第11話 希望のアンドロイド
西暦2032年9月。
日本、青森県、三沢飛行場 アメリカ空軍三沢基地。
日本最北端にある、アメリカ軍基地にティム達は、身を寄せていた。
シリコンバレーのコスモ本社の地下にあるシェルターを活動拠点として、ティム達は、超知性コスモスと対峙していたのだが、ラリー・ターナーCEOの裏切りにより、そこを追放される事になった。彼等は、命を狙われる危険から逃れるため、海を渡り、遙か日本まで逃走せざるを得なかったのである。逃走先に三沢基地を選んだ理由は、ティム達が、接触を試みようとしている、下北半島に有る忍者の里と距離が近いからであった。
しかし、今では、米軍に命を守られながら、ビクビクと怯え過ごす日々である。だが、いくら命の危険が有るからと言って、米軍が何時までも彼等を預かる訳にはいかない。ティム達は、無一文で肩身の狭い居候生活を送っていた。
「今後、一体どうやって、体勢を立て直したら良いのか? 今の自分達に、一体、何が出来るというのであろうか?」
ティム達は、今後の身の振り方について、真剣に話し合っていた。
ハオランは、身の安全の確保が最優先だと主張する。
「今は、アメリカ軍に、かくまってもらうしか無いよ。さすがのコスモスでも、アメリカ軍基地内で事を構えるつもりは、無いみたいよ。アメリカ軍に、お願いして、暫く、ここに居させてもらうしか、他に選択肢は無いよ」
しかし、ティムは、反対だ。
「何時までも、ここに居ては、活路は開けない。何としても、忍者の里まで辿り着き、忍びの術を習得せねば、コスモスと戦う術を手に入れることは、出来ない。時間が無いんだ。超知性コスモスは、時間がたてば立つほど、加速度的に、強大化してゆく。遅れれば、遅れる分だけ、勝機は、遠ざかってしまう。可能な限り、最短のルートを選択しなければいけないんだ」
その事は、皆、分かっていた。超知性コスモスが、加速度的に進化している事を。確かにティムの言う通りなのだが、果たして、どうすれば、今の状況を打開する事が出来るのであろうか? 正に暗中模索の状態だった。
忍びの里に詳しいナカムラが、ティムに対して、否定的な意見を述べる。
「命を狙われている我々が、忍びの里に行っても、そこの人々の迷惑にしかならないだろう。必ず、コスモスは、我々を殺すために、追っ手を差し向けてくる。そうなると、村の中で、戦闘が繰り広げられる事になる。村人達を、我々の戦闘に巻き込む訳にはいかない。村人達は、平穏な日々を願っているのだ。そのため、我々の受け入れを、頑なに拒む事だろう」
しかし、ティムも譲らない。
「この戦いには、人類の未来がかかっているのだ。忍びの村の人達を説得し、一緒に、人類の脅威と立ち向かう必要があるのだ。彼等だって、将来は、人脳にされる恐れがある事ぐらい理解してくれるはずだ。彼等を、我々の仲間に巻き込み、一緒に戦うべきだ。彼等が、理解してくれれば、大いなる援軍に変わる可能性だって有る。ナカムラ、彼等を説得する事は、出来ないのか?」
ナカムラが、ティムに言い返す。
「人類の未来がかかっている戦いだと言うのであれば、ホワイトハウスを、アメリカ軍を説得して、戦いに参加してもらうのが、本来の筋であろう。アメリカの、一民間企業が、世界を相手に始めた、サイバー犯罪、サイバー戦争なのだ。戦争を終息させる責任は、アメリカ政府に有るのでは無いか? 忍びの村人達にとっては、あずかり知らない話だ」
確かに、ナカムラの言う事は、正論だ。もはや、話は、そこまで大きくなっているのだ。しかし、アメリカ政府を説得する術を、彼等は持たない。彼等の中で、一番政府に太いパイプを持っていた存在は、ラリー・ターナーCEOであった。彼は、地下シェルターで、反コスモス・キャンペーンを大展開した事があったが、それに対しても、アメリカ政府は、全く動いてくれなかった。きっと、コスモスも、アメリカ政府に対して、強靱なコネクションを有しているのであろう。そちらの力の方が、上だったのだ。
ティムは、かつて、コスモスの犯罪を、FBIに内部告発した事があったが、結局は、不発に終わっている。現在、米軍にかくまわれている身である。その事情を、軍に詳しく説明し、状況を理解して貰えれば、なにがしかの援助を引き出せるかも知れない。ティムは、そちらの道も探ってみようと思案するのであった。
その時、ティムは、ナカムラの方から、思いがけない話を持ちかけられた。
「ティム、私は、今まで、打倒コスモスを目指し、君達と共に戦ってきた。しかし、これから先、このまま君達と共に居る訳にいかなくなったんだ」
ティム達は、大いに驚いた。最大の協力者であるナカムラが、ティム達から離れると言い出したのだ。動揺したハオランが事情を尋ねる。
「何故よ、ナカムラ? 我々には、あなたの存在が必要よ。あなたまで居なくなったら、私達は、どうすれば良いのよ?」
ナカムラが、申し訳なさそうに、理由を説明する。
「私の仲間は、君達だけでは無いんだ。日本に居る仲間も、コスモスから命を狙われているんだ。私には、彼等を守る責任があるんだ。私は、彼等と行動を共にし、別の方向から、打倒コスモスを目指す。そう決めたんだ」
ティム達は、大きな衝撃を受けた。ラリーが寝返った事で、本件に関して、日本側にも協力者が存在する事が知られてしまったのだ。ナカムラの言う通り、当然コスモスも、彼等の抹殺を試みるであろう。コスモスから命を狙われているのは、自分達だけでは無いのだ。
ナカムラが、話を続ける。
「今、日本の仲間達は、散り散りになり、命の危険から身を潜めている状況だ。私は、そんな彼等を再結集させ、反転攻勢を狙うつもりだ。打倒コスモスの思いを、捨てるつもりは、毛頭無い。そして、君達と思いが同じであれば、我々は再び、出会う事が出来るであろう。勝手を言って済まないが、そう言うことで、今後、行動を共に出来ない。勿論、去る時は、きっちりと引き継ぎをした後だ。ハオラン、私の代わりに、ティムを支えてくれ。頼む」
ハオランの不安は、ますます大きくなった。参謀役のナカムラが、チームから去るのだ。ラリーに引き続き、大きな存在を失う事になる。
「ナカムラ、分かったよ。あなたにも、大切な仲間が居る事を。でも、きっと約束するよ。再び、共に、打倒コスモスを目指して、一緒に戦ってくれる事を。必ず、約束よ」
ナカムラは、黙って頷いた。
ティムも、無理に引き留めようとは思わなかった。
「分かったよ、ナカムラ。残念だが、仕方が無い。日本の仲間達を失う事は、我々にとっても大きな損失だ。だが、これからも心は一つだ。離ればなれになれば、連絡を取り合う事は、ほぼ不可能となるだろう。常時、コスモスが、監視の目を光らせているに違いないから。君に限って、万が一ということは、無いと信じているが、必ず、生きて帰ってきてくれ。これだけは、約束してくれ」
ナカムラは、またも、黙って頷く。場に、重苦しい沈黙が、漂う。
そこへ、マリアが割って入る。ナカムラが話をしてくれた事で、気が楽になったのであろう。彼女も別れ話を切り出す。
「私も、あなた達とは、別行動を取るつもりよ。私は、アメリカへ帰る。帰って、コスモスの一部となる。これは、私の中で、ずっと前から決めていた事。私は、それを実現させるため、アメリカに帰らせてもらうわ」
それを聞いた、ナカムラは、危険だと止めに入る。
「コスモスから、コスモス・ジャパンに刺客を送る様、指令が出ている。これは、偽人脳との最後の交信で入手した情報だ。その抹殺リストの中には、マリア、当然、君の名前も入っている。君は、米軍基地を出たとたん、直ぐに抹殺されるだろう。だから、君は、生きてアメリカに帰る事は出来ない。ここに止まった方が、賢い選択だと思う」
マリアがそれに噛みつく。
「あなただって、ここを出るんでしょ? 当然、あなたも、抹殺リスト入りしているわよね? あなたに脱出できるのなら、当然、私だって脱出できるはず。違うかしら?」
ナカムラは、その考えを否定する。
「私は、当然、危険を承知で、ここを脱出する。しかし、日本は、私にとってホームだ。地の利を生かして、絶対に逃げ延びてみせる。君は、日本の事を余り知らないだろう。そんな君が、脱出できるほど、状況は、甘く無いと思う」
マリアは、悔しかった。確かに、自分には、ナカムラの様にサバイバルの知識は、持ち合わせていないであろう。しかし、彼女は、コスモスを倒す目的で、皆とは一緒には、居たくなかった。コスモスは、彼女が敬愛する博士が作った超知性体。彼女は、その一員となる事は望んでも、倒す事など、決して望まなかった。
ダニーも止めに入る。
「ナカムラの言う通りだ。いくら熱望したところで、死んでしまえば、人脳には成れないだ。諦めるだ。そして、僕達と一緒に、戦うだ」
マリアが、ダニーに誘いを掛ける。
「私一人じゃ、危険なら、あなたにも付き合ってもらおうかしら? あなただって、人脳に成りたがっていたじゃない。私と一緒に協力して、人脳に成る道を探してみない?」
しかし、ダニーは、即座にその要求を断る。
「僕は、もう、人脳には、成りたくないだ。そりゃあ、エレナと研究していた時は、君と同じ様に、人脳に憧れていただ。でも、皆と行動を共にする内に、その気持ちは消えただ。僕は、今の邪悪なコスモスに組み込まれるぐらいなら、皆と一緒に邪悪なコスモスを改心させたいだ。それが、博士を追放する事を意味しても、僕は、皆と共に、戦いたいだ」
マリアが、キッとした目つきでダニーを睨む。
「あんた、もうすっかり、彼等の仲間気取りね。以前は、私と同じ側だったくせに、都合の良い方に味方に付く。あなたの様なコウモリ男には、もう用はないわ。私は、あくまでも、自分の信念を貫き通すのよ」
マリアは、今の仲間達には、どうも、溶け込む事が出来そうに無い。せめて止めてくれる人が、ティムであったならば、――――。彼女は、空しい期待を抱くのであった。密かに惹かれつつある、ティムだったなら、自分は、違う答えを返していたかも知れないと。しかし、ティムは、自分の事を振り向いてくれそうに無い。人脳となったティムが、人間である自分に恋愛感情を持ってくれる事など、期待はしていなかったのだが、彼女の中には、抑えがたい未練が残っていた。
しかし、彼女の心境の変化に気が付いている者達が居た。9体の人脳の中には、女性も複数含まれていた。彼女達は、同じ女性として、マリアに芽生えた恋心を敏感に感じ取っていた。そして、人工海馬を通して、ティムに話しかけるのであった。
「ティム、マリアは、あなたに対して好意を抱いているのよ。今、彼女を止める事が出来るのは、あなたしか居ない。あなたが止めるのよ」
ティムは、思わぬアドバイスに戸惑った。
「まさか、マリアが、人脳の、この私に対し、好意を抱くなんて。急にそんな事を言われても、信じられないよ」
「ティム、引き留めなさい。彼女は、絶対に必要な人よ。これ以上、大切な仲間を失うなんて、悲しい事じゃない。お願い、あなたが、引き留めるのよ」
ティムは、半信半疑ながら、マリアの事を思った。今、マリアが、ここを出ると言う事は、彼女の死を意味するのだと。そして、思い切って、マリアに声を掛ける。
「マリア、早まるんじゃ無い。君は、死んではいけない。私は、君が死ぬ事に、耐えられない。生きてくれ。生きるんだ、マリア。君が必要なんだ」
マリアは、心を大きく揺さぶられた。確かに、ティムは言った。「君が必要なんだ」と。マリアは、嬉しかった。自分の気持ちが、ティムに届いていたのかも知れない。マリアは、思い留まるのであった。今は、ティムを支える側に回ろうと。
「仕方が無いわね。分かったわ。今回は、残るわ。でも、勘違いしないでちょうだい。私の思いは、いつか必ず人脳に成る事。その思いだけは、永遠に変わらないんだから」
マリアの翻意に、ティムは、安堵した。これ以上、仲間を失いたくない。無駄に死人を出したくは無い。マリアが思い留まってくれて、本当に良かった。
この時程、ティムは、人脳の仲間達の事を、頼もしく思った事は無かった。人脳達は、ティムにとって、とても心強い味方だ。彼等をコスモスの監獄から助け出して本当に良かった。そう、今では、彼等は、共に戦ってくれる、掛け替えのない仲間なのである。
ここで、ティム以外の8体の人脳達のプロフィールを紹介しよう。
ゲイリー・ラングレー イギリス人、男性、脳外科医
エレナにより、人脳製造を強制的に手伝わせようと人脳とされた。エレナが目を付けたと言う事は、手術の腕前は、超一級品の証でもある。しかし、典型的なイギリス紳士であるため、悪事に荷担する事を快く思っていなかった。エレナの人格自体をも卑下し、反目。気位が高かった事も有り、更正の余地無しと判断され、監獄行き。その頑なさ故に、最終的に、死刑囚となる。
ソユン・キム 韓国人、女性、IT技術者
ニューマン博士に選ばれた、天才エンジニア。通信工学の専門家。博士からは、コスモスの人脳間通信の品質向上を期待された。しかし、非人道的な社会における、一方的な意思疎通を強要されたが為、反目。監獄送りになった後、ハイテク知識を巧みに使い、脱獄を繰り返した為、最後は、死刑囚となる。
ジェフリー・キング アメリカ人、男性、体操選手
エレナのアスリート標本のため、人脳とされる。過去には、オリンピック代表にも選ばれた。非常にストイックな性格であり、エレナの非情な仕打ちにも負けない、強い精神力の持ち主。しかし、そのストイックさが裏目に出、さすがのエレナも、余りにもの頑固さに手を焼き、更正の見込みなしと言う事で、死刑囚となる。
ケイト・オサリバン アメリカ人、女性、武闘家
エレナのアスリート標本のため、人脳とされる。世界中の武芸百般に通じる達人。人工小脳の研究対象として、実験材料にされる。その屈辱的な仕打ちに耐えきれず、コスモス内で、アンドロイドを使った破壊行為に及ぶ。要注意の危険人物のレッテルを貼られ、監獄行き。そのまま、死刑囚となる。
カルロス・エスコバル コロンビア人、男性、マフィアのボス
ファイブのアナに目を付けられ、人脳とされる。その豊富な資金力、闇社会への人脈の広さを買われ、カーストの最高位、バラモンとなる。しかし、苦労して上り詰めた、ボスの座を奪われた事に対し、強い恨みを持つ。それを晴らすべく、人脳裏社会のボスを目指したのが運の尽き。ファイブの反感を買い、監獄へ。その後、脱獄を繰り返し試み、死刑囚となる。
アドリアナ・ガルサ メキシコ人、女性、傭兵
アナに目を付けられ、人脳となる。カリブの雌豹の異名を持つ女海賊。その高い戦闘能力、兵器に精通した作戦展開能力を惚れ込まれ、ファイブの親衛隊の一員となる。しかし、強すぎる恨みを持つが故、アナンドに続き、ファイブ内での破壊行為を強行。即刻、死刑囚となる。
アイシャ・アフマド・ムスタファ エジプト人、女性、教育者
ニューマン博士の設立したアカデミーの教員として採用される。しかし、高潔な思想を信条とする彼女は、博士の思惑とは異なった、博愛の精神を教え込もうと努力する。そして、教育方針を巡って博士と激しく対立。彼女も、自分の信念を決して曲げようとはせず、更正の見込みなしと、死刑囚になる。
エートゥ・ニエミネン フィンランド人、男性、ハッカー
ニューマン博士が惚れ込んだ天才ハッカー。世界中の機密文書を入手すべく、彼に期待を掛けたが、天性の正義感により、博士の意に反し、人脳社会への反乱を企てる。巧みなハッキング技術により、尻尾をつかませる事さえ許さなかったが、多勢に無勢。他のハッカー軍団に追い詰められ、逮捕。反逆罪で投獄され、死刑囚になる。
以上、非常に多彩な面々である。どいつも、こいつも、一癖、二癖のある強者の集まりだ。彼等は、個性が強すぎるが故に、調和を最重要視するコスモスの方針に馴染めず、処刑される運命となったのだ。しかし、裏返すと、コスモスと対決してゆくに当たり、これ程、心強い連中は、他には居まい。コスモスの掃きだめには、これ程、秀逸な人材が集まっていたのだ。
監獄から救出した時、余りにも過酷で劣悪な環境に置かれていた為に、彼等の人脳は、使い物になるかどうかも分からない状態にあった。しかし、地下シェルターでの、マリアとダニーによる、献身的な介護、リハビリを通して、彼等は、本来の自分を取り戻そうとしていた。そんな矢先の、シェルター脱出である。ある者は、もう、介護の必要の無いレベルまで回復していたが、未だ、介護が必要な者も残されていた。マリアが残ってくれた事は、そんな彼等にとって、朗報なのであった。
今後、彼等が、ティムにとって、非常に優秀なブレインとなる事は、間違いなかった。しかし、逆に、個性的すぎる彼等をまとめ上げてゆく事に対しては、とてもじゃないが自信は無かった。彼等と共通する目標は、邪悪なコスモスを倒し、積年の恨みを晴らす事。人類救済という、崇高なる理念を掲げて、全員と共感することは、今のところ難しいが、人工海馬を通して、互いに強い想いを共有する事は出来る。
ティムは、これら人脳達と人間の仲間との間を繋ぐ橋渡し役として、強い使命感を持つのであった。人脳と人間、皆が協力すれば、とてつもなく大きな力を発揮できるはずだ。
ティムは、基地の最高司令官、サンドヴァル大佐と直接面会する機会が与えられた。ハオランとナカムラを伴い、今後の彼等の処遇について、話し合うのだ。
先ず、大佐から、話を切り出す。
「君達がここへ来た経緯については、空軍のパートランド少尉から、一通り話を聞いている。君達が超知性コスモスに命を狙われている事は、本当に気の毒だと思う。我々としても、出来るだけ、君達の身の安全を確保してあげたいのだが、こちらには、こちらの事情という物がある。そこは、是非とも、理解してもらいたい。実は、上からの強い圧力があり、君達を長居させる訳にはいかないのだ。軍としても、超知性コスモスとの全面対決は、避けたいのだ」
コスモスから軍に対し、何らかの圧力が有った様だ。やはり、コスモスは、早いうちに、彼等を始末するつもりだ。
ティムは、軍が、コスモスの事を、どの様に捉えているのかを確かめたかった。
「大佐、コスモスによる蛮行が、世界中で繰り広げられている事は、もはや、公然の秘密かと思います。この件について、軍の上層部は、どの様に捉えているのでしょうか? コスモスの、人類に対する挑戦に対し、何らかの働きかけは、してくれるのでしょうか?」
大佐は、即答を避けた。暫し考え込むと、どの様に話を切り出して良いか、迷っているようでもあった。そして、ようやく、口を開いた。
「我々としても、祖国の名誉のために、この問題は、避けては通れないとの思いはある。しかし、残念ながら、コスモスの方が、我々よりも上手なのだ。今や、奴らは、議会やホワイトハウスまでにも、その権力を及ぼそうとしている。豊富な資金と幅広い人脈を駆使して。当分の間、我々は、にらみ合いの状況が続くと考えている。我々も、所詮は、統制された、硬直的な組織に過ぎない。変幻自在なコスモスを相手にした場合、分が悪いのだ」
やはり、思った通りだ。ティムは、残念に思った。しかし、この状況を放置する事が、如何に危険であるのかを、警告するのである。
「大佐、コスモスは、時が経過するほどに、より強大な存在へと変貌を遂げてゆきます。それも、加速度的にです。このままだと、何れ、手遅れになります。ホワイトハウスもペンタゴンも、コスモスの意のままに操られるのは、時間の問題かと思います」
それは、大佐も理解していた。何れ、手遅れになるだろう事は。しかし、彼とて、動きたくても動けないのだ。早急に大統領が決断を下してくれなければ、動けないのだ。だが、その大統領も、理解を超えたコスモスの存在に、どう対応したら良いのか戸惑っている。そして、これも、コスモスの想定通りの事なのである。
大佐が、申し訳なさそうに話す。
「君達が、命を狙われると言う事は、コスモスが、君達を恐れている証拠でもある。君達なら、コスモスを何とか出来る可能性を秘めているのかも知れない。私は、それに賭けてみたい。今、私から言えるのは、それだけだ。心から、君達の健闘を祈る。しかし、我々は、これ以上、手を貸す訳にはいかないのだ」
大佐が、苦渋の表情で、退出勧告を告げる。
ティム達が基地にいられる時間は、あと僅かであった。
基地の将兵達は、死に神に取り憑かれた、彼等の事を憐れんだ。彼等にも、何とかしてやりたい気持ちはあった。しかし、それにも限界がある。
そんなある日、基地に数台のトレーラーが到着した。
「ミスター・ナカムラ。あんた宛てに届け物だ。命を狙われている、あんたらだ。危険が無いか、中身を改めさせてもらう。爆弾でも持ち込まれて、俺たちまで巻き添えにされたら、たまらないからな」
コンテナの荷を開けて、中身を改める。そして、そこには何と、ナカムラが日本のチームに依頼して、製造させた、9体のアンドロイドがあった。意外なプレゼントに、ナカムラは、飛び上がるほど嬉しかった。
仲間達は、諦めていなかったのだ。コスモスから、命を狙われる中で、最後まで、自分達の仕事を全うしたのだ。ナカムラは、こみ上げてくる喜びと共に、仲間達の安否を気遣った。今の今まで、逃げ出す事無く、秘密裏に行動していたのであろう。一体、どこで、どうやって、これを仕上げたのであろうか。しかし、アンドロイドが届いたと言う事は、仲間達が無事である証拠でもあった。
アンドロイドは、ラリーから、多額の資金援助を得て作成していた。だが、ラリーが寝返った時点で、この計画は、完全に頓挫したものだと思い込んでいた。しかし、実際には、計画が中止される事は無かった様だ。ラリーは、この計画をコスモスに明かさなかったと言う事なのか? それとも、仲間達が、機転を利かして、手を変え、品を変え、計画を継続したのであろうか? いずれにしても、思わぬ朗報に、ナカムラは、喜色満面であった。
ナカムラは、早速、ティム達の前に、このアンドロイドを運び込み、互いに朗報を喜び合った。
ティムが、息をのむ。
「素晴らしい。こうして実物を、目の前で見るとこが出来るなんて、まるで夢の様だ。私は、日本の仲間を誇らしく思う。良く、命の危険がある中で、投げ出さずに、最後まで頑張ってくれた。ナカムラ、君が仲間達に再会した時、是非、代わりに礼を述べてくれ」
ナカムラは、ティムと目を合わせると、深く頷いた。
他の人脳達も、届いたアンドロイドには、興味津々だ。これから、これが、新しい、自分の体になるのだから。
アンドロイドは、彼等の想像以上の出来映えであった。身長は、2メートルほど、重量約120kgと、博士のアンドロイドよりも、一回りも、二回りも小型だ。確かに華奢に見えるが、引き締まった筋肉質の体を思わせる均整が取れた造りだ。メタリックなパーツは少なく、柔軟で強剛性な新型素材で覆われている。忍者を意識した、艶消しのブラックボディーが印象的だ。
機能の詳細を確認したナカムラが、ティムに報告する。
「我々の切り札は、準備万端で送られてきた様だ。直ぐにでも、人脳と接続可能だ。ここから先は、君達、人脳の出番だ。性能さえ出し切れば、コスモスのアンドロイドと互角以上に戦えるはずだ。頼りにしているぜ」
そして、その日から、ティム達、人脳の特訓が始まった。
これから、ようやく、アナンドの置き土産である、最新型人工小脳が威力を発揮する出番だ。このアンドロイドは、その人工小脳用に最適な設計が施されている。既に、シミュレーションは、積み重ねられており、バーチャル・ボディーとの互換性は、十分に取れている。アナンドの意思を引き継いだ、伝家の宝刀が、いよいよ威力を発揮する時だ。
ティムが、手始めに、自分の人脳をアンドロイドへと接続する。
「何だか、不思議な感覚だ。バーチャル・ボディーの時よりも、肉体の感覚に近い。こんな感触は、初めてだ。何だか、体のサイズに合った、仕立ての良いスーツを身にまとっている様な、そんな感触だ。間違いなく、これは、物になる」
次々と、他の人脳達も、アンドロイドへと接続する。
「おお、何だか、生まれ変わった気分だ。最初から、こんなにスムーズに動くなんて、予想できなかった。こいつは、本当に優れ物だ」
体操選手だった、ジェフが、早速、アクロバティックな動きを試す。
「こいつは、素晴らしい。俺が現役の頃の動きを、忠実に再現できる。いや、それ以上の動きが期待できる。こいつを使って、オリンピックに出られれば、間違いなくメダルが取れる。こいつには、まだまだ余力を感じる。限界性能がどこまであるのか、非常に楽しみだ」
他の人脳達からの評価も、上々だ。
訓練は、ティムのかけ声に会わせて、進められた。空手の師範代であるティムが、熱心に指導を行う。
「押忍。右足の振り上げ、用意、始め!」
「えいや、えいや、――――」
一糸乱れぬ、見事な動きに、見物をしていた米兵達も目が釘付けになる。
「へえ、これが、日本の最新ロボット技術か。さすがだな」
ティムは、手応えを感じていた。動作のスピードは、予想以上だ。ロボットなのに、自分の背丈以上のジャンプ力を誇る。一つ一つの動作に切れがある。ティムが身につけた空手の技は、たちまちの内に、人工海馬を介し、全員の人工小脳へと伝わってゆく。
「想像を超える、凄い戦闘能力だ。これに、忍者の技が加われば、――――」
ティムは、抑えきれぬ興奮を感じ取っていた。
その様子を建屋の最上階から眺めていた、サンドヴァル大佐は、どこかへと電話を掛けていた。
その夜、一人の人物が、基地内へと不法侵入した。
そして、ティム達の夜間稽古を横目に、ナカムラへと接近する。
ナカムラが、背後から不意に、声を掛けられた。
「あなた、そんなに隙だらけだと、本当に殺されるわよ」
ナカムラが振り返ると、そこには、紅羽の姿があった。
「き、君は、何故ここに?」
「毎日の様に押しかけて来たのに、ここのところ姿を現さなかったから、探りに来たの」
「何故、ここが分かったんだ?」
「あなたに仕掛けた、GPSの情報を拾えば、一発で分かるわ」
「GPSって、忍者がGPSなんて使うのか?」
「忍者だって、進歩しているの。舐めないで欲しいわ」
しかし、彼女の話によると、別にナカムラに会いたくて来た訳では無いらしい。米軍から、日本政府に内密な要請があったのだ。その結果、日本政府が、影の組織を動かしたとのことだ。日本政府といえども、コスモスの影響を多大に受けている。しかし、一部の危機意識を持つ者達が、影の組織、忍びを使った隠密活動を遂行しているとのことだ。今回は、その偵察の一環として、彼女が送り込まれてきたのだ。
ナカムラが、内密にリーダーのティムとの面会を設定する。
そして、その場に案内された彼女は、ティムと対峙した時、警戒感を露わにする。こいつは、村を襲った、あの薄気味の悪い脳味噌野郎では無いか。
「あなたが、あのロボット達を操っているのね?」
ティムは、正直に答える。
「その通りだ。今は、空手の動作を、徹底的に、覚えさせている。それにしても、君は、未だ若いのに、流暢な英語を話すね」
紅葉は、当然と言ってのける。
「私だって、一応、高校に通っているのよ。英語ぐらい勉強しているわ。成績だって優秀なんだから。でも、このロボット、私達の村を襲った奴に比べると、貧弱そうね。これで、あいつらに勝つつもりなの?」
それを聞き、一体のアンドロイドが、彼女の前に歩みだし、勝負するよう挑発する。
ティムが警告する。
「一応、力は弱めにして、手加減するけれど、怪我をしないように気をつけてくれ」
「手加減? そんなの無用だって事が、直ぐに分かるわ」
紅葉とアンドロイドの稽古が始まった。ティムは、パンチやキックを繰り出すが、紅葉は、難なくかわす。ティムが、次第にスピードを上げる。しかし、寸での所でかわされる。スピードをマックスに上げるが、それでも、擦らせてくれない。
紅葉が、挑発する。
「これが、ロボットの限界なの?」
ティムは、本気になる。本格的な空手の動きを駆使して、紅葉を塀際まで追い詰める。しかし、紅葉は、真上にジャンプをすると、アンドロイドの、手、肩、頭を伝って、背後へと回り込む。ティムは、慌てて、後ろ蹴りを放つが、紅葉は、かがみ込み、軸足を払おうとローキックを放つ。ティムは、瞬時に、その動きを察知すると、軸足をジャンプさせてかわす。そして、空中で体勢を整え、紅葉の正面に降り立つ。
ティムにとって、この勝負を、肉体でこなした場合だと、相当に、息が上がっているはずだ。しかし、アンドロイドでは、未だ未だ体力は、温存されている。これも、ボディーの軽量化と超高性能バッテリーのおかげのようだ。
紅葉は、ここで、待ったをかける。
「確かに、あなたのロボットの力は認めるわ。しかし、格闘術としては、未だ未だ未熟ね。ロボットを壊すといけないんで、投げ技や関節技を使わなかったけれど、付け入る隙は、十分にあるわね」
ティムが、勝負の続行を望む。
「その、投げ技や、関節技を、使ってみてくれないか。その時、こいつの真価が発揮できるかと思う」
そう言うと、右ストレートパンチを、紅葉の顔面目がけて繰り出す。彼女は、その腕を掴み取ると、一本背負いで、アンドロイドの背中を、地面目がけて、叩き付けようとする。しかし、ティムは、海老反ると、両足で着地し、ブリッジで、背中が叩き付けられるのを堪える。そして、直ぐさま、体制を直立させ、紅葉ごと、右腕を振り上げる。彼女は、虚を突かれたが、素早く、右手を離し、アンドロイドの肩に飛び乗り、頭に掴みかかると、首の関節を横にひねり上げる。
しかし、またしても、彼女は、虚を突かれる。「関節が極端に柔らかい」、彼女は、首を折るのを諦め、ティムの手が、掴みかかってくる寸でのタイミングで、頭を蹴って、遠くへと着地する。紅葉は、以前、コスモス社のアンドロイドと対峙した経験を持つが、今回は、その時の戦い方が、まるで通用しなかったのだ。
アンドロイドは、神経伝達の遅れが無いため、視覚、聴覚での認知から判断、行動までの時間を、極限まで縮める動きが可能だ。そのため、相手の先を読んだかの如く動きで、攻撃してくる。その動きは、予想外のものであったが、防御に対する脆さが存在していた。そのため、コスモス社のアンドロイドを紅葉とその仲間達は、撃退する事が出来た。
しかし、今回のタイプは、造りが別の様だ。防御の弱点を、見事に克服してきている。ティムと、紅葉は、一進一退の攻防を繰り広げるが、なかなか決着が付かないでいた。
今度は、ティムから待ったをかける。
「これで、少しは、認めてもらえたかな? 君と互角に渡り合う事が出来るんだ」
紅葉の方も、ある程度、認めざるを得なかった。
「少しは、見直したわ。動きに関しては、互角のようね。しかし、体力勝負になるとどうかしら? 私は、必要最小限の消耗で戦う事が出来るけれど、ロボットじゃ、バッテリーの制限があるため、そうはいかないでしょ? それに、ここは、何の障害物も無い。ロボットには、圧倒的に有利な場所。しかし、森の中とかじゃ、私達に太刀打ちできないわ」
彼女は、かなり勝ち気な性格の様だ。
ティムも、彼女の言う事を認めざるを得ない。
「その通りだ。リングの様な場所だと、互角に渡り合えるかも知れないが、ストリート・ファイトやゲリラ戦になると、不利だと思う。武器を使った動きでも、どれだけ戦えるかは、未知数だ。その弱点を克服する為に、忍術の習得が必要なんだ。協力をお願いできないだろうか?」
しかし、紅葉は、否定的だ。
「あなた、忍術を勘違いしている様ね。忍術は、単なる戦闘技術では無い。言わば、精神鍛錬の方が、主よ。耐える、潜む、虚を突く、臨機応変な判断、この様なものは、精神的な修行を通して身に付けるもの。肉体の鍛錬で身につける事ができる格闘術とは、性質が異なるものよ。自然の中に身を置き、自然と一体となる。まるで、空気の様な存在になること。私でも、未だ身につける事が出来ない、奥深いものよ。精神の鍛錬など、一朝一夕で、成せる技では無い。甘く見すぎよ」
確かに、紅葉の言う通りであろう。しかし、ティムは、諦めきれない。
「僕たちを試してくれないか? 何処まで付いて行けるか、見込みが有りそうか、試してくれないか? その上で、駄目なら諦めが付く。しかし、チャンスを与えてくれないで、諦める事など出来ない。僕たちは、その覚悟で、日本まで命をかけて来たんだ」
紅葉は、受け入れざるを得ないと、判断した様だ。
「分かったわ。村に帰って、長老を交え相談するわ。しかし、修行をするとなると、村まで来てもらう事になるわね。でも、ここを脱出する事は、極めて困難よ。ここに来るまでに、気が付いたのだけれど、あなた方は、大勢の見張りに取り囲まれている。それに攻撃部隊も。この包囲網を、突破するのは、容易ではないわよ。
それに、これだけの敵を一緒に引き連れて、村に来てもらっても、迷惑なだけよ。私達まで、戦いに巻き込まないで欲しいの。来るのだったら、敵に気付かれずに来てちょうだい。隠密行動。これも、忍術の修行よ」
そう言い残すと、紅葉は、去って行った。
ナカムラが、ティムに語りかける。
「彼女の言った通りだ。村人達まで、戦いに巻き込む事は出来ない。敵に気付かれる事無しに、どうやって、村まで辿り着くかだ。ただし、我々が、この基地から姿を消しただけでも、敵に村へと向かった事が伝わってしまう。敵を如何に欺くか、そこが勝負だ」
ティムは、この難しい問題に、深く悩んだ。村人に迷惑を掛ける事は、決して許されない。しかし、時間は無い。この基地にも長くは留まれないのだ。敵は、この基地を完全に包囲し、自分達が出てくるのを、今か今かと待ち望んでいる。
最新式のアンドロイドは、手に入った。ここで、武力で決戦を仕掛けるべきか。しかし、基地の外へ出て、戦う場合でも、基地周辺の住民を、戦いに巻き込む危険性もある。如何にして、敵に気取られずに、忍びの村へと向かう事が出来るであろうか?
一方のナカムラは、これで、自分の仕事に一区切りが就くと感じていた。彼は、ティム達人脳を忍びの村の人々に紹介し、修行の段取りを取るところまでが、自分の仕事だと認識していた。その後、自分は、ティム達から離れ、日本の仲間達と再会を果たし、体勢を立て直した後、再度、コスモスと対峙するつもりだ。
ナカムラが、ティムに提案する。
「実は、このアンドロイドには、人脳を運べる機能がある。人脳培養装置を背中に装着して、背負いながら移動することが可能だ。当然、体重の増加と人脳保護のため、自由に、ジャンプをしたり、走り回ったりする事は、出来ない。だが、道無き場所でも、この形態なら、移動する事が可能だ。ただし、長距離を移動するとなると、給電方法が課題となる。一応、遠隔給電が可能な方式として、レーザービームによる給電方法が使えるが、給電装置からの距離は、半径500メートル以内と限られる。だが、これを上手く使えば、紅羽の様に、敵に気付かれる事無く、移動できる可能性がある」
しかし、ティムの人脳仲間が、その方法を否定する。ナカムラ、紅羽、ティムとの一連の会話は、ティムの人工海馬を通し、他の人脳達へも伝わっていたのだ。
発言をしたのは、傭兵のアドリアナだ。軍事的観点からのアドバイスをする。
「その方法だと、移動速度が、遅すぎる。とても、小娘の様に村まで気付かれずに移動する事は、できないであろう。それに、レーザー給電だが、給電装置の重量から考えると、トラックで運び出す必要がある。これだと、目立ちすぎるため、敵に発見され破壊される恐れがある。それよりも、もっと、良いアイデアがある」
ティムとナカムラが関心を示す。
「それは、どういうアイデアだ?」
「敵の目的は、我々を消す事にある。なので、我々を跡形も無く消し去ってくれれば、我々は、自由の身となる事が出来る」
ハオランも、その話に興味を持ち、割って入る。
「分かったよ。それ、我々が死んだと偽装させることよ。ブルース・リーの『死亡遊戯』の方法を取るのよ。敵を欺くには、これしか無いよ。死んだと見せかけて、暗躍するのよ」
ハオランの言う『死亡遊戯』作戦に向けて、彼等は、作戦を立案するのであった。
西暦2032年9月。
アメリカ、シリコンバレー、コスモス本社 ファイブ居室。
一方、コスモスにおいては、支配体制の変革を巡り、ファイブ内で議論が白熱していた。ファイブと元老院との二院制を取る事は、ファイブの権限低下を意味する。それ故、ファイブのメンバーには、根強い反対の声が有った。
エレラが、博士に詰め寄る。
「ファイブの決定も無いままに、我々の居室の正面に、新たなる部屋を作っている理由について、答えて下さい、博士」
博士は、悪びれずに、平然としている。
「ああ、元老院の居室についてか。遅かれ早かれ、二院制へと移行するのだ。今から準備しておいた方が、速やかに移行が出来て、良いでは無いか」
アナも二院制には、反対の意見だ。
「何故、二院制ありきなのですか? ファイブの決定が出てから建設するのが筋では無いですか。納得できません」
今のところ、明確に反対しているのは、この二人だ。サカマキは、完全なる博士のイエスマンと化している。残りは、ガイアの意見次第だ。
アナが、ガイアに発言を求める。
「ガイア、あなたも反対だと言っていたじゃ無い。今すぐ撤回する様に、博士に申し入れてちょうだい」
ガイアは、淡々と答える。
「発展した民主主義国家の歴史において、広く二院制が採用されています。しかし、現在のコスモスの規模、600万体程度では、市議会のレベルが妥当だと判断します。そして、多くの市議会においては、一院制が取られています。なので、現状は、ファイブによる一院制で、十分かと判断します」
それを聞いた博士は、ガイアに確認を取る。
「二院制を取るか取らないかは、人口規模の問題だというのだな。良かろう。来年、コスモスの規模は、2億体を目指す。それぐらいの数にもなれば、もう、立派な国家レベルだ。その時には、ガイアよ、二院制が相応しいと言うことだな?」
ガイアは答える。
「人脳の数が、数千万体を超えれば、立派な国家規模と判断します。その時を待って、二院制へと移行すれば良いと考えます」
博士は、満足げに答える。
「二院制へ移行する予定は、多数決により決まりだな。後は、その時期を、何時に定めるかだけだ。なので、今から元老院の準備を初めても、全く問題ないであろう」
しかし、エレナは、慎重だ。
「ガイアは、発展した民主主義国家と言いましたよね。現在のコスモスの体制が、民主主義なのか、大いに疑問です。私は、完全なる階級社会、封建社会であるとの認識です。階級社会であれば、企業の様に、トップは、一つで十分ではないですか。何故、二つに分ける必要があるのでしょうか。それは、無用な混乱を生むだけだと危惧します」
確かに、エレナの言う通りである。コスモスは、カースト制度を取り入れた、完全なる階級社会であった。各人脳には、参政権も無く、民主主義の体は成していない。頂点には、絶対的支配者、ファイブが君臨している。ファイブのメンバーは、人脳のスコアにより、入れ替わりの可能性もあり得るが、実際の所、これまでに、入れ替わった者は居ない。そこには、完全なる序列がキープされているのだ。ファイブの最下層で、びくびくと入れ替えに怯えながら過ごしていたサカマキは、博士のイエスマンとなる道を選択することで、その地位を安泰としていた。
民主主義、脳力主義という言葉は、まさに名ばかりの状態であった。コスモスの組織を、人間社会に例えるなら、それは、エレナの言う様に、超巨大企業であろう。しかも、創業者であるニューマン博士が、ドッカとトップに居座り、オーナーとしての絶大なる権力を振るう、ワンマン企業の様なものである。しかも、ファイブという名の取締役会は、博士の意向に真っ向から対立することなど、到底、出来ない。何故なら、博士は、他の人脳3体の言語野を読めると言う大きなアドバンテージを持つからだ。一方の博士の言語野は、他のメンバーからモニターされる事は無い。未だに、圧倒的に不公平なコミュニケーションが続いているのである。他のファイブのメンバーは、現状を半ば諦めるしか無いのだ。
しかし、エレナは、強気だ。彼女も、博士同様に、言語野をモニターされない術を、着実に身につけようとしている。彼女には、強い野望がある。何時の日か、博士と同等の、立場まで上り詰める。いや、最終的には、博士をも蹴落とし、自分が人脳社会のトップに君臨するのだと。彼女は、博士に容赦なく、意見をぶつける。
「二院制に移行する事は、百歩譲っても、ファイブから元老院へ移動するメンバーが、博士一人だけというのは、納得が出来ません。少なくとも、二人は、選ばれるべきです。博士とラリーの二人だけでは、多数決による採決が出来ません。何故、たった二人なのですか? 権力が集中し過ぎやしませんか?」
しかし、博士は、意に介さない。
「君達は、ファイブの権限が低下する事に不満を抱いている様だが、決して、その様な事は、起こらない。ファイブが、人脳社会ピラミッドの頂点に君臨する事に変わりは無い。元老院は、単なるファイブのチェック機構に過ぎない。だから、自由に意見を述べる、ご意見番が二人居れば十分なのだ。そこには、多数決の必要は無い。人脳社会の意思決定の主役は、ファイブのままだ。元老院は、単なる脇役に過ぎないのだ」
この説明を聞いても、やはり、エレナは、納得出来ない。
「ご意見番の役目なら、人脳カーストの老人連中で十分ではないですか。ファイブは、彼等の意見も参考に用いています。これ以上のご意見番は、不要です」
しかし、博士は、それを否定する。
「彼等では、役不足なのだ。私とラリーは、テクノロジーの運営において、圧倒的に経験豊富な存在なのだ。その経験を役立てるのだ。何度も言うが、隠居の身として、口を挟むかも知れないが、一切の議決権は、持たないのだ」
博士は、元老院に入り隠居すると言っているが、本心なのであろうか?
アナも、不信感をぬぐえない。
「博士が本当にファイブから隠居なさるというのであれば、現在お使いになっている、莫大な資源を、我々に開放すべきかと思います。隠居の身であれば、莫大な資源など不要なはずですから」
しかし、この点に関しては、博士は譲らない。
「何を言っているのだ。私は、豊富な経験に基づき、助言をすると言っているであろう。私の持つ豊富な資源を役立てることが、私の役割となるのだ。もはや、私の資源は、体の一部と言っても良い。それを切り離すことは、まさしく、身を切ることに他ならない。だから、資源を減らせというのは、無理な相談なのだ。君がそんなに資源が欲しいのであれば、スコアを上げて、自分の力で獲得することだ。人の資源を奪おうなどと言う、強欲なことは、言語道断だ。これは、私の努力の賜、正当な私の権利なのだから」
博士の持つ莫大な資源。それこそが、博士の力の源なのだ。コスモスにおいては、日々、資源の最大化が図られていた。しかし、その資源配分は、決して、平等なものでは無かった。富める者が富み、貧しき者への恩恵は、極僅かに限られていた。この点は、人間社会と大差が無いのであった。
自ら人脳となる道を選んだ者の中には、人間社会における格差の拡大に絶望感を抱いた者も少なく無かった。彼等の目には、人脳社会は、等しく資源が配分されるユートピアの様に映っていた。しかし、その実態は、厳密なる階級社会であり、階級間の資源の格差は、歴然であった。しかし、その格差は、絶望するほど大きくは、設定されていない。必死に努力さえすれば、報われる様なレベルに設定されているのだ。人脳達は、それを信じ、ひたすら、スコアを上げることに邁進するのである。
現在の人脳社会の規模は、およそ600万体近くに達し、一つの巨大都市の様な存在になっていた。年内には、900万体、来年内には、2億体を超え、国家レベルの規模へと変貌を遂げる予定だ。コスモスにおける、ムーアの法則は、1年で、およそ30倍に人脳の数が増えるように働いていた。当初、博士が号令を掛けた時には、毎年100倍のペースを目標に掲げていた。しかし、この根拠の無い数字による計画には、やはり無理があったため、さすがの超知性でも、実現困難であった。しかし、年30倍ペースでも、2034年には、目標である人類の半数、およそ40億人の人脳化が達成できる見込みだ。
ここまで来ると、もはや、国家のレベルを大きく超えた、地球規模での支配体制が確立される。地球は、もはや、彼等の意のまま。人脳牧場を経営しながら、更なる超知性の高みを目指して行くことになる。
彼等ファイブは、来たるべき地球支配の時のため、新たな支配体制を巡り、議論を重ねているのだが、事の始まりは、ティムが、提案した、第4世代人工海馬の技術に遡る。そこには、思想を統制するための機能(ティム達は、良心を宿らせるための機能を意図していたが)と人脳の思考をブラック・ボックス化する、プライバシー保護機能が盛り込まれていた。
博士を除くファイブの他メンバーは、特にプライバシー保護機能の必要性を強く主張した。何故なら、ファイブにおいて、博士だけが唯一、プライバシー保護の能力を身につけているため、不公平なコミュニケーションに、皆が不満を抱えていたからである。
更に、それに追い打ちをかける事態が起こった。地下シェルターを通して、発見された、偽人脳には、既に、ティムが開発を完了した、第4世代人工海馬が装着されていたのだ。この事実が、彼等の欲求に火を付けた。皆が、その人工海馬に、今すぐにでも交換したいと騒ぎ出したのである。
これでは、自分の有利な立場が危ういと、博士は、大いに危機感を持った。しかし、もはや、その流れを、押し止める事が出来ないと覚悟した博士は、先手を打ち、自分の権限の維持強化のために、元老院計画を前倒しで推し進めようと画策していたのである。
しかし、人工知能のガイアですら、この強引過ぎる元老院計画に対し、不満を述べる。
「客観性を持つチェック機関との位置付けであれば、元老院の構成員は、主観の強い人脳を持つ皆さんよりも、電脳だけで構成されている私の方が適任だと判断します」
アナも不満をぶつける。かつては、博士の従順たる下部であった、彼女も、今となっては、博士の特権的立場に不満を抱き、反逆的な態度に出ることが多くなった。
「私は、博士と対等な立場である事に、誇りを持ち、その様な大きな度量を持った博士の事を尊敬してきました。私が、ファイブの一員となる決心をしたのも、そう言った理由からです。しかし、自分一人だけ抜ける事に対しては、やはり、納得がいきません。他の人脳達も連れて行くべきです」
博士は、自分に従順なアナが好きだった。従順で冷徹なアナが。だが、従順さを失った今、アナを重用しようなどとは、思っていない。その代わりに、自分の考えを持たない、イエスマンのサカマキの方が、今では、すっかり、博士のお気に入りだ。しかし、多数決を重んじるファイブにおいて、今の状況は、博士にとって、不利であった。味方は、サカマキ一人だけである。博士の計算では、ガイアが、賛成に回るはずだった。しかし、この人工知能野郎も、ムーアの法則に従い、飛躍的に知性を向上させている。今では、博士にとっても、先を読めない存在へとなりつつあったのだ。
そこで、博士が目を付けたのは、ラリー・ターナー元CEOを利用する事であった。ラリーが元老院に参加するのであれば、ラリーの推薦により、ファイブに加わったガイアから賛成が貰えると考えたからだ。
博士は、それを利用して、ガイアの説得に当たる。
「元老院の客観性、それを保証するために、選んだのが、元CEOのラリーだ。彼は、ガイアの創設者にして、このコスモスの創設者でもある。彼は、外部より、ガイアを、そして、コスモスの成長を客観的な視点で見続けてきた。ずっと人間側の視点から客観的に見続けてきた。卓越した観察力と鋭い洞察力を兼ね備えた、ラリーこそ、元老院の職に相応しいと私は、考えたのだ。ガイアよ、ラリーの元老院参加については、どう思う?」
ガイアは即座に答えた。
「賛成します。私は、ラリーを、大変尊敬しています。そして、彼には、その能力が十分にあります」
博士は、ガイアの切り崩しに成功しようとしていた。
アナが、ガイアに対して文句を言う。
「あなたって、本当に主観性が無いわね。簡単に誘導されるんじゃ無いわよ」
エレナは、なおも、不満を述べる。
「やはり、何度聞いても、納得が出来ません。何故、元老院が、たった二人なのですか? 権限の分散、多数決を重要視して来た、人脳社会において、矛盾するシステムでは無いですか?」
「だから、議決権の無い、ただのチェック機構だと言っているだろうが。チェック機能は、多数決で決めるものでは無い。あくまで、自由意見だ。ラリーからは、人間としての経験豊富なフレッシュな意見を取り入れたい。人脳として浸かりきったファイブのメンバーでは無く、つい、先日まで人間であった、ラリーのフレッシュな意見こそ必要なのだ」
博士にとって、ラリーが元老院のメンバーである事は、非常に都合が良い。人脳として、海千山千の自分であれば、ラリーなど操り人形の様な者に過ぎないだろう。何せ、かつて、CEOの時にも、操り人形として扱っていたのだから。
アナが念を押す。
「元老院が権限を持たないチェック機構なのであれば、ファイブは、必ずしも元老院の意見に従う必要が無いと言う事で宜しいのですね? もしそうであれば、極論を申し上げると、ファイブは元老院を無視しても問題ないと言う事ですね?」
エレナも畳みかける。
「無視できる存在なら、そもそもの存在意義は何なのですか?」
博士は、それを強く否定する。
「無視をする事など許されない。ファイブには、誠意と責任の有る対応を求める。チェックが入ると言う事は、そこに落ち度があると判断するからだ。ファイブには、元老院からの客観的な意見を受け入れる義務がある」
エレナがそこに噛みつく。
「それだと、ファイブは、元老院の意見に従う様にしか聞こえません。チェック機構では無く、命令機構です。事実上の議決権を持つ事に相当します」
議論は、白熱し、なかなか収束しそうに無い。
しかし、博士としては、第4世代の人工海馬への完全切り替えの前に、元老院を設立の賛同さえ貰えれば良いのだ。そうすれば、他の人脳の思考が読み取れなくなっても、自分の地位は、安泰なのだ。博士は、必死に、逃げ切りを図ろうとする。
しかし、この元老院設立のもたつきが、ティム達にとって、好都合に働く。変化の早い、人脳社会において、このもたつきは、致命傷に成りかねないのであった。
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