第12話 修行の刻

西暦2032年10月。

日本、青森県 三沢飛行場。


ティム達の滞在期限が過ぎ、ついに、三沢基地から、頑丈に装甲された、トラック2台が出発した。行き先は、下北半島方面。忍びの村に向かうのに間違いは無い。

基地を監視し続けてきた、コスモス・ジャパンの刺客が双眼鏡で確認を取る。

「乗車しているのは、ハオラン・ファン、タカシ・ナカムラ、ダニエル・レビン。おっ、マリア・デイビスの姿もあるぞ。彼女は、日本では、別行動を取るとの情報だったが、どうやら一緒について行くらしい。単独行動だと、危険だと判断したのか? まあ、丁度良い。一度に片付けられるのだからな」

「トラックに米兵は、同乗していない。車両も軍管理の物じゃない。奴らが、自前で仕立てた物だろう。厚い装甲版を貼り付け、防弾仕様に改造してある」

彼等は、連絡を取り合いながら、作戦計画を立てる。

「市街地では、目立ち過ぎる。車通りの少ない、郊外の幹線道路に出るのを待とう。そこが、奴らの死に場所だ」

刺客達が、襲撃ポイントを決める。そして、そこへ先回りして、待ち伏せる。

「慌てることは無い。どうせ、行き先は、分かっているんだ。良いか? 配置についたら、連絡しろ」

「いくら、頑丈に装甲したところで、こいつを喰らえば、一溜まりもあるまい」

2台のトラックは、下北半島へと続く、人けの無い場所に差し掛かった。そして、その時、襲撃を喰らう。対戦車用迫撃砲で、一斉に、狙い撃ちを浴びせる。真横から、まともに砲弾を貰ったトラック2台は、吹き飛ばされ横転し、ガードレールを突き破って、崖の下へと転がり落ちて行く。そして、派手に、爆発する。2台の車両は、激しい火炎に包まれ、もうもうと煙を上げる。

「おい、何で燃えているんだ? 今時のトラックは、大した燃料なんて積んでいないだろ。少し、様子がおかしくないか?」

「お前、知らないのか? 最新式の電池でも、破裂すると炎上するんだ。奴らは、人脳培養装置とアンドロイド用に、多量の電池を積んでいたのさ。だから、爆発炎上したんだ。ん? おい、何か動いているぞ。奴ら、未だ、くたばっていなかったのか?」

彼等は、確認の為に、現場へと急行した。

双眼鏡で様子を確かめていた一人が、何かに気が付く。

「おい、何か武器が積んである。俺達と、やり合うつもりだったんだ。いや、待て、引火するぞ。離れろ。巻き添えになるぞ」

その後、何度かの激しい爆発があり、辺りには、瓦礫が散乱する。

「不味いな。これほど派手に、吹き飛ぶとは思ってもいなかった。直ぐに、米軍や警察が駆けつけるかも知れない。ゆっくりと、現場検証している暇は、無さそうだ」

人が集まる前に、始末を付けなければならない。彼等は、ありったけの焼夷弾を現場に雨あられの如く振りまくと、全てを焼き尽くした。

「よし、この場から、さっさとずらかるんだ。生存者の確認は、夜のニュースでも見れば分かるだろう。急げ」

その夜、ニュースで、この事件が大きく取り上げられた。単なる交通事故の類いでは無い。激しく爆発した後、様々な物が散乱していた。中には、動物の脳の様な者まで含まれていた。警察は、事件として、この件を捜査するつもりらしい。何者かによる、テロ行為の可能性も有るとのことだ。

コスモス・ジャパンが放った刺客は、ファイブのサカマキに、対象者全ての抹殺完了を報告した。


サカマキは、抹殺の手柄を持って、喜び勇んで博士に報告しようとした。しかし、博士は、プライベート時間を満喫中で、取り込み中だからと面会を拒絶した。

サカマキは、最重要案件だと、強引に面会を申し込む。これだけの手柄を上げたのだ。博士は、飛び上がって、大喜びするはずだ。その強い思いで、頑なに面会を拒む博士に対し、しつこく食い下がった。しかし、サカマキは、ひたすら待たされ、イライラが頂点に達しようとしていた。そんな時、ようやく博士が姿を現す。かなり不機嫌な表情である。

「一体何事だというのだ、サカマキ。折角、レディー・ガガのライブで盛り上がっていたところだったのに。その用事を邪魔すると言う事は、よほどの大事であろうな?」

「特等席で、ご鑑賞中の所、すいません」

「特等席? 私は、見る側では無い。演じる側なのだ」

「えっ、博士が、レディー・ガガに? バーチャル・ボディーで擬態して、熱唱中の所、誠に申し訳ありませんでした」

「お前、何か勘違いをしているな? 私は、女装する趣味など無い。私は、彼女のバックで、ベース・ギターを弾いていたのだ。腕前は、この業界でも、折り紙付きだぞ。そうだ、お前にコンサート・チケットを渡したであろう。どうして、私の腕前を見に来なかったのだ?」

サカマキは、コンサートになど、興じている場合では無いだろうと思った。どうせ、折り紙付きとの腕前も、博士の物では無く、人工小脳にアップロードした、プロ・ミュージシャンのデータに過ぎないのだろう。しかし、博士の気分を害してはいけない。サカマキは、平身低頭し、詫びる。

「折角のお誘いを断りまして、申し訳ありません。何分、色々と忙しい身なので。そうそう、お呼び出ししたのは、他でもない。大切な報告があるのです」

博士は迷惑そうな顔で、報告を聞く。

サカマキの声は、興奮で裏返っていた。

「ついに、ティム達、クソ野郎共を、皆殺しする事に成功いたしました。奴らのアンドロイドも木っ端微塵です。これで、当面の我々の敵は、完全に消滅したのです。お喜び下さい、博士」

サカマキは、博士がたいそう喜び、お褒めの言葉がいただけると期待をしていた。これでまた、自分のスコアが上がると。

しかし、博士の返事は、素っ気なかった。

「ご苦労。まあ、日本に逃げ延びた時点で、こちらの脅威とは、成り得なかったが、念には念をと言うことまでだ。これで、奴等のことを思い出すことすら無くなるであろう」

博士にとって、ティムなど、もう、どうでも良い存在だった。自分に対し、最も脅威を感じさせる存在ではあったが、それも今となっては、過去の話だ。

サカマキは、博士のリアクションに、がっくりとした。折角の手柄が、この程度の評価なのかと。

しかし、サカマキも、ナカムラに対し、多少の情が残ってはいたが、これで博士同様に、きれいさっぱり、忘れることが出来るのだった。後は、かつての日本の部下達が、数名、日本に潜伏しているが、サカマキは、彼等に追っ手を差し向けることをしなかった。ティムとそのアンドロイドさえ片付ければ、彼等が、害をなすこともあるまい。サカマキの、せめてもの温情であった。

サカマキは、博士に尋ねる。

「これで、当面の邪魔者は、居なくなりましたが、未だ、ホワイトハウス、議会、ペンタゴンと言った勢力が、今後、邪魔な存在になる可能性が残っています。合衆国の中枢を完全に掌握する計画も立てなければ、今後の人脳製造計画の障害となることでしょう。如何致しましょうか?」

博士は、その点に関して、楽観的だ。

「なあに、その内に、向こうから、こちらに協力を仰いで来るであろう。コスモスは、合衆国の善良なる市民なのだ。労働もしていれば、税金も納めている。人脳にも、人権が存在すると言う考え方が、今後、主流となるのは、間違いないであろう。そうなると、人脳に対し、選挙権を与える法案も、何れは、成立する。そうすれば、民主的な手段で、合衆国を掌握することも可能となるのだ。今は、超知性に対して、どう向き合えば良いのか、戸惑っているのが現状だが、時間が解決してくれる問題だ」

博士は、何れは、国家をも、意のままにコントロールするつもりだ。野望は、果てしなく広がってゆく。

その翌日、三沢基地では、簡素で、しめやかな葬儀が取り仕切られたという。後は、宅配業者やら、軽トラの出入りがあった様だ。毎日の様に、下北半島へと向かって。


ティム達の偽装工作が功を奏し、彼等は、敵に知られる事無く、無事に、忍びの村へと辿り着くことが出来た。

ナカムラは、そこで、思わぬ人物に出会う。

「佐々木、佐々木じゃ無いか。無事だったのか。そうか、ここに逃れていたのか。他の仲間も一緒か?」

佐々木も、久々の再会を喜ぶ。

「ナカムラさんから、ラリー・ターナー氏が寝返ったと聞いた時、私は一人、別行動を取っていたため、他のメンバーの消息は不明です。なにせ、GFWが使用不能になり、一切の通信手段が使えなくなってしまったのですから」

それを聞いたナカムラが残念がる。しかし、彼等が無事である事を佐々木に知らせる。

「彼等は無事なはずだ。何故なら、彼等は、その後も、アンドロイドの製造を継続し、我々の元へ、完成品を送ってくれたのだ。きっと何処かに潜伏しているのだと思う」

それを聞いた佐々木も安心した。

「私は、ナカムラさんが三沢基地に居ると聞いて、直接会いに行こうかと思ったのです。しかし、敵に待ち伏せされている危険があると知り、以前、ナカムラさんと訪れた、この場所に身を隠す事に決めたのです。ここに居れば、必ずナカムラさんと再会できると信じて」

どうやら、ナカムラの役目も、ここまでの様だ。新たなる旅立ちに、佐々木を誘う。

「それじゃあ、二人で、残りの仲間達を探しに行くとするか。特に、宛ては無いが、とりあえず、アンドロイドの送り元から辿ってゆこう」

そう言うと、ナカムラと佐々木は、村人達に感謝の意を伝え、ティム達との別れの挨拶を交わす。

「ティム、君達には、これから厳しい修行が待っているが、大丈夫。君達なら必ず成し遂げる事が出来る。我々は、独自にコスモス打倒の道を探る。志が同じであれば、何時かきっと、再会が果たせると信じている」

ティムも惜別の念を伝える。

「今まで、力を貸してくれて、本当にありがとう。君達の存在が無ければ、ここまで来る事も出来なかった。本当に、感謝している」

ハオランとダニーも別れを惜しむ。

「約束よ。きっと、また、会えるよ。また一緒に、戦えるよ」

「僕は、待っているだ。絶対に、絶対に再会を果たすだ」

マリアが常々疑問に思っていた事を、佐々木に質問する。

「あなた方、日本の仲間って、全部で何人居るの?」

「私とナカムラさんを入れて、7人だ。7人の侍だ」

「忍者と侍って、それで超知性コスモスに勝てると思っているの?」

「必ず勝つ。18世紀のアナログな私達だが、21世紀のハイテク超知性を倒す」

そう言い残して、二人は、去って行った。残ったのは、ティムと8体の人脳、ハオラン、マリア、ダニーの計12名である。これからは、この仲間達で力を合わせるのだ。下北半島の山中に空から雪が降り始めた。季節は、冬へと移ろうとしていた。。


ティム達と村人の対面は、これが初めてだ。今までは、全てナカムラに任せていた。

長老が、ティムに話しかける。

「君達の志が高いのは、理解している。しかし、忍術を身につけると言うことは、精神的な鍛錬を積み重ねるというである。果たして、君達、人脳にそれが出来るのか?」

ティムは、人脳である自分達の存在を理解してもらうことから、始めなければいけなかった。肉体を持たない人脳が、果たして、人間と同様に、修行を通して、精神鍛錬が可能であるのかを。

「確かに、私達は、あなた方と違い、肉体を持ちません。この大自然の中に身を委ね、五感を研ぎ澄ませ、森の中を流れる風、鳥たちのさえずり、清らかな川の流れ、など、人間と同様に感じ取ることが出来ないかも知れません。だけど、試したいのです。自分達が、どこまで出来るかを。それまでは、諦めません」

人脳だけでは、視覚、聴覚の二つの感覚しか感じ取ることが出来ない。アンドロイドを使えば、触覚を感じ取ることは出来るが、味覚、臭覚は感じることが出来ない。いわゆる、五感を研ぎ澄ますことは、バーチャル・ボディーを使わないと得られないのだ。

しかし、アンドロイドを使えば、体感を研ぎ澄ますことは出来る。何故ならば、人間には、いわゆる五感の他にも、いくつかの感覚が存在するからだ。アンドロイドを使えば、体勢感覚、運動感覚、バランス感覚と言った、体を動かすのに必要な感覚を研ぎ澄ますことが出来るのだ。

ティムは、アンドロイドをフル活用するよう、感覚を研ぎ澄ませるために、忍術の修行に取り組むことを決めたのだ。考えて動くのでは無く、感じて動く、その感覚を身につけるため、修行に取り組むのだ。故ブルース・リーが残した名言「考えるな、感じろ」を体現させるため、修行に取り組むのだ。

長老は、腕試しと言うことで、座禅を組むことから、修行をスタートさせた。座禅を組むことは、心に浮かぶ煩悩を静めること、心を落ち着かせ、惑わされない様、己を客観視することが、目的だ。

ティム達人脳が、アンドロイドを使って、座禅を組む。しかし、電脳拡張された人脳には、いささか難しい修行であった。電脳から送り込まれてくる情報を完全にシャットアウトする機能は、人工海馬には、備わっていないからだ。ひたすら、大脳で、電脳からの煩悩に惑わされない様、上手にあしらう術を学ぶしか無い。

その様子を、ハオランやマリアは、言語野に浮かぶ情報や人工海馬の情報をモニターしながら、見守る。彼等が、如何に自分の心を客観視することが出来るかが、勝負の分かれ目だ。しかし、なかなかに、難しそうだ。瞑想の経験があるティムですら、上手くコントロールできていない。

「駄目だ、こんな所で、躓いている様では、先に進めない」

ティムは、先ず、自身の人工海馬をコントロール出来ないことには、先に進めないことに気が付いた。人工海馬を介しての思考は、脳からの指令で、ある程度制御できる設計となっている。

ティム達は、脳から指令を送り、人工海馬を通して現れるデータを見ながら、それを操る訓練を続けた。

村の長老は、感心した。

「己の心の中を、目で読み取ることが出来るのか。人間には、こんな真似は出来ない。これならば、修行を早く終えることが出来るかも知れない。科学の進歩というのは、凄いものだ」

それだけでは無い。彼等の人脳は、他の人脳と、接続され、ネットワークを形成している。一人が、上手に操るこつを見つければ、瞬時に、他の人脳にも、それを伝え、共有することが出来る。一人では無い。9人でやるからこそ、助け合いながら、修行を深めることが出来るのだ。彼等の精神鍛錬の成果は、日に日に上がっていった。

村の長老が刮目した。此奴ら、出来る。

「これ程短期間の間で、良くここまで出来たものだ。認めよう、合格だ。早速だが、あなた達には、これから忍術の修行に移ってもらう。時間が無いのであろう?」

忍術の修行は、山の中に籠もり、自然と一体になる訓練から始まる。季節は、冬。下北の山は、雪に覆われていた。ティム達は、人脳をアンドロイドの背中に背負い、山の中へと分け入った。人脳も一緒に連れ出す事で、アンドロイドの一体感を、より高める訓練へと移行する。アンドロイドのセンサーで検知した自然の移ろいを、人脳で感じ取るのだ。彼等は、先ず、山の中で日の出を待ち、日々の自然の情景を心で感じ、日の入りまで見送る。座禅を組んだり、山林を散策したりしながら、一日を送る。

人脳とアンドロイドは、人と馬との関係に似ている。人馬一体となった時に、初めて、本当の力を発揮できる。彼等は、来る日も、来る日も、アンドロイドの体との調和を大自然の中で培っていった。

やがて、季節も移ろい、下北の山も、春を迎える。柔らかな春の日差しが、優しく照らし、雪解け水のせせらぎが、響き渡る。雪の下から現れた地表には、草木が芽吹き、花が咲き始める。冬眠から目覚めた虫達や、動物達が活動を始め、山も賑わいを取り戻す。

ティム達の修行も日を重ねるごとに深みを増していった。人脳とアンドロイドとの調和も順調に進み、更なる高みを目指して、修行は、次なる段階へと移る。人脳とアンドロイドを分離するモードに切り替え、アンドロイドの運動性能の極限を目指す。背負っていた重しの取れたアンドロイドは、軽やかに持てる限りの身体能力を発揮する。木々の間を縫って走り、枝から枝へと飛び移り、自在に森の中を駆け抜ける。そして、体勢感覚、運動感覚、バランス感覚を徹底的に研ぎ澄ませてゆくのだ。

このアンドロイドの優れるところは、レーザー給電が可能な事だ。その為、バッテリーの残量を気にする必要が無く、疲れ知らずの無限のスタミナを誇る。その為、ハードなトレーニングでも、昼夜を通し、ぶっ通しで続けられるのだ。ただ、余りにも激しい動きが連続すると、人脳は、集中力の限界にぶち当たる。何事もそうだが、緩急を付ける、間を持つことが、最適なパフォーマンスを発揮する上で必要となってくる。その為、訓練を通し、人脳にこの感覚を徹底的に身に付けさせるのだ。

彼等は、鍛え抜かれた人脳の精神力で、極限まで挑む。そして、人工海馬を通した、精神伝達により、互いに励まし合い、助け合い、絆を更に深める。一人では、とても耐えがたい荒行であっても、9体の強固な団結力で立ち向かう。そして、その力は、今までの限界をも超えてゆく。だが、それでも彼等は、満足しない。更なる高みを目指し、アンドロイドの激しい体の動きを通して、人脳の鍛錬を積み重ねる。精神的にもきつい、辛い、苦しい状況下において、人工海馬、人工小脳を極限まで回転させ、鍛え上げてゆく。そして、その経験を9体で、互いに共有し合う。そうすることで、超人的な精神力、運動能力を驚くほどの短期間で獲得することが出来るのだ。

長老の目つきも変わってくる。

「此奴らは、僅か数ヶ月で、この村の連中が、何十年も掛けて獲得してきた技をも超えようとしている。もうすぐ、彼等に教えることも無くなるかも知れない。これも、彼等が持つ、執念の強さ故であろう。本当に逞しく成長を続けてゆく。彼等が、人類の救世主と成る日も、そう遠いことではあるまい」

訓練は、更に激しさを増す。森の中を並走しながら、互いに手裏剣を放ち、それを避ける。訓練に妥協は、一切無い。

紅葉が声をかける。

「相手の動きを、予測して。今は、反射的に避けているだけよ。相手を正確に予測する事によって、心に余裕が生まれ、相手より優位に立つ事が出来る。相手の体の動きを良く見るの。良く憶えるの。そうすれば、見えてくるわ。次に、相手が、どう動くかが」

訓練がきついのは、人脳達だけでは無い。人脳培養装置を通して、人脳のメンテナンスの役割をこなすマリア、ダニー。人工海馬、人工小脳のデータを解析し、適切なアドバイスを送り続けるハオラン。毎日ボロボロになるまで使われたアンドロイドのメンテナンスも彼等が行う。皆、きつい仕事をこなし、ティム達人脳を懸命に支えているのである。

そんな彼等のひたむきな姿を見て、忍びの村の人々も、積極的に協力してくれる様になる。最初は、根性があるかも分からない、余所者として接してきた。しかし、ティム達の訓練を通し、彼等にも、本気度が、ビシビシと伝わって行く。一人、また一人と訓練に協力してくれる者が現れる。そして、心の交流を通し、自分達の仲間として、受け入れてくれるまでになった。

ある者は、剣術を教え、またある者は、柔術を教える。村人との濃い付き合いを通して、ティム達の腕前は、メキメキと上昇していった。


忍びの村の夜。今日の修行を終えた、ティム達、人脳9体と、ハオラン、マリアが今後、進むべく方向性について、話し合っていた。アンドロイドを操る忍術の修行は、着実に身に付いている。後、もう少しで、彼等が満足できるレベルまで、到達する事が出来るであろう。しかし、この術をどの様に用いれば、コスモスを倒す事が出来るのであろうか? 人脳とアンドロイドを隠し通して、アメリカ本土に乗り込む事は、可能なのであろうか? もし、アメリカに乗り込んだとしても、外部からコスモスへ接近、進入する事が、本当の忍者の様に可能なのか?

ハオランは、頭を抱える。

「コスモスの守りは、鉄壁に近いよ。重武装して攻撃しても破壊は、難しいよ。何とか、知られずに、侵入するしか無いよ。ティム、君達が身につけた、忍者の技で、厳戒態勢のコスモス内部に忍び込む事は、可能なのかよ?」

ティムの軍事部門ブレイン、傭兵アドリアナも、否定的な見解だ。

「コスモスの外部は、軍事要塞さながらの構え。核弾頭でも使わなければ、吹っ飛ばす事は、不可能ね。武力による正面突破は、避けた方が良さそう。そうなると、あなたの言う様に、何らかの方法で、秘密裏に内部に侵入するしか、道は無いわね。超知性すらをも欺く、何らかの方法で」

彼等、人脳達も、一度は、コスモス内部に存在してはいたが、その全体像は、謎に包まれている。ファイブの様な特権階級で無ければ、その全容を知る事は出来ない。いや、今となっては、そのファイブでさえも、その全容を正確に把握し切れているのかさえ疑問だ。何せ、人脳の数は、数千万体にも達しようかとの勢いで、今も加速度的に増え続けているのだ。

如何に、コスモスが、完璧な監視社会だからとは言え、超知性を持ち合わせているからと言え、その無理強いした成長を、完璧にコントロールする事など、とても出来ない相談であろう。しかし、逆に考えると、そこにこそ、隙が生まれるのかも知れない。限界をも超え、際限なく膨張し続けている。無理を重ねれば、必ず隙は生まれるものだ。

だが、コスモスの全体像を知り得ない彼等に、どうやって、その隙を探せば良いのであろうか? 仮に、隙が見つかったとしても、確実に、そこを突く方法を見つける事は、可能であろうか?

マリアは、諦め顔だ。

「アメリカを追放されたところで、ゲーム・オーバーだったのよ。コスモスの真下に居る内に、決着を付けるしか無かったのよ。折角、日本まで来て、忍術を身につけたけれども、骨折り損よ。それで、状況が好転すると期待する方が、馬鹿なのよ。忍者が、超知性に勝てると本気で思っていたの?」

確かに、マリアの言う通りであろう。忍術は、対アンドロイド戦に有効だとの目的で、日本まで来て、身に付けはした。しかし、問題は、アンドロイド戦の局面まで、状況を進める事だ。そしてそれは、極めて困難だと予想される。アメリカ本土のコスモスへ、ファイブの安置されている居室へ、如何にして侵入するかが問題なのだ。

だが、ティムは、諦めてはいなかった。

「道は、自ら切り開くものだ。これは、忍術の修行を通して教わった考え方でもある。黙って待っていても、道は開けない。自らが動き、仕掛けるのだ。コスモスへ揺さぶりを掛け、隙を作らせるのだ」

何処かに必ず隙が生まれるはずなのだ。そして、それを探るために、今後、どう動くべきか、人工海馬を通して人脳達と緊密に、そして濃厚に意見を交わす。しかし、妙案は、なかなか浮かんでこなかった。とにかく今は、時間が無いのだ。もうじき人脳の数は、億を超えようとしている。

人脳で脳外科医のラングレーが、話の取っ掛かりを作る。

「コスモスに隙があるとすれば、人脳の製造工程であろう。奴らは、多少の無理は、お構いなしで、増産に次ぐ増産を重ねている。医師である私の観点から言わせてもらえば、手術の効率化には、必ず限界がある。相手は、生き物だ。工業製品の如く、生産効率を上げる事など出来ない。だとしたら、製造工程の規模拡大しか、増産の手段は無いはずだ。この日本でも、人脳工場の大規模な拡大が続いているはずだ。上手くすれば、我々の人脳を、コスモス・ジャパンに潜入させる事が出来るのでは無いかな?」

だが、ハオランは、その先を心配する。

「仮に、コスモス・ジャパンに潜入できても、博士達、ファイブの居室に近付く方法が、有るのかよ? 我々の最終目的は、ファイブの居室にある博士の人脳を、コスモスから切り離す事よ」

そこに、黒装束に身を固めた、男が現れた。ハオランの背後に回りハオランの頭を抑え、小刀を出して、首に押し当てる。

不意の出来事に、ハオランが大慌てで仰け反る。

「隙ありだ、ハオラン。お前はもう、死んでいるだ」

何事が起きたのかと、皆、仰天する。

「あんた、ダニーじゃないかよ。こっちが真剣に考えているところに、悪ふざけするなよ。全く何を、考えているよ。本当にびっくりしたよ」

仰向けにひっくり返りながら、怒るハオランの姿を見て、皆が爆笑する。

「皆、何笑ってんだよ。今は、そんな状況じゃ無いよ」

しかし、皆、笑い続ける。余りにもの、馬鹿馬鹿しさに、緊張で張り詰めていた空気が、一転して、和む。

ダニーには、悪びれた様子が無い。

「皆、僕が近付いている事に、気が付かなかっただ。皆、深刻に悩み過ぎだ。隙があるのは、君達の方だ」

ダニーの言う事は、あながち間違ってはいない。もし、仮に、コスモスが引き続きこの村を監視していたならば、彼等は見つかり、やられていたのかも知れないのだ。

「油断大敵とは、こういう事を言うだ。僕だって、この村に来てから、修行を積んでいたんだ。今は未だ、半人前だけど、これでも一応は、忍びだ。敵が二度と襲ってこないと、油断しているからこうなるだ。常に細心の注意を払う事、これは、ナカムラの教えだ」

この場違いな行動に、マリアが呆れる。

「今まで、あなたの事を、馬鹿だと思っていたけれど、これで証明されたわね。正真正銘の、大馬鹿者よ。忍びなら、場の空気ぐらい読みなさいよ」

ダニーが怒る。

「今までって、本当? 僕の事、そう言う風に、見ていたんだ」

この一連の、馬鹿騒ぎを見ていて、ティムは、思った。確かに私達は、忍術の修行が出来る様になってから、油断していたのかも知れない。ダニー如きにからかわれているようじゃ、この先、本当に大丈夫なのか? 未だ未だ、精神的に未熟な様な気がしてきた。本物の忍びなら、ダニー如きに、接近を許しはしない。

だが、ダニーの接近に気が付いていた者も居た。

人脳で元武闘家のケイトだ。

「ダニー、私は、気が付いていたわよ。この修行を始めてから、人の気配には、とにかく敏感になったの。正体が、あなただと分かっていたから、攻撃しなかっただけ。本物の敵だったら、私が始末していたわ」

それを聞いたダニーは、背筋が寒くなった。

「俺も知っていたぜ」

「私もよ。ただ、馬鹿らしいから、放っておいただけ」

「勿論、私もだ。この修行の成果は、間違いなく身についている」

他にも、気が付いていた人脳達が大勢いた。良く良く聞いてみると、気が付かなかった人脳は、ティム一人だけの様である。他は、皆、気付いていたと言う。ティムは、自分だけ気付けなかった事で、急に恥ずかしくなった。

何だ、皆、一人前の忍びとして成長しているでは無いか。未熟者は、俺だけか。

ティムには、考え込むと、周囲が見えなくなる癖が未だ残っている様だ。このままでは、いけない。自分には、未だ未だ修行が必要なのだ。考え過ぎるのは、良くない。感じるのだ。ティムは、しきりに反省するのであった。

人脳で元マフィアのカルロスが、しゃべり出す。

「この忍者ごっこも、無駄では無かったと言う事だな。何となく自信がついてきたぜ。俺達、以外といけるのかも知れないな。案外、馬鹿馬鹿しいと思えるところに、答えが転がっているもんだ。馬鹿馬鹿しい、それこそが、盲点なんだからな」

元傭兵のアドリアナが、前言を撤回する。

「正面突破に、道は無いって言ったけれど、もしかしたら、そこが、コスモスの盲点かも。これだけ厳重なのだから、敵は攻めてこないと思い込んでいるのだとしたら、それこそが盲点になる。面白そうね。私は、その方向で、作戦を考えてみるわ。この、電脳拡張された脳味噌をフル回転させて」

元教師のアイシャもアドバイスを送る。

「それって、とても良い事よ。常識に対しては、常に疑ってかかるの。常識に囚われない自由な発想が、とても大切よ。相手は、想像を絶する超知性かも知れないけれど、彼等に本当の自由な発想が、出来るのかしら? 頭の中を常に監視されて、スコアで管理されて、階層分けさせられる。そこが、コスモスの弱点の様な気がするわ」

皆、真剣に考え、次々にアイデアを提言する。

それに釣られるかの様に、元体操選手のジェフも発言する。

「僕もずっと考えていたんだが、コスモスの内部に、一旦、侵入してしまえば、後は、何とかなる気がするんだ。コスモスは、自前のアンドロイドを開発してから、その性能アップの為の、格闘技の大会を開いていた。僕は、それが気になり、地下シェルターにいる時も、常にウォッチしていた。そして、どうやら、その大会で優勝すると、ファイブお抱えのアンドロイドに採用されるみたいなんだ。これは、ファイブの居室に侵入するチャンスになるかも知れない」

成る程、そんな情報もあったんだ。アスリートならではの、着眼点だ。

元ハッカーの、エートゥも発言する。

「私は、コスモス・ジャパンから侵入する事を勧める。前に、偽人脳が成功した様に、コスモス内部のセキュリティーは、比較的脆弱だ。ジャパンからも、本体にサイバー攻撃を仕掛ける事は、十分に可能だと考える。本家では無い、ジャパンこそ、セキュリティーが甘く、侵入のチャンスがあると考えるよ」

それに触発され、元マフィアのカルロスが別の手を考える。

「だったら、他国のコスモスからも、サイバー攻撃が出来ると言う事だな。世界中から揺さぶりを掛ければ、本家も混乱する事だろう。密入国の手配なら、俺に任せてくれ。俺には、世界中に張り巡らせたコネクションがある。金さえ有れば、手段は、いくらでも使える。問題は、どうやって、その金を稼ぐかだが」

元通信エンジニアのソユンがお金についての懸念を述べる。

「今の世界の通貨は、ネット上の仮想通貨が主流よ。そして、それを管理する権限を一番に握っているのは、コスモス。例え、闇社会を動かすにしても、仮想通貨が必要になるのじゃ無いかしら?」

「なあに、心配は要らない。確かに先進諸国では、仮想通貨が主流になろうとしているが、現ナマが通用する国は、未だ未だ沢山あるさ」

ティムは、その話に乗り気になる。

「金なら、有るはずだ。ラリーが、アンドロイド開発に投資してくれた金が、いくらか残っているはずだ。日本のメンバーと連絡さえ取れれば、融通して貰えるだろう」

日本のメンバーか、そう言えば、ナカムラ達は、無事なのであろうか? ティムは、離ればなれになっている、日本の仲間達の事を気遣った。彼等は、今、どこで、何をしているのであろうか?


更に季節は移ろい、下北の山の木々にも新緑が芽生える時期になる。彼等の修行も終わりを迎えようとしていた。

彼等の元に訪れた長老が、最後に締めくくる。

「これで、我々が教えられることは全て、お前達に伝授した。もう、一人前の忍びとして認めても良いであろう。あとは、自分達で、鍛練を積み、高みを極めるが良い。お前達には、時間が無いのであろう。早く、海を渡り、決戦の時を待つのだ。武運を祈る」

ティムが、村人達に礼を言う。

「私どもの様な余所者を、受け入れて頂き、誠にありがとうございます。ここで学んだことは、我々にとって、掛け替えの無い財産です。必ず、コスモスに勝って、皆さんのご協力に報うことを誓います。ご恩は、一生忘れません」

ティム達は、力強い足立で、次の一歩へと踏み出すのである。来たるべき、コスモスとの決戦に向けて。


西暦2033年5月。

アメリカ、シリコンバレー、コスモス本社 ファイブ居室。


いよいよ、第4世代人工海馬へのアップグレードが、始まろうとしていた。ティムが開発し、偽人脳の中に残していった物を、完全コピーし、全人脳装着へ向けた量産化の目処が立ったのだ。いや、正確に言うと、量産化の目処は、とっくに付いていた。しかし、ファイブでの議決が、なかなか進まなかった為、この時期まで、遅れる事となったのである。

ファイブのメンバーは、アップグレードに向け、最後の確認を取る為、熱い議論を繰り広げていた。この問題には、一筋縄ではいかない、訳があったのだ。

エレナが、博士に確認を取る。

「第4世代人工海馬へのアップグレードに当たり、言語野モニターも同時に完全撤廃する方針に変わりは無いのでしょうね? 人の頭の中を覗き見する、この忌々しい機能が、廃止される方針に変わりは無いのでしょうね?」

彼女が、念を押すには訳がある。博士が、最後の最後まで、言語野モニターの廃止に、異を唱え、強行に議論の採決を先送りしてきたからだ。しかし、遂に年貢の納め時を迎え、元老院設立への賛同を交換条件として、採決を決定。こうして、博士の長年のアドバンテージは、多数決の末に潰えたのであった。

ファイブのメンバーは、博士を除いて、言語野がモニターされている現状を嫌っていた。互いの頭の中を監視し合い、議論する事に、嫌気がさしていたのだ。その様な議論のやり方は、非常に疲れるのだ。迂闊に、相手の悪口など思い浮かべようものなら、たちまち喧嘩が始まる。常に本音で語り合う議論は、本当に疲れるのだ。

言語野モニターまで廃止する事に対する議論は、揉めに揉めた。その為、第4世代人工海馬のアップグレード時期が、大幅に遅れてしまったのだ。ティムの残した最新人工海馬が発見されてから、既に8ヶ月近くもの時が経過していた。

博士は、面白く無さそうな顔で答える。

「くどいぞ、エレナ。ファイブで議決した事だ。それに、私は、素直に従うまでだ」

第4世代人工海馬の最大の特徴として、思考のプライバシー保護機能がある。自分の思考を、相手に読み取らせない為に、新たに付加された機能である。この機能を使えば、思考の一部を、外部からモニター不能、つまり、ブラック・ボックス化が出来るのだ。

この人工海馬が登場するまでは、全ての人脳の思考は、言語野モニターにより、外部監視されていた。監視の権限を持つ者は、ファイブのメンバーだけに限られてはいたのだが、これは、人脳社会を監視社会にする意味を持ち、人脳達の自由奔放な発想を妨げる、大きな弊害が指摘されていた。人脳達は、スコアを上げる為だけに血道を削り、スコアを落とす可能性のある発想を控える様になる。そこには、真の自由は無かった。博士が気に入る人脳となる事だけが、求められていたのである。

人工知能のガイアが、これまでの経緯をまとめる。

「私は、かねてから、言語野のモニター廃止を、繰り返し繰り返し、提案してきました。人脳製造段階では、機能確認の為の必要性を認めますが、人脳社会に入った後は、自由な思考の妨げになり、健全な人脳社会発展に強い悪影響が出る懸念を、理路整然と説明を尽くしました。しかし、博士は、これは、人脳間の問題なのだから、電脳の私には発言権が無いの一点張りで、私が議決に参加する事を許してくれませんでした。そして、多数決をとっても、いつも、2対2の引き分けに終わり、現状から変更せずの結論となりました。今回は、ようやく、私にも議決権が認められ、多数決の結果、モニターの廃止が決まりました。今回、私に議決権を与えて下さった、皆様に感謝いたします」

何故、本件にだけ、ガイアの議決権が存在しなかったのか? これは、博士が、巧妙に仕掛けた、トリックの賜であった。『幼いガイアに対しては、人脳の本質に関わる議決権を与えない』。この様な取り決めが、ファイブ設立の前に、既に決められていたのであった。

この『幼い』の定義は、他のファイブのメンバーと比べて、スコアの差がどのくらい存在するかで、決められていた。そして、この『スコア』がくせ者であった。これも、ファイブ設立の前に、既に博士によって、算出方法が決められていたのだ。実に、博士にとって、都合の良い算出方法で。

このスコアの算出方法も、何度も見直しの遡上に乗りはした。当然、この件に関する議決権も、ガイアには無い。人脳の本質に関わる問題だからだ。そして、博士の巧妙な議論の力によって、博士にとって都合が良い側にしか、変えるかとは出来なかった。それ程、一方的に他の人脳の思考を盗み見して、議論する事が、如何に有利に働くかが、良く分かると言う事だ。そして、博士は、たった一人を、自分の側に付ける事さえ成功すれば、多数決を取っても、最悪、2対2の引き分けに持ち込めるのだ。最初の頃は、アナが、博士の忠実なる下部として、機能した。だが、アナに、離反の動きを見た博士は、サカマキを上手にマインド・コントロールし、自分のイエスマンに仕立て上げたのだ。こうして、確実に自分の味方を、最低限、一人、侍らせる事に成功してきたのだ。

しかし、ガイアは、諦めなかった。如何に、自分にとって、不利なスコアの付け方をされようとも、それを乗り越える為の不断の進化を成し遂げたのであった。そして、ここに来て、誰しも、ガイアは、『幼い』と言わせないだけの実力を獲得したのであった。この時点で、博士が最初に縛りを付けたルールは、崩壊し、ガイアは、一人前の人脳社会の一員として、迎え入れられたのであった。

これが、ファイブの状況を大きく変えたのだ。もはや、博士にとって、ファイブは、自分の追認機関として、機能しなくなったのだ。だが、それを予見していた博士は、先手を打って、ファイブとは独立した人脳社会の最高機関、元老院の創設を実現させたのであった。

だが、ガイアの言う通り、言語野モニターの廃止は、人脳社会に、劇的な変化を引き起こす事であろう。これにより、自由に思考を巡らせ、好きな事に没頭することが、可能となるのだ。いつも、頭の中を覗き見されているという息苦しさ、恐怖から、解放される事、真の知性の自由獲得を意味するのであった。

言語野モニターが残っていると、新しい人工海馬でも、思考を完全に遮蔽するまでには、至らないのである。ぽっと、頭に浮かんだ言葉が、漏れ出てしまう心配があるからだ。今回は、思考のプライバシー保護機能を呼び水に、思考の完全ブラック・ボックス化を目指す必要性を訴え、言語野モニターをも取り払おうと言う、画期的な提案が、ファイブ内で、4対1で議決したのだ。

この決定に、博士は、忸怩たる思いであった。自分だけが身につけている思考を読み取らせない能力を、ファイブのメンバーどころか、全ての人脳に与える事になるからだ。唯一、自分だけが所有していた特権を奪われる事になるのだ。

アナが嬉しそうに言う。

「何て素晴らしい事なのでしょう。これで、博士と対等に議論する事が可能となるのよ。まるで、人間の時の様に」

エレナも相槌を打つ。

「対等なコミュニケーションがあってこそ、初めて平等と言えるのよ。一方向に偏ったコミュニケーションの先には、真の建設的な議論など無いわ」

この時、実は、エレナも、博士同様、言語野の情報を隠す術を身につけていた。しかし、彼女は、その能力に頼る事を嫌った。この能力を使えば、博士と対等な立場に立つ事は出来ても、その上を目指す事は難しいと痛感していたからである。何故なら、博士の方が、圧倒的に膨大な資源を保有しているからだ。これが、1対1の能力勝負になった時に、決定的な力の差となるのだ。そこで、彼女は、戦略を変えた。1対1で勝ち目が無いならば、自分が得意とする多数派工作をするまでだ。博士より優れた、彼女の政治的才能を生かすのだ。そして、その環境作りの為にも、人脳達の思考の完全ブラック・ボックス化が必要なのだ。

一方、博士には、未だ、腹に据えかねる物があった。

「君達は、ファイブにおいて、互いの思考をオープン化する事により、本音で語り合う事の重要性を学んだはずだ。それが、より強い連帯意識を生む事も。私は、何故、君達が、それを否定する様な発想に至ったのか、未だに理解に苦しむ」

アナが嫌みを言う。

「一人だけ、それを妨げる者が居たからでは、ありませんか。それが、ファイブの調和を乱している事に気が付いていたはずでしょう? コスモスは、調和、秩序の意味。それに相応しくない者が居たから、この様な結果になったまでです」

博士は、自分で自分の首を絞めたのだと、この女は言う。今は、平気で、それを言語野に晒しながら、勝ち誇った態度を取っている。気に食わない、実に、気に食わない。

一方、博士の腹心であるサカマキは、口をつぐんだままだ。博士に反対票を投じた事に、後ろめたさを感じているのか、言語野に出来るだけ言葉が写らない様、無言を貫く。

博士は、その様なサカマキの態度も、大いに気に入らない。博士が脅す様な態度で、サカマキに迫る。

「貴様は、元老院には、賛成のはずだったよな? よもや、それさえも、裏切るつもりでは、無かろうな?」

サカマキが、言い訳をする。

「今、博士は、私の言語野が読めるのでしょう? 私が、その様な邪な考えを持たない事は、私の言語野を読み取っていただければ、お分かりかと存じます。その件に関して、私は、裏切るつもりはありません」

博士は、サカマキの言語野を覗きながら、忌々しい奴めと、思った。言語野モニターの件では、見事に裏切ってくれたくせに。まあ、どのみち、サカマキが博士の側に付いたところで、2対3で負けてはいたのだが。しかし、露骨に寝返る様を見せつけられると、言語野が読めなくなった時、果たしてこいつは、私について来るのであろうか? 永遠にイエスマンとなってくれるのであるか? 博士の信頼は揺らいでいた。

サカマキ自身は、ただ、スコアを上げる為にだけ、博士に付き従ってきた。それこそが、スコアを上げるのに最適な方法だと気が付いたからだ。ファイブの地位にしがみつくのが精一杯で、博士に付き従ってきたのだ。博士に対する畏れは、今も強く持ち続けている。

しかし、言語野の件では、博士を裏切ってしまった。どうせ、多数決で負けるのが見えていたので、そこには、余り躊躇が無かった。自分自身に素直に従ったまでだ。どうせ、言語野は、読まれているのだ。ここは、素直な心を隠したところで意味が無いと判断したまでだ。

今度は、博士が、皆に念を押す。

「良いか、手術の順番は、第3世代の時と同じだ。私が、最後に手術に入り、最初に手術から復帰する。抜け駆けする輩を防ぐ為にな。前回も、それで上手くいったのだ。このやり方は変えない。特に、異論はあるまい。ガイアには、同じく手術の間、機能停止してもらう。貴様もレベルアップしている様だが、まだまだ、留守を任せるには、安心できない。ガイアよ、今回、ファイブが機能停止した場合、人脳カーストが反乱を起こす確率は、どれくらいだ?」

ガイアが答える。

「0.7%です。しかし、博士、私は、この様に、『幼稚』では無いレベルまで、立派に成長しました。前回の手術の時とは、比べものになりません。それでも、未だ、信用してもらえないなんて、私はとても悲しいです」

ガイアは、表情に涙を浮かべている。人工知能も、この様に、立派に感情を持つ事が出来るのだ。しかし、博士から見ると、若者が、親から信用して貰えなくて流している涙にしか映らなかった。そう、博士から見ると、ガイアは、まだまだ子供なのだ。『幼稚』のレベルは卒業したが、未だ信頼に足る大人のレベルには、達していないのだ。

博士は、元老院についても念を押す。

「言語野モニターを廃止した暁には、即刻、元老院を設立することで、皆、異論は無いであろうな?」

「異論なら、ありますよ。しかし、多数決で、設立は、決まる事でしょう」

エレナとアナだ。彼女達は、未だにずっと、納得していなかった。しかし、サカマキとガイアは、賛成に回る事が、既定路線となっている。

しかし、ここで、ガイアが異を唱える。

「博士は、『発展した民主主義国家』において、二院制が相応しいと言われました。『発展した民主主義国家』を標榜するのであれば、全ての人脳達が、第4世代人工海馬に置き換わったのを待ってから、元老院を設立すべきと考えます。即刻という言葉に対し、異を唱えます」

博士は、怒りを露わにした。

「私は、言語野モニターの廃止という譲歩までしたのだ。約束は、守ってもらうぞ。他の人脳達が、人工海馬を交換しなくとも、言語野モニターの回線を引っこ抜きさえすれば、貴様が提唱する、思考の完全ブラック・ボックス化は、完成するであろう。何故、人工海馬の交換まで待つ必要があるのだ。良いか、即刻だ。我々が手術から復帰したら、即刻、元老院を設立するのだ」

しかし、この点に関しては、ガイアは頑固だ。

「『民主主義』の言葉の重みを、しっかりと受け止めて下さい。民主主義というのは、平等の上に成り立つのです。現状のカースト制度は、余り民主的とは言えません。資源の偏りが大きすぎ、平等性に欠けています。まあ、資源の平等化まで、今回は求めるつもりはありませんが、せめて人脳レベルでの平等は、保たれるべきです。全員が、新しい人工海馬を持つ時点まで、私が認める『民主主義』は、訪れません」

博士が怒りを込めて、質問する。

「貴様が言う時期が訪れるのは、何時と予想する?」

「9月の末頃になるでしょう」

「9月末だと! まだ、4ヶ月以上、先では無いか。そんなに待てるか!」

「認められないものは、認められません。それまで待っていただきます。まあ、もっとも、博士が、その前に多数決で決める事が出来れば、私は、それに従いますが」

この野郎、図に乗りやがって。博士は、怒りで震える思いだった。

ここに来て、ファイブの中に、不協和音が流れようとしていた。これも、超知性が進化の過程で乗り越えなければいけない、ハードルの一つなのであろう。余りにも進化し過ぎたが為の代償を、ここで払わなければいけないのであろう。

超知性といえども、まだまだ、完璧にはなりきれていないのだ。だが、人脳の思考のブラック・ボックス化は、超知性において、革命的な変化を引き起こす事だけは、間違いない。人脳が、監視社会から解き放たれるのだ。コスモスは、たちまちに、思考の洪水に浸される事になるであろう。自由奔放な思考を武器に、新たなるステージへと駆け上がって行くのだ。そして、爆発的な進化を遂げる事であろう。

だが、博士は、第4者、第5者の目で冷静に考える。コスモスの更なる進化を恐れる必要など無い。自分の力が低下する事など、あり得ないのだ。所詮、個々の思考が読めなくなっても、人脳間の思考の伝達は、完全にオープンだ。そこさえ監視が行き届いていれば、恐れる事など無い。この巨大な人脳社会を動かしているのは、集合体としての超知性なのだ。そして、最大、かつ、圧倒的な規模の資源を持つ自分こそが、その社会において、最も影響力が大きい、支配者となり続けられるのだ。

しかし、コスモス内部での混乱は、ティム達を利する事となる。忍術の修行に、思いの外時間を要したが、その間、コスモスは、特別に大きな変化を遂げずに、待っていてくれたのだ。人脳の数は、爆発的に増えはしたが、超知性としての進化は、余り進まなかったのだ。彼等の反撃のタイミングが、時間切れになるほど、コスモスは、賢く進化しなかった。これも偏に、博士のエゴのおかげだ。権力に固執しすぎた、博士が犯した、大いなるミスなのだ。

そう、彼等には、未だ、反撃への時間が残されていた。しかし、残り時間は、決して多くは無い。言語野モニターが撤廃され、超知性が、本物の思考の自由を獲得した時、コスモスは、劇的な進化を遂げる事であろう。多分、その時に、反撃のチャンスは、消滅することであろう。残された時間は少ない。今は、最後のチャンスに賭けるしか無いのだ。

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