第9話 ティムを奪回せよ
コスモス社内、人脳特別製造室。
ティムの肉体は、瀕死の状態で安置されていた。
作業員達の話し声がする。
「しかし、博士も、やり過ぎだよな。ここまで、半殺しにする必要も無かっただろうに」
「本当、こっちは良い迷惑だぜ。今は、かろうじて、脳死を防げているが、一歩間違っていたら、こいつの人脳は、パアだったぜ」
「まあ、それだけ博士が、ティムを憎んでいたんだろう。しかし、こいつの人脳は、利用価値がある。殺すのは勿体ないと、寸での所で、命拾いをした訳だ」
「おい、文句ばっかり言ってないで、さっさと人脳を取り出す行程に移せ」
「でも、面倒くさいなあ。以前は、マリアとダニーがリーダーで作業を進めてくれたが、素人集団でやれってか? やってらんねえぜ」
「別に、彼女等がいなくても、作業ぐらい出来るだろう。だから、文句ばっかり言ってないで、さっさと働け」
ティムの人脳取り出し手術がスタートした。
今では、全自動で、人脳製造が可能な設備が揃っているので、マリアやダニーと言ったベテラン不在でも、問題なく作業が進んだ。もし、何かあっても、ドクター・ブラウンなど経験豊富で優秀な人脳が作業を手伝ってくれる。
ティムの人脳製造過程で、様々な検査が行われた。しかし、検査結果は、あまり、思わしいものでは無かった。
「こいつが、あの、ティモシー・ペンドルトンか。思っていたよりも、随分とスコアが低いな。こいつが、博士の存在を脅かすほどの、危険人物って本当かよ?」
「ああ、俺も同じ事を思った。このレベルじゃ、先ず、上位のカーストにも、入れねえなあ」
「人工海馬からのスキャン結果を見た? そんなに、知識が豊富には、思えないんだけれど。でも、この人が、最初に人工海馬を作ったんでしょ?」
「そんなの知るかよ。きっと、博士が半殺しにしたときに、頭でも強打したんじゃ無いのか? そうしたら、もう使い物にならないなあ」
ティムの人脳製造プロセスは、手続き上は、順調に進んでいった。そして、最初の会話訓練が、スタートした。
「ティモシー・ペンドルトンさん、聞こえる? 聞こえたら、返事をして」
混濁した意識の中から、ティムが目を覚ます。
「ああ、聞こえているよ。君は誰?」
「あなたを執刀した、ヘレン・スミスです。聞こえたついでに、目を開けて様子を教えてちょうだい」
ティムの人工網膜に、人の影が浮かぶ。正面に誰か一人居る。そして、それを取り囲むように、何人かの人影が見える。
「ああ、あなたが、えーっと、ヘレン? スミス先生ですか?」
目の前に居る、あまり美人とは言えない女性と対面することになる。人脳となって初めて対面する人の、印象は強い。まるで、生まれてきた赤ん坊が、ママと対面するぐらいに、大事な儀式だ。
ティムは、この女性は、自分の好みのタイプでは無いと、はっきりと自覚した。
スミス先生は、非常に不機嫌な顔になる。言語野の情報を読み取っているらしい。いつも、患者から良い印象を持たれ事は無かったが、ここまで露骨に貶されると、さすがに腹が立った様だ。
「初めて対面する女性が、ドブスで悪かったわね、ペンドルトンさん」
ティムは、状況が理解できないでいた。ドブスなどとは、言った覚えが無いのに、まるで頭の中を見透かされているようだ。
スミス先生が、状況を感じ取り、分かり易いよう、丁寧に説明してくれた。
「人脳となった気分は如何? ペンドルトンさん。初めは、皆さん戸惑います。生まれて初めての経験ですから。でも、事実をしっかりと受け止めて、心を落ち着かせて下さい。今、あなたは、人脳として、生まれ変わりました。二度目の誕生日です。誕生日が年に2回もお祝いできるのですから、もっと喜んで良いのよ」
ティムは、未だ、事態を上手く飲み込めないでいた。人脳? ティムが、最後の記憶をたぐり寄せる。体全体に走る激痛。その前は、ロボットが、そうだ、ロボットが自分を襲ってきたのだ。自分は、ロボットに、絞め殺されたのだ。
「思い出した? あなたの人間の体は、再起不能の状態となりました。そして、そこから、あなたは、人脳として救出されたのよ」
「人脳だって!」
ティムは、パニック状態に陥った。あれほど嫌がっていた、人脳に、望まずに改造されてしまったのだから。
『畜生、この人殺しめ、何て事をしてくれたんだ、ドブス』
スミス先生は、冷静にティムの言語野を覗き込む。
「やっと、自分の状況を理解したようね。鏡をご覧なさい。これが今のあなたの姿よ」
ティムの目に、初めて見る自分の脳が飛び込んできた。
「何て事だ。悪夢だ。悪夢に違いない」
「落ち着いて、ペンドルトンさん。現実を見つめ、心に落とし込みなさい。何も悲観することは無いの。だって、あなたは、こうして立派に生きているのだから」
スミス先生は、その後、いくつかの注意事項を説明し、リハビリに励むよう、ティムを促した。しかし、ティムは、とてもそんな気分にはなれなかった。
ティムが、人脳となって、数日が経過した。ティムは、もう、諦めていた。不本意ながら、人脳である自分を認めざるを得なかったのだ。ティムから、全ての希望が失われた。もう、生きていてもしょうが無い。だからといって、死ぬことすら許されない。自分は、人脳社会の一員として、人脳が崩壊するまで生き続けなければいけないのだ。
バーチャル・ボディーは、体験した。しかし、余り楽しむことは、出来なかった。全ては、バーチャルな世界、仮想現実に過ぎないのだ。その事実が頭をよぎるたび、バーチャルな体験は、空しい物へと変わった。
拡張電脳も、彼の心の隙間を満たすことは無かった。彼は、豊富な知識を、持て余した。
他の人脳達との交流もした。バーチャルな世界で、ご馳走を食べながら、語り合った。他の人脳達は、現状に満足している様に感じた。心を開き、打ち解け合うこともできた。しかし、これらの体験も、彼にとっては、空しいだけだった。彼は、人脳生活に上手く馴染めそうに無い。
主治医のスミス先生が、ティムの人脳を診断する。
「重度の鬱病を発症しているようね。まあ、人脳化した直後には、良くある事よ。暫く安静が必要ね。薬を服用し、リハビリをすれば、徐々に良くなっていくから、心配しないで」
こうして、ティムの人脳は、リハビリの日々が始めることになった。
そんなある日、ニューマン博士が、バーチャル病室に面会に来てくれた。自分が知っている博士とは、まるで別人の格好の良い初老の紳士として現れた。
博士が和やかに声を掛ける。
「やあ、ティム、元気そうじゃないか。どうだ、人脳になるのも、悪いものではないだろう? 私は、この日を心待ちにしていたのだ。人脳の君に会える日を」
ティムの空しい心に、沸々と怒りの感情がこみ上げてきた。こいつが、俺を人脳にした。こいつが。
博士は、ティムの心を読み取ると、優しく接してきた。
「私を恨む気持ちは、分かる。君を、半ば強制的に人脳にしたことについては、詫びる。だが、理解して欲しい。私は、善意から君を人脳に選んだのだ。お互いに、深く心を通わせるために。怒りの感情を持っても、空しいだけだ。そんなもの、どこにもぶつけようが無いのだから。素直に、ありのままの君を受け入れるのだ。そして、昔の様に、共に理想へと向かおうじゃないか」
しかし、ティムには、その様な気力はもう残っていない。
無反応なティムに対し、博士はがっかりとした。人脳間の濃密なテレパシーによるコミュニケーションを試みても、一向に心を開いてくれない。
「心残りだ、ティム、分かり合えないなんて。また会いに来るよ」
博士は、主治医のスミス先生に確認を取る。
「洗脳を上手く使えば、彼の心を開かせることは、可能なのか?」
しかし、スミス先生は、否定する。
「根本的な問題として、脳自体が病んでいます。洗脳したからと言って、脳が病んでいては、心を開くことは無いでしょう。ここは、脳の健康状態が回復するまで、気長に待つしか有りません」
博士とて忙しい身だ。いくらティムが、彼にとって、特別な存在であるにしても、気長に待つことなど出来ない。悔しい思いをしながら、博士はその場を後にした。
しかし、博士は、ティムのことを諦めきれないでいた。連日の様に会いに来ては、方恋慕の気持ちを押しつけ続ける。
「君の人工海馬の技術は素晴らしい。人工小脳にしたってそうだ。人脳社会の発展のためにも、君の才能を遺憾なく発揮して欲しいのだ。どうだ、私に協力してくれないか?」
しかし、ティムは、柳に風の如く、受け流すだけである。
博士は、元来、気の短いタイプだ。いくら、熱烈にラブ・コールを送っても、振り向いてさえくれない。そうこうしているうちに、ティムに対し、ほとほと愛想が尽きた。
「こいつは、人脳になって、完全な腑抜けと化している。恐らく、こいつの鬱病は、治る見込みが薄い、難治性のものであろう。残念だが、使い物になるまい。ここは、早々に見切りを付けるべきだ」
博士にとって、今やティムの存在は、かつての愛弟子から完全なる落伍者へと変容していた。博士は、情を捨て、新たな才能を発掘すべく、前へ進む決断をする。ティムには、もう用は無い。
だが、博士は、用心深かった。ティムが覚醒する可能性は、ゼロでは無い。未だ、怒りの感情が残っている。それが、蓄積され、強大なエネルギー放ち、爆発しないとも限らない。念には念を入れるべきであろう。博士は、人脳製造チームに、深い洗脳を施し、人脳カーストの最下層へ放り込むように命じた。
そこは、監獄のような場所。洗脳を受けたティムには、決して這い上がることが出来ない場所なのだ。生かさず、殺さず。それが、博士がティムに向けた、愛情であり、憎しみでもあるのだ。
ハオラン達は、必死に、コスモス内部にアクセスし、ティムの人脳とのコンタクトを試みていた。しかし、一向に手掛かりは掴めない。彼等に、焦りの色が滲み始めていた。
ダニーが、半ば、あきらめの言葉をかける。
「ティムが人脳化された記録は、研究室のサーバーに残されていただ。しかし、人脳製造後、コスモスに組み込まれるまで、一定の期間あるが、それを過ぎても、コスモス内部に現れないと言うことは、何かアクシデントが起きた可能性が高いだ」
ハオランは、諦めきれない。
「あなた達、ティムは、必ず洗脳されると言っていたよ。もし、洗脳に失敗した場合、その人脳は、消されることもあるのかよ?」
ダニーが、黙って頷く。
マリアが、詳細を説明する。
「洗脳に失敗した人脳ほど、コスモスにとって、危険な存在は無いわ。そいつは、コスモスの中で、反乱を起こす危険性が大なのよ。秩序と調和を重んじるコスモスにとっては、邪魔者でしかないの」
ハオランは、覚悟するしか無かった。あれ程、コスモスに対して、反抗的なティムのことだ。強固な意志により、洗脳をはね除けるかも知れない。しかし、その先には、死が待っているのだ。
一方で、ラリーとナカムラは、コスモスの外部から、攻撃を仕掛けていた。カリスマ起業家、ラリーを前面に押し出した、反コスモス・キャンペーンだ。
地上では、ラリーの動画が、随時配信されていた。自分は、コスモスに嵌められて、クールGを追放されたこと。コスモスは、邪悪な存在であり、人類の脳を奪う目的で世界中に人脳工場を建設していること。人脳とされた者は、幸せな人生など送れない。カーストという階級社会に閉じ込められて、哀れな末路を辿ること。その様な、コスモスの悪行を暴き出すメッセージを送り続けていた。
だが、コスモスの方も、黙ってはいなかった。ラリーが配信した動画を、逐一削除しては、メッセージの拡散を阻み、これは、クールGで起きている単なる内部抗争だと、話しを矮小化した。そして、コスモスにおける、人脳の幸せな暮らしぶりを、盛んにアピールするのである。
世の中も、二つに割れていた。人脳となれば、行動の自由を奪われる。これは、人権侵害であると言う、若年層を中心とした反コスモス派。人脳となることで、老いや、健康不安から解消され、長寿を全うできると言う、高齢者を中心とした親コスモス派。
しかし、この様な動きは、コスモスのシナリオ通りであった。『人脳牧場』を経営するに当たり、若年層が人間に留まることは、人類の繁殖を促す上で、好都合な環境である。高齢者の人脳を集めることは、富裕層、権力者を集める上で、好都合な環境である。役に立ちそうも無い高齢者でも、労働者としての利用価値がある。もっとも、認知症などで、全く役に立たない人脳は、廃棄処分される運命にあるのだが。
コスモスにとって、若い人脳も、一定数必要であるが、その調達方法も、着実に確立されようとしていた。定期的に、人工的に作ったウィルスを流行させ、助かる見込みのない者から、合法的に調達するのだ。
家族が人脳になることは、死ぬことよりも、遙かにましな状況だと、人々の間では、信じられていた。例えコスモスに組み込まれたとしても、ネット回線を通じて。いつでも家族と面会することが許されているし、何よりコスモス内での仕事に対する報酬が、家族にも支払われるシステムが人々の圧倒的な支持を得ていたのだ。死んでしまえば、何も残らないが、人脳となれば、生きている証が残されるのだ。
まさしく、この世の中は、コスモスにとって、都合の良い、『人脳牧場』へと、着実に変容し続けているのだ。超知性が目指す、理想郷へと。
もはや、この流れは止められないのか? 地上は、本当に『人脳牧場』となってしまうのか?
ハオランは、諦めていなかった。毎日の日課として、新たにコスモスに加わる膨大な人脳のプロフィールをチェックしていた。
マリアが、相変わらず冷たい言葉で、ハオランを攻撃する。彼女は、サディストと言う訳では無いが、自分の中に溜まった、日々の鬱憤を晴らすための習慣として、ハオランを目の敵にする。
「そんなことやって、何の得があるのよ? あなた達の目的は、偽人脳を使って、コスモスを内部から崩壊させる事じゃ無かったの? そろそろ気付きなさいよ。そんなことしても無駄だと言うことを。コスモスは、超知性よ。あなたの幼稚な知能じゃ、とても太刀打ちが出来ないって事ぐらい、分からないの?」
そして、その度に、皆の反感を買う。そして、マリアの孤立は、益々深まり、更に鬱憤が溜まるという、悪いサイクルが出来上がっていた。
状況を見かねたラリーが、元CEOである、リーダーとしての意地を見せる。
「マリア、我々は、コスモスに命を狙われている者同士として、一致団結をしなければならない。頭の良い君には、分かるはずだ。我々が助かるには、コスモスを倒す以外に方法は無い。シェルターに閉じ込められた中で、不安や緊張で苛つく君の気持ちも分かる。しかし、いがみ合っていては、状況は悪くなる一方だ。頼むから、君も協力してくれ」
マリアも渋々納得した。
「分かったわよ、ラリー。しかし、私に何が出来るというの? 人脳を作ることしか能のない私に。私だって、役に立ちたい気持ちぐらい有るのよ。でも、これじゃあ、何も出来ないじゃないの」
マリアが悔しそうに涙を流す。ラリーが、そんな彼女を、そっと抱き寄せる。
「役に立たないことなど無い。皆、誰かの役に立つものさ。自分を信じるんだ。この世に、不可能など無い。信じるんだ」
これは、経営者として、ラリーが日頃から実践して来た事でもある。諦めては駄目だ。信じたその先に、未来は開けるのだ。
そんな時だった。ハオランが驚きの声を上げる。
「何があったんだ? ハオラン」
一緒に、手伝っていたダニーが問いかける。
「この人脳の、プロフィールを見てよ。これ、見間違いで無いかよ?」
ダニーが、ハオランのスクリーンを覗く。
「えっ、何だって!」
二人が見たプロフィールには、『アナンド・チダンバラム』の名前があった。死んだはずのアナンドの名が。同姓同名の人物かと疑ったが、彼のプロフィールに間違いなかった。インド東部の出身。24才。男性。独身。コスモス社社員。
ダニーが、詳細を調べる。
「人脳の製造場所は、この研究所内の特別製造室だ。アナンドは、実は死んでいなかったのでは?」
皆が、スクリーンの前に集まる。信じられない。死んだはずのアナンドが人脳と成って戻ってきたのだ。
ハオランとダニーが偽人脳を経由して、アナンドの人脳とのコンタクトを試みる。
「アナンド、聞こえるかよ? ハオランだよ。返事をしてくれ」
アナンドの人脳から微かな声で、返事が来る。
「ハオランか? 久しぶりだ。私は、アナンド。こうして再会できるなんて、思ってもいなかったよ」
ハオランは、涙が出るほど嬉しかった。しかし、何か違和感を覚える。
「あなた、本当にアナンドかよ? 君が人脳と成る前の記憶を聞かせてよ」
アナンドは、意識がはっきりと、していないのか、困惑気味に話す。
「ああ、博士の人脳と戦った。アンドロイドと戦った。しかし負けた」
どうやら、本物のようだが、ハオランがダニーに質問する。
「アナンドのしゃべり方がおかしいよ。彼、いつも、語尾に『ね』を付けて、話をしていた。話し方が変わっているよ」
ダニーも不自然さを感じていた。ハオランの指摘通り、アナンドのしゃべり方では無い。
「例え人脳になっても、言葉の癖とかは、残るはずだ。人工声帯を使って、会話をする限り、人脳となる前の言葉遣いは、そのまま残るだ」
マリアも不自然さを感じていた。
「このアナンド、もっと、じっくり調べた方が良さそうね。確かに不自然よ。洗脳を受けたにしても、こうは成らないわ。何かありそうね」
彼等は、今、アナンドの置かれている境遇を聞いた。アナンドが言うには、薄暗くて、寒い所に閉じ込められているとの事だ。これは、人脳が置かれている研究室の様子では無い。バーチャルな世界において、監獄のような所に閉じ込められているらしい。回りには、何体かの人脳が、同じように閉じ込められている。ここは、悪いことをした者を収監するための施設のようである。博士の殺害を試みた、自分のような犯罪者を閉じ込めるための、バーチャルな監獄なのだろう。
ハオランがアナンドに向かって話す。
「君は、ティムを見なかったかよ? ティムは、監獄に入っていないかよ?」
「ティムだって? 誰だっけ、その人? ティム、聞き覚えがある名前だ」
「アナンド、ティムを憶えていないのかよ? あなたの上司だった、ティムよ」
「私の上司は、ニューマン博士。ニューマン博士だった」
何だか、会話がかみ合わない。やはり、違和感を覚える。
マリアがダニーに確かめる。
「これって、もしかして、洗脳じゃないの?」
ダニーもそんな気がしてきた。
「洗脳された形跡があるだ。洗脳されて、自分がアナンドだと思い込んでいるんだ」
マリアが、疑問を投げかける。
「彼、実は、ティムなんじゃないかしら?」
ハオランが驚く。
「このアナンドがティム? どうしてよ? どうして、そう思うのよ?」
マリアは、博士の性格をよく知っている。
「ティムが人脳となった後で、きっと用済みになったのよ。利用価値が無くなれば、容赦なく捨てられるのよ。博士はそう言う人よ。そして、捨てる際に、刃向かう危険性を除くため、ついでに洗脳も施した」
ハオランは、驚きを持って聞く。
「でも、なんでアナンドなのよ? アナンドに成るよう洗脳する意味は何よ?」
「洗脳する際、別人格にするのは、よく使われる手段よ。そして、別人格として選ばれやすいのは、良く知っている人。その方が、より適応しやすいから」
この様な知識は、人脳作りの経験が豊富である、マリアだからこそ知り得ることだった。
ダニーが、皮肉を言う。
「コスモスの内部を監視されていると思っていないから、この様な、安易な洗脳を選択したんだ。アナンドの名前を使ったことが、逆に仇になった形だ」
ハオランに一筋の希望が見えてきた。しかし、不安の方が大きい。
「マリア、ダニー、君達に、ティムの洗脳を解くことが出来るかよ?」
マリアに、ようやく自分の出番が回ってきた。
「簡単では無いけれど、出来るだけのことは、やってみるわ。面白そうじゃないの。ティムと再会できるなんて」
彼等は、マリアとダニーの二人に、ティムの洗脳を解くことを託すのであった。
マリアとダニーが偽人脳を駆使しながら、コスモスの監獄に収容されているティムの人脳へと頻繁にアクセスを繰り返す。今まで、非協力的であったマリアの目つきは、本気に変わっていた。そして、全身全霊を傾け、悪戦苦闘を繰り広げている。
マリア自身、自分が何故、ここまで一生懸命に打ち込めるのか理解しがたかった。ティムに対する罪悪感? 非常な博士の仕打ちに対する償い? なぜだか理解できなかったが、これが、今、自分が成すべきことであるとの強い使命感を持って臨んでいた。
そんなある時、疲れ切ったマリアが、ハオランを呼ぶ。
「お待たせ。時間が掛かったけれど、どうにか洗脳だけは解けたわ。かなり丁寧に仕事をしたから、後遺症は、ほとんど残っていないはずよ。ただし、ティムの人脳は、相当に病んでいる。今は未だ、回復を待った方が良いわ。焦らずに、リハビリに励む事ね」
ハオランがマリアに感謝する。
「ありがとう、マリア。あなたにも、良いところがあったよ」
「あなたにも?」マリアは、嬉しさが半減した。
しかし、ティムの洗脳が解けた意味は、とてつもなく大きい。ティムが帰ってきたのだ。コスモスを倒すために、ティムが帰ってきたのだ。
ティムは、人脳となってから、初めて、皆との再会を果たすのであった。
「ただいま。帰ってきたよ。こうして、再び、皆の前に戻ることが出来たよ。ラリー、ハオラン、ナカムラ、マリア、ダニー、また会うことが出来て、本当に嬉しい」
スクリーンに浮かぶ、ティムの顔は、涙で濡れていた。人脳にされたときには、絶望感しかなかったが、今は、心の傷が癒えてゆくのを実感していた。
ハオランが、優しく声を掛ける。
「ティム、お帰りよ。でも、今は、休む時よ。未だ、何も考えなくても良いよ。私達が付いているから、安心してよ。今は、ゆっくり休むのよ」
ティムは、非道く疲れていた。洗脳の呪縛との戦いで、疲れ果てていた。そう、今は休むのだ。明日への希望を抱いて、今は、ゆっくりと休むのだ。
ティムが、バーチャル・ボディーを使って、空手の型を披露する。心を癒やすには、体を動かす事が、大切だ。そう、ティムは、ようやく、運動が出来る精神レベルまで、回復してきたのである。
マリアが付きっきりで、リハビリを手伝う。彼女は、ようやく自覚する。彼女にも、やはり、罪悪感は、あったのだ。そして、せめてもの償いとして、元の精神状態に戻るまで、専門家としてのアドバイスを送る。
「OK、ティム。精神集中が続く様になってきたわね。良い事、焦らずに、じっくりと、回復を待つの。少し休んでから、次は、瞑想の訓練よ」
ティムが、献身的なマリアに、労いの言葉を掛ける。
「ありがとう、マリア。君がいなかったら、ここまで回復できなかったよ。本当に、ありがとう」
マリアは、少し、照れくさかった。そして、自分の心の中に変化を感じる。次第に、ティムに惹かれてゆくのを感じる。これって、もしかして、恋? まさか。私が、生涯、慕うのは、ニューマン博士だけ。ニューマン博士だけのはず。マリアは、思わぬ心境の変化に戸惑うのであった。
一方、ティムには、心の霧が晴れ渡り、明るい希望が見えてきた。もう一度、自分を取り戻すのだ。自分の使命、宿命に、再び向かい合う心を取り戻すのだ。そして、再び、ファイティング・ポーズを取るのだ。
だが、人脳となってしまった今、一体、自分に何が出来るのであろう。どうやってコスモスと戦えば良いのだろう。自分は今、コスモスの一部として、取り込まれている。そして、そのコスモスのカースト内においては、最低階級の存在に過ぎないのだ。
マリアが、そんなティムの言語野をモニターする。そして、ティムに提案する。
「ティム、コスモスに組み込まれた状態で、あなたに勝ち目はないわ。そこから脱出する方法を考えなければ。何か良いアイデアはないの? あなたには、拡張された電脳がある。コスモスの内部構造についても、私達より詳しいんでしょ?」
しかし、ティムは、否定的だ。
「僕のカーストは、最下層のシュードラだ。電脳の性能も最低レベルだし、仮想世界での動きも、著しく制限されている。刑務所の中に閉じ込められている」
ティムは、考えた。先ずは、この刑務所から脱出するのだ。そんなティムに、刑務所にいる他の人脳達から声をかけられた。
「あんた、脱獄するつもりかい? 止めときな。無駄なことだ。俺達だって何度もトライした。しかし、結局、ここに後戻り。資源は、以前より削減され、仮想社会での自由度も削減された。苦しくなるだけだ。諦めな」
ティムは、初めて、コスモス内で他の人脳達と真剣に会話をした。彼等の身の上を聞くと、どれも悲惨なものだった。皆、嵌められて、人脳にされたのだ。その恨みの強さが、人脳社会への反発となり、争いを生んだ。そして、行き着いた先が監獄だった。そこで、更正できれば、人脳社会への復帰の道もあるが、更正の見込みがなければ、最終的に廃棄処分されるのだ。今、彼等は、廃棄処分待ち、人間に例えるなら死刑囚と言ったところだ。
ティムは、彼等に同情した。出来ることなら、彼等を連れて、刑務所から脱出したい。しかし、どうやれば出来るのか? 妙案は、無いものか?
マリアが不思議に思いハオランに尋ねる。
「偽人脳の仕組みがよく分からないけれど、どうして、あなた達は、刑務所に隔離された人脳と会話が出来るの? そこに、何か、ヒントがあるんじゃないかしら」
ハオランのマリアに対する警戒心は、薄れていた。快く説明する。
「偽人脳には、最新型の人工海馬を使っているよ。コスモスの人工海馬よりも優秀よ。それを使えば、コスモスのルールに縛られることなく、あらゆる人脳と会話することが可能よ。その気になれば、ファイブとだって、会話できるよ」
ファイブと会話! それを聞き、マリアは、良からぬ事を考え始めた。偽人脳を使えば、再び、博士と会話が出来る。彼等を、博士に売り渡せば、許しを請うことが出来るかも知れない。そして、自分は自由の身に。長年の夢だった、コスモスの正式な一員となれる。彼女の心の中を、不穏な企みが蠢き始める。
ナカムラが、マリアに話しかける。マリアは、良からぬ事に夢想していた虚を突かれて、一瞬、ドキリとするが、何食わぬ顔をしてナカムラの方へ振り向く。
「ティムの人脳をコスモスから分離する件で、相談したいことがある。君達は、人脳の廃棄処理について詳しいだろ。ティム達囚人の人脳をコスモスから切り離し、廃棄処理させる手はずは、私がする。その後の、人脳の回収について君達に手伝ってもらいたい」
その手があったか。マリアは、改めて、ナカムラの鋭さに舌を巻いた。廃棄処分される人脳に対してのセキュリティーは、比較的甘い。そこを突けば、コスモスから人脳を上手く取り出されるかも知れない。まさしく、妙案だ。
「良いわよ、協力するわ。でも、人脳を回収するには、一旦、地上に出なければならない。そこの手はずについても、あなたにやってもらう必要があるわ」
ラリーが話しに加わる。
「実は、このシェルターには、複数の出入り口があるんだ。シェルターの図面データは、全て、この私の頭の中。なので、コスモスは、このシェルターの構造を知る事は出来ない。奴らに見つかっていない出入り口を使えば、地上に出ることは、さほど難しいことではないだろう。私に任せてくれ」
マリアは、「分かったわ」と言い、人脳の廃棄処分について説明をする。
廃棄処分は、以下の手順に沿って行われる。先ず、廃棄すべき人脳を決定する。廃棄される人脳は、二種類あり、一つ目が、人脳製造段階で失敗した者、二つ目が、コスモス内で不要となった者である。この中には、人脳の疾患や老化で人脳そのものの機能不全となった者、人脳培養器の故障により人脳が死亡した者、そして、刑務所での更正の見込みがなくなった者である。
廃棄決定となった人脳は、特別製造室へと送られ、そこで、人脳と培養器が分離される。分離した人脳は、生ゴミの如く処分され、培養器の方は、メンテナンスを経て、再利用される。
今回は、培養器から人脳が分離される前に回収し、シェルターへと運び込む。ただし、培養器単体だと、内蔵バッテリーで生命維持装置を動かすことが出来るのは、約8時間。それまでに、培養器を外部電源に繋がないと人脳は死亡する。
今回、運び出す人脳は、ティムの他の囚人を含めて9体も有る。これだけの数を運び出すとなると、人手では難しい。それをマリアが懸念する。
ラリーが、見せたい物があると、皆を、シェルターの奥に案内する。そこには、荷物運搬用の電動トラックが2台用意されていた。
「こいつを使えば、重量については、さほど問題ないであろう。大型のエレベーターは、向こうに一台有る。そいつを使って、地上まで運ぶ。問題は、そのエレベーターと特別製造室との距離だ。この距離を、敵に邪魔されずに移動する必要がある」
ナカムラが、自身で立案したプランを説明する。
先ず、コスモス内部の刑務所管理システムを、偽人脳を使って乗っ取り、ティム達の廃棄処分を命じる。そして、人脳が特別製造室に運び込まれたタイミングを見計らい、建屋の管理システムを乗っ取り、警報を発令して、作業員達を特別製造室から追い払う。その、間に人脳を運び込むと言う手順だ。
しかし、ラリーには、気がかりな点があった。
「作業員達を上手く追い払ったとしても、我々の存在に気付けば、すぐに警備員が押し駆けてくる。あまり時間は、稼げないだろう」
人脳運び出しの相談中に、ティムが、要望を出す。
「出来れば、製造室から人工海馬を交換するための機材も運び出して欲しい。今、私が装着している人工海馬HG3では、性能に限界がある。このままでは、この先、人脳を使って戦えない。偽人脳に使われている最新タイプに交換する必要があるんだ」
あまりにも、途方もない要求に、マリアは却下する。
「人脳を運び出すだけでも、相当な時間が掛かるのに、手術機材一式も一緒に運ぶって? そんなの無理に決まっているじゃない。どれだけ、時間が掛かると思っているのよ。半日は、かかる作業だわ」
しかし、ダニーとナカムラはやる気だ。
「最低限、手術ロボット、ミケランジェロさえ手に入れれば、人工海馬の交換だけなら何とかなるかも知れないだ。このトラックのスペースがあれば、持ち出しは、十分可能だ」
「時間稼ぎなら、俺が何とかする。その間に、運び出せるだけ、機材も運び出すんだ」
ラリーもそれに応える。
「分かった。手術室の機材も、ごっそり頂くこととしよう。出来れば、使いたくなかったんだが、仕方がない。武器を携行して行こう。敵の妨害に遭っても、応戦して、できる限り時間稼ぎするんだ」
ハオランも覚悟を決めたようだ。
「分かったよ、ティム。困難なミッションかも知れないけれど、命がけでやり遂げてみせるよ」
しかし、マリアだけは、乗り気じゃない。
「皆、どうかしているわ。これじゃあ、戦争じゃないの。私、武器なんて使えないから無理。私は、ここに残るわ。一人になっても生き延びてみせる」
しかし、ラリーは、認めない。
「今は、とにかく、人手が必要なんだ。一人だけ生き延びても、無意味だろう。今は、戦ってでも、道を切り開くしかないんだ。頼むから力を貸してくれ」
マリアは、渋々、従うしかなかった。
ナカムラが、作戦の指揮を執る。
「ハオラン、刑務所システム乗っ取りは、上手くいったか?」
「ばっちりよ。もう、ティム達の人脳は、運び出されている頃よ」
「よし、皆、配置について」
人脳と手術機材の強奪作戦が、いよいよ決行される。
特別製造室に9体の人脳が、運び込まれてきた。作業員達は、あまりの数の多さに、戸惑っていた。
「これだけ一気に、廃棄処分されるなんて、今までなかったぞ。これを全部、今日中に解体させられるのか?」
「人使いが荒いぜ、全く。やってらんないぜ」
その時、製造室内に、サイレント共に警報が流れる。
「揮発性の高い、有毒物質が、大量に漏れ出しました。室員らは、直ちに、待避して下さい。繰り返します、――――」
「おい、すぐに逃げろ。出来るだけ、息をするな」
作業員達は、大慌てで、部屋から逃げ出した。
「出来るだけ、遠くに逃げるんだ。大量の毒ガスが流出したんだ」
建屋内は、パニック状態となり、皆、一斉に避難行動を取った。人が居なくなった区画から次々と防火扉が閉じ、ガスの流出を妨げる。そして、その中を、2台のトラックが、ゆっくりと進んで行く。
コスモスは、厳戒態勢を敷き、毒ガスから人脳を守るべく、空調システムを切り替える。
「何事が起こったんだ?」
ファイブの面々は、驚きを隠せない。
「これは、テロか? 化学兵器を使ったテロか?」
「いいえ、事故のようです。何らかの薬品が漏れ出したようです」
この、警報は、ナカムラが仕掛けた偽物だった。しかし、効果は、てきめん。一気に、特別製造室の周辺から人が居なくなった。
コスモスの警備員達にも衝撃が走る。巻き込まれるのは、ごめんだ。警備室にも、避難指示が出された。しかし、一人の警備員が、モニターの画像に気が付く。
「おい、見ろ。防毒マスクを付けた奴らが、入っていくぜ。これは、テロかも知れない。コスモスを守るんだ」
化学兵器テロ用の対策マニュアルに従い、警備員が行動をする。しかし、テロリスト達は、コスモスへと近づこうとはしない。ある一室から、荷物を次々にトラックへと運び込んでいる。そして、監視カメラへ向かい、銃を乱射。画像が見えなくなった。
警備員達は、戸惑っている。
「奴らの目的は何なのだ?」
警備員達にも、防毒マスクが配られる。
「カメラがやられた以上、直接、見に行くしかあるまい」
「しかし、奴らは、武装している。うかつに近づくのは、危ない。今は、コスモスを守る事が最優先だ」
コスモス内のセキュリティー担当の人脳が、事態の解析をする。
「犯人の目的は、人脳製造装置の強奪です。人脳製造の技術が外部に漏れ出すリスクがあります。至急、リスクを取り除く必要があります」
コスモスからの指令は、強奪犯を取り押さえろとのことだ。しかし、奴らは、このセキュリティーの厳重なコスモス社へ、どうやって侵入できたのだ?
コスモスの指令により、建屋の全ての出口が厳重に塞がれた。例え、ミサイルをぶち込まれても、壊れないほどの頑丈な守りだ。これで、強奪犯は、袋のネズミだ。警備員達は、一息付いた。さて、後は、奴らを、どうやって捕まえるかだ。
しかし、それも束の間、ファイブのニューマン博士から、警告が出た。
「奴らは、地下に潜っている、ラリー達の一味だ。何の目的かは定かではないが、とにかく、人脳製造装置が必要なのであろう。阻止するんだ。力ずくで阻止するんだ」
警備員も、彼等の存在には、気を配っていた。しかし、これほどのリスクを冒してまで、人脳製造装置を強奪してくるとは、全く想定していなかった。しかも、武装までして。彼等が、どの様な武器を持っているのか分からなければ、近づくのは危険だ。建屋内で、戦争をすることまで、マニュアルでは想定していなかったのだ。
博士が、なかなか動きの取れない警備員を怒鳴り付ける。
「早く、奴らを捕獲せよ。何をもたもたしているのだ?」
警備責任者が弁解をする。
「相手の武器が分からなければ、戦いようがないです。私達は軍隊ではない。私達の使命は、あくまでも、コスモス本体を守ることです。ここは、守りに徹します」
コスモスの防御は、外からの攻撃には、滅法強かった。核爆弾でも落とされない限り、外部からの破壊は、極めて困難である。しかし、一旦、内部に入られてしまうと、今回のような、弱さを露呈してしまう。一応、内部から攻撃を受けた場合でも、コスモス本体は、十分に保護されるよう、建屋は、強度設計されている。通常の爆弾程度では、びくともしないのだ。しかし、周辺の人脳製造設備までは、十分な防御は、施されていなかった。今回は、そこを突かれたのだ。
博士は、業を煮やし、決断する。
「ここは、私が直々に、動く必要がありそうだな」
コスモス内部の壁から、博士の6足アンドロイドが、姿を現す。そして、それに続いて、続々と他の6足アンドロイド達が、姿を現す。
これらは、博士が編成した、自警団、6レッグ・アーミーである。彼等は、博士が鍛えた人工小脳を引き継いだ、少数精鋭の部隊だ。
「皆、私が先頭に立って、戦う。着いてこい!」
博士のアンドロイドを先頭に、10体のアンドロイド達が、自動小銃を携えて、特別製造室へと向かった。
ナカムラが、スクリーンに映し出された、建屋の情報を確認する。
「未だ、誰も建屋に戻って来ていない。今のうちだ、運び込める物を、どんどん、トラックに積むんだ」
皆は、慣れない力仕事に疲れ、汗だくになっていた。
その時だった、何者かが、建屋に侵入してきた。画像を、確認すると、6足の不気味なアンドロイド達が映っていた。ナカムラが警告する。
「こいつか、ティムの言っていた、博士の6足アンドロイドは? 銃を持っている。どうやら、こっちと戦争をする気のようだ」
6足アンドロイド! それを聞いて、皆、動きが止まった。
ラリーが声を張り上げる。
「逃げるんだ。奴らが来たら勝ち目はない。早くトラックに乗るんだ」
防火扉が次々と開いて行く。凄いスピードで近づいてくる。
「トラックを出せ!」
振り向くと、彼等の姿が見えてきた。
「クソッ、これでも喰らえ」
ラリーが手榴弾を、トラックの後方へ、次々と投げる。
『ドガーン、ボガーン』
『ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ』
手榴弾の爆発音と自動小銃の銃声が響く。距離は、相当近い。トラックの自動運転で、エレベーターへの最短ルートを駆け抜ける。しかし、積み荷の重さで、加速が悪い。
「もうすぐだ。入り口までもうすぐだ」
皆が、ありったけの手榴弾を後方に投げつける。しかし、自動小銃の音は、次第に大きくなってゆく。
トラックは、急ブレーキをかけると、エレベーター内に滑り込んだ。エレベータの扉が、閉じ始める。しかし、アンドロイドに追いつかれてしまった。エレベーターの扉に首を突っ込むと、手で無理矢理に押し開けようとする。他のアンドロイドも、隙間より、雨あられと弾を撃ち込んでくる。もはや、応戦することさえ許されない。
ラリーが祈るような声で、呟く。
「早く、早く、扉よ閉じろ。中に入られたら、我々は、全滅する」
扉には、一切、安全装置は付いていない。アンドロイドの首を挟んだまま、強制的に閉まる。そして、ゆっくりと降下をし始めた。アンドロイドの頭がギロチンで削ぎ落とされたが如く千切れ、ゴトンと床に落ちる。間一髪で間に合った。皆は、安堵の溜め息をつくのである。
ハオランが、祈る。
「積み荷が無事であって欲しいよ。かなり弾を喰らったよ。もし、積み荷が、やられていたら、もし、人脳がやられていたら、――――。ティム、生きていてくれよ」
一行を乗せたエレベーターが、ようやく、地下シェルターへと向かう。しかし、上が騒がしい。再び自動小銃の音が響く。
ラリーが、驚く。
「奴ら、エレベーターの天井の上に乗っていやがる。しつこい奴らだ」
銃弾の音の中、皆は、弾が貫通しないことだけを必死に祈る。
マリアが泣きわめく。
「だから嫌だと言ったのよ!」
しかし、銃声は、一向に収まらない。一体どれだけの弾を持っているんだ?
彼等が、シェルターの入り口に付いた時に、ようやく銃声が収まる。しかし、上から、ガンガンと蹴飛ばす音が無数に聞こえる。天井が破られたらおしまいだ。
エレベーターのドアが開く。トラックは、急いでシェルターのドアへと向かいバックする。しかし、奴らは、その時を狙っていた。天井と扉の僅かな隙間から、銃が乱射される。運転席のフロントガラスに次々と命中し、ひび割れ、粉々に砕ける。
トラックが、シェルターに収納され、エレベーターに繋がる通路のドアが重厚な音を立てて、閉じる。これで、奴らは、シェルターに入って来られない。
ラリーは、生きた心地がしなかった。
「皆、無事か?」
ラリーは、腕をやられたが、大した傷ではなかった。
ダニーが叫ぶ。
「ハオラン、しっかりして、ハオラン」
ハオランは、胸に重傷を負っていた。幸い、致命傷には至らなかったが、相当深い傷だ。弾を抜き、傷口を消毒、縫合し、輸血の準備をする。暫く、安静が必要だ。
他の皆も、大なり小なりの傷を負っていた。
彼等は、幸運だった。何とか、皆、生きて帰ることが出来たのだ。
地上では、博士が、地団駄を踏んで悔しがっていた。
「武器の選択を誤った。自動小銃ではなく、手榴弾の一つでもあれば、奴らを葬り去る事が出来たであろうに」
コスモスが、爆弾を持っていなかったことが、幸運であった。
トラックの積みは、全て無事であった。扉や天井には、無数の弾痕が刻み込まれていたが、頑丈な作りであったため、貫通は無かった。
マリアとダニーが、急いで、人脳培養器の電源を確保する。そして、ティムのスクリーンに向かって、マリアが話しかける。
「あなたの希望通りに、全てやったわ。危うく死人が出るところだったのよ。皆に感謝することね」
ティムは再び、地下のシェルターに戻って来ることが出来た。姿は、人脳に変わり果ててはいたが。そして、新たに、8体の人脳を仲間に加えることが出来た。それは、とても嬉しいことであったが、皆の多大な犠牲を伴ったものであるため、素直に喜ぶことは出来なかった。
ラリーが8体の人脳達と挨拶を交わす。
「君達のことを歓迎するよ。私は、ラリー・ターナー。元クールGのCEOだ。できれば、君達のことを、もっと良く知りたい。君達が何故、人脳社会から弾き出されたのか、とても興味がある。良かったら、聞かせてくれないか? 君達の身の上を」
「てめーが、CEOか。てめーらが開発したコスモスのせいで、俺は、成りたくとも無い人脳にさせられたんだ。恨み節なら、いくらでも言ってやるぜ」
彼は、とにかく、深い恨みを抱いているようだ。とても、腹を割って話せる雰囲気では無い。ラリーは、過去の過ちを詫び、共にコスモスと戦って欲しいと、懇願する。彼等は、次第に、心を開いてくれた。
彼等の共通点は、やはり、望んで人脳に成っていない事であった。全員、嵌められたのだ。ある者は、小脳を採取するために選ばれたアスリート。ある者は、優秀なエンジニア。ある者は、優秀な脳外科医。また、ある者は、マフィアのボス。様々な職種から集められていた。皆、何かしらの優れた才能の持ち主であった。コスモスは、彼等に技能、人脈などを狙い、人脳を採取した。彼等も、『人脳牧場』の哀れなる家畜であった。
マリアやダニーにとっても、思い当たる節のある者が何名か含まれていた。過去にエレナによって選ばれし者達が。
しかし、裏を返せば、彼等は、強力な味方に成ってくれる可能性を秘めていた。何せ、エレナの、そして、コスモスの目に叶った、優秀な者達なのだから。
ティムは、刑務所にいるときから、既に彼等と、心を通わせ、深い絆を持っていた。そして共に、コスモスから脱出し、反旗を翻すのだと。そして、それが現実のものになろうとしていた。
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