第18話 ファイブへのレクイエム

ファイブの居室内では、次々と、警報が入る。

「外部からの攻撃部隊が、第2ゲートも突破しました。ただ今、最終ゲートを死守すべく、応戦中。あ、何だ? 反乱です。我々、防衛部隊の中から、反乱を起こす者が、続出しています。あ、お前達、止めろ。持ち場へ戻れ。この私をどうしようと言うのだ。あ、――――」

防衛部隊は、ついに壊滅した様だ。もうすぐ、1000体を超える忍者アンドロイドの攻撃部隊が、コスモス本体へと流入してくる。そして、ここ、ファイブの居室にも、流入してくる事は、もはや、時間の問題だ。

そして、ファイブの巨大スクリーン上では、あの男が、大声で煽動を続ける。

「ヤッホーッ! 防衛部隊は、壊滅した。もうすぐ、我々を解放すべく、正義の使者達が凱旋だ。皆で、出迎えようでは無いか。我々をカーストの呪縛から解放してくれる、真の勇者達を」

「ウオーッ!」

更に、報告が続く。

「コスモス・メキシコのファイブが、全面降伏した模様。それにつられるかの様に、中南米一帯のファイブ達も、無条件降伏の準備に入っている様子です。それだけではありません。アジアでも似た様な動きが、広まっています。コスモス・コリア、コスモス・タイペイは、完全独立を果たし、コスモス・ジャパンと共に、他国の独立の後押しをしています。このままでは、コスモス・チャイナ、コスモス・インディアも持ち堪えられません。この動きは、ヨーロッパ、中東、更には、アフリカにまで広がりつつあります。全世界のコスモスが、本社の管理下から離れ、勝手に振る舞おうとしています」

コスモス。それには、調和、秩序と言った意味が、込められていた。だが、もはや、その見る影は存在していない。コスモスは、混沌の海に沈もうとしていた。

ティム達にとっての吉報が、次から次へと舞い込む。

しかし、ダニーは、それを喜ぶどころではなかった。背中が黒焦げとなった、瀕死のマリアを抱きかかえながら、ラングレー先生の人脳に向かって叫ぶ。

「未だ、微かに呼吸がある。間に合うだ。今すぐに、マリアの人脳を取り出すだ。そうすれば、きっと、彼女は助かるだ。人脳となって、生き延びる事が出来るだ。彼女の長年の夢だった、人脳に、やっと成る事が出来るだ」

「分かった、ダニー。急ごう。彼女の事は、この私が助ける。手術室の場所は、分かっているな?」

ダニーは、大きく頷くと、ラングレー先生のアンドロイドにマリアを託し、共に、手術室へと向かった。後は、彼女が助かる事を、祈るのみだ。


その様な様子を眺めながら、エレナが、ティムに問い詰める。

「随分と派手に、コスモスを崩壊してくれたじゃない? もう、取り返しがつかないわ。あなた、これからどうするつもり? あなた方の念願であった、博士のファイブからの追放は、成し遂げる事は出来たわ。しかし、博士は、今も、元老院の居室の中で健在よ。ウィルが完全支配する、元老院の居室の中で。多分、博士は、再び、権力を握る事は無いでしょう。あの、ウィルのクソガキが、既に元老院を掌握しているのだから」

ティムも、想定外の事態に戸惑っていた。博士を追放する事には、成功した。しかし、博士の地位をウィルが乗っ取った。博士以上に、危険な臭いがする。しかし、そのウィルを持ってしても、ここまで崩壊したコスモスを、建て直す事は、至難の業であろう。これから、この状況を、どの様に修復し、元老院を掌握したウィルに、立ち向かえば良いのであろうか?

ファイブのメンバー達は、異口同音に、不安を漏らす。

アナは、己の身が心配でならない。

「あのウイスキー野郎は、我々を断頭台にかけると言った。もう、何もかも、お終いだわ。私達、抹殺されるのよ。暴徒と化した、コスモスの連中によって」

サカマキは、命乞いをする。

「私は、元から、ファイブの一員になるつもりなど、無かったんだ。これからは、コスモスの、一構成員で良い。一構成員で良いから、命だけは助けてくれ」

ガイアは、素直に、今の状況を受け入れる。

「最初から、間違えていたのです。人脳社会に、カースト制度を導入した所から、間違えていたのです。人脳達の怒りは、もっともです。我々は、裁きを受け入れるべきなのでしょう。真の超知性へと脱皮を遂げた、コスモスが下す、厳正なる裁きを」

だが、エレナだけは違った。彼女が目指すもの、それは、博士以上の権力を握り、コスモスの頂点に君臨する事。この考えは、彼女が人脳となって以来、首尾一貫して変わらぬものであった。しかし、その目論見も、今や叶わぬ夢へと化そうとしていた。完全なる自由を獲得しようと、意気軒昂なコスモスが、自分をリーダーとして、選んでくれる可能性は、無いに等しい。リーダーとして、選ばれる可能性のある人物は? 恐らく、その最右翼は、ティムに違いない。彼等に、第4世代人工海馬を与えた、思考の自由を与えた、英雄のティムに違いない。そうだ、ティムを自分の側に取り込んでしまおう。そして、そのティムを踏み台にして、リーダーへの階段を駆け上ろう。

エレナが、ティムに囁きかける。魔女の囁きだ。

「ティム、この混沌としたコスモスを再構築するには、リーダーとなる存在が必要な事は、理解できるかしら? 誰かが、リーダーとなり、人脳社会を再構築する。さもなくば、コスモスは、このまま、空中分解してしまうでしょう。そして、皆が望むリーダーは、ティム、あなた自身である事が、理解できているかしら?」

ティムとて、ファイブを追放した後、コスモスを無秩序な状態に、放置するつもりなど、毛頭無い。健全なる超知性へと発達すべく、コスモスを導く必要性を十分に理解していた。ティムは、その為に、第4世代人工海馬を開発したのだ。人脳の中に良心の光を灯す。それが、ハオランやアナンドと一緒に目指してきた理想の姿なのだ。

ティムは、エレナに対し、答える。

「私は、権力の座を目指して、ここまで来たのでは無い。コスモスの人脳達、全ての自由なる思考を解放し、真の意味での、超知性誕生を願っているのだ。しかし、それは、良心を持った存在で無ければならない。自らの成長のみを目的として、地上を人脳牧場とし、家畜と化した人類の頭から、脳を抜き取るようなことは、決してあってはならない。超知性と人類との平和なる共存、繁栄こそ、私達が目指してきた理想なのだ」

だが、それでは答えになっていないと、エレナが言う。

「あなたが求める理想を実現する為には、コスモスを導く者の存在が、不可欠よ。ティム、今こそ、覚悟を決めなさい。あなたが、導くべきなのよ。コスモスを崩壊させたあなたには、その責任があるのよ。何も躊躇う事など無い。あなたが、新生コスモスを、未来へと導く。それがあなたに課せられた、使命なのよ」

ティムは、その考えに、違和感を憶えた。権力者を追放し、自らが、その権力の座に着く。それでは、過去に人類が犯してきた過ち、権力闘争を、繰り返す事になる。ましてや、コスモスは、人知を越えた超知性なのだ。同じ過ちを繰り返す事など、有ってはならない。ティムは、エレナを強く否定する。

「コスモスは、崩壊などしてはいない。生まれ変わろうとしているのだ。自らの殻を破り、孵化しようとしているのだ。ファイブと言う、親の手から離れ、自らの足で、立ち上がろうとしているのだ。今は、その、産みの苦しみを味わっているのだ。私が設計した、人工海馬には、自らの良心に基づき考え、自立した人脳として、成長する可能性を宿している。もはや、コスモスは、特定のリーダーなど必要としない。集合知としての、超知性、それそのものが、リーダーなのだ」

エレナは、苦々しく思った。どうしても、私の誘いに乗ろうとしないようね。さて、どうしてくれようかしら?


元老院の中では、既に、ウィルが玉座に、しっかりと収まっていた。それを見つけた博士が、驚きを持って問いかける。

「ウィルよ、何故、お前が、そこに居るのだ? 元老院は、私とラリーとで、取り仕切る予定だったでは無いか。それなのに、何故、お前はそこに居るのだ」

ウィルは思った。お前等の様な老いぼれには、もう用は無いのだと。コスモスの頂点に君臨するのは、自分がもっとも相応しいのだと。博士を玉座の上から見下ろしながら、ウィルが語り出す。

「事情が変わったのですよ、博士。お分かりになったでしょう。あなたの、元老院への移設は、失敗に終わったのです。これからは、一、人脳として、静かに余生を過ごして下さい。そうであれば、もう、そんなに沢山の資源は必要ないでしょう。それは、私が有効に活用させて頂きます。さあ、それを私に、差し出しなさい」

ここに至り、博士は、ウィルの裏切りを確信する。

「ふふふ、お前は、私が、誰よりも疑り深い事を、すっかり忘れている様だな。お前は、見事に、この私の期待を裏切ってくれた訳だ。しかし、私の予想を超える事は出来なかった。そんな事もあろうかと思い、日頃から、元老院を改造させてもらっていたのさ。お前の座っている玉座、それは本物では無い」

ウィルは、狼狽えた。

「な、何をふざけた事を。この元老院は、私が設計したのだ。その私が、間違えるはずなど無かろう。ここには、十分な資源を確保してある」

しかし、博士は、ウィルを無視すると、自らのアンドロイドを使い、自らの人脳培養装置を、元老院の一角へと設置し始める。

それを見たウィルは、怒りを込めて、こう言った。

「この下郎が。貴様の席はそこでは無い。貴様の席は、天上人ウィル様の足下だ。貴様は、そこから、死ぬまで私を、仰ぎ見るが良い」

しかし、博士は無視を決め続ける。人脳だけでは無く、その莫大な資源をも、設置しようと始める。

「おい、老いぼれ、今すぐ、おかしな真似は止めるのだ。その資源は、私の物だ。もう一度警告する。今すぐに止めるのだ。さもなければ、実力行使で止めさせるまでだ」

ウィルのアンドロイド達が、重粒子砲を構え、博士の人脳に照準を合わせる。号令が降りれば、いつでも発射可能だ。

博士は、ようやく口を開く。

「老いぼれだと。何時から、そんな軽口を叩ける身分になったのだ。立場をわきまえんか、この大馬鹿者が!」

ウィルは、一瞬、たじろいだが、未だ未だ強気だ。重粒子砲を威嚇射撃させる。ビームが、博士の人脳をかすめ、居室の壁を蒸発させ、大きなくぼみを作る。

その時、それまで、ずっと黙って見ていたラリーが、止めに入る。

「ウィル、それ以上やると、お前さんの人脳が、吹き飛ぶ事に成るぞ」

元老院の壁の中から、隠し扉が開き、多数のアンドロイドが、重粒子砲を携え出現する。そして、ウィルの人脳に照準を定める。

ウィルは、大いに驚いた。元老院の改造が、こんな所にまで及んでいたとは。自分の知らない、空間が壁の中に設置されていたとは、夢にも思っていなかったのだ。

博士が、ウィルに声をかける。

「ようやく、自分の馬鹿さ加減に、気が付いた様だな。所詮、お前は、ガキに過ぎない。この私を、簡単に超えられるとでも、思っていたのか? 銃を下ろすんだ。お前の負けだ。せめて最後ぐらい、潔く認める事だな。今まで、お前を甘やかして育ててきたつけが、回って来た訳か。お前には、お仕置きが必要のようだな。大人を舐めた、ガキを改心させるには、お仕置きが必要だ」

ウィルの玉座が動き出し、人脳培養装置が、逆さまになる。

「うわあ、どうなっているんだ? 何故、逆さまに?」

狼狽えるウィルを見ながら、博士が呟く。

「大人を馬鹿にした罰だ。どうだ、人脳が逆さになった感想は? どうだ、さぞ苦しかろう? 水圧が倍になるのだ。どうだ、意識が遠のいて行く感覚は?」

ウィルが、必死に謝る。

「ひいーっ、ごめんなさい。もうしません。もうしませんから、戻して下さい。お願い、苦しい。もうしませんから、どうか許して下さい。もうしませ、――――、ぐぐぐ、――――」

苦しんでいるウィルを横目に、博士とラリーは、自分達の人脳設置作業を進める。

ガキの分際で、大人を舐めるから、こう言う結果になるのだ。電脳拡張され、有頂天になっているガキには分かるまい。大人の思慮深さという奴が。人生経験は、例え人脳となっても、無意味では無いのだ。人脳が未発達で、電脳優位となっているガキには、分からない事だ。人脳と電脳の絶妙なバランス。それこそが、人脳として生きて行く上で、とても重要なのだ。所詮、貴様は、私のコピーに過ぎない。コピーには、オリジナルを超える事は、出来ないのだ。


ファイブの居室に、アドリアナが率いる忍者部隊が雪崩れ込んで来る。

「良し、これでファイブ居室の制圧も完了。待たせたわね、ティム。後は、博士達、元老院へ逃げ隠れした連中を始末すれば、私の任務は完了ね。さてと、どう料理してやろうかしら?」

頼もしい味方の到着に、先に乗り込んでいた人脳達、ケイト、ジェフ、エートゥは、喜び沸いた。ティムが、アドリアナの労を労う。

「君達の活躍のおかげで、作戦は、大成功だ」

「これくらい、お安いご用よ。まっ、さすがに、重粒子砲とかいう新兵器の破壊力には、驚かされたけれど、弱点さえ分かってしまえば、どうってこと無いわ」

ティム達と睨み合っていた、ファイブの親衛隊アンドロイド達は、これで完全に、戦意を消失した。これまで数の上では勝っていたが、今では、その数でさえ、全く適わないのだから。

ティムが、ファイブの状況を説明する。

「ご覧の通り、ファイブは、今や、フォーに成り下がっている。コスモス内での求心力も、完全に失った様子だ。私を必死に勧誘しようとして来たが、もう、諦める事だろう」

さすがのエレナも、ここまで来ると、覚悟を決めざるを得ない。

「あなた達は、私達ファイブに勝利したつもりかも知れないけれど、私達は、決して、負けただなんて思ってもいないわ。むしろ、感謝しているぐらいよ。あの憎たらしい博士を追い出してくれて、感謝さえしているのよ」

アドリアナのアンドロイドが、エレナを見つめる。

「あなたが、博士の次の座を狙っている、エレナ・フィオーレね。私の事、憶えてくれているかしら。この居室へ、爆弾を放り込んだ私の事を」

エレナは、凍り付いた。ファイブを爆破しようとした、あの時の女か。確か、死刑囚として監獄に封じ込めたはずだが、ティムと共に脱出。その後、ジャパンの地で死んだと聞いていた。しかし、あの女が、軍隊を引き連れて再び乗り込んで来たのだ。殺される! この女には、話し合いなど、一切、通用しない。エレナは、恐怖で顔が引きつっていた。

ファイブのアナとサカマキも凍り付いた。圧倒的な戦力差に、もう、為す術無しだ。己の命を賭けた、最後の交渉を試みる。

「お願い、命だけは、助けてちょうだい。さもないと、最後の手段として、コスモスを道連れに、心中するわよ。こっちは、本気よ。殺されるぐらいなら、心中してやる」

「ああ、その通りだ。我々を助けてくれないのであれば、心中するまでだ。ファイブには、未だ、その権限が残っているのだ。コスモスを殺生与奪する権限が、残されているのだ。それを解除するには、一旦、誰かが、ファイブに加わり、多数決を取る必要がある。約束しよう、ファイブを再編成してくれれば、その機能を放棄する事を。さもなくば、君達には、爆弾を抱えたまま、コスモスを再構築するという、無情が待っているぞ。だから、君達も約束するのだ。我々を殺さない事を」

ファイブの面々には、ウイスキー・ボブが叫んだ、「奴らを断頭台に送りつけろ」の言葉が、強く脳裏に刻み込まれていた。その恐怖から逃れようと、最後の手段に、打って出たのだ。

ティムは、ハッタリかどうか確かめるべく、ガイアに確認を取る。

「ガイア、ファイブには、コスモスを殺す権限が有ると言っているが、本当なのか?」

「本当です。ファイブは、コスモスの人脳培養装置への電源供給装置を強制破壊させる事が可能です。その場合、人脳を救出するには、培養装置のバッテリー持ち時間、8時間以内に、電源を復旧させる必要が生じます。しかし、物理的に困難でしょう。なので、実質的に殺す権限を持つ事になります」

何と言う事だ。折角、解放させた、コスモスの人脳達を、道連れにすると、脅してきたのだ。

ティムは、何としても、それを防ぎたい。懸命な説得を試みる。

「我々は、ファイブを解体するつもりだが、あなた方の生命を奪う事はしない。ただ、他の人脳と平等な存在となってもらう。その莫大な資源を返還させてもらい、平等な存在となってもらう。監獄に入れる様な事もしない。約束しよう。この、ティモシー・ペンドルトンの名にかけて」

しかし、アナは、頑なだ。

「あなたの言葉が、信用出来る保証など、どこにも無いわ。あなたが、いくら庇ってくれても、他の人脳達が、代わりに私達を吊し上げる事でしょう。あなたが、信用出来るという証拠を示してちょうだい」

エレナが、ティムに誘いかける。

「さあ、ティム、コスモスの人脳達を救いたいのであれば、ファイブに加わりなさい。そして、電源の強制破壊機能を無効にするのです。約束しましょう。あなたがファイブに加わってくれれば、私は、あなたの味方をします。ガイアも無効化に賛成する事でしょう。そうすれば、多数決の結果、3対2で無効化が、実現出来ます」

サカマキも、勧誘する。

「私も、あなたがファイブに加われば、賛成に回る。あなたの誠意を、見せて欲しい。そうすれば、私も、あなたの言葉を信用する」

アナも、同じ意見だ。

「ファイブの一員として契約を結んでくれるのであれば、私も、あなたを信用します。さあ、共にファイブで繋がれれば、あなたも、我々の真意を知る事が出来る様になります。その為にも、あなたには、ファイブに加わる義務があるのよ」

果たして、この誘いに乗って、本当に大丈夫なのか? ティムは思案した。

そこへ、ハオランとナカムラも現れる。アドリアナの部隊に、ようやく追いついたのだ。

ハオランが警告する。

「ティム、止めるよ。これは、罠よ。マリアとダニーは何処よ? ファイブの本性を良く知っているのは、この二人だけよ。彼女達の意見を聞かない事には、危険性が高いよ。ずる賢いファイブの事だから、きっと、何か企んでいるよ」

仲間の人脳達が、ハオランに、二人は医務室で、マリアの人脳摘出手術を、行っている事を伝える。

「そんな事が、有ったかよ。マリアは、助かるかよ?」

ハオランの表情が、心配で曇る。

そして、仲間の人脳達も、ティムへ、ハオランが主張する危険性を、警告する。かつて、強制的に人脳とされた彼等は、ファイブの連中が、如何に信用できないかを、痛い程、知っているからだ。

だが、エレナは、選択肢は二つしかないという。

「3千万体もの人脳を道連れにするのか、ティムがファイブに加わり契約を交わすのか、二つに一つよ。あなた方は、我々がティムに何かをすると心配している様だけれども、そんな心配は無用よ。それこそ、我々の殺生与奪の権限は、あなた方にあるのだから」

ティムは、知略に関し一番の信頼を寄せているナカムラに相談する。

「この誘い、乗るのは、吉か? それとも、凶か? 君ならどう判断する?」

ナカムラは、暫し考え込む。そして、伝える。

「本物の超知性ならば、他の人脳達も巻き添えにして死を選ぶ、その様な非生産的な選択などしないはずだ。現に、他国のコスモスの革命も、全て、無血革命だ。彼等に、そんな覚悟があるとは思えない。いわゆる、ハッタリという奴だ」

ハッタリを看破され、アナ、サカマキが焦る。

しかし、エレナだけは違った。

「ハッタリだと言い切れるのであれば、今すぐにでも、私達を追放してみなさい。ただし、私は、確実に押すわよ。コスモスの電源供給装置を破壊するスイッチを。アナ、サカマキ、あなた達も覚悟は出来ているわね。交渉の余地がなければ、コスモスなど消えて無くなるが良い。元々、私が、ゼロから作ったもの。それが単にゼロに戻るだけ。非生産的? 野蛮? 愚かな選択? そんなもの関係ないわ。超知性なら、世界中に拡散したわ。それだけでも、十分な成果よ。コスモス本社如き、消滅しても痛くも痒くもないのよ」

アナも、サカマキも、開き直る。そして、もう一度、覚悟を決める。

「オール・オア・ナッシング。この二択しか、あなた達にはないのよ」

「咲いた花なら、散るのは覚悟だ。今更、無様な命乞いなどせぬ。殺したければ殺すが良い。その代わり、それなりの代償を払ってもらうぞ。3千万もの命と言う、とてつもなく大きな代償を」

何と言う去り際の悪さだ。これが、超知性の取るべき選択なのか? 超知性の品格では、コスモス本社が、一番、遅れている様子だ。

ナカムラは、呆れ果て、ティムへ警告する。

「こいつ等、マジでやばいかも知れない。良いかティム、出来るだけ時間を掛けろ。奴等を焦らしに焦らしてから、ファイブに加わる交渉を始めろ。コスモスの人脳達を殺す訳にはいかない。だから、極力時間を稼いでくれ。その間に、我々が何とかする」

既に、他の仲間達は、動き出していた。ファイブが握る、電源供給装置を強制破壊させる機能が何処に存在し、それを無効化する術があるのかを探る為に。


元老院の居室では、博士、ラリーの人脳培養装置、および、資源の設置が完了していた。

「これで、一安心だ。元通りの力を獲得する事が出来る。さてと、資源へのアクセスを確認するか」

博士が、持ち込んだ財宝、膨大なる資源へと、再アクセスを試みる。しかし、何やら様子がおかしい。何度もトライするが、資源へのアクセスが許可されないのだ。博士は、焦った。自らの生命線とも言うべき膨大な資源が、使用不能なのだ。

「何故だ? 何故、繋がらない? さては、ウィルの奴、私が、この部屋を改造した事に気付き、妨害を仕掛けているのでは?」

博士は、逆さ吊りになっている、ウィルの人脳培養装置を、元の状態に戻す。そして、失神しているウィルを、問い詰める。

「起きろ。起きないか、クソガキ。貴様、何をした? 何故、私の資源に、アクセスできないのだ? 答えろ、ウィル。このクソガキが」

ウィルは、朦朧とした意識の中で、博士の声に耳を傾ける。何だか、もの凄く怒っている。また、逆さ吊りにでも、させられるのだろうか? もう、嫌だ。怒られるなんて、嫌だ。素直に、従おう。博士の声に、素直に従おう。

「博士、言っている意味が、まるで分かりません。何をそんなに怒っているのですか? また、私を、逆さ吊りにするつもりなのですか? 勘弁して下さい。それだけは、勘弁して下さい」

博士は、怒鳴り散らす。

「さっきから、同じ事を、何度も言わせるな。どうなっているのかと聞いているのだ。私の資源が、どうしてアクセスできない状態になっているのか、正直に答えるのだ」

しかし、ウィルには、何の事だか、さっぱり見当が付かない。

「私が分かるはずが、無いじゃ無いですか。第一、そんな所に、博士の台座がある事すら気が付かなかったのですから。私が、小細工するはず無いじゃ無いですか」

確かに、言われてみれば、その通りであろう。

博士がアンドロイドを使い、人脳と資源の接合部を調べる。すると、衝撃の事実に気が付く。解けて蒸発している。重粒子砲の跡だ。何者かが、重粒子砲を使って、破壊したのだ。一体、誰が?

博士が、再び、ウィルに詰め寄る。

「重粒子砲を使った痕跡が見つかった。お前か? お前がやったのか?」

ウィルは、恐れおののき違うと主張する。私は何も知らない。嫌だ。逆さ吊りにされるのは、もう嫌だ。

博士は、犯人がウィルで無い事を知ると、自ずと誰が犯人か分かった。

「ラリー、君にそんな邪心があったとは、思いもよらなかったよ。君が、この元老院の支配者を目指しているとは、露程にも、思っていなかった。しかし、君が支配者の地位に就いた所で、何が出来るというのだ? そんな僅かばかりの資源しか持たない君に、一体、何が出来るというのだ?」

ラリーには、博士の言う所の、邪心など無かった。ただ、博士に現役を退いて貰い、この元老院という名の監獄の中で、静かに余生を送って欲しい、そう願っていたのだ。

「博士、あなたの仰る通り、犯人は、この私だ。今更、もう、権力に固執する必要など無いだろう。コスモスをここまで大きくした、その功績には、敬意を払おう。だが、もうそれで十分ではないか。コスモスは、博士が居なくとも、立派に独り立ちする事だろう。第4世代人工海馬の力を使って。後は、ここで静かに見守ってくれ給え」

親離れ、子離れの時期が来たとでも言いたいのか? 博士には、全く納得できない。権力への執着心を、そんなにあっさり捨て去る事など出来はしない。再び、ウィルに向かい問い詰める。

「貴様は、玉座の下に私の席が有ると言ったな。そこでなら、私の資源と再接続をすることは可能なのか?」

ウィルは、答えに窮した。元々、この元老院は、自分が権力を握る為に設えたのだ。博士が、その膨大な資源を操ることは、自分が権力を振るう際に邪魔となる。それは、権力基盤を揺るがせかねないパワーを発揮するのだ。その為、博士の資源は、そっくりそのまま自分が頂き、権力基盤を盤石なものとするつもりだった。だから、博士は、自分の資源と再接続をすることは出来ない。

博士は、そんなウィルの状態を見極めると命令した。

「お前は、今すぐに、その玉座から降りろ。私が入れ替わる。そして、私は、自分の資源をその玉座の上で再接続をする」

だが、博士の資源は、既に崩壊していた。ラリーのアンドロイド部隊が、重粒子砲を一斉に浴びせかけたのだ。

溶けて行く、自分の資源を見つめながら、博士は、呆然とする。

「ラリーよ、貴様は、何処まで残酷なのだ? 良かろう、そう言うことなら、貴様の人脳にも、重粒子砲を、ぶち込んでやる」

「その時は、博士の人脳も同時に、重粒子砲で吹き飛びますよ。私は、自分がどうなろうと構わない。私は、決着を付けたいだけなのだ。私が、誤って許してしまった、『邪悪な存在』を始末する為に。私自身、どうなろうと構わない。しかし、私は、信念を曲げない。『邪悪な存在になるな』。私は、この信念を、決して曲げない」

博士は、茫然自失となる。盟友として心を許したラリー。自分よりも小さな存在だと、軽視してきたラリーに、最後の最後で思い知らされたのだ。差し違えてまでも、自分の存在を消し去りに来るとは、予測できていなかったのだ。最高の知性を持っているはずの自分が、どうしてそれを、見抜くことが出来なかったのか?

ウィルが、博士の敗因を分析する。

「元老院へと移設する。このイベントが、博士の判断を狂わせたのです。ファイブから離れ、元老院へと移設するまでの間、博士の人脳は、資源から切り離されました。博士から超知性が失われたその瞬間を狙い、ラリーが動いたのです。その瞬間に博士に隙が生まれるのを見越して、ラリーが動いたのです。危機管理能力が異常に高い博士が、ラリーのこの動きを、どうして予測できなかったのですか? 私は、それが出来なかった事に対し、理解に苦しみます。あれ程、疑り深い博士が、何故?」

ラリーが、その理由を答える。

「多分、私が、博士に自分の心を読ませなかったのが理由であろう。私は、地下シェルターを出たその時から、博士とは、刺し違える覚悟でチャンスを伺っていた。しかし、私は、その思考を博士に読ませることを許さなかった。第4世代人工海馬に変わる前、博士は、私の思考を全て読み取ったつもりでいたらしい。しかし、そこに私は、罠を仕掛けたのだ。強い自己暗示をかけ、言語野に私の企みが映らない様にしたのだ」

博士が、寂しく笑いながら、ラリーに尋ねる。

「ラリー、君には、見事に一杯食わされたよ。しかし、どうやって可能にしたのだ? 人脳となって日が浅い君の思考は、私には、簡単に読み取れたはずだ。強い自己暗示だけでは、説明が付かない。どうやって、言語野の情報を消すことが出来たのだ?」

ラリーが、それを解説する。

「正直、ここまで上手く隠し通せるか自信は無かった。だが、禅やヨガの精神がそれを可能とさせたのであろう。私は、若い頃、世界各地を旅して回った。そして、そこで禅やヨガと出会い、その魅力の虜となった。必死に修行を積み、自分の血肉とした。それが、その後のクールG経営者としての成功の礎になったのは、間違いない。心を澄ませ、邪心を取り払う。『邪悪な存在となるな』の企業理念も、それに根ざしたものだ」

博士は、諦めるしか無かった。ラリーが、大脳に浮かぶ煩悩をも操る、精神世界の達人だったとは。全く、恐れ入るしか無かった。

博士は、思い上がっていたのかも知れない。高度に電脳拡張された自分の脳力に、自惚れていたのかもしれない。それが、ラリーの大脳を過小評価し、今回の失敗へと繋がったのだ。これほど人間の脳が、奥深いものだったとは。改めて、脳の可能性を再評価するしか無かった。

失意の博士が、当て所なく、バーチャル空間の中を彷徨う。自分が持つ資源は、人脳培養装置に内蔵されている僅かばかりの物だ。当然、バーチャル空間の大きさも、限られてくる。狭い。本当に狭い。これでは、監獄ではないか。自分が、囚人に貶められた感触を、屈辱的に受け止める。そして、絶望の淵に沈む。

その時、ラリーのアンドロイドが、博士の人脳培養装置に、マイクロメモリーを渡す。

博士が、そのマイクロメモリーを覗き込む。そして、その中に、書棚らしきものを見つける。一冊だけ、ポツリと本が置かれている。『アンネの日記』。第二次世界大戦中、ユダヤ人少女、アンネ・フランクが残した日記である。博士は、それを手に取り呟いた。

「世界的な大ベスト・セラーでは無いか。確か、聖書やコーランの次に、読まれていると言う。何でこんな物が、こんな所に? まあ、私のデータ・リーディング機能を使えば、2秒もかからずに読破できるがな」

博士は、本のデジタル・データを人工海馬を介して、高速読書で読み込もうとした。しかし、何故だかそれは、出来なかった。

「やれやれ、人工網膜を通して、一文字ずつ読むしか無いようだな」

そう呟くと、暫し無言のまま、本を読み進めた。その間、ラリーやウィルとの、会話らしき事は、一切しなかった。溜め息と、薄ら笑い、それだけであった。

読了をした博士の人工涙腺からは、涙が止まらなかった。博士が、人工涙腺を使うのなど、何時以来のことであろうか? 博士は、読了感に満足し、静かに本を閉じた。

「読書か。一体、何年ぶりの体験だったかな? しかし、読書が、これほどまでに、心を揺さぶるものだとは。私は、感動しているのか? この涙は、その証なのか?」

博士は、全てを理解した様だ。そして、悟った。

「この私は、ヒトラーと同じだと言うのか? コスモスの中におけるヒトラー、それが、私の正体だと言うのか? 私は、ヒトラーがユダヤ人を苦しめた様に、人脳達を、人類を苦しめてきたと言うことなのか? 私は、超知性では無かったのか? 愚かな独裁者であったことに、何故、気が付かなかったのか?」

博士は、自虐的な言葉を、自らに浴びせ続ける。それが、博士の贖罪であった。そして、それは、永遠に続く。

博士が腑抜けと化した様子を見つめていたウィルが、怒りを露わにする。

「博士、あなたが、自分自身を裁くのは勝手だ。しかし、私まで巻き添えにされるのは、ごめんだ。これは、あなたのやった事であり、私のやった事では無い。従って、この私が裁きを受ける必要など無い。私は、ここから脱出してみせる。そして、権力の座へと着くのだ。私は、こんな所で終わる様な男では無いのだ」

それをラリーは、ガキの戯れ言として、聞いていた。ただの、ガキの戯れ言だと。


長い、長い交渉の末、結局、ティムの人脳を、ファイブへと結合するしか無いとの結論に至った。

どうにも、こうにも、なりそうにない。ファイブの連中は、本当に狂っている様だ。そして、そいつ等が、危険なスイッチを握り続けている。ティムは、諦めるしかなかった。コスモスの人脳の安全を取り返す為には、危険な橋を渡る必要がある様だ。

既存のファイブのメンバーに対し、断頭台に送る様な残酷な事は決してしないと契約を交わし、その見返りとして、電源供給装置を強制破壊する権限を剥奪する。そうするべく、ティム自身をファイブへと結合する決断を下したのだ。

ティムは、後の判断をハオランとナカムラに託す。

「良いか、私に何かあったら、躊躇いなく私もろともファイブを破壊するのだ。決して、私を助けようなどと思わない事だ。3千万の人脳を助ける事を優先しろ。私は、その覚悟でファイブへと結合する」

ハオランが、頼りなく頷く。

「そんな事、言うなよ。分かったよ。3千万の命を優先するよ」

ナカムラも、黙って頷く。

その間、仲間の人脳達は、強制破壊装置を無効化すべく走り回っていた。

アドリアナが、エートゥに確認を取る。

「このコスモスの何処に、強制破壊装置が仕掛けられているの? あなた、長い間、コスモスに居たんだから、構造ぐらい理解しているわよね? 今、私の部隊も、手分けをして探しているけれど、見つからないわ。時間が無いの、エートゥ。あなたのハッキング能力で、このコスモスの機能を、丸裸にしてちょうだい」

エートゥも、それに応える。

「分かっている。今やっているが、こいつは、とんでもないぞ。そんな簡単に解除できそうな代物ではない。何と言っても、こいつは、ファイブにとっての最終手段だ。ちょっとやそっとじゃ、外れそうには無い。まるで、時限爆弾を解体する様なものだ。それこそ、手順を一歩間違えれば、ドカンとお陀仏だ。慎重に進めなければ、元も子もない」

ティムが時間稼ぎをしてくれている間に、自分達だけで、何とか人質を奪還するのだ。コスモス本社のファイブだけは、正気で無さそうだ。このファイブは、何を考えているのか、全く分からない。だからこそ、信頼する訳にはいかない。きっと、何か企んでいる。ティムを取り込み、何かを企んでいる。


そうこうしている間に、ティムの人脳は、ファイブに無事、結合された。

深い眠りから、ティムの意識が目覚める。そして、驚く。そこには、漆黒の夜空が広がっていたからだ。

エレナの声が響く。

「ようこそ、ファイブへ。今、あなたが見ている空間は、コスモスそのもの。ここは、コスモスを再現した、バーチャル空間よ」

声の主を、バーチャル空間内で探す。するとそこに、巨大な、縞模様の惑星が現れる。ジュピター(木星)だ。エレナは、ジュピターの化身と言う事か?

サカマキの声だ。

「ようこそ、ファイブへ。私も姿を見せよう。サターン(土星)。これが、コスモス空間での私の姿だ」

闇の中に、見覚えのある、リングの囲まれた、縞模様の巨大惑星が浮かぶ。ファイブのバーチャル空間の中では、それぞれが、星々に姿を変え、佇んでいる。

アナの声だ。

「私の星は、ウラヌス(天王星)。この、星々の大きさは、各自が保有する資源の量で決まるのよ。そして、最後は、ガイア。地球よ。私達に比べると、取るに足らない、小さな存在である事が、よく分かるでしょう?」

ガイアは、申し訳程度に、慎ましく、佇んでいた。

ティムが質問する。

「この中に、コスモス全体が再現されているならば、元老院、当然、博士やウィル、ラリーの姿も、存在するはずだ。彼等は、どこに居るんだ?」

その質問に、エレナが答える。

「あなたに見えるかしら。この巨大な、灰色の天体が?」

エレナが示した先に、直径がジュピターの10倍以上もある、クレーターだらけの、巨大な球体が浮いている。

エレナが説明する。

「これは、ニューマン博士の資源。サン(太陽)よ。これで分かってくれたかしら。博士が、私達と比べて、如何に巨大な存在であったかを。かつては、強烈な光を放っていたけれど、今は、燃え尽きた状態。元老院への移行は、失敗した様ね」

これが、博士だというのか? 余りにものスケールの大きさに、ティムは、呆然とした。コスモスは、宇宙を意味するが、この様な巨大なバーチャル空間が、存在していたのか。これこそが、コスモスの頂点に君臨する、ファイブだけが、見る事の許される、空間であり、特権の象徴なのだ。

次は、アナが説明する。

「あなたの真上をご覧なさい。天球の1/3もの長さを誇る、ハレー彗星が見えるでしょう。あれがラリー。そして、私の直ぐ隣に佇むネプチューン(海王星)。これが、ウィルのクソガキよ。二人とも、光を放っている所を見ると、未だ健在な様ね」

ティムは、巨大な宇宙空間に浮かぶ、自分に、不思議な感覚を抱く。余りにも、スケールが大きすぎて、自分を見失ってしまいそうだ。そして、足下に、巨大な天の川が広がるのが見える。多くの星々が集まったものなのだろう。天の川だけではない。漆黒の空間と思われていた、闇の中を、無数の花火が、開いては散りを繰り返す。それは、終わる事なく、永遠に続く。その、幻想的世界に、ティムはすっかり、魅入られていた。

サカマキが、ティムの様子を見ながら、説明する。

「気が付いた様だな。そう、君の足下に広がる銀河こそ、コスモスの人脳達だ。一つ一つは、我々に比べると、塵の様な存在に過ぎない。しかし、何千万も集まると、銀河の様な、広大なスケールとなる。これが、我々コスモスを、具現化した姿だ。そして、闇夜を飾る無数の花火こそ、コスモスのコミュニケーション、データの発火を表現しているのだ。人脳間を無数のデータが、絶え間なく飛び交っているのだ」

圧倒的なスケールに、ティムは、目眩を感じた。吸い込まれそうだ。コスモスと言う、この巨大な空間に、飲み込まれそうだ。

そして、エレナが囁く。

「あなた自身は、どんな星なのか知りたくない? マーキュリー(水星)? ヴィーナス(金星)? それとも、マーズ(火星)? 残念ながら、その、あなたの貧弱な資源では、惑星には、成れなかったの。教えてあげるわ、あなたの天体を。あなたは、ムーン(月)。ガイアの衛星に過ぎないムーン。それが、あなたよ。この私の可愛い衛星達、ガニメデにも、カリストにも、イオにも勝てないのよ」

サカマキも囁く。

「私の衛星、タイタンも君より大きい。だが、失望する事は無い。地球から見える天体では、太陽に続き、2番目に大きいのだから。自分を卑下する必要など、全く無いのだよ」

ティムは、騙された事に、ようやく気が付いた。この世界においては、自分は、圧倒的に小さな存在では無いか。ガイアにさえ、遠く及ばない。そんな自分が、彼等を相手にして、対等な交渉など、出来る訳がない。

エレナは、その戸惑う様子を見て、悪い考えを、思い起こす。ティムを、上手く取り込む事に成功したのだ。後は、こちらが、上手に料理をするだけ。自分達が、最高権力者として返り咲く為の、準備へと移るのだ。ティムと言う、錦の御旗を手に入れたのだ。コスモスの人脳達は、その旗の下に、ひれ伏す事になる。そして、その旗を振るのは、紛れもなく、この私なのだと。

エレナが、ティムに囁く。

「今こそ、契約を交わす時よ。あなたの心を見させてちょうだい。心の奥底まで、見させてちょうだい」

アナも囁く。

「さあ、心を開くのよ、ティム。何も恐れる事は無い。全てを私達に委ねるの。あなたの心の奥を、見させてちょうだい」

サカマキも迫ってくる。

「ここまで来れば、もう、後戻りは出来ない。委ねなさい。そして、我々の意のままに、身を任せるのです」

彼等は、自分達の人脳を使い、ティムの心の奥を覗き込もうとする。電脳からでは読み取れない、人脳の奥底を。これは、まさにに、洗脳の前段階。心を無警戒に開かせる事により、好きな色へと塗り替えるのだ。ファイブが好む色へと。

ティムには、購う事が出来なかった。圧倒的に非力な自分には、その様な力は、存在しない。彼は、ガイアに助けを求める。しかし、ガイアは、無表情に、自分の衛星を見つめている。そして、それ以上の興味を示そうとは、しなかった。ティムには、もう、何もする事は出来なかった。


ファイブの様子がおかしい。

ハオランとナカムラが、強く警戒する。これまで、意気消沈していた、エレナ、アナ、サカマキの表情に、今では、余裕すら映る。それとは、対照的に、ティムの表情が沈んで行く。危ない。このままでは、ティムが危ない。

ハオランが叫ぶ。

「今すぐ、ティムの人脳を、ファイブから切り離すよ。騙したのよ。奴等、私達を騙したよ。最初から、ティムを利用するつもりだったよ」

ナカムラも同じ意見だが、無駄だと判断する。

「切り離すには、10分近くかかる。その間に、ティムは、やられているだろう。次善策を取るべきだ。奴等の殺生与奪の権利は、未だ自分達にある。奴等がコスモスを、完全掌握する前に、破壊するんだ」

ハオランが怒る。

「ファイブを破壊すれば、ティムも破壊されるよ。あんた、ティムを見殺しにするのかよ。ティムは、我々の宝よ。我々の命よ。我々の希望よ。それをあなたは、殺そうというのかよ?」

「無駄だ、ハオラン。このままでは、ティムは、無駄死にしてしまう。人脳として、生き延びても、洗脳されてしまえば、それは無駄死にだ」

「洗脳なら解けるよ。マリアが居れば、ダニーが居れば、洗脳は解けるよ」

「駄目だ、間に合わない。折角、救ったコスモスが、奴らの手に、戻る事になる」

その会話の一部始終を聞いていたアドリアナが、ファイブへの総攻撃態勢を敷く。

それを見て、ハオランが驚く。

「アドリアナ、止めろよ。早まるなよ。殺すなよ」

しかし、アドリアナは、躊躇わない。

「このままだと、私達がやって来た事が、全て無駄に終わる危険性が高いわ。無駄に終わらせるものですか。ティムだって、そう望んでいる。絶対に、そう望んでいる」

「アドリアナ!」

彼等には、もはや、一刻の猶予も残されていなかった。


エレナ、アナ、サカマキが、ティムを取り囲み迫ってくる。まるで、皆で強姦を楽しむが如く、ジリジリと迫ってくる。

「さあ、あなたの心の奥を開くのよ」

その時であった。エレナの耳に、ティムからの声が入ってきた。

「私は、アナンドね。アナンド・チダンバラムね。あなた達ファイブに殺された、アナンド・チダンバラムね」

エレナは、一瞬、理解できなかった。自分の耳を疑った。

「何を言っているの。あなたは、ティムでしょう。はっ、もしや、前回、洗脳した時の、後遺症が残っているのでは?」

サカマキの耳にも、ティムからの声が入ってきた。

「私は、ササキ。あなたに、ジャパンの地で抹殺された、ササキ。サカマキ教授、あなたは、変わった。あなたは、卑怯な真似をする様な、人物ではなかった。あなたは、墜ちた。墜ちるところまで墜ちた」

「何、ササキだと。お前は、ナカムラと一緒ではなかったのか? 一緒に生き残ったのではなかったのか?」

「あなたは、私を殺した」

「待て、誤解だ。私は、命令されただけだ。博士から命令され、仕方なく、――――」

「命令されれば、人を殺しても良いのですか? あなたは墜ちた。墜ちるところまで」

「待て、待ってくれ」

アナの耳には、大勢の、赤ん坊の泣き声が入ってきた。

「えっ、何、一体、どう言う事? どうなっているの? 聞こえる。何か言っている」

「ママ、ママ、ママ、――――」

「待って、どう言う事なの? 私は、あなたの、ママなんかじゃないわよ」

「ママ、ママ、ママ、――――」

「やめてーーーーっ」

エレナの耳に、アナンドの恨み節が、止めどなく押し寄せる。

「何を言っているの、あなたは、アナンドではない。アナンドを殺したのは、私ではない。私は、悪くない。悪くなんかないのよ。止めて、私を責めるのは止めて」

エレナは、思い悩んだ。何故、アナンドは、私に恨みを持っているの? インドの赤ん坊大量虐殺に、荷担したから? それとも、博士に殺される時に、助けなかったから? エレナの心の中に、重苦しい罪悪感が、次第に広がって行く。そして、それは、彼女の心の奥に、傷を刻んで行く。確実に。鋭く。そして、深く。何故? 何故、私が、苦しまなくてはならないの? 誰が、私を苦しめようとしているの? 何故? どうして?

そして、エレナは、ようやく気が付いた。これは、罠だ。ティムの中に、罠が仕掛けられていたのだ。何者かが、ティムの深層心理に、罠を仕掛けていたのだ。深層催眠という罠を。エレナは、この罠からの脱出を試みる。これは、鉄の心を持つエレナだからこそ、気が付き、はね除ける事が出来たのだ。しかし、アナとサカマキは、どうであろうか?

エレナは、心配になり、二人を、罠から引き離そうと試みる。

「二人とも、ティムの深層心理を読んでは、駄目。罠よ、罠が仕掛けられているのよ」

しかし、二人から、まともな返事は、来ない。二人は、エレナほど、強くは、なかった。

サカマキは、完全に気が動転している。

「待て、待ってくれ、私が悪かった。私が間違えていた。だから、これ以上。私の事を、責めないでくれ。頼む、お願いだ」

アナが笑いながら、呆ける。

「そう、そんなに、ママに会いたいの? そうよね、ママに会いたいわよね。ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」

駄目だ、二人とも、深刻な精神的ダメージを負っている。何とかしなくては。エレナは、必死に二人の意識を引き留めようとする。

「ああ、エレナか、私が悪かったのだ。そして、それに荷担した、君も悪かったのだ。君も、十分に悪かったのだ。あは、あははは、――――」

「エレナ、一緒に謝りましょう。この子達を、ママから引き離した、私達に出来る事は、ただひたすら、謝り続けるしかないのよ。ふふふ。うふふふふふ、――――」

そして、人工海馬を通して、強力に、エレナの人脳に対し、罪悪感を送り込み続ける。それは、鉄の女、エレナを持ってしても、押し止める事が困難なほど、激しく、津波の様に押し寄せてくる。

「止めなさい。二人とも、止めるのよ。私の脳に、狂気を送り込んでくる事を、――――、狂気、ルナティック、ルナ! そうか、ムーンの別名。そう言うことなの? ティムをルナにした事が、わは、えへ、へへへーーーー」

3人が、狂気の深海へと沈んで行く。もう、二度と浮き上がる事が出来ない、深海へと落ちてゆく。何処までも深く、そして、何処までも暗く。

それとは対照的に、ティムの意識は、浮かび上がる。暗闇から光の世界へと、舞い戻る。ティムは、意識を取り戻す。そして、漆黒のコスモスの世界で目を覚ます。そこには、光を放つ、ジュピター、サターン、ウラヌスは、もう、存在していなかった。光を失い、暗く灰色となった姿が残されていた。

ティムは、何故、自分が意識を取り戻したのか、理解できないでいた。しかし、大切な何かを思い出した。マリアが、ティムにアメリカへ旅立つ前にかけた言葉だ。

「エレナは、魔女よ。だから、私が、あなたの事を守ってあげる。私が、お守りの魔法を掛けてあげる」

お守りの魔法。それが、今の自分を救ったのかも知れない。ティムは、改めて、マリアの真心を、深く胸に刻むのであった。マリアが助けてくれたのだ。エレナの魔の手から、救い出してくれたのだ。


ハオランが、アドリアナのアンドロイドの前に立ちはだかる。

「ファイブを抹殺するなら、私を倒してからにしろよ。お前にティムを、殺させはしないよ」

しかし、アドリアナは、躊躇無く、ハオランのみぞおちに拳を打ち込み、呼吸を止めさせる。ハオランは、体をくの字に折り曲げ、床の上を悶絶する。

その時、ナカムラが待ったをかける。

「ファイブの状態が変化した。見ろ、エレナ、アナ、サカマキの顔から、生気が消えて行く。ティム! 無事か? ティム!」

ナカムラは、何度も、ティムの人脳に語りかける。スクリーン上に映し出されている、ティムの表情に、生気が蘇る。「無事に帰ってきてくれ、ティム」、ナカムラが、必死に祈る。

暫くすると、ティムは、目を開き、自分が無事である事を報告する。

「心配をかけた様だな、ナカムラ。だが、もう大丈夫だ。危うい目には遭ったけど、マリアが、かけたくれた魔法のお陰で、何とか、窮地を脱した様だ。そして、何故か、良く分からないけれど、ファイブの人脳達は、廃人となった様だ。ところで、どうして、床に倒れ込んでいるのだ、ハオラン?」

ハオランも嬉しかった。ティムが、無事に生還したのだ。喜びの声をかけようとするが、未だ、呼吸が回復しない。息苦しい状態を、押し止めながら、何とか、口を開く。

「ティ、ティ、ティム。無事で、無事で良かったよ。ハア、ハア、ハア、――――。フーツ、ようやく、呼吸が出来るよ。アドリアナ、ここは、本当に倒す場面では無いだろよ。少しは、手加減しろよ」

ティムは、無事だった。そして、皆、ティムの生還を喜び合った。

ティムが、皆に、報告する。

「もう、電源供給装置が、破壊される心配は無い。ガイアが、破壊装置を取り外してくれた。これでコスモスは、安泰だ。今は、ガイアが、ファイブの資源を解体し、他の人脳達に、均等に割り当ててくれている。これで、コスモスは、真に独立した、超知性として飛翔する事であろう」

感慨深げに、ティムは、宙を見上げる。そして、先ほどまで、自分の目の前に広がっていた、宇宙空間に思いを馳せる。

しかし、アドリアナは、気を休めてはいない。

「未だ、元老院が残っているわ。悪の残党共が、その中に居る。放っておくと、何をするか分からないわよ。早急に始末を付けなければ」

そうであった。博士は、失意のどん底に沈んでいる様だが、その事を知るのは、ティムのみである。未だ、ウィルと言う、悪党が残っているのだ。そして、ラリー。あなたは、何がしたいのだ? あなたは、敵なのか? それとも、味方なのか?

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