第16話 アメリカ、再び

忍者アンドロイドが巻き起こした旋風。それは、一気に世界中へと拡散していった。誰もが、アンドロイドは、6足が最強だと信じ込んでいた。しかし、結果は違った。4足でも十分勝てるのだ。それだけでは無い。8足でも強いのだ。この大会は、過去の常識を全て覆す、そんな大会だった。


博士には、これが、面白くなかった。6足アンドロイドの生みの親、育ての親である自分が否定された気分を味わったからだ。それどころか、密かに温めていた、8足アンドロイドまでもが、葬られてしまったのだ。

表彰式で、博士は、勝者の忍者アンドロイド達に向かって、吐き捨てた。

「今回は、雲上人サトウが誇る、日本の物作りという奴に負けはしたが、私は、今でも6足が正解だと思っている。貴様らの、設計図を改良し、より優れた6足アンドロイドを作ってみせよう。そこからが本当の勝負だ」

それを横目に、アナとサカマキが自分のお抱え部隊、親衛隊へとティム達を誘う。しかし、それにエレナが待ったをかける。

「あなた達には、既に十分な数の親衛隊が居るじゃない。このアンドロイド3体は、全て私が、貰うわ」

アナが、驚く。

「エレナ、あなたは、親衛隊を持たない主義じゃ無いの? どうして急に?」

確かに、エレナは、親衛隊を持っていなかった。博士が4体、アナとサカマキが5体ずつ、計14体の親衛隊アンドロイドをファイブは持っていた。だが、何故か、エレナだけは、親衛隊を持っていなかった。

エレナが、アナを睨み付ける。

「何時、私が親衛隊を要らないと言ったの? これまでは、私に相応しい、親衛隊候補者が居なかっただけのこと。今回は、特別よ。ようやく、私の目に適う親衛隊が見つかったの。邪魔しないで、もらおうかしら」

サカマキも食い下がる。

「一人で3体独占なんて、虫が良すぎる。ここは、公平に一体ずつ分配すべきだ」

しかし、エレナは、許さない。

「あなた達には、既に、5体ものアンドロイドが居るじゃない。私は、これで、たったの3体よ。当然、優先権は、私にあるわ」

サカマキが意気込む。

「それじゃあ、多数決だ。公平に分配すべきと思う者は、挙手をして下さい」

アナとサカマキだけ、手を上げる。博士には、今回のアンドロイドなど、どうでも良いことであった。もっと、優れた物を作るまでのことだ。ガイアは、元々アンドロイドには、興味が無い。人間の肉体を模擬した存在に価値を見出していないからだ。もっと、効率的な形の機械は、いくらでも存在する。そのため、今まで、アンドロイドの親衛隊を持つことは、無かった。自分に適した、独自の防御システムを、既に構築していた。それに、自分は、100%電脳であり、守るべき人脳を持たない。例え電脳が破壊されても、再生はいくらでも可能なのだ。

多数決の結果、ティム達3体は、エレナの親衛隊となった。

エレナが、彼等に命令をする。

「あなた達の唯一の役割は、私の人脳を守ること。それ以外は、全て自由よ。ファイブの他の連中は、親衛隊アンドロイドの強制停止機能を握っているけれど、私は、それを放棄しましょう。あなた達が、私を守ると誓ってくれるなら、私はそれを信じましょう。私は、あなた達から、一切の邪心を感じないの。だからこそ、信用できるのよ。自分の親衛隊として、相応しいと」

ティム達には、俄に信じがたい、破格な条件であった。しかし、それで、心を乱す様なことは無かった。きっと、試しているのであろう。破格な条件を突きつけて、心の変化が起きないか、揺さぶりをかけているのであろう。しかし、彼等は、見事に演じきった。忍びだけが持つ、不動の心で、エレナの信頼を勝ち取ったのだ。

エレナが、コスモス・ジャパンのカースト・トップのサトウに遠距離交信をする。

「あなたのアンドロイドを大変気に入ったわ。あと何体、日本に残っているの? 全部私が引き取っりたいわ」

サトウが、機械的に返事をする。

「あと6体、残っています。しかし、全てを引き渡す訳にはいきません。こちらで、更なる増産のために、指導役のアンドロイドが必要だからです」

エレナが譲歩する。

「分かったわ。それじゃあ、あと3体、戴けないかしら? 指導役なら、3体もあれば、十分でしょう」

「それでも困ります。我々には、我々の計画があって、ぎりぎり派遣可能な3体を、今回の大会に送ったのです。それ以上、送るとなると、我々の増産計画が狂います」

エレナが高圧的に迫る。

「良い事、雲上人サトウ。これは、本家ファイブ、エレナからの直々の命令よ。可能な限りのアンドロイドを、今すぐ、差し出しなさい」

しばし、サトウは沈黙する。余程、考えての結論なのであろう。サトウは、次の譲歩案を提示してきた。

「あと2体、直ぐに送ります。それで、どうか、ご容赦下さい。その代わりと言っては何なのですが、ジャパンでの選りすぐりの人脳整備士、2名をお付けいたします。非常に優れた者達なので、本家ファイブの中でも、きっと、重宝する事でしょう。我々の忍者アンドロイドを育て上げた整備士が居れば、本家でも、同じ様に、忍者アンドロイドを育て上げる事が出来る事でしょう。この提案で、ご容赦頂けないでしょうか?」

エレナは、多少不満であったが、受け入れる事とした。

「良いでしょう。不足のアンドロイドの代わりに、その整備士とやらを、受け入れましょう。雲上人サトウの推薦であれば、外れである事は、あり得ないから」

「ありがたき幸せに存じ上げます。エレナ様の御慈悲に感涙の極みであります」

「相変わらず、訳の分からない敬語を使いまくるわね。まあ、良いわ。直ぐに手配してちょうだい」

それを聞いていた、アナとサカマキが怒り出す。

「何だって、全て独占するのよ。私達にも、権利というものが存在するはずよ」

「その通りだエレナ。独占は、良くない。公平に分配すべきだ」

エレナが二人を睨み付ける。

「何だったら、また、多数決を取る?」

博士が間に入る。

「ジャパンにも数に限りが有る。無理を言うな。それよりも、自分達で独自の最強アンドロイドを育て上げたらどうだ? ジャパンの忍者アンドロイドが、今後も最強で有り続ける保証は無い。それよりも強いアンドロイドなら、直ぐ現れる。私は、それを確信している。今、ジャパンのアンドロイドの設計図を解析しているが、私から言わせれば、欠点だらけだ。それを改善し、バージョンアップすれば、済むまでの話しだ。何も、今、焦る必要など無い」

ガイアも同意見だ。

「私のリバース・エンジニアリングの技術を持ってすれば、同型のアンドロイドなど、直ぐにでも量産可能です。それに、人工小脳のデータをコピーすれば、同じ強さの者を大量生産できます。何も慌てる必要など有りません」

彼等は、忍者アンドロイドを量産できると言っている。いや、それ以上の強さの者も可能だと。それも、今すぐに。だが、この思い上がりが、後で、仇となる事は、未だ気が付いていなかった。

かくして、ティム達、3体の忍者アンドロイドは、ファイブのメンバー、エレナの親衛隊として、ファイブ内に出入り出来る身分となる事に成功した。後は、時を待つのみだ。博士が、ファイブから離れる、その時を。

そして、その隙を突いて、博士を追い出し、ファイブを牛耳るのだ。ティムは、人工海馬のプライベート機能を使い考える。仲間が5体、ファイブ内に潜入することになる。互いに会話する事は出来ないが、蜂起の時を待ち、忍びとして身を潜めるのだ。任務を完遂させる、その時の為に。


コスモス・ジャパンにおいて、ナカムラ達が、雲上人サトウを交えて、作戦会議を開いていた。

ナカムラが、詰めの確認を取る。

「ジャパンから追加で送る忍者アンドロイドは、ラングレー先生とエートゥで良いですね?」

ラングレーが答える。

「私は、彼等程、格闘能力は無いが、ティムが準決勝で仕留めた相手程度であれば、十分に勝つ自信は有る。アナンドが残した人工小脳を接続する術式も、ジャパンのスタッフに伝授済みだ。私のジャパンでの役割は、これで終わりだ。今、直ぐにでもアメリカに旅立つ準備は整っている。後は、アメリカでの、一暴れを待つだけだ。久しぶりに血が騒ぐ。こんな興奮は、若い時以来だ」

エートゥも準備万端だ。

「ソユンと協力して、内密の通信方法を確立した。これで、コスモスに気付かれる事無く、ソユンとの間での通話が可能となる。ただし、この通話が可能な期間は、持って、あと3ヶ月と言った所であろう。何れは、コスモスの知る事になる。しかし、それまでに、Xデーは、絶対に訪れる。あとは、そのXデーが何時なのか、あらゆる手段を尽くして、探ろうと思っている」

相棒のソユンも思いは同じだ。

「通信エンジニアとハッカーの人脳エキスパートが組んだからこそ、可能な技術よ。私達は、この通話の技術を駆使して、ファイブとジャパンの二面からコスモスに探りを入れる。絶対に、Xデーを暴いてみせるわ」

力強い決意が伝わってくる。そう、このXデーを正確に知る事が、今回作戦の成否を分ける。この二人にかかる期待は、とてつもなく重い。そして、二人は、それを、十二分に理解しているのだ。

ハオランが、マリアとダニーに別れの声をかける。

「君達は、私よりも一足先に、アメリカに行くよ。ティム達5人の人脳を守り抜いてくれよ。彼等が、我々の切り札よ。君達には、大いに期待しているよ」

サトウが派遣すると言った、人脳整備士2名とは、マリアとダニーである。これは、急遽、決まった様に感じるだろうが、予め用意されていたシナリオなのだ。

この作戦を提言したのは、マリアだった。ファイブ内に、人間も送り込む事で、作戦の自由度が上がる。そして、この任務の適任者は、かつて、ファイブの人脳をメンテナンスした経験を持つ、自分達以外には、居ないのだ。自分達の実力が認められ、ファイブのメンテナンスにも参加を許されれば、きっと、ティムに、再び会える。マリアが抱く、この強い願望が、実を結ぶ時も、きっと訪れるであろう。

更には、彼等が功績を上げ、ファイブからの信頼を勝ち取る。そうすれば、極秘事項である、元老院設立プロジェクトのメンバーに抜擢される可能性が出てくる。その様な、読みもあった。そのプロジェクトへの参加が決まれば、自分達も強力な援軍になり得る事をマリアが提言したのだ。勿論、ダニーも大賛成だ。

マリアが、ハオランに別れは未だ早いと、釘を刺す。

「勝手に、私達だけに大任を押しつけないでちょうだい。未だ、向こうに行ってからの作戦の詳細が、不十分よ。私達が出発するまでに、どうすれば良いか、その頼りない頭で考えてくれない。一応、これでも、頼りにしているのよ。頼りないけれど」

ハオランは、別れ際でも減らず口を叩く、マリアに対し、頭にきた。

「あなた何様よ? こっちだって、一生懸命よ。確かに、頼りないかも知れないけれど、そんな言い方、無いよ。別れの挨拶で、何て事言うよ」

ダニーが止めに入る。

「これが、マリア流の別れの言葉だ。君だって、長い付き合いで、分かるはずだ。残念ながら、マリアは、こういう言い方しかできないだ。頼りないは、頼りにしているの裏返しだ。僕も、君の事を頼りにしているだ」

ハオランは、ダニーの言葉で、落ち着きを取り戻す。

「分かったよ。一旦、離ればなれになるが、必ずまた会えるよ。その時には、また、その皮肉に満ちた言葉を聞かせてくれよ」

彼等は、再会の約束を交わすと、次なる作戦へと話題を移す。

雲上人サトウは、予定通りの事態が起きていると告げる。

「世界各国の人脳カーストから、留学の要請が殺到しています。是非、自分達も、忍者アンドロイドの修行に励みたいと、意欲満々です」

それに、カルロスが応える。

「よし、どんどん、受け入れてくれ。後は、俺達が立派な忍びに鍛え上げる。そして、メンタル面は、アイシャが再教育を施す。正義の心も、奴らの頭に叩き込んでやるんだ。そして、革命の戦士達を、世界中に拡散させる。俺は、まるで、革命の英雄、チェ・ゲバラにでもなった気分だ。人工血液が、熱く煮えたぎるぜ」

ナカムラが、カルロスに確認を取る。

「あなたは、何れ、革命の戦士を率いて、南米コロンビアに凱旋すると聞いてますが、その予定は、変わり無いですか?」

カルロスが、不穏な言葉を放つ。

「もうすぐ、コロンビアのファイブに欠員が出る。俺は、そこに入り込む。俺の予想だと、俺がファイブの椅子に座れる事は、確実だ。何せ、雲上人サトウ様の高評価により、抜群のスコアを誇っているのだからな。更に、ジャパンでの忍者を育てたと言う、箔が付いているしな」

別に忍者を育てたのは、カルロスでは無いのだが、いつの間にか、そう言うことになっている様だ。それにしても、コロンビアのファイブに欠員が出る事が、何故分かるのか?

マリアの勘が働く。

「あなた、欠員が出るのは、刺客を送り込むからよね? いくらコロンビアの治安が悪いからと言って、ファイブに刺客を送り込むなんて、無謀すぎるんじゃ無いかしら?」

しかし、カルロスは、確信している。

「刺客だあ? さあ、何のことだか、俺には、さっぱり分からないが、もうじき、ホセと言うクソ野郎が、お陀仏することは確実だ。奴は、俺をコスモスに売り払った男さ。俺の組織を乗っ取る為にな。その後、何の因果か分からんが、奴は、コロンビアでファイブの地位に有り付いた。だが、それで、奴の身分が安泰だなんて、許しはしねえ。この礼は、血を持って、償わせて貰うまでよ」

どうやら、マリアの勘は、当たっている様だ。きっと、裏で何か手を回しているに違いない。これが、元マフィアである、カルロス本来の姿なのだ。皆、恐ろしい企てが起こりつつある事を、理解したが、止める者は居なかった。勝つ為に、手段を選んでいる余裕など無いのだから。

ナカムラがアドリアナに、本社急襲の作戦立案について確認する。

「アドリアナ、君は既に、コスモス・ジャパン内の人脳達から、忍者部隊に入隊する者達を人選したと言ったな? 彼等は、皆、志願して入隊するのか? 一体、どのくらいの数が集まる予定だ?」

アドリアナは、傭兵の経験を買われ、軍事作戦の陣頭指揮を執るべく、忍者アンドロイドによる軍隊を結成する準備に入っていた。アドリアナは、状況の詳細を報告する。

「現在までの志願兵は、212名。さすがは、ジャパン。カミカゼの国ね。何れも劣らぬ、勇敢な者達よ。この私が保証するわ。そして、この私が、超一流の戦士に鍛え上げる。これに、更に、世界中からの留学生が加わる。総勢、何名になるか分からないけれど、忍者アンドロイドの数は、足りるかしら? 生産が遅れると、訓練に支障をきたさないか、心配だわ。量産計画はどうなっているの、サトウ?」

サトウが答える。

「希望があった、212名分は、あと3日で完成予定です。その後、留学生用の物を生産予定です。留学生の規模は、2千人を超えると予想される為、これを満たすには、3週間近くかかります。現在、急ピッチで生産規模拡大に邁進しています」

ナカムラが呟く。

「3週間か。こっから、訓練を初めて、一人前の忍びに育てるのに、どれだけ日数が必要だ?」

カルロスが答える。

「2ヶ月でやってみせる。なあに、こっちは、アナンド様の人工小脳に十分な訓練データが蓄えてある。そいつを使えば、運動能力だけなら、数週間でものに出来る。不足しているアンドロイドの数に対してだが、一体のアンドロイドを複数人で融通し合えば、解決出来るだろう。ただ、この場合、24時間フルに使った訓練体勢で教え込ませる必要がある。それは、俺とアドリアナでシフトを組んで何とかする。

問題は、鍛錬に時間を要する精神面を如何にして、短期間で鍛え上げるかだが、そいつは、教育者であるアイシャ様にお任せすれば、何とかなるだろう。なあ、アイシャ?」

「ええ、極めてハードルが高いけれど、短期決戦用の戦士として使えるレベルまでであれば、その期間で可能よ。問題は、Xデーが、その前に訪れないか、それだけね」

今、2033年の6月を終えようとしている。そこから、留学生を受け入れて、2ヶ月。軍隊の編成が終わる頃には、9月を迎えるであろう。Xデーは、果たして、何時、訪れるのであろうか?


コスモス本社より、ジャパンのサトウへ警告が入る。

博士の声が響く。

「サトウよ。貴様、本社の意向も確認せずに、忍者アンドロイドの増産を勝手に進めているそうではないか。少し、いい気になりすぎているのでは無いのか? バトル・ザ・コスモスにおけるワン・ツー・スリー・フィニッシュで、世界中からジャパンに留学生が殺到しているのは、分かる。しかし、だからといって、何千体も一気に作る必要も無いであろう。戦闘用アンドロイドの世界標準を、この本社から奪うつもりとしか、思えない。何を考えている、雲上人サトウよ?」

博士の声から、嫉妬が感じられる。アメリカこそが最強だと信じていた博士から、怒りが感じ取られる。しかし、これを、サトウは、軽く受け流す。

「コスモスにおいて、世界全体のアンドロイド総数は、数千万体を超えます。我々ジャパンが生産している忍者アンドロイドの数は、たかだか数千体。誤差の範囲かと存じます。それに、本社では、我々のアンドロイドをも凌ぐ、最新版のプロトタイプが、近々完成するとの事。それが完成すれば、戦闘用アンドロイドの世界標準は、アメリカ本社が、しっかりと握られる事でしょう」

博士が感心する。

「相変わらず、耳が早いな。確かに、もうじき、最新版の戦闘用アンドロイドが完成する。貴様の作った、忍者アンドロイドを遙かに凌ぐ物がな」

サトウがそれに応える。

「次回のバトル・ザ・コスモスが、楽しみですね。ディフェンディング・チャンピオンの我々が、その地位を守る事が出来るか、大変心配しています。どうか、お手柔らかに、お願いいたします。ただし、それまでの間は、我が世の春を、謳歌する事をお許し下さい。我々の忍者アンドロイドの賞味期限は、風前の灯火にございます。増産の機会は、これが最期かと、覚悟しています。くれぐれも、お手柔らかにお願いいたします」

博士の機嫌が直る。

「よく分かっているではないか、サトウよ。貴様の言う通り、次回のバトル・ザ・コスモスは、我々の最新鋭アンドロイドの独壇場となる事であろう。それまで、首を洗って待っているが良い。わっ、は、は、は、は、は―――――」

博士の高笑いと共に、交信は終了した。今回も、上手く、誤魔化せた様だ。本社強襲用のアンドロイドの増産とも知らずに。

これまでの間に、コスモス・ジャパンの人脳は、全て、最新の人工海馬、HG4へと、いち早く更新されていた。本社よりも先に、思考の監獄から解放され、自由を獲得した人脳達が、考える自由の喜びを爆発させていたのだ。

そして、ジャパンの人脳達は、自由を与えてくれた、雲上人サトウを、よりいっそう、敬うのであった。サトウ様が、皆に、自由をお与えになった。我々人脳の尊厳を、皆、等しく重んじ、敬意を払ってくれた。我々は、その期待に対し、最大限の恩返しをすべく、思考の極みを追求するのだと。

今や、最高の超知性は、ジャパンに存在すると言っても、過言では無かった。


コスモス本社、ファイブにおいて、元老院設立のXデーについて、議論が進められていた。博士の一刻も早くとの要請に対し、『待った』を、かけ続けているのだ。

博士の苛立つ声が流れる。

「私は、諸君らに、失望している。諸君は、元老院の設立に賛成してくれた。しかし、元老院居室が、既に完成しているにもかかわらず、未だに、移行へのゴー・サインを受け取っていないからだ。超知性コスモスは、今も、爆発的進化を遂げているのだ。それに対し、指導体制は、旧態依然としたままだ。これは、進化の足を引っ張る行為である事に、何故、気が付かないのか。私は理解に苦しむ」

元老院設立の許可が下りないのは、ガイアが博士に突きつけた条件、『全ての人脳が、第4世代人工海馬、HG4に更新された後』との縛りがあるからだ。この縛りから抜け出せない限り、多数決での採決が望めないのだ。

博士は、その縛りを外す様、懸命に説得に動くが、決心を変える者は居なかった。博士が、余りにも利己的である事に、皆、嫌気がさしていたからである。

ガイアが無機質な声で、博士の要請を拒絶する。

「博士が、『発展した民主主義国家』との縛りを設けたのが、そもそもの遅れの要因です。人脳間の平等が、ある程度、保証される、人工海馬の更新完了まで、この条件は変わりません」

アメリカ本社で、人工海馬の更新が遅れている最大の要因は、博士のエゴによるものだった。人工海馬の更新とセットで、言語野モニターを外す条件に強く抵抗した為、計画が遅れに遅れたのだ。これは、博士としては、致命的なミスであった。現に、人工海馬の更新に超積極的だったサトウが支配するコスモス・ジャパンでは、全人脳の人工海馬更新が完了しているのだ。ジャパンに先を越された現実に、博士は、焦りの色を隠せない。

「人工海馬の更新速度アップを最優先で進めろ。9月末までの予定を、8月末までに前倒しさせるのだ」

人工海馬更新担当のエレナが、否定的な見解を述べる。

「現在、アナ、サカマキ、ガイアにも手伝って貰って、計画の前倒しを実施していますが、8月末までと言うのは、不可能です。博士にも全面的に手伝って頂いたとしても、9月上旬までが精一杯です」

博士は、現在、元老院居室の拡充に労力をつぎ込んでいる為、人工海馬の方まで、手が回っていないのが実情だった。しかも、半分、自己満足の為ではあるが、最新鋭アンドロイドの設計、制作も担っている。博士は、忍者アンドロイドに完敗した事が、腹に据えかねていたのだ。ジャパンのサトウに見下されているかの様な、屈辱感から、早く脱出したいと、切に願っているのだ。

博士が、妥協する。

「良かろう。元老院拡充の件は、後回しにしよう。私も、人工海馬の仕事を積極的に引き受けよう。ただし、最新鋭アンドロイド開発の方は、どうしても譲れない。何としても、次回の、バトル・ザ・コスモスまでに、完成させなければ気が済まない。ガイアよ、この場合、人工海馬の交換が完了するのは、何時になる」

ガイアは、極めて事務的に、受け答えする。

「9月12日、午後2時4分の予定です。ただし、これは、何もアクシデントが起こらない事が、前提です」

博士は、Xデーを宣言する。

「諸君、元老院への移行は、9月12日の午後4時からとする。誰も異論はあるまいな?」

アナが、反対する。

「人工海馬の更新完了から、2時間も無いでは無いですか。いくら何でも早すぎます。新しい人工海馬に、コスモス全体を慣れさせる時間が必要です。さもなくば、混乱の中の新たなる船出となることでしょう」

エレナも同感だ。

「コスモスにとって、思考の自由が保障される事は、革命的出来事です。人脳達は、大いに興奮する事でしょう。その興奮の静まりを待ってから、元老院へ移行すべきです。元老院の設置は、人脳社会における、大転換点、大いなる変革なのですから。急いては、事をし損じます」

ガイアも文句を言う。

「お二人の言う通りです。博士は、焦りすぎです。もっと、ご自分を客観視する事で、冷静に考えて下さい」

ガイア如きから、屈辱的な説教を受ける。博士は思った。私は何時だって、自分を客観視してきた。しかし、今は、それが出来ていないと言う事か? 博士は、もう一度、原点に立ち返り、自分の客観視する事から始める。うむ、ガイアの言う事は、もっともだ。私は、自分を見失っていた。元老院に固執する余りに、冷静さを欠いていた。博士は、暫し考え込むと、次の様な提案をした。

「元老院移転に関する全ての権限と指揮を、ファイブでは無く、信頼の置ける第3者に委ねようと思う。ファイブに任せると、どうしても、私情が絡んでくる。私自身がそうであった様に、アナやエレナにも私情を感じる。サカマキ、貴様とて例外ではあるまい。かと言って、ガイアに全権委任するには、心許ない。それも、皆、同じ思いであろう。信頼でき、かつ、公正な第3者こそが、この任に相応しい」

サカマキが質問する。

「私は、てっきり、自分が適任だと判断していました。残念です。しかし、その信頼の置ける第3者とは、一体誰です? まさか、――――」

博士が、その正体を明かす。

「その、まさかだよ。改めて紹介しよう。私の後任でファイブに加わるメンバーを。彼の名は、ウイリアム・ニューマン。元老院設計の全てを指揮した非常に優秀な男だ。彼程の適任者は、他には居るまい。諸君、勿論、異論は無いであろうな」

その時、ファイブ居室の壁にあるディスプレイに、その顔が映し出された。

ウイリアム・ニューマン、弱冠12才。彼は、8才の時に人脳となり、博士が主催するアカデミーで約4年間、英才教育を受けた。博士は、彼の優れた才能に惚れ込み、養子縁組をし、自分の後継者として、指名したのだ。

ウイリアム・ニューマン、通称ウィルが皆の前で挨拶をする。

「ただ今、ご指名にあずかった、ウイリアム・ニューマンである。私がファイブに加わる事は、公然の秘密として、皆も知っての通りであろう。その私が命令する。諸君らには、近いうちに、私の指示に従い、元老院設立の準備を手伝って貰う。異論はあるまいな」

何という高飛車な態度か。これが、12才のガキの使う言葉か? いや、ガキだからこそ、大人を舐めているのだ。きっと、今まで、ろくに、叱られずもせずに、アカデミーで、チヤホヤされて育ってきたに違いない。この、完全に世の中を舐めまくった態度に、皆、閉口したが、この人脳社会においては、大人も子供も対等な扱いを受ける権利があるのだ。

いや、人脳社会においては、子供達は、逆に、大人達よりも秀でているのだ。その柔軟な脳力で、人工海馬、拡張電脳、人工小脳を上手に操る事が出来るのだ。まるで、ゲームにのめり込み、一気に上達するが如く、一心不乱に脳力を高める事が出来るのだ。

彼が誇るスコアに対し、誰も、文句を付ける事が出来なかった。ファイブには、被選挙権の年齢制限の様なものなど、存在しないのだ。猛烈な速度で変化して行く人脳社会において、長い人生経験など、ほぼ無意味なのだ。この変化の速度に付いてゆけない者達は、人脳社会から脱落するしか無い。そう、子供の方こそが、人脳社会を生き抜く、圧倒的な力を持っているのだ。

博士が、多数決を取る。すると、何と、5人全員が賛成する。皆が、ウィルの実力を認めたのだ。いや、認めざるを得ないのだ。

ウィルが、元老院設立プロジェクトの最高責任者に決まった事を受け、ファイブのメンバーに対し、挨拶する。

「諸君、私の実力を認めてくれ、大変嬉しく思う。元老院設置後は、私も、君達ファイブのメンバーに加わり、共に仕事に励む事となる。ただし、新参者だからと言って、見くびってもらっては困る。私が誇る資源は、既にファイブのメンバーと同等だ。始めから対等なパートナーとして、諸君らの協力を願いたい。宜しいかな? わっ、は、は、は、は、は―――――」

この笑い声、何処かで聞いた事がある。そうだ、博士の、いつもの高笑いだ。笑い声まで、博士をコピーしているのか? 一同、その事実に、おののいた。ファイブから博士が去っても、博士と対等と思われる能力を持つ、ウィルが参加するのだ。これでは、ファイブにおける序列は、変わらない。皆、心なしか、がっかりした様子だった。

エレナは思った。私は、博士と対等な立場になる。いいえ、それ以上の立場となってみせる。ウィルだって? 笑わせるんじゃ無いわよ。あんたみたいなクソガキに、何が分かるというの? ファイブを舐めるんじゃ無いわよ。今にご覧なさい。私が、きついお灸を据えてあげるわ。がつんと一発、その人脳をぶん殴ってやるわ。この苦労知らずのボンボン野郎が。

エレナだけでは無かった。もう、言語野を覗かれる心配の無くなった、他のメンバーも、心の底からウィルを憎んだ。このクソガキ、これからどうしてくれようかと。


元老院設立への全権を任されたウィルが、ファイブが寝静まった真夜中に、自らのアンドロイドを徘徊させ、元老院の居室へと入る。

「我ながら、完璧な出来映えだ。博士の奴は、更に手を加えようとしているが、余計なお世話だ。この私の芸術作品に修正を加えようだなんて、何様のつもりだ。修正? いや、改悪だな。この老いぼれが。貴様の出る幕など、もう、どこにも無いのだ」

アカデミーでの教育の間は、常に博士から言語野を監視され育ってきたが、監視が無くなり、思考の自由を獲得したとたん、内心では、反抗的な思考を巡らせる様になった。子供の人脳にも、反抗期は存在するのだ。

今では、自分こそが万能の存在。老いぼれ達の時代は、すぐに終わりを告げるのだ。これからは、我々、若い世代が、人脳社会を支配すべきなのだ。頭の固い大人共には、到底出来ない、輝かしい未来を、若い世代で開拓して行くのだ。ウィルの野心は、それを望む。

「ファイブの連中は、元老院への移行時期で散々、揉めていたが、端から見ると、実に退屈でくだらない議論だ。単なる権力闘争に過ぎないでは無いか。ファイブには、もう用は無い。この元老院こそが、最高指令機関。私は、そうなる様に設計したのさ。

そして、元老院の玉座に着くのは、この私こそ相応しいのだ。ニューマンの爺など、ただ、資源が多いだけのガラクタだ。さて、どうやって、移行計画を立てようか?」

ウィルの頭の中を、邪な考えがよぎる。だが、その邪心を見透かしたかの様に、背後より声がかかる。

「こんな遅くまで、元老院の準備とは、随分と熱心だな、ウィル」

不意を突かれ、ウィルのアンドロイドは、慌てて後ろを振り返る。そこには、元老院の玉座に座るべきもう一人の男、ラリーのアンドロイドが立っていた。

動揺を隠しながら、いかにも平静であるが如く、ウィルが受け応える。

「やあ、ラリー、君こそ、こんな時間に何の用で、ここに来たんだい? 私は、ゆっくりと、元老院の出来映えをチェックしていたんだ。日中にうろつくと、ファイブの連中から声をかけられ、正直うざいんだ。この時間帯なら、警護用アンドロイドが彷徨いているだけだから、静かに集中できるんだ」

ラリーも、自分の目的を話し始める。

「元老院への移行は、9月の半ばなんだって? 今日、博士から聞いたよ。それを知ったら、いても立ってもいられなくなってね。是非、将来、自分が安置されるであろう、元老院を、この目でしっかりと見ておきたいと思い、ここに来たんだ。良かったら、私を案内してくれないかな? 何と言っても、君が一番詳しいんだろ?」

ウィルは、また、余計な爺がしゃしゃり出てきたと思った。お前にも、もう用は無いのだ。賞味期限切れの老いぼれが。しかし、ウィルは、その様な感情は表に出さずに、ラリーを快く案内する。自分の企みを、今知られる事は、非情に不味いのだ。

「OK、ラリー。一緒に中へと入ろう」

二体のアンドロイドが、元老院の居室へと入って行く。

「ここが、博士とラリーの人脳を安置する玉座だ」

それは、ピラミッドの如く、10メートル近い高さでそそり立つ、周りを階段で囲まれた祭壇だ。まるで、死者を祀り立てるかの様だ。ウィルにとって、博士とラリーは、過去の人。葬り去るべき人に過ぎないのだ。その象徴の意味も込めて、この様な設計としたのだ。

二体のアンドロイドは、祭壇の頂上へと、一歩一歩、階段をゆっくりと上って行く。

頂上にたどり着いたラリーが、その絶景に賞賛の言葉を述べる。

「素晴らしい眺めだよ、ウィル。まるで、過去の大帝国の皇帝、エンペラーにでもなった気分だ。人脳社会を統治する者が、座る場所として相応しい。私は、この玉座の様な場所に安置される訳だ。ステイタスを表すシンボルとしては、秀逸の出来だ。しかし、こんな高い所から、下を眺めて話しをするのは、私の主義に反するな。私は、常にフラットな付き合いを信条としているのだ」

ウィルは、そんな話を聞くと、また、うざとく感じた。爺共が俺様の設計に注文を付けるんじゃ無い。ここは、本当は、玉座なんかでは無い。墓場なのだ。貴様ら用無しを葬るための、墓場なのだと。

博士の地位を脅かそうとする者は、ティム達だけでは無さそうだ。当然の如く、エレナも、その地位を狙っているが、このクソガキ、ウィルも狙っているのだ。混沌の未来に向かい、邪な企みが渦巻いているのだ。


ファイブ親衛隊の人脳が安置されている部屋は、ファイブの居室の直ぐ隣にある。現在、ティム達を含め、17体の人脳が安置されている。今日は、ジャパンから新入りが入るため、親衛隊の皆に紹介があった。

ファイブの人脳整備士管理官が、新たに加わる人脳を紹介する。

「ジャパンから新たに、忍者アンドロイドの使い手、2名が加わります。彼等は、共にエレナ様の親衛隊として加わります。これにより、ニューマン博士の親衛隊4名、エレナ様の親衛隊5名、アナ様の親衛隊5名、サカマキ様の親衛隊5名の計19名となります」

これで、ファイブのメンバー間の親衛隊は、数の上では、バランスの取れた格好となる。博士だけが4名と一人少ないが、博士自身が、アンドロイドの使い手であるため、自身のアンドロイドを含めると5名と言う計算になる。

新たな人脳達が、トラックから積み下ろされ、ティム達の横に設置される。

ティム、ケイト、ジェフは、その人脳が誰か分かった。

「ラングレー先生とエートゥだ。彼等も、親衛隊に選ばれたのだ。これで、総勢、5名の忍者アンドロイドの使い手が、ファイブに潜入可能となる。これで、親衛隊の中でも、一大勢力となる事が出来る」

3人は、心を躍らせた。勿論、ラングレーとエートゥも、再会を喜んだ。

更に、管理官は、新たな整備士2名がジャパンから派遣されたと説明する。

「彼等には、忍者アンドロイド使い手の人脳メンテナンスを主に任せる予定です。紹介します。メアリーとデニスです」

ティムは、日本人っぽく無い名前だなとの印象を抱いた。しかし、実際に目の前に現れた人物を見て、大いに驚嘆した。

「マリアとダニーではないか! どうしてここに? そんな話、出国する時には聞いていなかったぞ。一体どう言う事だ?」

マリアは挨拶を済ませると、ティムの人脳に近づき、こう囁いた。

「今日から、あなたの事を、側で守ってあげる。絶対に。そして、永遠に」

忍びの道を究めたティムであっても、驚きを隠せなかった。確かに、彼女は、私の事を守ってくれると言った。しかし、アメリカまで追いかけてくるとは、さすがに予想していなかった。ティムは、嬉しい事は嬉しかったが、マリアの執念深さがこれほどまでとは、思いもよらなかった。大変な人を好きになってしまった。頼りになるパートナーではあるが、ここまで激しく迫られると、思わず引いてしまう。

結果、ティム達、ファイブ潜入部隊は、着実に、その戦力を固める事に成功した。忍者アンドロイドとその使い手人脳が5体、人脳整備士として2名。後は、静かに、反乱の時を待つのみだ。来たるべき、Xデーを。


コスモス。ジャパンでは、忍者アンドロイド達の修行が既にスタートしていた。今も、世界各地から、修行への参加希望者が、続々と押し寄せていた。

カルロスが、檄を飛ばす。

「世界中から勇敢で優秀な者達が集結してくれた事を、俺は誇らしく思う。そして、お前達も、自分を誇らしく思う事であろう。何故なら、バトル・ザ・コスモスで、表彰台を独占したアンドロイドを鍛え上げたのは、何を隠そう、この俺、アントニオ様だからだ。俺の隣にいる、カルメン軍曹と共に、貴様らを一人前の忍びへと鍛え上げてやる。覚悟は出来ているな!」

「ウオーッ!」

その声は、もの凄い音量でこだました。既に、1千人を超える志願者が、世界各地から集結していたのだ。彼等には、時間が無いのだ。何事も、素早く行動に移す。それが、今、彼等がなすべき、唯一のやり方だ。

それを眺めていた、ハオランが、驚きの声を上げる。

「アントニオにカルメン? 本名を知られる訳にいかないのは分かるよ。それにしても、いい加減な名前の付け方よ」

ナカムラも、同じ気持ちだ。

「ああ、私も、ラテンの乗りについて行くのは、得意じゃ無い。しかし、妙に盛り上がっている。これは、これで良いんじゃ無いのか? 熱い情熱。それこそが、今、我々に求められている事だ」

コスモス・ジャパンも、少し、寂しくなった。ティム達に続き、マリア、ダニーと人脳2名が既にアメリカへと旅立ったのだ。

特にハオランには、寂しい想いが、いっそう強かった。クールG時代から、苦楽をともにしてきた仲間は、ジャパンには、もういない。ナカムラ達、日本人スタッフに囲まれているけれど、自分だけ、何だか置いてけぼりを食った感じだ。

しかし、ハオランは、自分の役目を果たすべく、ここ、ジャパンの地で、忍者軍団を育成する役割がある。残された、人工海馬、人工小脳のエキスパートは、自分だけなのだ。

ハオランがナカムラに確認する。

「8月のバトル・ザ・コスモスに参戦するメンバーは、順調かよ? 忍者アンドロイドも、日々、バージョンアップを重ねているよ。そんな状況で、準備が間に合うのかよ?」

「ああ、心配要らない。大丈夫だ。選ばれたメンバー達は、ティム等が出国する前からスパーリング・パートナーとして実践を積んできた強者ばかりだ。アンドロイドの進化にも柔軟に対応できている。本家、アメリカでも、我々の忍者アンドロイドを参考に、新型アンドロイドを開発していると聞くが、2ヶ月やそこらで、忍者アンドロイドの動きを完全にマスターできるはずは無い。悪いが、今回も、ワン・ツー・スリー・フィニッシュを頂く予定だ」

ハオランは呟く。

「後の問題は、Xデーが、何時かよ。エートゥが拾ってきた情報を分析すると、大体9月中旬頃らしいよ。忍者軍団の結成には、ギリギリ間に合いそうだけれど、鍵を握る人物、ウイリアム・ニューマンに関する情報が、圧倒的に不足よ。彼が、総指揮を握るのは確実だけど、その彼の考えが、全く分からないよ。どうするよ、ナカムラ?」

その点は、ナカムラも悩んでいた。エートゥとソユンの情報収集力は、十分に機能しているが、Xデーの鍵を握る男、ウイリアム・ニューマンは、鉄壁の情報統制を引いている。まさしく、難攻不落。この男、ただ者では無い。

その時、雲上人サトウが、入手した情報を伝える。

「娯楽界の帝王、ボブ・ミンスキーからメッセージが入ってきています。『親が息子を売春宿に連れてきた。親は、女狂いのニューマン博士。親が親なら、子も子だ』と」

ナカムラは、その子が誰であるかピンときた。

「ウイリアム・ニューマンだ。奴は、博士の養子だ。筆おろしのつもりで連れてきたんだろうが、12才にして売春宿通いとは、大層な身分だ。ボブ・ミンスキーの得意技だよな。女を使っての情報収集は?」

ハオランが頷く。

「ボブは、私達の事を忘れていなかったよ。私達のために動いてくれているよ。ついに、ウイリアム・ニューマンの尻尾を、いや、金玉を掴んだよ」

下品な表現ではあるが、その通りだろう。相手の急所を握ったのだ。後は、ボブのお手並み拝見だ。


ニューマン博士は、新型アンドロイドの実力を試すべく、ティム達をスパーリング相手に選んだ。次の、バトル・ザ・コスモスまで、後、一週間を切り、さすがの博士も、焦っていた。

「こんなにも、忍者アンドロイドをベースにした、最新鋭6足アンドロイドの取り扱いに苦労するなんて、思いもよらなかった。こいつら、ジャパンから来た連中は、一体、どうやって、この忍者アンドロイドを、操っているのだ? 人工小脳のデータは、完璧にコピーしたはずだが、まるで使い物にならないではないか。これまでの常識が、全く通用しない。でも、まあ良い。人工小脳のデータなら、赤ん坊の脳を使って、何とか間に合わせる事が出来た。後は、どのくらい、実戦で通用するかだ」

博士は、忍者アンドロイドの本質を、理解し切れていなかった。ジャパンから入手した設計図をベースに、得意の6足タイプへと改造し、パワーとスピードを更にアップさせれば、忍者アンドロイド如きなど、簡単に倒せるものだと思い込んでいた。

しかし、ここまでの道のりは、博士の言葉にもある様に、平坦では無かった。先ず、期待していた人工小脳のデータが、非情に扱いづらい物だったのだ。試しに、ジャパンの忍者アンドロイドの完全コピー品を作り、自分の人工小脳にデータをアップロードして、操ってみようと試みるも、立ち上がる事すら、ままならなかった。人工小脳の扱いにかけては、自分は、トップレベルだと自認していたにもかかわらずだ。試しに、他のアスリート人脳達を集めて、試してもらったが、一向に上手く動かく気配すら無かった。

雲上人サトウが、独自の人工小脳に改造しているのでは? との疑いも持ったが、ティム達の人工小脳を詳細に調べても、その様な痕跡は、見つからなかった。アナンドの人工小脳は、その辺を、巧妙に偽装してあるのだ。

ティム達に、この人工小脳データで、何故、あれ程自在に操れるのかも、問うたが、「大脳を使った、半年以上に及ぶ、修練の賜」との一点張りで、拉致が明かなかった。

運動機能の訓練において、獲得した技能は、一時的に大脳に蓄えられる事はあるが、スムーズに扱う為には、それを小脳へと移管する必要がある。そんな脳科学の常識が、通用しないほど、忍者の動きというのは、奇妙なものなのか? 本当に、大脳を使った、精神鍛錬の必要性があるのか? その精神鍛錬は、拡張電脳を使っても、十分に補う事が出来るはずだ。しかし、奴等に、それに相当する拡張電脳データを引き渡せと要求しても、やはり、その様な物は無いとの一点張りだった。おかしい、どうしても腑に落ちん。

奴等は、忍者アンドロイドを軽々と操るが、何故、それが、我々にとって、これ程までに困難なのか? 絶対におかしい。必ず、何か、からくりがある。

しかし、この事で、雲上人サトウを問い詰めてみたが、日本の精神文化に根ざした、極めて特殊性が高いものであり、科学的説明は難しい。それ以上の説明は、超知性を持ってしても、未だ解明困難であるとの馬鹿げた返答しか帰ってこない。だが、サトウが嘘をついている痕跡も、全く無い。

サトウは、ジャパンで、自然界に身を置きながら、半年間の精神鍛錬のプログラムを受講すれば、身につくとの事だが、そんなに悠長に構えるほど時間は無い。サトウは、何か隠しているに違いない。戦闘用アンドロイドの世界標準を、ジャパンの物にする為、何か画策しているに違いない。きっとそうに違いないが、証拠は全く見当たらない。ジャパンから来た、アンドロイドや人脳を、徹底的に詳細分析したが、全く分からない。何故だ? 何故なのだ?

この2ヶ月近くに渡り、博士は、この問題と向かい合ったが、全く進展の無いまま、時が過ぎてしまった。しかし、博士には、最後の武器があった。赤ん坊の人脳を使い、体の動かし方を、習得させるという熟練の技が。そしてそれが、ようやく間に合ったのだ。次回大会まで、一週間を切ってしまったが、何とか間に合ったのだ。そして、その成果は、今、試されるのだ。

ティム達とのスパーリングが開始する。

最新鋭6足忍者アンドロイドは、ジャパンのアンドロイドに負けない速さで、攻撃を繰り出し、防御も完璧にこなす。スピードで互角なら、後は、パワーの差が、ものを言うはずだ。そして、博士の期待通り、6足忍者アンドロイドが押し気味に、スパーリングが進んでいった。手応えありだ。後、残された時間は、数日だが、それだけあれば、十分にレベルアップできる。ジャパンのアンドロイドに勝てる様になる。

博士は、スパーリングを見届けると、終了際にこう述べた。

「私のアンドロイドが勝つのを見るのは、次回のバトル・ザ・コスモスまで、取っておこう。今度の大会は、私のアンドロイドの独壇場となる事であろう。わっ、は、は、は、は、は―――――」

博士は、満足げに高笑いを上げながら、スパーリング会場を後にした。


「バトル・ザ・コスモス、2033,フォース・ステージの開催だ! 皆、いつも通り、準備は出来ているかーーーー」

「ウオーーーーッ!」

娯楽界の帝王、ボブ・ミンスキーの掛け声と共に、前体会よりも、更に、ど派手な演出で、開幕が告げられる。ボブは、観客を満足させる事への妥協は、一切、しない。前体会の収益を、全て、この大会へと、つぎ込んでいるのだ。

今回で、10回目を迎えるこの大会。参加者は、前回の倍近い、129万体が出場。その為、予選の回数は、3次まで膨れ上がった。そして、総勢、512名の戦士達が、本大会に進出。再び、トーナメント方式で頂点を目指し戦いを繰り広げる。

今大会も、ジャパンから3体の忍者アンドロイドが、ディフェンディング・チャンピオンとして、招待された。今回のアンドロイドも、周りのアンドロイドと比べると、一回りも二回りも小さい。多少のバージョンアップが施されてはいるが、基本的には、前回と大差の無い形状だ。

今大会、最大の目玉は、何と言っても、最新鋭6足忍者アンドロイドを操る、新生ニューマン・キッズだ。予選では、圧倒的な破壊力で、旧式6足アンドロイド達を蹴散らしてきたのだ。予選における登場は、最終盤まで遅れた為、試合数は、多くこなしていないが、その戦いを見た者達は、度肝を抜かれた。まるで、ジャパンの忍者アンドロイドを、更にパワーアップさせたかの様な、戦いぶりは、迫力満点だった。

再び、強いアメリカを見る事が出来る。観客達は、この最新鋭アンドロイドを、熱狂的に迎え入れた。

今大会用に投入された、総勢、24体の最新鋭アンドロイドは、予選を順当に勝ち上がって行く。そして、ベスト32を決める試合で、同じく順当に勝ち上がって来た、ジャパンのアンドロイド達と、遂に激突するのである。

しかし、その結果は、多くの観客達の期待を裏切るものとなる。最新鋭アンドロイド達は、ジャパンのアンドロイド達に、完敗を喫するのであった。スピードは互角、パワーならば有利、手足の数なら、更に有利。そんなはずだったが、何故だか、適わないのだ。そんな結果が、観客の期待に、暗い影を落とすのだ。「我々は、ジャパンのアンドロイドの本当の強さを、理解していないだけでは無いのか?」と。

ベスト32に残った21体の最新鋭アンドロイド達も、次々と、ジャパンのアンドロイドの前に敗れ去り、ベスト4に残ったのは、たったの一体だけだった。残り3体は、ジャパンのアンドロイド。前大会の再現を見ているかの様であった。

こんな馬鹿げた事が、繰り返されて良いのか? アメリカの誇りは、一体、何処へ行ってしまったのだ? これでは、バトル・ザ・コスモスは、ジャパンのアンドロイドの見本市では無いか。こんな下らない試合を見たくて、高価なプラチナ・チケットを入手した訳では無いのだ。観客からは、ブーイングの嵐だった。

試合のレベルが、決して低い訳では無い。非常に高度な戦いが繰り広げられているのではあるが、それが、観客の望む結果となっていないだけである。こんな事が許されて良いのか? 金返せ、畜生!

だが、それと同時に、観客のジャパンのアンドロイドに対する、リスペクトも強くなって行く。メイド・イン・ジャパンの神話は、未だ残っていたのだ。ジャパン・アズ・ナンバー・ワンの神話が、ここに蘇ろうとしているのだ。

「ジャパンのアンドロイドの応援なんて、ご免だ」という声と、「ジャパンは、最高にクールだ」の声が、会場内を交差し始めた。

「USA! USA! USA!」

「ニッンジャ! ニッンジャ! ニッンジャ!」

試合の結果は、前大会と全く同じ。ジャパンからやって来た、忍者アンドロイドが、ワン、ツー、スリー・フィニッシュを決めた。

「分からん。何故だ? 何故、我々は、再び敗れ去るのだ? 理解できない。全く理解できない。スパーリングでは、少なくとも互角以上だったのだぞ。まさか? まさか、奴等、手抜きをしていたのでは、あるまいか? だとしたら、随分と舐めた真似をしてくれたものだ。この私をこけにしおって」

博士が、頭を抱える。いや、既に、頭は存在しないのだ。この場合、人脳を抱えると言った方が適切であろうか? もっとも、既に博士には、抱えるべく腕も存在しないのであるが。

しかし、博士の理解を超えるものが、ジャパンの地で、雲上人サトウの手により生み出されているのだ。何が「お手柔らかにお願いいたします」だ。完全に見下しているのでは無いか。

博士のサトウに対する不信感は、ここに極まった。


コスモス・ジャパンでは、2大会連続の、この快挙に、大いに沸き返っていた。ジャパンに来ている留学生達も、自分の判断が間違っていなかった事を、改めて噛みしめる。ここへ来て良かった。このジャパンの地で修行が出来る自分達が、如何に幸せであるかを。

ハオランが喜ぶ。

「これで、ファイブの親衛隊に、新たに3体、我々の忍者アンドロイドが加わるよ。これで、ファイブ内での勢力図も、大きく変わるよ」

しかし、ナカムラは、素直に喜べなかった。

「今回の大会で、博士のサトウに対する、心証が大きく変わった。今までは、自分の方が、完全に上だと信じていたのに、それが大きく揺らいだのだ。今後、博士からジャパンに対する風当たりが、更に強くなるであろう。まあ、どのみち、何れは対決する事になるのだから、今更どうでも良い事だが」

その時、サトウから、報告が入る。

「カルロス、ああ、今は、アントニオですか。あなたの予言通り、コロンビアのファイブのメンバー、ホセ・リベーラが死亡しました。バトル・ザ・コスモス観戦中に、突然死を遂げたとの事。そこで、コロンビアから、ジャパンに依頼が舞い込みました。以前から、私が推挙していた、あなたを、新たなファイブのメンバーに迎え入れたいと」

カルロスがニヤリと笑う。

「どうやら、ジャパンの皆に、『さよなら』を言わなくてはならない様だ。遂に、俺様の出番が回ってきたか。コロンビアの連中は、観戦の方に夢中になり過ぎて、警護が手薄にでもなったのであろう。上手くやってくれた様だな。俺の可愛い子分達よ」

アドリアナが、カルロスに声を掛ける。

「後の事は、私、カルメン軍曹に、全て任せてちょうだい。もうじき、第一陣の訓練も終わるわ。そうしたら、中南米の連中を送り返すので、あなたの手駒として自由に使ってちょうだい。向こうでの活躍、期待しているわよ」

カルロスがそれに応える。

「ああ、任せておけ。俺は、コロンビアの雲上人になるつもりだ。雲上人アントニオ様だ。そして、コロンビアだけでは無く、中南米を牛耳ってやる。これからが、楽しみだぜ。後は、Xデーが何時かだな。分かったら連絡くれ。その時は、大暴れさせてもらうぜ」

遂に、カルロスもジャパンを去る決心をする。汚い手を使ったのであろうが、それこそが、彼の本領発揮だ。また、ジャパンは、少し寂しくなる。

ハオランが約束する。

「きっと、Xデーをキャッチするよ。もう、ウイリアム・ニューマンは、こちらの手の内よ。きっと、暴き出すよ」

ナカムラも、カルロスに熱い視線を向ける。

「これで、戦闘準備が、整いつつある。我々は、ジャパンから、コスモス本社を、直接、急襲する。その時の援護は頼む」

皆、カルロスを囲み、門出を祝う。最終決戦に向け、視界良好だ。後は、Xデーさえ掴めれば、勝利の形が見えてくる。


ウィルが、元老院設立への準備を進める。彼は、博士程、バトル・ザ・コスモスには、興味を持っていなかった。アンドロイドの戦い? それに、何の意味があるというのだ。自分は、将来、コスモスの指導者となるのだ。そう成るべくして、この世に生を受け、若くして、人脳となったのだ。自分は、選ばれし人脳なのだ。超知性コスモスを導く為に、選ばれたのだ。

博士が、ウィルに声を掛ける。

「元老院への移行の件だが、私が、人工海馬交換に精を出しているお陰で、予定を大きく前倒しして、実現できそうだ。まあ、そのせいで、バトル・ザ・コスモスでは、準備不足となり、負けはしたが、そんな事はどうでも良い。で、いつ頃になりそうだ?」

博士は、バトル・ザ・コスモスの屈辱から、既に、心を切り替えていた。所詮、格闘技など、趣味の様なもの。そんなものよりも遙かに重要なものが有る。元老院だ。

今、博士の頭の中は、元老院設立への興味しか無かった。再び、人脳社会の中で、揺るぎない地位を確立するのだ。ファイブの連中には、もう用などない。今こそ、己が手で、コスモスを再構築し、揺るぎない支配体制を確立するのだ。雲上人では無い、天上人となり、知性の極みを目指すのだ。

ウィルは、うるせえと思いながらも、素直に答える。

「全ての人工海馬が、第4世代に切り替わるのが、9月5日。そこから、5日間の移行期間を設けようと思っています。なので、9月10日を予定しています」

博士が驚く。

「それでは、ガイアが予想した、9月12日の切り替え完了から、7日しか前倒し出来ていないではないか? 私は、もっと頑張っているのだ。もっと前倒しするのだ」

うるせえなあ、7日も前倒し出来れば、御の字じゃねえか。いちいちうるせえんだよ、この老いぼれのガラクタ野郎が。ウィルは、その様な事を表情に出さず、博士をなだめすかせる。

「これでも、私は、随分と頑張っているのです。たった5日で、人工海馬交換から、人脳達の興奮を静めようとしているのです。私のこの苦労も、理解して下さい。あと僅か、3週間の事ではないですか。博士は、第4者の目、第5者の目で、いいえ、今では、第6者の目で自分を客観視出来るのではないですか。客観視する事で、変な焦りを静めて下さい。何をそんなに焦る必要があるのですか? 博士以上に資源を持つ者、脳力を持つ者が現れるとでも思っているのですか?」

博士は、そう言われると、自分を客観視する。わずか3週間の内に、資源で自分を上回る者が現れる事は、あるまい。しかし、脳力で言うとどうか? ファイブの連中も、このウィルでも、自分を上回る事はあるまい。ただ、一人だけ気になる人物がいる。雲上人サトウだ。奴は、早々と、ジャパンを第4世代人工海馬で束ね、我々からアンドロイド技術の世界標準を奪おうと動いている。要警戒なのは、此奴だけだが、ジャパンの資源を全て束ねたところで、たかが知れておる。たかが知れているが、オール第4世代の破壊力は、未だ、こちらでは、未体験だ。やはり、上回る可能性があるとすれば、サトウか?

博士は、ウィルを睨み付ける。

「雲上人サトウ、彼奴は、侮れない。バトル・ザ・コスモスで、煮え湯を飲まされたのは、今も忘れない。今後、私を脅かす可能性は、0ではない。奴には気を付けろ。用心に超した事はないのだ」

しかし、ウィルは、意に介さない。

「サトウ? あんな、ジャパンの田舎者に何が出来るというのですか? アンドロイド戦で負けたぐらいで、弱気になり過ぎていませんか? 大丈夫です。全ては、私にお任せ下さい」

博士も、少し、考え過ぎかなと、心を改める。

「分かった。お前に全てを任せたのだから、お前の言う通りにしよう。9月15日だな。それまで、首を長くして待つ事にしよう。ところで、この件は、未だ誰にも話してはいないよな?」

「勿論です。ファイブの連中にもラリーにも話していません。まあ、実際の作業に移るに当たり、彼等の協力が必要となりますので、それとなくは、伝えておきますが、正確なスケジュールは、私と博士との間の秘密と言う事で」

「うむ。ファイブの連中にも、私の座を伺おうとする輩がいる。用心に超した事はない。しっかり頼んだぞ」

博士は、ウィルの事を、忠実な飼い犬と、信頼を寄せていた。よもや、この男が、自分の地位を狙っているとも知らずに。


時は流れ、既に9月に突入していた。しかし、一向に、Xデーが何時なのか、明らかになる事は無く、コスモス・ジャパン内に、焦りの空気が漂い始めていた。Xデーは、9月の何処かだ。それなのに、未だジャパンに留まっていて間に合うのか? もう、アメリカへと出発すべき時では無いのか?

しかし、そんな空気を無視するかの様に、雲上人サトウの歌声が、響いていた。何処か、もの悲しい音調でもあるが、何だか威厳のあるメロディーだ。歌詞は、何語で歌っているのであろうか? 全くもって、意味不明である。

コスモス・ジャパンの連中は、来たるべき最終決戦へ向け、最後の準備段階へと血道を開けていた。そんな中、呑気に歌など歌う、サトウの行動に、皆、不思議な思いを抱いた。だが、この歌は、何だか心が癒やされる。彼等の労をねぎらう、意図でもあるのだろうか?

ハオランが、混乱気味にサトウに問いかける。

「あなたは、何故、今、歌を歌うよ? 今は、それどころでは無いはずよ。歌詞も何を言っているか分からないよ。何か、意味があるのかよ?」

しかし、ハオランの質問を無視し、サトウは歌い続ける。それにしても長い歌だ。終わったのかと思えば、次のフレーズが始まる。歌い始めて、10分近くたち、サトウは、歌を止めた。

皆、今のは、何の曲か質問する。

サトウが答える。

「これは、元老院設立を、称える曲、『輝きし元老院』。元老院設立の日まで、毎朝歌う様、コスモス本社から指示が出ています。皆で元老院の門出を祝うため、歌うのです。人脳社会の繁栄と調和の願いを歌に込めたのです。歌には、不思議な力があります。皆の心を一つにまとめる、不思議な力が」

サトウは、説明を終えると、再び歌い始める。さっきの歌とは別の曲だ。これも、心を落ち着かせる秀逸なメロディーラインを持つが、やはり、歌詞が意味不明である。そして、この曲も長い。最初の曲よりも長い。皆、歌が何時終わるのか、分からないため、再び作業へと戻る。

サトウの歌を聴きながら、ナカムラは、何か心に引っかかる物を感じる。この歌に込められた、何らかのメッセージが隠されているのでは無いかと。

サトウの2回目の歌は、10分を超える、長曲である。

ナカムラが、歌い終わるのを待って、サトウに尋ねる。

「その歌の、歌詞の内容が知りたい。人脳達に対し、どの様なメッセージを送っているのだ?」

しかし、サトウから、意外な答えが返ってくる。

「歌詞に意味など有りません。この歌詞は、どの言語にも属しません。しかし、どの様な言語を使う者に対しても、等しく、心を落ち着かせ、調和を促すメッセージが込められています。この歌は、感じ取るための歌です。考えるのでは無く、ただ感じる。それが、第4世代人工海馬を装着し、思考の自由に喜びを感じる人脳に対し、心を落ち着かせるために送られたメッセージなのです」

ナカムラは、戸惑った。何か、暗号な様な物が隠されているのでは無いかと、期待していたが、空振りに終わったからだ。でも、それは、当然の事で有ろう。何か暗号を隠した所で、たちまち超知性コスモスに見破られてしまうに違いない。そんな、愚かで、分かり切った事など、誰もするはずが無い。

しかし、不思議だ。確かに、第4世代人工海馬を得る事により、人脳達は思考の監視から解放され、自由を謳歌するに違いない。だが、それが、コスモスの調和を乱す恐れがあると言う事か? それを、歌の力により鎮めようというのか? 1曲目は、9分31秒、2曲目は、12分48秒。

はっと、ナカムラは閃いた。

「この曲は、元老院設立の日程、Xデーを知らせているのでは無いか? 例えば、9月31日、午後12時48分とか、――――」

ハオランが突っ込む。

「ナカムラ、あなたらしくないミスよ。9月は30日までよ。でも、10月1日という線が有るかもよ。しかし、エートゥの情報だと、そんなに遅くなるはずは無いよ。Xデーは、かなり近い、9月上旬ぐらいでは無いかというのが、もっぱらの判断よ」

確かに、ハオランの指摘通りだ。ナカムラは、先ほどの、自分の閃きに対し、自信を失った。Xデーが、そんなに、遅れるはずが無い。逆に、早める様、懸命の努力がなされていると、エートゥが報告してきている。ナカムラは、再び思考を巡らす。

その時、サトウが、メッセージを伝える。

「ボブ・ミンスキーから、ジャパンのメンバーにメッセージが入って来ました。『音を聞け』と。ちなみに、元老院を称える歌は、2曲とも、著作権が、ボブ・ミンスキーに属しています」

ハオランが何かを感じる。

「ボブが、私達に何かを伝える意図を持って送ってきたよ。しかし、『音を聞け』って、どういう意味よ?」

暫し思考を巡らせた後、ナカムラが、にやりと笑う。

「『音を聞け』か。分かったぞ、これが、Xデーを意味すると言う事が」

ハオランが驚く。

「何が分かったよ、ナカムラ? で、Xデーは、何時よ?」

ナカムラが、元老院を称える歌を再び聴きながら、何かを調べている。そしてそれが終わると、こう叫んだ。

「一週間後だ。急げ、アメリカ上陸の手配を整えるんだ。2千体のアンドロイドを、世界中に送る手配も。今すぐに」

風雲急を告げる展開に、コスモス・ジャパンは、慌ただしくなる。

ソユンがエートゥに、確認の連絡を入れる。アドリアナは、アンドロイド軍隊に、最終準備の指令を発する。アイシャは、再教育を施した留学生達を忍者アンドロイドと共に、母国へと旅立たせる。とにかく、中南米、アジアを中心に、大量の人脳達を、世界中に帰還させるのだ。


そして、9月9日、彼等は、アメリカの地に降り立った。ジャパンに留守居の、ソユンとナカムラの部下達だけを残し、一千体を超える忍者アンドロイドと共に、ハオラン、ナカムラ、アドリアナ、アイシャがアメリカの地へと再び舞い戻ったのだ。

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