人暮らしにしては物が少なめ、どっちつかずの印象を受ける。

 平日の昼間にタワーマンションの一室でゆっくりと時間を過ごすことが出来るという時点で、独身者の可能性は低い。

 親が金持ちで税金対策のために購入したマンションに住んでいる大学生、ということはあり得るかもしれないが、二LDKというのは中途半端な投資だった。

 では、仮にEBだとする。自宅にいる理由にはなるが、彼女たちはいつ仕事が入るか分からないから、もう少し緊張感のある生活をしているはずだ。あるいは、もっとだらけた生活をしているはずだ。

 となると、最も可能性が高いのは専業主婦という線だろう。ただ、それにしては室内に男の気配が殆どない。調度品の一部に男性的な趣向が見られるものの、部屋に置かれている雑誌はすべて女性向けのものである。

 女性同士のペアは珍しいものの、可能性はゼロではない。しかし、それでは逆に微妙な男性テイストの理由が分からない。

 私が怪訝そうな顔をしているのに気がついたのだろう。お茶を運んできた八重子は小さく苦笑した。

「夫が単身赴任中なんです」

「あ、そうだったんですか。それならば――いや、それにしてもなんだか旦那さんの影が薄いような気がするのですが」

「分かりますか? じゃあ、その点からお話を始めたいと思います」

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