第8話 ティム、人脳にされる

ファイブの安置されている研究室。


真夜中に、男は現れた。

この時間帯、ファイブの連中は休んでいる。ファイブの研究室への扉が、静かに開いた。薄暗かった、研究室の照明が、明るくなる。

「何だ、何事だ。私の睡眠の邪魔をする奴は、誰だ」

「全く、こんな、夜中に起こさなくても良いでしょ。誰なの、こんな時間に?」

ファイブの面々が、ぶつぶつと文句を言う。

男は、ゆっくりと、背負ってきた荷物を床に下ろす。そして、荷物の中身を出すと、マシンガンの三脚を広げ、しっかりと床に固定する。台座に銃を乗せ、銃弾の帯をセットする。男は、最後に、一つの脳に、しっかりと照準を定めた。

博士の、慌てふためいた、声が響く。

「お、お前は、アナンドではないか! 一体、どうやって入って来られたのだ。セキュリティーが厳重な、この部屋へ。何故、彼の侵入を許した。何故、武器を持っている者を、――――」

不適にアナンドが答える。

「博士、私は、あなたほど、IQが高くないね。でも、この程度のセキュリティーを突破できるIQなら、持っているね。私を少し甘く見たね」

「止めろ、止めるんだ!」

「きゃーっ、一体何なのよ。どうして、テロリストの侵入を許したの?」

「アナンド、止めなさい。そんな事をやっても無駄よ。止めなさい」

人脳達がパニックに陥る。

アナンドの目は、ぎらぎらと怒りの炎で燃えていた。しかし、落ち着き払った声で、博士に呼びかける。

「お別れの挨拶をしに来たね。博士、いや、ゲルハルト・ニューマン。あんたの命もこれまでね」

研究室内に警報が鳴り響き、赤いライトが回る。

博士が、ハッタリを噛ませる。

「お前が照準を定めている脳が、私の物だと何故分かる。こういう危険に備えて、代わりの脳を置いてあるのだ。残念だったな、私を殺す事が出来なくて」

しかし、アナンドは騙されない。

「脳にはね、一人、一人、特徴が有るね。皺の張り方、血管の模様。皆違うね。だから、博士の脳は、一目見れば分かるね。研究開始から、ずっと見てきたからね」

アナンドが引き金に指をかける。

「死ね! この脳みそ野郎!」

『ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガッ』

けたたましい銃声が鳴り響く。連射の音が、何十秒も続く。アナンドの目の前は、硝煙で真っ白になる。

やがて、銃声は静まり、硝煙の霧が晴れてくる。

博士の人脳の入った、水槽は、傷だらけだ。しかし、砕け落ちてはいない。

「くそっ、貫通していないね!」

アナンドは、再び、銃弾を装填し、連射を繰り返す。2帯目の銃弾が無くなっても、3帯目をセットし、連射を続ける。

もうもうと、白煙が立ち上る。白煙の向こうに、博士の人脳の入った、円柱状の水槽のシルエットが浮かぶ。

白煙が腫れてきて、アナンドの目に飛び込んできたのは、原形を留めた水槽の形であった。表面には、無数のひびが入っており、水槽の水が染み出てきている。

「やった! やったのかね?」

博士の、苦しそうな声が響く。

「アナンド、全部の銃弾を撃ち尽くしたのか?」

警備員達が駆け寄り、アナンドを取り囲む。

「脱出用の弾を残しておくべきだったな。痛、た、た、た。脳には痛覚が無いはずだが、何だかズキズキする。久しぶりに味わった脳震盪だ」

アナンドは、驚きを隠せない。上ずった声を上げ、その場にへたり込む。

「何故? アクリルなら、簡単に貫通できるはずね。何故?」

アナンドは、警備員に両脇を押さえ込まれ、身動き取れなくなる。

博士は、落ち着きを取り戻した声で、種明かしをする。

「私が、初めて人脳となったとき、水槽は、単なる強化アクリルだった。しかし、今は、スパイバーと呼ばれる、人工蜘蛛の糸を原料とした、特殊樹脂で覆われている。こいつは、伸縮性に優れていて、鉄よりも強いんだ。おかげで命拾いしたよ」

アナンドは、愕然とし、頭の中が真っ白となった。

博士が、怒りのこもった声で、アナンドを叱りつける。

「これだけの事をやってくれたんだ。覚悟は出来ているであろうな。私が直々に、お仕置きをしてあげよう」

博士の言葉が終わるより早く、研究室の壁にある扉が開き、何者かが、メカニカルな音を立てながら出てきた。そして、アナンドの頭をめがけ、強烈なキックを喰らわせる。

アナンドは、その場に崩れ落ち、頭から血を流す。目は、見開いたままだ。

「未だ未だ、力の加減が出来ないようだ。強く蹴りすぎたかな? 目を閉じる事さえ出来なかったとこを見ると、陥没骨折をしているようだな。アナンド・チダンバラム、24才。IQ197。人脳にしてあげたかったが、脳が潰れてしまっては、諦めるしか無いか」

博士は、冷酷な眼差しで、見下ろしていた。


翌日、出社早々に、ティムは、ファイブへの呼び出しを受けた。ハオランも一緒に連れてくるようにと。

しかし、ティムには、気がかりなことがあった。

「アナンドと連絡が取れない。いつも、呼び出されるときは、3人一緒なのに、何故、今回は、アナンドは居ないんだ?」

ナカムラが、コスモスへの監視システムの様子がおかしい事に気が付く。

「偽人脳を使って、誰かが、ファイブの部屋にアクセスしたらしい。時刻は、昨日の真夜中だ。もしかして」

悪い予感がする。ティムは、アナンドのことを気にかけた。彼は、復讐に燃えていた。決して軽はずみな真似はしないと思うが、――――

ハオランが、ファイブの部屋へ行こうとティムを誘う。

しかし、ティムは、悪い予感を感じ取って、こう言った。

「ハオラン、君はここに残れ。残って様子を見守ってくれ」

悪い予感がする。今、ハオランも連れて行けば、3人とも消されるのでは? ティムの心中に暗雲が広がる。本当にファイブに会いに行って良いのだろうか?

その時であった、ティム達の居室のドアが、許可も無く開いた。

「君達、今すぐ、ここから逃げるんだ。博士は、君達を消そうとしている」

ラリー・ターナーCEOであった。

ティムは、驚いた。

「ラリー、どう言うことだ?」

「説明している時間は無い。早く私のシェルターへ逃げるんだ」

ラリーは、会社の地下深くに、シェルターを用意していた。万が一、核戦争が起こっても、クールGの本社機能を維持するためのシェルターを。

彼等は、研究室の扉から出ると、脱兎の如く、長い廊下を駆け抜ける。彼等の背後から、複数の足音が迫ってくる。何者かが、叫び声を上げながら、追いかけて来る。

「くそっ、予想外だ。こんなに早く追っ手を差し向けてくるとは。急げ、そこの角を左に曲がるんだ」

ラリーは、角を曲がると、秘密の扉を開ける。そして、そこから、秘密の通路を伝い、シェルター入り口のエレベーターへと、彼等を誘導する。

エレベーターの扉が閉じ、一息付いたところで、ラリーが、ようやく説明を始める。

「昨夜、大事件が起きたのだ。クールG史上、コスモス史上、最悪の大事件だ。アナンドが、マシンガンを持って、ファイブへ乗り込み、博士の人脳を破壊しようと銃撃したんだ」

「何だって!」

しかし、驚いている暇は無さそうだ。

ティムの腕のスマホが、光る。ファイブからの催促だ。直ぐ来ないと、アナンドが大変なことになると脅してきた。

ラリーは、無視しろと警告する。

「残念だが、アナンドのことは、諦めるんだ。昨夜、私に入った情報では、『侵入者は、抹殺した』とのことだ。彼は、既に、死んでいるだろう」

3人を乗せた、エレベーターは、悲痛な雰囲気に包まれた。

ハオランは、不安そうだ。

「奴ら、我々を殺しに来るよ。危険人物として、抹殺するつもりよ。このエレベーターを追ってくるよ」

ラリーは、大丈夫だという。

「ここの、システムは、外部と完全に遮断されている。核爆弾でも破壊できないように設計されている。コスモスが、如何に優れた知性を持っているとしても、ここへの進入は、物理的に不可能だ」

程なくして、エレベーターの扉が開き、4人は、シェルターへの通路に到着した。

頑丈そうな通路を少し進んだ先に、シェルターの入り口は、あった。そして、そこの扉が開くと、ティムは、シェルターの全容を見て驚いた。

「広い。まるで、飛行機の格納庫のような広さだ」

ラリーが、シェルターの設備について、説明する。

「ここには、50人以上が、3年間暮らせるだけの物資が保管されている。コンピューターや通信設備も、絶えず最新の物にアップグレードされている。その気になれば、外部世界とも通信可能だ」

しかし、ハオランは、心配だ。

「外部と通信するにしても、GFWを置いてきてしまったよ。奴ら、我々の研究室に侵入し、GFWを使った通信方法に気づくはずよ。そうなったら、会社のシステムにアクセスできないよ。偽人脳にも日本にもアクセスできなくなるよ。結局何も出来ないよ」

ハオランの肩をナカムラが叩く。

「大丈夫だ。研究室のGFWには、自己破壊プログラムを起動させたから、今頃、研究室に来ても、何の痕跡も探せないさ。それに、ほら、今までやってきたことは、こいつらの中に、全てを移し替えておいた」

そういうと、背負っていたリュックサックの中を広げて、電子デバイス類をハオランに見せた。

「ナカムラ、あなた凄いよ。よく、とっさに準備したよ」

「私は、常にビクビク警戒しながら、仕事をしている。コスモスが実力行使して、研究室に押しかけてきても、何時だって逃げられるように準備していたのさ。想定内の行動だよ」

ティムも、ウィンクしながら、自分が持ってきたノートPCを指さす。

「僕も命を狙われた時から、何時でも逃げ出せるように準備していたんだ。これも、想定内の行動だよ」

ハオランは、逃げ出すことだけで精一杯だった自分が、何だか恥ずかしく思えた。しかし、頼りになる仲間達が居て、心強かった。

だが、彼等の心中には、大きな喪失感があった。アナンド。彼は、かけがえのない存在だった。これまで、共にコスモスに立ち向かってきた、数少ない戦友を失うことの意味は、とてつもなく大きい。

しかし、彼等に悲しんでいる暇は無かった。

特にラリーは、非常に強い危機感を感じていた。

「遂に、コスモスが実力行使に出た。今までは、サイバー空間内でしか行動できなかったため、実社会に与える影響には、ある程度の制限があった。しかし、彼等は、実社会で行動できる自由を獲得したようだ」

ティムが、ラリーに真相を確かめる。

「実社会での自由を手に入れたとは、アンドロイドが完成したという意味ですか?」

「そうだ。奴らは、実社会での行動の自由を完全に手に入れたのだ。今までの行動範囲は、コスモスの指示で動く、一部の人間に限られていた。一部の人間と言っても、その影響力は、無視できるレベルでは無かったがな。この私の様に、企業のトップでさえ操るのだから」

ラリーには、自責の念がある様だ。自分の会社が乗っ取られるのを恐れて、易々とコスモスの軍門に降ってしまったという、自責の念が。邪悪な存在の手先に成り下がってしまったという、自責の念が。

ハオランがラリーに尋ねる。

「ラリー、どうして私達を助けたのよ? 助けてもらった恩義があるのに、質問するのは、厚かましいけれど、何故よ? 私達に利用価値があると判断したのかよ?」

ラリーは、正直に理由を話す。

「『邪悪な存在になるな』、この言葉は、私自身にも課した自戒の言葉だ。しかし、私は、コスモスという邪悪な存在を許してしまった。私は、後悔している。非常に後悔している」

ラリーの顔に悔しさが滲む。

「だから、やり直したいのだ。我が社が作り出したコスモスを、私の責任の名において、この世から消し去りたいのだ。その為のスタッフとして、君達を選んだ。私には、君達しかいないのだ。この邪悪な存在を阻止できる者は、君達しかいないんだ」

ラリーは、コスモスに屈した時から、ずっと、コスモスを消し去ることを考えてきた。しかし、自分の想像を超える超知性の前で、なかなか、その決断を下すことが出来ないでいた。そして、そんな自分を、情けない気持ちで、ずっと見つめてきた。

しかし、ようやく、腹が決まった。コスモスとの勝負が、最終局面に入った今、この機会を逃すと、永遠にコスモスを消すことが出来ないと感じ取ったのだ。今こそ、勝負をかけるタイミングなのだと、ラリーの鋭い直感が、そう叫ぶのだ。

彼等が、地下シェルターで落ち着きを取り戻したところに、突然、入り口のモニターが、点灯し、助け声が聞こえる。

エレベーターの扉を叩きながら、誰かが叫んでいる。

「助けて! 私達も中に入れてちょうだい。お願い、殺される」

モニターには、マリアとダニーの二人が映っていた。

ラリーが驚く。

「どうして、この場所が分かったんだ? そうか、さっき追いかけてきたのは、彼等だったのか。道理で、追っ手にしては、早いなと思っていたんだ」

ティムが、シェルターの出口へ向かう。

「彼等を助けに行く」

ハオランが止める。

「待って、もうすぐ追っ手が来るかも知れないよ。今行くのは危険よ」

ティムが、ラリーに確認を取る。

「エレベーターまでの通路に、監視カメラは、設置して有りますか?」

「今、カメラの映像を見ている。大丈夫だ、未だ、追っ手の姿は無い」

ティムは、助けに向かう。

「追っ手が来る前に、彼等を救出する。通路の監視カメラの情報は、逐一報告してくれ。間に合うのなら、助けるべきだ」

しかし、ハオランは、心配だ。

「ティム、気をつけてよ」

「大丈夫だ、何かあっても、僕はそう簡単にやられない。師範代なのだから」

そう言い残すと、ティムは、再びエレベーターに戻った。

しかし、ティムがエレベーターで移動中、ラリから警告が届いた。

「警備員が、2名、通路に入って来た。急ぐんだ」

ティムは、人間相手ならば、問題ないと答えた。もうじき到着する。

エレベーターの扉が開く。マリアとダニーが飛び込んで来ようとした、その時、二人が警備員に押さえ込まれてしまった。

「た、助けて!」

ティムは、エレベーターを飛び出ると、二人を救出するべく、警備員に空手の蹴りを連発で喰らわせる。ティムの攻撃で警備員が怯んだ隙に、マリアとダニーがエレベーターへとなだれ込む。すかさず、ティムも乗り込もうとしたときに、警備員達も、捨て身でエレベーター内へと強行突入する。

ラリーからの指令が伝わる。

「急げ、ティム。新手の警備員が乱入してきた。そいつらを乗せたままでも構わない。急いで、こちらへ戻ってこい」

警備員が、扉を閉めさせまいと、体を張って頑張る。その手を振り払おうと、ティムが、手套、膝蹴りを繰り出す。しかし、警備員もしぶとい。ティムと揉みくちゃになりながら、入り口で粘る。

ティムが二人に命令する。

「そいつらに抱きついて、一緒に中へ引きずり込むんだ。時間が無い」

しかし、ここで、マリアが思いもよらぬ行動に出る。ティムの背後から渾身の体当たりを喰らわせると、警備員もろとも、エレベーターの外へとはじき飛ばす。そして、扉の外で、3人が倒れ込んでいる隙に、「閉」のボタンを押し、扉を閉じてしまったのだ。エレベーターは、ティムを置いたまま、無情にも階下へと降る。

ダニーが、驚く。

「マリア、君は何てことをしたんだ! ティムを突き飛ばすなんて。彼は、僕らを助けに来てくれたんだ。それなのに、君は、」

マリアが冷たく言い放つ。

「仕方が無いでしょ。新手の警備員が乱入してきたと、通報があったじゃない。もたもたしていたら、3人とも捕まっていたのよ。2人助かっただけでも、ありがたいと思いなさい」

「そんな、命の恩人に対して、」

「確かに、命の恩人かもね。ティムには、感謝しなくちゃ」

二人の乗ったエレベーターがシェルターに着いた。

ハオランが、怒り狂い、顔を真っ赤にし、マリアを壁に押しつける。

「あなた、何て事をしてくれたのよ! 助けに言ったティムを突き飛ばすなんて、あなた最低よ。人間じゃ無いよ」

しかし、マリアには、悪びれた様子は無い。

「状況的に、仕方ないでしょ。私は、確実な方法を選んだだけよ」

ハオランの怒りは収まらない。

「これじゃあ、ティムが助けに行った意味が無いよ。どうしてティムが、あなた達の犠牲にならなければ、いけないのよ!」

ダニーには、罪悪感がある様だ。うつむいたまま、一言も言葉を発しなかった。

ラリーは、モニターに映る映像から、ティムが未だ身柄を確保されていない事を知る。そして、遠隔操作で、エレベーターを上へと向かわせる。間に合ってくれると良いのだが。

比較的冷静なナカムラが二人に質問をぶつける。

「そもそも、どうして君達が逃げてきたんだ。君達は、博士の味方のはずだろ?」

二人は、ナカムラとは初対面だった。

マリアが睨み付ける。

「誰よ、あなた。あなたこそ、どうしてここにいるのよ?」

よく考えると、ずっと行動を共にしてきたラリーも、ナカムラとは初対面だった。彼も、ナカムラの正体を知りたかった。

「私は、ファイブのサカマキと一緒に研究していた。サカマキにとっての私は、ニューマン博士にとってのティムと同じ存在なのです。ファイブの暴走を止めるべく、ティムと組んでいました。そう、ティムと、――――」

ナカムラも、がっくりと肩を落とす。

ハオランが、多少、冷静さを取り戻す。

「マリア、あなたは、人脳になりたかったんじゃ無いのかよ? 黙って捕まって、人脳になれば、良かったのよ」

マリアは、心の中で舌打ちをした。「ちっ、余計なことを、思い出しやがって」

しかし、マリアは、気の強い女だ。毅然とした態度で答える。

「元はと言えば、アナンドが、あんな事をするからよ。ファイブは、私達まで危険視したのよ。捕まっても、人脳にされる保証が、無くなったの。それも、これも、アナンドが、あなた達が原因なのよ」

ダニーも話を付け加える。

「僕達も、ファイブの呼び出しを受けたんだ。だけど、エレナが『今すぐに逃げなさい。殺されるわよ』と、メッセージをくれたんだ。エレナは、ファイブに加わった後でも、ずっと、僕達のことを心配してくれていたんだ」

エレナは、冷たい女だと思われていたが、以外にも、元部下達に対しては、情が残っていた様だ。

マリアが話を続ける。

「私達が、研究室から出たとき、ラリーとあなた達が走っている姿を見たの。あなた等に付いて行けば、逃げられるかも知れない。そう思って、追いかけてきた訳よ」

ダニーが、続けて言う。

「しかし、曲がり角で、君達を見失ってしまって――――。隠し扉の存在に気が付くまで、結構焦っていたんだ。必死だったんだ」

彼等の言い訳など、もう良い。やっと、エレベーターが上に到着した。

ティムは、脱出の希望を捨てていなかった。

「必ず、もう一度、エレベーターがやって来る」

ひたすら、そう信じて。戦い続けた。しかし、ティムにとって、その時間が来るまでは、とてつもなく長く感じていた。

床の上には、警備員が2名、転がっている。何れも、ティムが、空手の技を使って、仕留めた者だ。しかし、戦況は、不利だった。袋小路の中で、多勢に無勢、自由に動き回る事が出来ない。空手の場合、接近戦、肉弾戦では、繰り出せる技が限られてくるため、状況を打開するのが難しかった。

ティムは、意表を突いて、エレベーターとは、反対の通路側へ向かってダッシュし、包囲網を突破した。これだと、動きの自由度が、格段と大きくなる。敵はティムを追いかけ、散り散りになる。チャンスだ。一撃必殺で、一人ずつ敵を、倒す事が出来る。

しかし、ティムの体力は、限界に近付いていた。肩を大きく揺らしながら呼吸を整え、最後の力を振り絞る。得意の蹴り技で、一人、また、一人と倒して行く。

その時だった。エレベーターの扉が開いた音が聞こえた。ティムは、警備員達を蹴散らしながら、一目散にエレベーターへと突入した。しかし、先ほど倒した者達、二人が、息を吹き返し、ティムの前に立ちふさがる。後ろからも、倒した者達が、ゆっくりと立ち上がる。

「これが、最後のチャンスだ」

ティムは、渾身の二段蹴りを繰り出し、二人の顎を蹴り上げる。手応えがあった。二人は、よろめき、隙が出来る。その間を、猛然とダッシュし、エレベーターの中へと転がり込む。そして、立ち上がると、「閉」のボタンを押す。扉がゆっくりと閉じ始める。

「永かった。ようやく、シェルターへと戻れる」

しかし、そう思ったのも束の間、扉が閉じようとする直前に、多数の警備員の手が、扉の隙間に入ってきた。そして、閉じかけた扉が、無理矢理こじ開けられる。ティムは、慌てて、その手の主達を、蹴り飛ばす。しかし、雪崩を打ったように、次から次へと、警備員が、エレベーターの内部に突入する。

ティムは、押し倒され、数名の男達が、その上にのし掛かる。ティムは、動く自由を完全に奪われ、取り押さえられてしまった。


ティムが、ファイブの居る研究室へと連行されて来た。

待ちかねたように、博士が、ティムに声をかける。

「私達の呼び出しを無視して、逃げ出そうとなど失礼極まりない行為を働いたが、結局、無駄骨に終わってしまったな。まあ、地下に逃げ延びた者達が、何人か居るみたいだが、貴様を除けば、我々の脅威となる者など、他に居るまい。これで、コスモスも安泰という訳だ」

博士は、勝ち誇った顔で、ティムを見下ろした。

ティムは、博士の顔を睨みながら、凄みをきかせた声を張り上げる。

「決して、お前達の、自由になどさせない。お前は必ず、地獄へ落ちる。それまで、怯えて過ごすが良い」

「威勢の良い事だ。誰が怯えて過ごすって? わっ、は、は、は、は、は―――――」

久しぶりに聞く、博士の高笑いだ。

ティムが博士に詰め寄る。

「お前達は、一体何がしたいんだ? 人類の半数を、人脳にすることの目的は、何なのだ? 答えてもらおう、ニューマン博士」

「目的だと? そんなことを知ってどうする。どうせ、貴様らの頭では、理解不能なことだ。答えるだけ、無駄なことだよ」

「お前達にとって、人類とは何だ? 人類を、どうしようと言うのだ?」

「人類だと? 我々にとって、人類は、家畜のような存在だ。人脳を収穫するための、ただの家畜だ」

「家畜だって?」

「そう、我々にとっての地球は、言わば、牧場のような物。『人脳牧場』なのだ」

「『人脳牧場』だと? ふざけやがって!」

「その為に、人類の半数は、繁殖のために残しておくことにした。新しい人脳を安定的に供給する為に必要な数を」

「お前達のやっていることは、人間の尊厳を傷つける、畏れ多い行為だ」

「尊厳を傷つけるだと? 笑わせるな。尊厳なら、ちゃんと守られているではないか。人脳にこそ、人間の尊厳が宿っているのだ。肉体という不自由な存在から解放された人脳こそが、尊厳の本質を貫いているのだ」

「勝手なことを言うな! 本来、人脳になるには、本人の同意が必要なはずだ。それを、お前達は、完全に無視して居るでは無いか。人権を無視しておいて、尊厳が守られているだと。そっちこそ、笑わせるな!」

「貴様は、何も分かっていない。人脳になった者達のほとんどが、自分は幸運な存在だと感謝している。この私に、感謝しているのだ。その現実を、直視するのだな」

「感謝だと? それは、お前が、勝手に押しつけている感謝では無いのか? 少なくとも私は、感謝などしない。何故なら、そこには、愛情の一欠片も無いのだから」

ティムは、モリーのことを思い出した。そして、アナンドのことも。愛する者を失った人達の感情は、無残に踏みにじられているのだ。そう、そこには、愛は無い。一欠片たりとも存在しないのだ。

博士は、馬鹿げた者を見下す目をして、にやついている。

「お前の言う愛などとは、所詮、生物が進化の過程において、子孫を残すために身につけた情動に過ぎない。『人脳牧場』に転がっている愛というのは、そう言ったレベルのものに過ぎないのだ」

「お前は、愛を否定するのか? 愛の尊さを、お前は知らないのか? 人から愛されたことが無いお前にとっては、理解できないのも、無理は無いか」

博士は、不快な思いをした。「愛されたことがないだと?」。博士も、例外なく、両親から愛情を注がれて育ってきた。研究仲間からも愛されていたし、愛弟子だったティムからも、当然、愛されていたのだと。

しかし、博士は、その様な表情を全く見せずに、淡々と語る。

「私が愛を知らないだと? 私の考えている愛は、貴様とはレベルが違うのだ。前にも話したことがあるだろう。真の愛とは、宇宙の理を知ることにあるのだ。そして、その愛は、超知性コスモスの中に、確かに宿っているのだ。生命の最終進化形態である、超知性にこそ、愛は宿るのだ。人脳では無い、貴様には、真の愛とは何なのか、理解不能なのだ」

ティムは、博士の言っていることが理解しがたかった。愛とは、優しさ、ぬくもり、そして、幸せ、喜びに満ちたもの。上手く言葉に出しては、言えないけれど、もっと大切なものである。宇宙の理だと? 超知性とは、自分の理解しがたい者であることだけは、確信を持てた。それは、理解を超えた者では無い。理解し合えない者なのだと。

博士は、勝ち誇った態度で、見下し続ける。

「言いたいことは、それだけか? まあ、良かろう。お前には、最後のチャンスを与えよう。この私を倒すことが出来たなら、自由を与えよう」

ティムには、意味が分からなかった。コスモスを倒すことなど、今の自分には、とても叶う事では、無いのだから。

博士が、衝撃的な言葉を投げかける。

「貴様に、アナンドの敵を討たせてあげよう。アナンドを殺したのは、この私だ。私のアンドロイドなのだ」

博士の言葉が終わると共に、研究室内の扉が開き、博士のアンドロイドが姿を現した。

しかし、それは、ティムが想像していた物とは、全く異なっていた。アンドロイドと言うよりは、メカ丸出しのロボットであった。体格も2メートルを優に超す長身で、がっしりとした体格。体重は、200キロ近くあるかも知れない。そして、あまりにも異形なその姿にティムは、驚愕していた。

「わっ、は、は、は、は、は―――――」

博士の高笑いが再び響く。

「驚いたかね、この形に。手が4本、足が2本。これが、私のたどり着いた答えだ。昆虫のように6足あることが、格闘において、最も有利なのだ。足が4本、手が2本も試しはしたが、結局、この形が最強なのだ」

博士は、器用に、6本の手足を動かしてみながら、ティムに近づいて来る。そして、右足を振り上げると、ティムの側頭部をめがけ、強烈な回し蹴りを放つ。

ティムは、間一髪のところで、後ろへ飛び退き、身をかわす。

「ほう、空手をやっているだけあって、逃げるのが上手いな。アナンドは、今の蹴りをまともに喰らって、頭蓋骨がひしゃげてしまったんだ。無様な最後だったよ」

ティムに戦慄が走った。

博士が、4本の腕でパンチを繰り出しながら、自分のアンドロイドを自慢する。

「私が、6足を自在に操れる理由を、特別に教えてあげよう。これは、赤ん坊の人脳に6足を繋げ、体の動かし方を覚えさせ、習得したものだ」

ティムは、必死にかわし続ける。

「赤ん坊の脳に? しかし、赤ん坊は、立ち上がるのを学ぶだけで1年近く要する。何故ここまでの短時間で、俊敏な動きが?」

「赤ん坊が動作を学ぶのが遅いのは、体の発達の遅れが原因だ。現に、生まれたときに、体が出来上がっている、馬や鹿などは、生まれてすぐに立ち上がることが出来る。それと、同じ事だ。赤ん坊に自由に動き回れる体を与えれば、それに、すぐ順応するのだ。そして、訓練を積ませれば、貴様に負けないぐらいの運動神経を発揮する」

赤ん坊の人脳に、妙に執心だったのは、そういう理由か。しかし、ティムには、思いを巡らせる余裕など無かった。どこかに弱点があるはずだ。完璧な者など、存在しないのだから。

ティムが、間合いを一気に詰めて、スライディングをし、アンドロイドの足を蹴り上げる。2足歩行の弱点は、そこだ。

博士のアンドロイドは、一瞬バランスを失うが、もう片方の足で飛び上がり、空中で姿勢を整えながら、横たわるティムめがけ、パンチの雨を降らせる。ティムは、転がりながら、ギリギリの所でかわす。

博士は、両足でしっかりと踏ん張り着地をすると、苦笑いをした。

「2足歩行の弱点を狙ってくるとはな。少々、甘く見ていたようだ。ここからは、手加減無しだ」

ティムは、必死に逃げ回るが、身をかわすことが、次第に困難になってゆく。手足でのガードが間に合わない。そして、ダメージだけが蓄積されて行く。

博士の、楽しそうな声が響く。いよいよ、ティムを仕留めに掛かったのだ。

「貴様にヒントを与えよう。どうして、私に、君の動きを読めるか分かるかね? 君の動きを学習したから何て、つまらない答えでは無い。人間は、認知、判断、行動に至るまでのプロセスで、時間のロスが大きい。理由は、分かるだろう? 神経だ。神経伝達に時間のロスが、有るからだ。しかし、感覚神経、運動神経が電気回路の私のアンドロイドは、そのロスが、極めて少ない。簡単に言えば、後出しじゃんけんで勝てると言うことだ。じゃんけんと言う遊びが成り立つのは、神経伝達の遅れがあってからこそだ。例え相手の手が途中で分かっても、瞬時に自分の手を切り替えることなど出来ないだろう。そういう訳で、貴様は、私に勝つことは、不可能なのだよ」

『不動心』、ティムは、空手で学んだことを思い出した。達人の域に達すると、最小限の動きで、かわすことが可能となり、逆に、相手に動きを読まれないことを。下手に動くと、狙われる。邪心を捨て、神経を研ぎ澄まし、防御を固める。

博士は、感心する。

「ほほう、動きを止めおったわい。しかし、防御に徹したところで、勝ち目はゼロだ。格闘技の世界では、常識だろう? 攻撃が、最大の防御であることは」

博士は、攻撃の手を緩めない。しかし、ティムは、動かない。静かに、隙が出来るのを待つ。

一瞬の隙、ティムは、前方に大きく踏み出すと、アンドロイドの胴体の関節に渾身の蹴りを入れる。アンドロイドの、動きが、一瞬止まる。ティムは、関節を目がけて、残りの力を振り絞り、激しく連打する。

アンドロイドは、ゆっくりと傾き、ティムに体を預け、クリンチをする。しかし、そこで、4本の手が、素早くティムを後から抱え込み、ゆっくり力を強めながら締め上げる。

「さようなら、ティム」

骨が軋み、折れる音、砕ける音が、内臓が不気味に潰れてゆく音が研究室の静寂に響く。

もう、ティムに意識は無かった。


マリアが、必死にティムの消息を追っているハオランに向かい、不謹慎な言葉をかける。

「いい加減、ティムのことは、諦めたらどう? どうせ、生きちゃいないわよ。それも、これも、アナンドが馬鹿な真似をするからだわ」

ハオランは、ひたすら無視する。必死に我慢する。そして、心の中で、呟く。

「この女、自分の命を助けてもらいながら、血も涙も無いのかよ。この馬鹿女と議論しても無駄なだけよ。今は、ティムの消息を知ることが、最優先よ」

無神経なマリアが、ずけずけと言う。

「いつの間に、コスモスの中に、偽人脳を仕込んだの? 私達の許可も取らないで。図々しいわね。何だか、腹が立つわ」

一緒に仕事をしてきた仲ではあるが、さすがのダニーも切れた。

「マリア、いい加減にしろだ。少しは、ティムのことを心配しろだ。僕たちのせいで犠牲になったんだ」

マリアが冷たく言い放つ。

「何よ、あんた。裏切るつもり。こいつらは、コスモスの破壊を企んでいるのよ。私達の、血と汗と涙の結晶を」

「そいつは、コスモスに命を狙われている奴が言う言葉では無いな。君も、命が惜しければ、協力したらどうなんだ?」

ナカムラが、マリアをたしなめる。

マリアは、疎外感を感じた。

「東洋人同士、仲が良いことで。ええ、どうせ私は、誰の理解も得られないわよ」

マリアの中にも、罪悪感が全くない訳では無かった。しかし、親愛なる博士が構築したコスモスを裏切ることに強い抵抗を感じていた。例え、自分が、コスモスに命を狙われているにしても。

その傍らで、ラリーは、腕組みをしたり、手で頭を支えたりしながら、物思いにふけっていた。CEOとして、彼等に何か協力ができないものかと。いや、CEOの立場で考えては駄目だ。CEOとして、貢献できるのは、このシェルターを提供することだけだ。今は、CEOとしての立場も力も残されていない。一兵卒として、彼等と共に戦うときだ。しかし、私に何が出来るのであろうか。

ラリーがナカムラに話しかける。

「君が我々の側にいて、心強いよ。なあ、日本を通して、私が協力できることは無いかな? 私は、日本政府に強いコネクションがある。日本にもクールGの支社がある。私に従ってくれる者もいるはずだ。頼むから、何か協力させてくれないか?」

ラリーは、地上では、謎の失踪を遂げ行方不明となっている。その為、クールGは、来週にも緊急株主総会を開き、後任のCEOを決める予定だ。

ナカムラが考える。

「ラリー、あなたは、業界では、カリスマ的存在だ。あなたの言葉であれば、世界中に響く。ネットを使って、あなたが、コスモスに嵌められ、クールGを追放されたことを世界に発信してみては、どうでしょうか? そして、世界に、反コスモスの風を吹かせるのです。甘言に乗って、人脳になってはいけないと」

ラリーの顔が輝く。

「君は、なかなか頭が切れるな。どうだ、我が社に入らないか? と、言っても、今は、そんな権限は無いが」

ラリーは、地上へ送るメッセージの準備に取りかかる。

ダニーは、手持ちぶさたに、ハオランに何か、協力できないかを尋ねる。しかし、ハオランは、警戒心を解かない。

「ハオラン、君が僕を警戒する気持ちは分かるだ。マリアがあんな感じだから、僕も同類だろうって。でも、信じてくれだ。僕は、ティムに対する罪悪感で、苦しいんだ。少しでも、彼の助けになりたいだ。頼む、協力させてくれだ」

ハオランが、ようやく折れる。

「ここに居る連中は、皆、同じ船に乗っているよ。言わば、呉越同舟よ。君は人脳に詳しいよ。私、ティムは、死んでいないと、思っているよ。きっと、人脳にされるよ。だって、博士にとって、とてつもなく利用価値が大きいよ。だから、今、偽人脳を使って、コスモスの中を調べているよ。ティムは、きっと、コスモスの中に組み込まれるはずよ」

ダニーは、自分の役割が、ようやく見えたような気がした。

「人脳の製造については、僕の方が、詳しいだ。ティムが人脳にされるとしたら、この研究所内にある、特別製造室だと思うだ。そこで、ティムの脳は、詳細なスキャンを受けるはずだ。そして、その次は、洗脳を」

「洗脳!」

「彼は、博士に対して、反抗的だっただ。だから、従順になるよう、洗脳が待っていると思うだ」

ハオランは、戦慄した。もし、ティムの人脳とアクセスが出来る可能性があっても、洗脳が施されていれば、まともなコミュニケーションが取れない恐れがある。そして、ティムの人脳が、博士の側に付いた時、自分達の秘密活動が、漏れ出る危険性がある。もし、そうなったら、全ては終わる。

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