承 「氏」の歴史的な経緯と現在の問題点

うじ」とは、戸籍上の姓、苗字を指す言葉である。


 エチオピアのように氏を持たない文化も存在するが、特定の集団に所属していることを示す氏と、個人を特定するための名を組み合わせて「氏名」として呼称する方法は、世界中で一般的に用いられている。

 その中には極端に長いものもある。特に有名なのは芸術家パブロ・ピカソの本名ではなかろうか。

「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアノ・デ・ラ・サンテシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ」

 名前に洗礼名や親類縁者の氏などが含まれており、最後のほうにあるルイスが父親の姓、ピカソが母親の姓である。

 これでも『寿限無』よりは短いから本人はちゃんと覚えているに違いないが、第三者が自己紹介で一回聞いただけでは覚えきれない。

「同じクラスにピカソがいなくて本当に良かった」

 と私は思うのだが、皆さんはどうだろう。


 それはともかく、日本の戸籍制度の話をする。


 日本の戸籍は「家」の存在を前提として、戸籍の筆頭者と同じ氏の家族を一つの戸籍にまとめる形式をとっている。

 もちろん、民法に「氏=家」という考え方が明記されているわけではないものの、実社会において「氏=家」という考え方が根強く残っているのもまた事実だ。

 日本で氏が使われ始めたのは、奈良から平安にかけてのことと言われている。

 遣隋使の時代にはまだ氏がなく、役職や出身地を頭に付けて名乗っていた。その後、遣唐使を通じて中国の「苗字と名前」という仕組みが導入されるようになり、貴族や武士の間に次第に普及していった。

 しかしながら、一般市民が正式に苗字を持つようになったのは明治以降であり、それ以前は地名や屋号を苗字のように使っていたに過ぎない。


 現在では、氏は名と併せて個人を特定するために使われている。

 それに、氏は戸籍を編纂する際の基礎となるものであるから、これが簡単に変更できてしまうと個人の特定が困難になる可能性がある。

 そのため、平成二十八年現在の法制度では例外的にしか氏の変更を認めていない。

 具体的には、戸籍法百七条の規定に「やむを得ない事由があれば戸籍上の氏を変更することができる」と記載されている。

 そして、やむを得ない事由とは「氏を変更しないと社会生活において著しく支障を来す」ものを指し、家庭裁判所の許可が必要となる。


 それではここで、氏の変更が認められた事例をいくつか見てみよう。


 一般的な意味での「やむを得ない事由」を定義したのは、昭和三十年に大阪高等裁判所が下した次の判決といわれている。

「社会生活上氏を変更しなければならない真に止むを得ない事情があると共にその事情が社会的客観的にみても是認せられるものでなければならない」

 要するに、周囲の誰もが「なるほどそうだよね」と思うようなレベルでなければならないと定義されているのだ。

 昭和五十七年の東京高裁の判決では、「他人の子として出生届が出された者が、戸籍を本来の氏に訂正した後、さらに長年使っていた元の氏に変更する」ことを認めた。

 判決の裏側に何やら激しい現実的な問題の存在を感じさせるが、ここではそこまで深追いはしないでおく。

 また、昭和五十七年の大阪家裁の判決では、「離婚に際して旧姓への復氏を選択しながら、離婚の事実が職場や知人に知られるのが嫌という理由で、再度婚姻中の氏へ変更する申請」は認められなかった。

 まあ、これはわがままの範疇であるから仕方がなかろう。

 さらに昭和五十七年の神戸家裁による判決では、「日本に帰化したベトナム人がカタカナの氏に難色を示されたために、不本意ながら日本風の氏で帰化した後、カタカナによる氏への変更を申請した」例がある。

 これは認められた。グローバルな観点からしたら当然の処置と思うし、むしろおかしな漢字表記のままでは本人が不利益を蒙りそうだ。


 ちなみに年号がすべて昭和五十七年なのは別に意図したものではない。この年は氏の変更事例が豊作だったらしい。


 他にも、難読漢字や特定の事象を想起させる珍名のために、客観的に見て不利益が生じる恐れがあり、いじめにもつながるという理由から、氏の変更が認められたケースがある。

 私が住んでいる町には「包丁時計店」という店があったが、これについては申請したら受け付けてもらえるのかもしれない。

 また、そもそも戸籍上の記載が誤字あるいは俗字であったことから、正しい字に改めることが認められたケースもある。

 ただ、誤字を改めた上で、さらにそれを元の文字に改めることは認められなかった。


 それから、やむをえない事由がある場合であっても、どのような氏に変更してもよいということにはならない。変更後の氏も家庭裁判所の許可となる。

 認められやすいのは旧姓や親族の氏への変更である。それなりに縁のある氏ならば、申立人にとって最も利になると考えられるからだろう。

 他方、全く無関係な氏への変更が認められないわけではないが、裁判所はかなり慎重に判断すると思われる。認められないこともあるに違いない。


 ところで、昭和四十一年に札幌高等裁判所は、例外的に氏の変更が認められる理由を「たやすく改氏ができるとすれば、戸籍の秩序または一般の権利義務に関する法的秩序に混乱が生ずる」と説明した。

 同時に、やむを得ない事由を「呼称秩序の不変性確保という国家的・社会的利益を犠牲にするに値する程の高度の客観的必要性を意味すると解すべき」とした。

 つまり氏の変更が難しい理由には、家制度の名残という側面もあるが、個人の同一性の識別が非常に困難になるというお国の事情があるわけである。

 そのため、「お国の事情で個人の氏名変更の自由を制限することは許されるのか」という議論は昔からあった。

 それに、女性が結婚を機に改姓する風習は根強く残っている。従って「戸籍の秩序と言っているが、単に手続きが煩雑だから認めたくないのではないか」と言われればそれまでのことである。


 それに、氏を変えたいと思う動機は時代によって変わる。


 今日的なもので認められた例には「幼少時に受けた性的虐待の加害者である近親者及び加害者を想起させ、強い精神的苦痛を与えることから氏の変更を認める」というものがある。


 同じように精神的苦痛を回避するために氏の変更を申し立てるケースとしては、「犯罪者の家族や犯罪の被害者からの申請」もあり得るかもしれない。

 現代のようなネット社会においては、犯罪者本人はもちろん、犯罪者の家族や犯罪の被害者についても広く情報が漏洩してしまうことがある。

 しかも実名を記載した無責任な発言は容易に風化せず、検索すればいつでも再生されてしまう。そのため「犯罪者の家族あるいは被害者」というレッテルから解放されることが難しい。

 このような場合、「実生活への不利益」を根拠とした氏の変更は認められるだろうが、一点だけ問題がある。変更を申し立てることができるのは、「戸籍の筆頭者及びその配偶者」に限られているのだ。

 それゆえ、筆頭者である犯罪者本人が申立をする意思を持っていない場合には、犯罪者の子供は独立して婚姻などにより自ら新戸籍を編纂しない限り、その氏を変更することができない。


 他には「ストーカーの被害者」が考えられる。

 ストーカーは通常犯罪と異なりターゲットが個人に限定され、繰り返し被害にあう可能性がある。引越しても、違法に住民票をとって新住所を割り出し、転居先で再び被害にあることもありうる。

 逆に転居と同時に氏を変更すれば、住所が判明するリスクは相当減る。しかし、家庭裁判所は「警察にいけばよい」と言って、よほどの被害を被っていない限り氏の変更を認めることはないと思う。


 行政とはそういうものだ。

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